2-2 王都からのお嬢様、ご来訪 1
大訓練場の観兵場に並ぶ列は、見事だった。
灼熱の太陽の下、銀色の鎧が行進し、整然と輝きを放ち、光を反射して目が眩むほどだ。
だが、その列を歩く者たちは、すっかり力を失ったように肩を落としていた。
「休憩!」
隊長の声が響くと同時に、一つの鉄の鎧がどっかりと座り込んだ。
「うわぁぁぁぁぁぁ! 疲れたぁぁぁぁ! 暑いぃぃぃぃ! うううううう!」
エスタが大声で叫びながら、自分の鉄の兜を乱暴に脱ぎ捨てる。
その声は、駄々をこねる子猫のようだった。
隣の鎧も兜を外し、薄く微笑むリースの顔が現れる。汗でびっしょりと濡れていた。
「エスタ、水を飲むかい?」
灰色の髪の少年は、大親友の黒髪少女に丁寧な口調で尋ねた。
「飲む!」
エスタが何度も何度も頷く。リースは微笑み返し、魔法を唱えた。
「水よ」
リースの手の上に、手のひらサイズの小さな水の球が現れる。
それから少年はそれを操り、水の杯の形に変えた。
「冷たく凍えよ」
もう一度呟くと、杯の縁の水が凍りつき、中に冷たい水が揺れている氷の杯が完成する。
彼はそれをエスタに差し出した。
「エスタ」
少女はその杯を受け取った。今も鎧を着ているため、手は直接冷たい杯に触れていない。
彼女は幸せそうに飲み干し、飲み終えると顔をぱっと明るくした。
「もう一杯いるかい?」
「もういいよ、ありがと!」
エスタがそう言うと、リースは氷の杯を受け取り、再び水の球に戻してから自分もごくごくと飲み干した。
その光景を目の当たりにしたエスタが、びくっと小さく跳ねる。
え……これって……間接キス!?
いやいや、違うって! こんなのカウントしないから! ノーカン!
でも次の瞬間、さっきまで浮かんでいた淡い妄想をぱっと振り払い、すぐに本領発揮で文句をぶちまけた。
「ていうかさー! なんで私たちがこんな観兵行進なんかさせられてんのよ!
あの廃墟、私たちが最初に見つけたんだからさ! 普通なら歓迎パレードでしょ! 豪華な部屋で座って優雅にお茶してるはずでしょ!」
エスタは頬をぷくーっと膨らませる。
が、リースは首を振った。
「僕、このままで良かったと思うよ。
もしアンダーアイゼンの遺跡を僕たちが見つけたってバレてたら、朝から晩まで尋問室に閉じ込められてたかもしれない」
そう言われてエスタは眉をぎゅーっと寄せ、口をへの字に曲げた。
「尋問されるほうがまだマシ! こんな重い鎧で歩かされるより絶対マシ!」
灰髪の少年はただ苦笑いするしかない。
エスタにとってみれば、本当に尋問のほうが楽だろう。
なにせ彼女はルナリス女神の信徒。隠密魔法はお手の物だし、頭のキレは異常だ。
万が一牢にぶち込まれても、脱走するタイミングなんて気分次第なのだから。
せめてエスタの機嫌を少しでも直してあげようと、リースは口を開いた。
「じゃあ、今日は夕方から帰る前に、街をちょっと散歩でもしない?」
「足の痛みを回復魔法で治してくれるなら、付き合ってあげてもいいけど?」
エスタはにぱっと笑って、首をくねくねさせながら答えた。
口ではそう言ってるけど、心の中はもう煙がモクモク立ち上ってる状態だ。
―こいつ……急にどうしたのよ! いきなりデートに誘うとか大胆すぎでしょ!!
でも、独身女子にとってチャンスは逃せない。
エスタ、ゴー!!
甘くて素敵な誘いが降ってきても、誰が予想できたというのか。
その日の午後、アリアス伯爵──この街の領主が「訓練をこれまでの二倍の強度でやれ」と命じたせいで、冒険者たちは悲鳴を上げまくることになったなんて!
