2-0 序章 すべてが始まる前の物語
アッシェンブルクの冬は雪が降るほど極寒ではないが、それでも十分に寒い。厚手の服、薪、そして一部の者が使う火の魔法――それらはすべてこの街が必要とするものだった。
太陽は慌ただしく地平線の彼方へ沈み、夜は長く続く。それでもこの街は穏やかで平和だった。
―新年が明けて間もない、ある朝まで。
「まあ、なんてこと……!」
マリッサは思わず声を上げた。小さな学舎の入り口に、一人の若い女性がぐったりと寄りかかって気を失っているのを見つけたのだ。
「大丈夫ですか!?」
彼女は膝をつき、そっとその頬に触れた。冷えきっているが、まだ微かに息はしている。
「マリナ女神に感謝を……」
マリッサは小さく呟くと、力の限りその娘の身体を抱き上げ、学舎の中へと運び込んだ。
暖炉のそばに厚手の毛布を敷いてそこに寝かせ、さらに分厚い毛布をもう一枚かけて、身体が温まるよう努めた。
冬の間は外壁の外に住む子供たちの子らは農作業がないため、学舎に預けられることはない。
まさに今は、マリッサがこの娘を看病するのに都合のいい時期だった。
半日以上が過ぎ、ようやくその娘は目を覚ました。
「……公爵様……」
マリッサの眉がぴくりと跳ねた。意識が戻ったばかりの口から漏れた最初のうわ言に、である。
だがマリッサはそれをなかったことにして、そっと聞き流した。
「あなたは……どなた……?」
意識がはっきり戻ると、少女は慌てた様子で尋ねた。起き上がろうとするが、身体が言うことを聞かない。
マリッサはそっとその肩を押さえて、再び横にさせた。
「私はマリッサ。マリナ女神の司祭よ。安心して、もう少し休んでいて。お食事の支度をするから」
少女は素直に身を任せ、暖炉の炎がゆらゆらと優しく踊るのを眺めながら、マリッサが料理を仕上げるのを待った。
二人は暖炉の前で食事をした。マリッサは、少女の仕草がどこか一般の人々とは違う、洗練された気品を帯びていることに気づいていた。
「差し支えなければ、お名前を教えていただけますか?」
マリッサは穏やかで優しい声で尋ねた。その瞳には、純粋な好意と誠実さだけが宿っていた。
「……セレーネ」
少女はかすれた声で答え、視線を伏せてじっと絨毯を見つめた。まるで自分を抑え込んでいるかのように、それ以上は何も語らなかった。
「よかった。これからは私があなたを守るわ。約束する」
マリッサは微笑みながら、セレーネの黄金がかった茶色の髪を、そっと撫でた。
三ヶ月が過ぎ、渓流と灰の街の木々は再び青々と茂り始めた。アッシェンブルクは種まきの季節を迎え、セレーネはマリッサの助手となっていた。
小さな学舎の雑事を、彼女は実に手際よくこなしていた。
「マリッサ様、衣類の片付けが終わりました」
熟れた果実のように甘いセレーネの声が、ゆっくりと部屋に入ってくる彼女とともに響く。
もう子どもたちが読み書きを習いに来る季節だ。マリッサは雑用に手が回らなくなっていた。
「まあ、もう終わったの? 早いわね」
「魔法を少し使いましたから」
穏やかで控えめな返事。
やはりマリッサの予想どおりだった。このセレーネという娘は、ただ者ではない。
だからこそ、もっと彼女のことを知りたいと思っていた。
だが今、新たな問題が一つ増えていた。
セレーネは身ごもっていたのだ。
お腹がふっくらと膨らみ、めまいが起き、吐き気に襲われ、ある食べ物を受け付けなくなる。
それでも彼女は巧みに魔法を使って仕事をこなし、ときには子どもたちに読み書きを教えてさえいた。
その透き通るような美しい声に、子どもたちはすっかりセレーネに夢中だった。
「セレーネさん、赤ちゃんできてるってー!」
子どもたちが騒がしく話している中、ルーファスが大声で言った。
その一言で教室が一瞬時に静まり返る。
セレーネはそれを聞いて、優しく微笑み、少年に視線を向けた。
「そうよ。お腹に赤ちゃんがいるの。でもルーファスはどうしてわかったの?」
