満月
汗をかいていた。
まだ、心臓がバクバクと鳴っている。
無感情に時計が時を刻んで、静かな空間にただ、一秒を刻んでいた。
「夢、か…」
なんて嫌な夢だったのだろう。
凄い、嫌な夢を見た気がする。
深呼吸を深く、二回して、心を落ち着かせようとして、
ベットから、起き上がり、
嫌な後味を残しながら、リビングへと足を向けた。
そういえば、何の夢を見ていたのだろうか。
まだ覚醒していない頭で、ぼんやりと嫌な夢の内容を思い出そうとしていたが、
忘れてしまった。
冷蔵庫から、麦茶を取りだし、乾かしていたコップに注いだ。
まあ、いいか。
どんな夢も忘れれば、何も無かった事になる。
ぐいっと、冷たい麦茶を、喉に通した。
ふと窓に目をやると、光が差し込んでいた。
カーテンをしめるのを忘れていたのだろう。
「今夜は、月が綺麗だな。」
満月が、冷えた空に透き通って見えた。
たしか、彼女の最後の笑顔を見たのも、こんな月の夜だった。
「ほら、今日は月が綺麗。」
彼女が、微笑みながら、月を指差した。
透き通った月の光が、彼女をぼんやりと照らしていた。
「ああ、綺麗だな。」
満月が、ぽっかりと、そこにあった。
空気が冷え切って、特に月がよく見えるようだった。
「怖い程に綺麗な満月。こんな日は早く帰らないと。」
「どうして?」
振り向いて、月に照らされた彼女を見た。
「満月は人を狂わすからよ。」
俺の手を掴み、月に背を向けて歩き出し、彼女の綺麗な黒い髪が、月の光を受けていた。
「狼人間じゃあるまいし、何にも起こらないさ。」
「貴方は知らないのよ。」
繋がれた手が、少し強く握られた。
「満月の夜は、悪い事がよく起こりやすいの。」
「…そうなのか。」
俺は、彼女に手を曳かれながら、満月をそっと見た。
ただ、満月は、そこにあり、俺等を照らしていた。
「じゃあ、私はここで。」
「ああ。」
「さようなら。」
彼女のマンションの玄関前まで、送って帰った。
鍵をさし、扉の向こうに行こうとする、彼女は、笑って、手を振ってくれた。
それから俺は、彼女の笑顔は見ていない。
俺がいくら話しかけても、無視をするようになったのだ。
「おい、なんでそんなに俺を嫌うんだ?」
「………。」
俺なんか、見えていないように、無視をして振舞う。
「俺が何かしたか?」
無言で、俺を見て、何かを伝えたそうに見てくる。
なんなのだ、俺が何をしたというのだろうか。
ただ、俺が話しかけなければ、彼女は無視しかしてくれなくなってしまった。
彼女と俺は、まだ、恋人同士ではなかった。
俺は、彼女に惚れていた。
よく、ご飯を食べにいかないか?と誘いだし、
彼女もまんざらじゃなさそうに、一緒についてきてくれて、
楽しいデートをしていた。
彼女と過ごすひとときは、とても楽しくて、全てを忘れる事が出来た。
俺が仕事で疲れていた時も、
「あんまり無理をしちゃ駄目よ。」
なんて、やさしく癒してくれた。
俺は、彼女さえいればそれで幸せだった。
あの満月の夜に、俺は意を決して、彼女に愛を告げることにしたのだ。
「はるな、好きだ。付き合ってくれ。」
彼女は、一瞬驚いた表情をみせて、
ゆったりと微笑んだ。
満月に照らされた彼女は、この世で一番美しいものにみえた。
彼女は、俺の告白に答えずに、俺の頭上を見据えながら、
「ほら、今日は月が綺麗。」
彼女が、微笑みながら、月を指差した。
俺は、その言葉が嬉しかった。
『月が綺麗』
夏目漱石が、「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したのを思い出したのだ。
「ああ、綺麗だな。」
俺は、お互いに、愛がようやく通じ合ったと感じた。
何物にも代えがたい、人生で一番幸せな時間だと、
全身が、ざわついた。
天にも昇れる気になって、心臓が抑えきれないぐらい、バクバクした。
「怖い程に綺麗な満月。こんな日は早く帰らないと。」
ようやく、愛が通じ合ったのに、
どうして彼女はすぐに帰りたがるのか。
「どうして?」
「満月は人を狂わすからよ。」
ああ、俺の事か。こんな夜は、俺も危ない。
「狼人間じゃあるまいし、何にも起こらないさ。」
本当は、今すぐでも、はるなを…
「貴方は知らないのよ。」
繋がれた手が、少し強く握られた。
そんな可愛い仕草をされたら、俺は…
「満月の夜は、悪い事がよく起こりやすいの。」
「…そうなのか。」
ぐっと、今すぐにでも全てを俺のものにしたい感情を抑え込み、
彼女が手を曳くまま、俺は彼女のマンションまで一緒に歩いた。
「じゃあ、私はここで。」
「ああ。」
…部屋の中に入れてはくれないのか。
「さようなら。」
鍵をさし、扉の向こうに行こうとする、彼女は、笑って、手を振ってくれた。
俺は、そこから、彼女の笑顔を見ていない。
満月が、人を狂わすからいけない。
彼女を俺は…
だから、彼女は、反応をしてくれなくなった。
何も言わなくなった、彼女を、俺はただ、夢中に貪った。
愛してる、愛してる、愛してる、、、
本能のまま、無理やり彼女を求めた。
何も、反応してくれない彼女を、気が済むまで、俺は愛し続けた。
彼女の、キスは、鉄分の味がした。
彼女に、全ての思いを果たしたあと、
俺がいくら話しかけても、無視をするようになったのだ。
「おい、なんでそんなに俺を嫌うんだ?」
「………。」
俺なんか、見えていないように、無視をして振舞う。
「俺が何かしたか?」
無言で、俺を見て、何かを伝えたそうに見てくる。
なんなのだ、俺が何をしたというのだろうか。
ただ、俺が話しかけなければ、彼女は無視しかしてくれなくなってしまった。
その時から俺は、彼女の笑顔は見ていない。
俺は、
汗をかいていた。
まだ、心臓がバクバクと鳴っている。
俺は、とんでもない事をしてしまった。と、やっと気が付いた。
横たわる、彼女の死体を横目に、俺は、ベットの上で気を失った。
無感情に時計が時を刻んで、静かな空間にただ、一秒を刻んでいた。
読んで頂いて有難うございます。
また、ご感想聞かせて貰えると嬉しいです。
ニコニコ動画の「裏表ラバーズ」を聞きながら書きました。
この歌の歌詞に少し、意味合いが係わっているので、お時間があれば聞いてみてください。