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2-1 間章 ランタナの掃除魔女

新しい朝の食卓。小さな家に住む三人は、いつものように円陣を組んで朝食を取っていた。


リースが去って以来、アーニャはもう朝食の席に起こされることはなかった。それが当たり前になっていた。


だが今日、焦げ茶色の赤髪の魔女の部屋から、ドアが開く音が響いた。


三対の視線がその音に引き寄せられる。静かに歩み寄るアーニャ。彼女のポニーテールが、近づく一歩ごとに軽やかに揺れた。


「今日、私が『必要』な仕事はないよね?」


彼女の声は平坦で、何の感情も乗っていない。言葉の内容とは裏腹に、仲間を切り裂くような鋭さはなかった。


「ない。今日の仕事は俺たちだけで行く」


ヴィクターが同じ調子で答える。まるで彼女はこのパーティーの一員ではないかのようだった。


「よかった」


アーニャは短く答え、長く息を吐いてゆっくりと瞬きした。唇の端に、小さく、妖しく魅力的な微笑みが浮かぶ。


「っ……!」


ヴィクターは目を逸らしていたが、ルーシーとアンジェリカはその表情を真正面から見てしまい、胸がぎゅっと締めつけられるような痛みに襲われた。


──アーニャが、こんな顔をするなんて……。


二人の少女の心の中で、同じ言葉が重なった。

次の瞬間、アーニャは振り返ることなく歩み去る。ルーシーの額に冷たい冷や汗が伝い、アンジェリカの息が乱れる。


──アーニャだけが、危ないところに行かないで……。


玄関のドアが静かに閉まる音がした途端、ルーシーとアンジェリカは怒りを込めた視線をヴィクターに突き刺した。

だが彼は、気にも留めなかった。


朝のランタナの街を、赤茶色の髪の少女が歩いていく。

焼きたての肉とパンの香りが、屋台から立ちのぼり、少女の鼻先をくすぐる。

──今は我慢だ。


彼女は自分に言い聞かせ、足を速めて目的地へと向かった。

彼女の足が、冒険者ギルドの扉をくぐった。

もう館内は人で溢れている。

冒険者たちが朝の活動を始める、いつもの喧騒の時間だ。


しかし、彼女の足が一歩踏み入った瞬間、視線が一斉に同じ一点に集中した。


「おい、アーニャが一人で来てるぞ」


ひそひそ話がざわめき始める。最近のアーニャは、いつも一人ぼっちで置いていかれていたからだ。

ヴィクターたち三人は、モンスター討伐の依頼にいつも三人だけで出かけていく。

まるで四人目のメンバーである彼女など、必要ないと言わんばかりに。


「まさか呪いが、今度は四人目に狙いを変えたんじゃねえか?」


彼らの視線に恐怖が広がる。

彼らは信じている――五人目のメンバーにかけられた呪いが、リースをヴィクターのパーティから追放したのだと。

そして今度は、アーニャの番だ。


──ただの追い出しの口実じゃねえかよ!