「隣のヴァイレリアスさんの奥さんもお腹が大きかったから!」
セレーネは小さく手招きしてルーファスを呼び寄せ、そっと頭を撫でた。
「でもね、人のお腹を指差すのは行儀が悪いわよ」
「うん……」
ルーファスはしょんぼりと肩を落とした。セレーネはそれを見て、そっと少年を抱き寄せた。
「大丈夫よ。マリナ様はきっと許してくださるわ」
それからさらに日々が流れ、雨季の末を迎えた。
朝霧が街全体を柔らかく包む早朝、セレーネがついに陣痛を起こした。
マリッサは自らの手で取り上げた。
無事に、元気な赤子が生まれてきた。
そしてその同じ日、マリッサはもう一人、街一番の有名冒険者『ヴァイレリアス』の奥さんの出産にも立ち会わなければならなかった。
ヴァイレリアスの子は女の子。
セレーネの子は男の子だった。
しかし、出産からわずか数日後、セレーネは荷物を布に包み始めた。厚手の外套を羽織り、赤子を胸に抱く。
寝室の扉は音もなく開かれ、彼女は爪先立ちで歩き出す。
だが、廊下に出た瞬間、魔術灯がぱっと灯った。
「……マリッサ様……」
セレーネの声は震え、息が途切れ途切れになっていた。
「もう本当のことを話しましょう、セレーネ」
捕まった以上、もう隠せない。
少女は覚悟を決めて口を開いた。
「この子は……灰の血を引いています……」
男の赤ん坊の髪は灰色──灰の色。それは、原初の支配者の象徴だった。
「あなたのことは全部知っているわ。
ルセリアの高位聖女だったこと、そしてあの家との関係も」
マリッサの声は驚くほど柔らかく、敵意は微塵もなかった。
セレーネは信じられないという顔をした。
自分は何一つ語っていないのに、どうして?
瞳が恐怖で揺れる。
外見はただの優しい女性なのに、その奥は海の底のように深い。
今は慈愛と優しさに満ちた瞳でも、いつかそれが尽きたら……自分たちはどうなる?
「心配いらないわ。私はあなたたちを守ると約束したもの。
だからこの子は、何も知らぬままここで育てましょう」
――それからセレーネは、静かにその地に留まることになった。
しかし、その平穏はわずか一ヶ月しか続かなかった。
西の門外に、成体となった黒いワイバーンが襲来したのだ。
その黒炎は岩をも溶かし割るほどに熱く、何十人もの冒険者が挑んだが、誰も長くは持ちこたえられなかった。
そのとき、祈りの声が響き渡った。
「原始女神ルセリアよ、汝の慈悲を!!」
朝焼けの初光のような光の壁が瞬時に立ち上がり、ワイバーンの地獄のような黒炎から冒険者たちを守った。
セレーネは短杖を天に掲げ、まるで内側から命を吸い取られるような苦悶の表情を浮かべている。
最初の黒炎の波が、ぴたりと止まった。
「死ね、このクソ野郎!!」
勇敢なヴァイレリアスが駆け込み、愛剣を深くその胸に突き刺した。
黒ワイバーンは絶叫し、のたうち回る。冒険者たちが一斉に群がり、ついに巨体を倒れ込ませる。
だがその瞬間、ヴァイレリアスの足元から熱気が立ち上った。
「逃げろ、自爆する!!」
ヴァイレリアスが絶叫した。
周囲の冒険者たちは蜘蛛の子を散らすように四方八方へ逃げ出した。
黒ワイバーンの巨体が激しく爆発する。
奈落の柱のような黒炎が天を突いた。
その瞬間、再び朝焼けのように柔らかな光の壁が立ち現れ、爆発のすべてを受け止めた。
だがヴァイレリアスは壁の内へ飛び込むことができなかった。
熱で歪んだ愛剣だけが、ぽつんと残された。
セレーネもまた、魔力を極限まで絞り出した反動で気を失い、
その弱った身体はまもなく息絶えた。
二人の犠牲は街の記憶に深く刻まれた。
ヴァイレリアスの妻は夫の死を知ると心を病み、間もなく後を追うように逝った。
「約束したのに……あなたたちを守るって」
マリッサの大きな涙が頬を伝い、三人の名が刻まれた石碑の上にぽたりと落ちる。
それ以来、彼女は炎のように赤い髪の女の子を引き取り、育て始めた。
男の赤ん坊の名はリース。
女の赤ん坊の名はアンジェリカ。
そして、十四年の月日が流れた。




