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2-4 王都からのお嬢様、ご来訪 3

 リースはベッドからゆっくりと体を起こした。窓の外はまだ暗く、星々が楽しげに瞬いている。

 昨夜の出来事のせいで、リースはぐっすりと眠れなかった。心の奥底では、自分の決断が正しくなかったのではないかと、今でも思っていた。


 ――もしすぐにエリーゼを送り届けていたら、彼女の護衛たちは……死なずに済んだかもしれない……


 それでも、何の保証もない。エスタが言っていたように、あの者たちはもうずっと前に死んでいたのだ。少年は仕方なく、その考えを頭から振り払った。

 まだ少し疲れが残っているものの、今さら寝直しても眠れないだろう。


「ルミネイト」


 短い呪文を唱えながら、魔法のランプを軽く蹴って光を灯す。詠唱を省略したり、無言で発動したりすることもできるのだが、

 それは習慣だ。ランプの光を点けるのは、パーティーに合図を送るため。これは基本の一つなのだ。


「水よ」


 水の塊が現れ、木製の洗面器にゆっくりと流れ込む。少年は顔をきれいに洗い、服を着た。

 胸に着けていた鉄の胸当ては壊れてしまい、今は革の服だけだ。


 新しい鉄の胸当てが手に入らないのは、リースが貧乏な冒険者だからではなく、アッシェンブルクの鍛冶屋がたった二軒しか残っていないため、順番待ちが何ヶ月もかかるからだ。

 だがリースにとっては革の鎧だけで十分だった。錫級の冒険者は戦闘を伴う依頼を受けられないのだ。


 身支度を整えると短剣を腰に下げ、洗面器の水を魔法で浮かせて手のひらの上に留め、それから部屋を出た。

 まだ辺りは真っ暗なので、リースはニッシャの宿の裏口から出る。正面の扉は空が紫色に変わり始める頃に開くのだ。

 薄暗い街を歩きながら、頭の中では昨夜のことがまだぐるぐると回っている。足は自然とエスタの宿の近くにある広場に向かっていた。二人が毎日の訓練に使っている場所だ。


 今は植季の真ん中で、朝暗の気温は暑すぎず寒すぎず、リースは体を軽く動かせた。


 ――それなら、エスタを待つ間に何か試してみるか。


「固まれ……速くなれ……強化する」


 静かに三つの強化魔法を順番に自分の体にかけていく。服の下から薄い青い光が漏れ、彼は体を動かして短剣で空を切り続けることしばらく。


 その後、もう一度同じ強化魔法を重ねてかけた。


 ――大して変わらないか……


 強化魔法は複雑なものだ。うまく発動させるコツは魔力の順序にある。今のリースができる最高は二回重ねがけだ。

 それでも、何度重ねて強化魔法をかけても、強化の幅自体が広がることはない。

 ただ効果時間が延びるだけだ。

 グレイモアでさえ、こんなことをできる者を見たことがないと言っていた。

 だからリースが考えついた戦い方は、戦いながら強化をかけ続けることしかない。

 そのためにリースは、自分が魔法を素早く連続で発動できるように、魔力の順序をスムーズかつ正確に組み立てながら、同時に体を動かして戦えるようになるまで、鍛え続ける必要があった。


 ようやくエスタがやってきた。二人の毎日の訓練が、いつものように始まった。


「エスタ……今日は大丈夫か?」


 リースは黒髪の少女の瞳がぼんやりとしているのを見て、尋ねた。走りの練習中も、彼女はずっと無言だった。


「うん、平気だよ。心配しないで」


 そう答えはしたものの、彼女はまだ黙ったままだった。それがリースをますます心配させる。エスタは変わりやすいが、それだけわかりやすい子でもある。問題が起きると、彼女は決まって黙り込んでしまう。