赤茶色の髪の魔女が鼻で笑った。彼女は顔を背け、悪口を囁く連中から視線を外す。

あいつらは知らない。今のアーニャには、これまでで最も明確で強い目的があることを。


「こ、こんにちは……アーニャさん」


受付嬢の声が、彼女の顔を見るなり震えていた。

誰もがヴィクターのパーティを嫌っている。

だから、ついでに彼女まで怖がられているのだ。


「こんにちは」


アーニャは胸に手を当てた手を優雅に添え、貴族のような美しいお辞儀をしてみせた。

あまりに完璧すぎるお辞儀に、受付嬢は完全に固まった。


「他パーティの仕事を妨げない、一般依頼をお願いします」


声は静かで、以前のような傲慢さを必死に抑えていた。


「アーニャが……雑用を受けに来た?」


再びひそひそ声が広がる。冒険者のギルド全体に冷たい空気が張り詰める。

一人で依頼を受けに来るということは、つまり「追放準備中」の合図だからだ。


カウンターの前に立つアーニャにとって、今は受付嬢のドキドキという心臓の音の方が、自分の鼓動よりも大きく響いていた。


黒い制服の受付嬢は、アーニャの前で慌てふためいて依頼書をめくり、五枚を引っ張り出した。


「ア、アーニャさん……こ、これはいま、えっと……かなり急ぎの依頼なんです……!」


「かなり急ぎ、ですか?」


アーニャが少し声を上げて目を細めると、受付嬢はまるで小鳥のようにブルブル震えだした。


「え、えっと……その……ほとんど誰も……こんな雑用、引き受けてくれなくて……」


小さな声で目を逸らしながら必死に説明する。


「あ……なるほど」


仕事が回ってくる理由はわかった。


けれど、縮こまって怯える受付嬢を見て、アーニャは改めて思い知った。

ヴィクターのパーティはあまりに高圧的で、誰も関わりたくない。


話しかけるにしても、絶対に機嫌を損ねないよう、細心の注意を払わなければならないのだ。


──だからこそ、リースが必要なんだ。あの子だけが、唯一、穏やかに話せる相手なんだから。


アーニャは胸の奥で、あの日に自分もリースを追い出した罪悪感を噛み締めた。


「まあいいわ。聞かなかったことにする」


彼女はカウンターから五枚の依頼書を受け取ると、踵を返してギルドを出て行った。


「はあ……もうダメかと思った……」


黒い制服の受付嬢は、火に炙られて溶けかけた蝋人形のようなどさっとカウンターに突っ伏した。

それを見ていた他の冒険者たちも、ホッと胸を撫で下ろす。

何事も起きなくて、本当に良かった、と。


今日のアーニャの一番目の仕事は「鍛冶工房の清掃」だった。

アーニャは依頼書の紙を細目で見つめる。


「一人でやれって……?」


鍛冶工房はかなり広い。一人で掃除するには人手が足りなすぎる。

けれどランタナは冒険者向けの街だ。

ダンジョン攻略が優先で、清掃なんて後回し。


みんな冒険者に出て行ってしまうから、結局は下級冒険者に押しつけられるのだ。


歩いて鍛冶工房に着くと、受付カウンターには中年の工房主が座っていた。


「ひっ……ア、アーニャ……!? な、なんでここに!!」


アーニャの姿を見るなり、工房主は椅子から転げ落ちそうになりながら飛び上がった。

片手でカウンターの上の物をほとんど全部ひっくり返してしまう。

声が裏返るほど高い。明らかに歓迎されていない。


……これはヴィクターがよくやらかす迷惑行為(強引に順番を抜かしたり)のせいだ。


「こちらの清掃依頼を受けました」


アーニャが優雅にお辞儀をすると、工房主は椅子に座り直れなくなる。


(どうしよう!? こいつが機嫌を損ねたら工房ごとぶっ壊されるんじゃないか!?

 でももう金は払っちゃってるし、今さら断るわけにも……

 それにしてもこんな奴が本当に掃除なんかするわけ……)


結局、工房主は渋々アーニャを工房の中へ通すしかなかった。


中はハンマー、きぬた、炉だらけで、灰と鉄粉が床一面に混じり合って、もうどれがどれだか分からない。

道具はあちこちに放り出され、埃が厚く積もり、壁は蜘蛛の巣だらけ。

さらに食べ残しやゴミまで転がっていて、もはや鍛冶工房というより何かの巣窟だ。


「今日は工員さんはいないんですか?」


「え、ええと……今日は工房の定休日でして……」


アーニャが素っ気なく尋ねると、工房主は極限までへりくだりながら答える。

けれどアーニャはその怯えた声など気にも留めず、さらりと続けた。


「道具の収納場所を教えてもらえますか?」


「は、はい! では……」


工房主はガチガチに緊張しながら、どの道具をどこに片付ければいいか、どう扱えばいいかを必死に説明した。


彼が出て行ってしまうと、アーニャはさっそく箒を手に取り、床を掃き始めた。

しかし、いくら掃いても掃いても一向に綺麗になる気配がない。

生まれて初めての本格的な掃除は、見事に惨敗だった。

箒を置いて一息つきながら、ルーシーやアンジェリカがやっていた掃除のやり方を思い出してみる。

真似してみたものの……やっぱりダメだった。


絶望感に包まれながら、アーニャは近くの椅子に腰を下ろし、足を組んで頬杖をつく。

そして、盛大にため息を吐いた。


「掃除魔法を使いたいです……」


脳裏にふと浮かんだのは、あの声だった。


「うわ……またお前かよ……」


なんであの子の言葉が自分の人生にこんなに影響してるんだ。

考えるだけでイライラしてくる。本当にムカつく。


少女は小さくため息を漏らすと、人差し指を天に向かって突き上げた。


「掃除魔法、使っちゃおうかな……」



緑と青の魔法陣が指の上に重なり合い、瞬時に風と水の複合魔法が形成される。


渦を巻く水の塊が床に置かれると、たちまち埃・灰・鉄粉を吸い上げ始めた。


埃と灰は水の中でぐるぐる回り、鉄粉は重さで底に沈む。こうして簡単に分別できる。


水が汚れたらアーニャは再び魔法を振るい、鉄粉だけを分離。


汚水を捨てて、新たな水塊を作り直す。


最初の一塊が上手くいったのを見て、彼女は次々と増やした。

二つ、四つ、八つ、そして十二。


あっという間に床と壁の埃がすべて消え去り、風魔法で一気に乾かしてしまう。


床と壁が終わると、今度はテーブルや椅子へ。


風魔法でハンマーや道具をふわりと浮かせ、それぞれの定位置へと運んでいく。


圧倒的な魔術のスキルと溢れる力の前では、清掃作業などほんの数分で片付いてしまった。


「終わりました」


「は?」


アーニャがさらりと告げると、工房主は飲んでいたお茶を鼻から噴き出した。


「ありえねえ……! プロの清掃団を雇っても丸一日かかるってのに!」


「どうぞご確認ください」


工房主は慌てて中へ飛び込み、目を疑った。

埃一つ残らず消え、道具はすべて定位置に収まり、蜘蛛の巣も跡形もなく、

さらには鉄粉まできれいに分別されている!?


