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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

意味違いの笑顔

作者: 灰根咲花


 会社員の蓬莱優太は他人の笑顔を見るのが好きだ。

 他人を笑顔にしたくて二年前、とある会社に就職した。

 しかしその会社は俗にいうブラック企業だった。

 定時であがれることなど一度もなく、残業代が出ないことも珍しくはない。そして何よりも笑顔とはほど遠い表情で自分を怒鳴ってくる上司の存在。それが優太の精神を蝕んでいた。

 その会社に入ってから優太は他人の笑顔を見ることも、自分が笑顔を見せることもなくなっていた。

 会社をやめることも考えた。しかし、厳格な優太の両親がそれを許さなかった。

 そんな日々を過ごしていた優太の肉体と精神は、ある日突然限界を迎えた。

 その日は残業代が出るという言葉につられ、優太は自身の体があげている悲鳴を無視して仕事を続けた。

 優太は定時の十七時を大きく超えた二十四時半に会社を出た。

 まだ終電が残っているはず。そう思い会社を出て最寄り駅に向かう。途中長い上り階段があるので、優太はそれを上ろうとした。

 しかし、疲労が限界に達していた優太の足はあがらなかった。間もなくして優太はその場で気を失った。


 優太が目を覚ますと視界に映ったのは白い天井だった。

 見覚えのない景色を不思議に思い、優太は体を起こそうとする。しかしその瞬間、頭に激痛がはしる。

(うっ……なんだ、ここは?)

 優太は起き上がることを諦めゆっくりと寝返りをうつ。すると

「蓬莱さん開けますよ。あら?」

 カーテンが開き、優太の視界に一人の女性が映った。その女性は茶髪のボブヘアで看護師のような服装をしている。

「お目覚めになられましたか。蓬莱優太さん」

 状況を理解しようとした優太はまた体を起こそうとする。しかし思うように体が動かず顔をしかめる。それを見た女性はさっと優太の背中を支え

「起き上がれますか? 体がびっくりしないように、ゆっくり起き上がりましょうね」

 そういってにっこり微笑んだ。

「……ここは、病院か? 俺は一体何を……」

 その言葉を聞いた女性は手元に持っていた紙を確認する。

「昨日の深夜、加美山駅付近の階段前で倒れていたそうです。それで近くにいた方が救急車を呼んでくださり今に至ります」

「昨日の深夜? じゃあ今は一体何時なんだ」

「今は午前十時半ですよ」

「た、大変だ。会社にいかないと……」

 優太は慌ててベッドから降りようとした。しかし地面に足をつけて立った瞬間、立ち眩みを起こしてふらつく。

「ああ、だめですよ。今先生を呼んできますから、安静になさっててください」

 女性は優太をベッドに座らせて微笑みその場を去った。

(頭痛い……)

 座ってもなお治らない頭痛と眩暈に、優太は素直に横になっていることにした。


 その後、優太は重度の自律神経失調症に加え、膠原病の疑いがあると診断された。

 症状は強い頭痛、無自覚の食欲低下による体重減少、眩暈、強い倦怠感など。どれも優太自身が全く自覚していないものだった。

 そのうえ一人暮らしかつ過度なストレスのかかる職場にいる関係で、優太は検査もかねて短期間の入院を勧められた。

 提案された当初こそ会社を休むことを快く思わなかった優太だが、医師の先生と看護師の女性の説得で入院を受け入れた。

 

 入院が決まった日の翌日、優太は病室でぼんやりと窓の外を見ていた。

 優太がいるのは病院の個室ではなく大部屋だ。しかし優太以外に人はおらず優太は一人提供された食事を摂っていた。

「おはようございます。蓬莱さん。お加減はいかがですか?」

 ベッドを囲っているカーテンが開く。そこには昨日優太が目覚めてから医師の先生を呼び、入院を渋る優太を優しく諭した看護師の女性がいた。

「ああ、昨日の看護師さん」

「三上茅乃っていいます。毎日勤務してるのでこれから夜以外は顔を合わせると思います。よろしくお願いしますね」

 茅乃はそう言って近くの椅子に腰かけた。

「体調に変化はありましたか? 何か症状が悪化したり?」

「いや、特にないです」

「そうですか……」

 優太がそういうと茅乃はどこか悲し気に目を伏せた。

「ただ……」

 優太はまた視線を窓の外に移す。

「こうやって落ち着いて食事を取るのは、いつぶりなのか思い出せませんね……特に夕食はここ一年ほど食べてませんでしたし。ここで言われなかったら自分が痩せていることにもずっと気づかなかったでしょう」