 誰が見ても、問題があるとわかる……


「昨夜のことか?」


「それも一部だけど」


 リースが尋ねると、エスタは小さく答えた。彼女は優しい視線を向けたが、重く沈んだ感じがした。少年はもう一度口を開き、友人を安心させようとした。


「僕も同じだよ。一緒に解決策を探そう」


「そうだね……君がまだここにいてくれてよかった」


 エスタはため息をついた。彼女は目を強く閉じ、まるで全ての感情を押し込めて沈めようとするかのように。


「よし、君がここにいるなら、君を最大限に使わせてもらうよ!!」


 彼女は再び明るい声を上げた。感情の切り替えが早すぎてついていけない少女だ。本当に。リースはそれを見て、微笑んだ。

 少なくとも、エスタが自分を頼ってくれるのが嬉しい。

 だが、エスタは剣を二度も落としてしまった。


 朝の訓練をエスタと終えた後、二人はそれぞれ宿に戻って体を洗い、それから冒険者のギルドで再会し、模擬戦の準備をするはずだった。

 ところが、

「パレード訓練中止のお知らせ」

 大きな掲示板に短い文が貼られ、冒険者たちは喜びの声を上げた。

 銀鎧を着て陽射しの中を歩かなくて済むし、稼ぎに戻れる。誰だって嬉しいに決まっている。

 だがリースは正反対の気持ちだった。


 ――昨夜の件のせいか?


「遅れてごめんなさーい~~~」


 エスタが正面の扉から元気よく入ってきた。黒髪で大きな瞳の少女が、遠くから声を掛けてくる。リースは彼女の方を振り向いた。


「エスタ」


「どうしたの?」


 少女は周りがみんな喜んでいるのを見て、不思議そうに聞きながら近づいてきた。


「街の領主さんがパレードを中止にしたんだ。でも理由は言ってないよ」


「それって良いことじゃない。たとえ昨日のせいだとしても」


 エスタは肩をすくめると、リースの手を引っ張ってカウンターへ向かった。

 受付のお姉さんが微笑みかけてくれる。ギルドの職員は、心の優しくて真面目な冒険者にはとても親切だ。リースとエスタもその一人だった。

 ――エスタがこっそりリースを連れてモンスターと戦いに行かなければの話だが。


「これはエスタの依頼よ。リースくんのはないわね」


「どうしてないんですか?」


 リースが乾いた声で聞くと、お姉さんは『新人冒険者』たちを指差した。


「もう先輩なんだから、後輩に仕事を譲ってあげなさい」


 その言葉にリースはごくりと唾を飲み込んだ。新人とされる冒険者たちを見ると、みんなリースより年上ばかりだった。


「たまには先輩らしくしてよね、先輩~」


「ははっ、そうだよエスタ」


 エスタがにこにこしながら小声でからかい、肘で軽く突つく。受付のお姉さんもその冗談にくすくす笑った。


「それにしても、エスタちゃんも自分の依頼をちゃんと見てね」


 お姉さんは笑いを止めて、柔らかい声でエスタに言った。エスタはリースいじりをやめて、自分の依頼書に目を向ける。


「うわっ……」


 彼女は低い声でうめきながら、依頼内容を読み進めていくうちに、だんだんと眉を寄せた。


「くそっ、これは給料二十回分踏み倒されるよりひどいわよ……」


 その様子を見たリースがすぐに尋ねる。


「エスタの依頼って、何なんだ?」


 少女は短く息を吸い、半ば苛立った声で答えた。


「魔獣が……暴れてるの……しかも、すぐ近くで……」


 エスタはこのアッシェンブルクでわずか二人しかいない銅級の冒険者だ。一人は優秀な探索員兼伝令、もう一人が彼女。だからこそ、危険だが数が少ない任務は彼女に回ってくる。