「お前……こんなこと、どうやってやったんだ!?」


「こんなの、どこにいる魔術師でもできますよ」


「いや、どこにいる魔術師が清掃依頼なんか受けるんだよ…」


「金に困ったら何でもやりますから」


「う、うーむ……」


工房主は渋々といった表情で受け入れ、アーニャの申請書に署名と捺印を押した。

—---------------

–あのコ、今頃どうしてるのかな……


鍛冶工房から足を踏み出した瞬間、アーニャの頭に自然とリースへの想いが浮かび上がってきた。


–あの本を送ってきたってことは、まだ冒険を続けてるんだよね……


彼女の吐息は長く、静かだった。まるで小さな穴から溜まった鬱屈が少しずつ漏れ出していくかのように。


–この話は、絶対にあいつらには言わない!


唇の端が吊り上がり、微笑みが零れる。不思議と瞳が温かくなった。少女はすべての想いを振り払うように首を振り、次の依頼書を手に取った。


『薬調合室の掃除』


“はあ……この街の連中、頭がおかしいんじゃないの……?”


そしてアーニャは、この街のとある真実に気づいてしまった。


五カ所の掃除依頼をすべて片付けてしまった後、アーニャは夕暮れ時に冒険者ギルドの受付に戻ってきた。

完了した依頼書をカウンターに置いた瞬間、受付嬢がびくっと肩を震わせた。


「ひ、ひぇ……アーニャさん……全部、一日でやっちゃったんですか……?」


「掃除なんて、大したことないでしょ」


平坦な声で返事をする。朝と同じく丁寧さを保ちながら、傲慢さを全力で抑え込んでいる。


「で、でも……あれって五日分の依頼なんですよ……?」


受付嬢が目を逸らして小声で呟いたが、アーニャの耳にはしっかり届いた。


「じゃあ、私が怠け者じゃないってことにしておいてよ」


「は、はいっ! すぐ手続きします!」


受付嬢は慌てて銀貨を数え、アーニャに手渡す。アーニャはそれを袋にしまい、踵を返して去っていった。

残されたギルド職員たちは大急ぎで彼女の仕事ぶりを確認しに出かけた。そして、戻ってきた全員が同じ顔で呟いた。


「……完璧すぎる……」


こうして、ギルドはアーニャの(掃除における権能)に怯え始めた。


赤茶色の髪の少女は、真っ暗な小さな家に戻ってきた。


扉を押し開けると、そこには静寂だけが待っていた。

今はパーティーの仲間たちが狩りに行っていて、二、三日は帰ってこないはずだ。


革袋を居間のテーブルに置き、夕食用のパン包みをその横に置く。


闇の中で手を伸ばし、魔導ランプに触れる。指先に魔力を流し、灯りを灯すよう命じた。


「え……?」


擦れた指先が妙にざらついている。

ランプの光に手をかざすと、心臓が一瞬止まった。

手のひらに、べっとりと厚い埃が……

“……えっ、テーブルの脚も!?”


アーニャの鼓動が乱れる。

頬が熱くなり、胸の奥に得体の知れないものが締め付けてきて、息が詰まる。


「この街の人たち、頭がおかしいわ……」


頭がぐらりと傾き、瞳が震え始めた。


五カ所を完璧に掃除してきた少女は、今、何者かの呪いにかかったように自分を抑えられなくなっていた。


そしてアーニャは、本気で家の大掃除を始めた。――もう誰も止められない。

間章を先に持ってきてしまい、申し訳ありません! 第2章のプロットがまだ半分しか進んでおらず、思わず「にゃーっ!」と叫びたくなります(泣)。


ですが、執筆自体は進めています! というのも、やはりスライス・オブ・ライフ系の話だと、書くスピードが速いんですよね……。

はい、実はそちらのジャンルの方が得意なんです……。

本当にごめんなさい。


ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます! これを機に、読者の皆様がリースの元パーティをより好きになってくださることを願っています。

もし「良かったよ!」と感じていただけたら、励ましやコメントをいただけると嬉しいです。

皆様のご意見を参考に、改善に努めてまいります。 重ねてお礼申し上げます。

これから、プロット(構成)を整理するために、少し長めの投稿休止期間に入るかもしれません。

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