アッシュェンブルクの駐屯地は、領主邸と同じ敷地内にあった。
四方を高い壁に囲まれ、北側にだけ開く唯一の門がある。
観兵行進が終わると、皆は銀色の鎧や訓練用具をそこへ片っ端から運び込んでいく。
なぜこの街の設計者は、貴族区と市民区をまるで別の世界のように完全に分断してしまったのか。
領主邸から街の中心部まで歩くだけでも、えらく時間がかかるのだ。
「うわぁぁん~~もう無理ぃぃぃぃぃ!!」
エスタがまたしても泣き声で叫んだ。文字通り涙目である。
エスタと街を散歩するはずが、いつの間にか背中に彼女をおんぶして、代わりに泣き声ばかり聞いているなんて……
本当に変わった夕方の散歩になったな。
「ふんっ! 全部あの偉い人たちのせいなんだから!」
エスタはカエルのように頬をぷくーっと膨らませながら、リースの背中に顔をぎゅうっと埋めた。
それは大賢者アルティシア様が「自らアッシュエンブルクを訪れる」と手紙を送ってきたからだ。領主であるエリアス伯爵は歓迎のパレードを催さねばならなくなった。しかしアッシュエンブルクには正規兵があまりにも少なすぎる。そこで冒険者たちが強制的に駆り出された――これが事の始まりだった。
「なぁ、なぁ、エスタ。伯爵様もさぞかしお困りだろうね」
リースはいつもの明るい声で答えた。確かに伯爵はあまり頼りがいがあるようには見えないが、かつて鉄蜂騒動の際に彼の本気を見たことがある。必死に解決しようと奔走していた姿を思い出すと、リースは彼を「悪い領主」とは思えなかった。ただ貴族としての役割を果たしているだけなのだ。
「それで、今夜は何食べたい?」
「僕?」
エスタがリースの背中から弾んだ声を飛ばす。この前の仕事があまりにも上手くいったおかげで、エスタにも報酬の一部が回ってきた。今は懐に少し余裕がある。
「街の肉倉庫で熟成肉が出る時期だって聞いたよ」
「本当? じゃああのお店に行かなきゃ!」
「はい!」
夕暮れの中央通りを、二人は並んで歩いていく。
街の常駐魔術師が街灯の柱を回りながら、魔導灯を一つずつ灯していた。
正直に言えば、魔導灯は高価すぎる。
だから間隔を大きく空けてしか設置できず、街は決して明るくはない。
祭りのときのような煌びやかさとは程遠く、ぼんやりとした淡い光だけが町全体を薄闇で包んでいる。人通りはあるのに、どこか寂しさが漂っていた。
二人は大通り沿いの老舗大衆食堂『灰と薪の煙に捧ぐ』へと向かった。
この街で一番美味い。そして当然、一番高い店だ。
看板メニューは、何世代にもわたって受け継がれた秘伝のスモーク肉。
一度でも口にすれば、必ずまた足が向いてしまう味だった。
だが今日に限って運が悪い。
入り口には「満席」の木札が無情に立てかけてある。
ガラス越しに覗くと、中は客でぎゅうぎゅうに詰まっていた。
冒険者も行商人たちもほとんど街を出払っているはずなのに、どうしてあんなに人が?
「……どうやら空いてないみたいだね」
リースはまるで大人の前で大事なお皿を割ってしまった子供のように、かすれた声で呟いた。
「どれどれ~」
エスタがリースの肩にそっと顎を乗せ、目を細めてガラス越しに中を覗き込む。
店の中は豪華なローブをまとった人々で溢れかえり、皆が上機嫌に酒と料理を楽しんでいた。
だがそのローブはどれも同じ意匠だ。
男性たちは濃紺の外套に黒糸で細やかな紋章が刺繍され、女性たちは同じ紋章をあしらった外套だが、シルエットが少し違う。
「ほぉ~あれ、調査団の人たちだ」
「僕もそう思うよ」
「王都から調査団が来るって話は聞いてたけど、街のうまいもん全部かっさらうのはちょっとズルいよね~」
「遠路はるばる来たんだし、今日は譲ってあげようよ」
灰色の少年は背中に乗る黒髪の少女に振り返ってにっこり笑う。
少女も仕方なさそうに、でも嬉しそうに笑い返した。
「じゃあ今日はニッシャの家でご飯にしよっか!」
エスタの鈴のような声に、リースも心から頷く。
―でもひとつだけ、どうしても気になっていたことがある。
どうしてエスタはニッシャのホテルを「ホテル」じゃなくて「ニッシャの家」って呼ぶんだろう?
きっと彼女自身、あそこに泊まっていないから……かな、とリースは心の中で思った。
そして少し歩いたところで、二人は道端に立っている少女に出会った。
淡い茶色の髪、豪華な服を着た少女だった。
「あの……お、お願いします……!」
「はい?」
道端の少女が震える声で助けを求めてきた。
リースが振り返ると、濃い青の瞳がキョロキョロと落ち着きなく動き、小さくて可愛らしい鼻、柔らかそうな唇が不安で震えている。
少女はリースとエスタを交互に見つめ、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、必死に助けを求めるような表情を浮かべていた。
「何かお手伝いできることありますか?」
「え、えっと……えっと……」
少し待ってみたが、貴族っぽい少女の口から出てくるのは「えっと」ばかり。
背中のエスタがぷくっと頬を膨らませて「ちっ」と小さく舌打ちした。
「パス。帰る。この子スルーでいい」
「はい」
エスタの即決にリースも素直に踵を返しかける。
が、数歩進んだところで、エスタの服を後ろからぐいっと引っ張られる感触がした。
「ちょっと待ってぇぇぇぇ!!!!! 行かないでぇぇぇ!!!! 助けてよぉぉぉ!!!!」