 それなのに、最悪なことにリースを連れて行くことはギルドから禁じられている。

 読み終えると、エスタは鋭く真剣な視線を受付嬢に向けた。

 お姉さんは少しびくっとしたものの、笑顔を崩さずに言った。


「ギルドの調査隊が痕跡を追って居場所を突き止めたわ。報告によると、一匹だけよ」


 それを聞いてエスタはふうっと息を吐き、表情が少し和らいだものの、目は依然として真剣だった。


「わかった。今日中に片付けてくる」


「女神様のご加護がありますように」


 受付嬢がそう言い終えると、地図を差し出した。エスタは地図を受け取り、カウンターに背を向ける。リースは慌ててその後を追った。


 冒険者のギルドから十分に離れ、人目がなくなったところで、エスタがリースの服をぐいっと引っ張った。少年は、最近よくやる仕草に振り返って友人の顔を見た。


「にゃーん、リーース、いつものように助けてよ~。職員価格の回復ポーション、にゃん!」


 エスタは子猫のような甘えた声で鳴きながら、またしても可愛らしい猫の手ポーズを取った。

 リースは乾いた笑いを漏らした。どうしてエスタが何か頼むたびに、こんな仕草と声を使うのか、理解に苦しむ。


 リースはマリーナ教会の『内部関係者』なので、回復ポーションを市場価格より安く買える。

 それも教会で調合した本物だから安心だ。

 モンスターと戦いに出るエスタは、リースにとって上客というわけだ。


 ただし、このことはギルドには絶対内緒。

 知られたら冒険者仲間で揉め事になるかもしれない。それがリースを少し罪悪感にさせる。


「うん、いいよ。今回は四本で足りる?」


「うん、魔獣一匹だけなら余裕すぎるわ」


 エスタは嬉しそうに微笑んだが、少し歩いてからリースが尋ねた。


「ねえエスタ、魔獣って何なの?」


「魔力の影響で体が極端に変異したモンスターよ」


 エスタは澄んだ声で答え、リースの顔を見て「まだよくわかってないな」と察すると、グローブの下を指差してまた賢そうなポーズを取り、説明を始めた。


「普通、生き物はライフサイクルと凶暴さで分類するでしょ?」


「うん、普通の動物とモンスター」


 普通の動物や野生動物はライフサイクルが遅い。牛、馬、豚、犬などは成長も繁殖も何年もかかる。


 一方、モンスターはダンジョンや魔力を放出する古代遺跡などの魔力源の影響を受けて、ライフサイクルが極端に短くなっている。一ヶ月もあれば脅威になるほど、成長も繁殖も早く、普通の動物より強くて凶暴だ。


「それは冒険者なら誰でも知ってる基礎知識だけど、魔獣はどうなの?」


 リースがそう答えると、エスタはにやりと笑った。グローブの下から指を出して頰に当て、眼鏡をかけていないのに眼鏡を押し上げるような仕草をして、知ったかぶりをする人たちをからかうように。


「魔獣は魔力を吸収しすぎて体が極端に変異したモンスターよ。種としての限界をはるかに超えてるの。簡単に言えば、モンスターの進化版ね。成長速度も飢えも凶暴さも段違いで、中には魔法を使える個体までいる。成長が止まらないから、発見したらすぐに討伐しないと、もっと恐ろしくなるわ」


「でも、どうして僕、今までその名前を聞いたことがないんだ?」


 リースがさらに疑問を口にすると、


「出現数が少なすぎるからよ。集まった情報も点みたいなものばかり。だからギルドも、どれが普通のモンスターでどれが魔獣か判断に困るの。でも今回の個体はちゃんと判定済み。それに、元々は別の場所からで、この依頼はラントンのギルドからの連携よ」


 リースは心配そうな顔をしたが、エスタは動じずに微笑んだ。


「大丈夫だよ。私、ルナリス女神の信者なんだから。戦えないと思ったら、隠密で逃げてくるだけさ」


 エスタは澄んだ声でそう言って、リースの背中を軽く叩き、心配を解そうとした。


「じゃあ、ドラゴンは?」


 リースがさらに尋ねた。今度は伝説上の生き物で、本当に存在するのか誰も証明していない。でも、男の子なら誰でも夢見る……ドラゴンスレイヤーになりたいってやつだ。


「ああ……世界の果ての壁に、ずーっと居座って寝てばっかりの、超古い怠け者たちのこと?」


 エスタは口を尖らせ、低く引き伸ばした声で言った。目を細めて、明らかな退屈さを露わに。


「え、え……そんなにひどいのか?」


「あいつら、世界に興味なさすぎて、一般人が知能のないワイバーンを本物のドラゴンだと思い込んでるのを放置してるんだから」


 リースはまた乾いた笑いを漏らしたが、心の奥では少し嬉しかった。エスタは古代の記録から知識を得ている。彼女がこう言うなら、ドラゴンは本当に存在するんだと信じられた。





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