リースは誰かが転ばないよう急いで足を止め、ゆっくり振り返る。
背中のエスタに小声で囁いた。
「やっぱり助けてあげた方がいいと思うよ」
「えー、マジで?」
「マジです」
エスタは大きくため息をつくと、ゆっくりとリースの背中から降りた。
服をぴしっと整え、胸の前で腕を組んで仁王立ち。
にやりと口角を吊り上げ、
「それで? お嬢様は一体どんなご用件で、われわれ下賤な冒険者にご助力いただきたいのかしら?」
その声からは『めんどくさい』という気持ちがはっきり伝わってきた。
リースは苦笑いで顔を背け、目の前の少女はビクッと肩を震わせる。
「え、えっと……私、王都から来たんですけど……一行にここで待っててって言われて……でも、もう暗くなっちゃってまだ来なくて……」
「ルミネイト」
「ひゃうっ!」
少女が言い終わる前に、エスタが小さな魔導灯をぱっと点灯させ、真正面から少女の顔を照らし出す。
突然の光に少女は子猫のような悲鳴を上げた。
「ほぉ~」
エスタが感嘆とも呆れともつかない声を漏らす。
「どう思う? この子、あの調査団の人間かな?」
リースが小声で訊ねると、エスタは首を横に振って即答した。
「違うわね。見てごらんなさいよ。
外套の下は清楚なお嬢様ドレス、髪は丁寧に編み込まれてるし、肌はつるつるで高級化粧品の匂いがプンプン。
首も手首も宝石だらけで、そのうち何点かは魔導具ね。
でも、さっき店にいた連中と同じ紋章はどこにもない。
つまりこの子は、あの調査団とは別の貴族一行のお嬢様ってわけ」
エスタは説明を終えると、ふんと鼻を鳴らし、顎をしゃくっと上げてドヤ顔全開。
まるで「ほら、私って賢いでしょ?」と言わんばかりの態度だったが、リースは「なんでそんなに偉そうにするんだ……?」と首を傾げるばかりだった。
「別の貴族一行も来てるんだ?」
「今のアンダーアイゼンは流行りまくってるからね。たとえ国王陛下が突然来ても驚かないレベルよ」
リースは改めて少女を頭のてっぺんからつま先まで眺めた。
エスタの解説は完璧だったけど、正直リースには店の中にいた調査団の人たちとこの子を見分けるのは至難の業だった。
だってリースは貴族なんてほとんど見たことないんだもん。
冒険者、ギルドの受付嬢、お店の店員、町の人々……それと、せいぜい領主様くらいしか知らない。
そういえば、貴族をおもてなしするなら、やっぱり領主邸しかないよね。
「領主邸までお連れしましょうか?」
リースは道に迷った子どもにこやかに声をかけるのと同じ、優しくて安心できる声で訊いた。
これは彼が「迷子捜しの依頼」で培った必殺技――初対面で信頼を勝ち取る作戦だ。
「エリアス伯爵のお屋敷ですか? もしかしたら今、私の一行はもうあそこにいるかも……!」
少女の顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ早く行こ! あの屋敷めっちゃ遠いんだから。グズグズしてたらニッシャの家のご飯、全部食べられちゃうよ!」
エスタは両手を頭の後ろで組んで、せかせるように言った瞬間――
ごろごろごろごろごろごろ!!!
少女のお腹が、恐ろしいほど大きな音を立てて鳴り響いた。金褐色の髪の少女は恥ずかしさで顔を真っ赤に染め、両手で腹を抱え込む。
「わあ、とても美しい音色ですこと、お嬢様」
エスタは容赦なく皮肉を飛ばした。高貴な令嬢にとって、身体から不愉快な音を漏らすことなど、まさに死刑に等しい恥辱なのだから。
エスタはつい、自分の故郷に伝わる古い言い伝えを思い出していた。貴族の娘は、屁をした罪を自分の代わりに認めさせるため、侍女に金貨を握らせていたという――。
「はあ……じゃあ、ニッシャの家で飯を食べてからでもいいわよ」
そう言い直すと、目の前の少女は小さく首を振った。
「すみません……私、お金なんて一文も持ってなくて。旅の一行の管理人に全部預けてしまって……」
エスタは再びくすくすと笑い出す。彼女は肘でそっとリースを小突き、彼を振り向かせると、嘲るような声で言った。
「ねえ、私の立派な騎士様。この都から来たお高くとまったお嬢様に、貴方の“紳士ぶり”を存分に見せつけて差し上げたらどう?」
リースは小さく笑った。意味はすぐに分かったが、別に構わない。ニッシャの宿の食事はそれほど高くない。
彼は貴族の少女に向き直り、温かな笑みを浮かべて口を開いた。
「僕はリースです。そしてこちらがエスタ」
「わたくしはエリーゼと申します」
貴族の少女はドレスの両裾をつまみ、後ろに足を交差させて深々とお辞儀をする。リースもそれに軽く会釈で応えた。
―が、宿の食堂に着いた途端、ニッシャは恐ろしく冷たい視線を投げかけてきた。そしてリースの前に置かれたのは、すっかり冷めきったスープと、岩のように硬いパンという“特別メニュー”だった。
メインのプロットはまだ40%しか進んでいませんが、何とか第1章を書き上げることができました。 現在、投稿は完全に週一のペースに切り替えています。 本当はもっと早く書きたいのですが……。 いや、もしかしたら、また『アーニャの間章』のように、不定期に投稿が漏れ出てくるかもしれませんよ!! --------- ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。