 すがすがしいほどの青空に優太はどこか複雑な気持ちになる。

「空はこんなにも青くて、そんな空の下ではみんながいつもどおり働いている。そんななか僕だけが休んでいていいのか……この部屋には僕以外の患者さんはいませんし、僕だけがずる休みをしているかのようで複雑です」

 俯き顔に影を落とす優太に茅乃は純粋な笑顔をむけ

「ずる休みなんかじゃないですよ。蓬莱さんは、重大な病気の疑いがあるんです。このまま放っておけば、もっと体に不調が訪れる可能性があるから入院しているんです。そんな蓬莱さんに休むなというほうがおかしいですよ」

 といった。しかし優太は首を振る。


「会社に僕が入院するという連絡をいれたら、早く元気になって戻って来いと。両親に報告したら一日でも早く治せと言われました」

 そこで言葉を止め優太はため息をつく。

「……蓬莱さんは、つらい環境にいらっしゃるんですか?」

 茅乃は心配そうな、でもほんの少し興味深そうな声色でそう聞いた。

「本当はいきたくないんです。僕は会社にいかされているんです」

 その言葉を聞いた茅乃は驚いたように目を見開いた。

「いかされてるんですか? 会社に?」

「両親に言われてるんです。両親に言われなければ僕はいきたくないという自分の気持ちに素直でいれた。でも両親はそれを許してはくれませんでした」

「なるほど。会社にというよりは両親にいかされているという感じですね」

「そうですね。……でも僕に選択肢はない。早く病気を治して復帰しないと」

 優太はかすれるような声でそういった。それを見た茅乃は微笑みを絶やさぬまま書類を書き上げ顔をあげる。

「逃げちゃうのも手段だと思いますよ」

「はい?」

「自分の意志を尊重して、全てをやめて楽になるのも私はいいと思いますよ?」

 茅乃はそう言って優太に向かって微笑みかけた。茅乃の笑顔を真正面から見た優太はその眩しさに動揺する。

「またつらいことを話したくなったらいつでも言ってください。私でよければ何でもお伺いしますよ。話すだけでも気が楽になったりしますからね」

「は、はい……」

 優太がドギマギしている間に茅乃は立ち上がりカーテンを閉める。カーテンが完全に閉まる前に見えた茅乃の顔は天使のような笑顔だった。

(なんだろう……人の笑顔を久しぶりに見た気がする)

 茅乃が部屋から去っていったあとも優太の頭にはしばらく茅乃の笑顔が離れなかった。


 それから優太は毎日茅乃と話をした。

 職場のこと、家族のこと、学生時代のこと。どんなに暗い内容になろうと茅乃は微笑みを絶やさずに話を聞いてくれる。優太は徐々に茅乃と話すのが楽しくなり、それが一種のストレス発散法になっていた。

 そんな日々を過ごしているとだんだんと優太の心にも余裕が生まれてきて、優太自身も笑顔を見せることも増えた。

 そうして優太が入院してから五日が経過したころ、ついに優太の退院日が決まった。


 優太が退院する前日。優太はいつものように病室に来た茅乃と話をしていた。

「そういえば蓬莱さん、明日には退院ですよね。聞こうかどうか迷ってたんですけど、退院したあとはどうなさるつもりなんですか?」

 茅乃は興味ありげに優太に尋ねた。

「すぐに会社に戻ります。そのまま同じ会社に勤めるつもりはありませんが、やめたいといってすぐにやめれるわけじゃないですし」

 優太がすっきりした表情で答えると、茅乃はどこか複雑そうに目を伏せた。

「……いきたくないと言っていたのに、元の生活に戻るんですね」

 茅乃は目を伏せ俯いた。とても複雑そうな顔だった。そんな茅乃を見て優太は彼女が自分を心配しているのだと思う。

「……あの、三上さん。一つ提案なんですけど」

 優太はそう言いながらベッドから降りて茅乃の前に立つ。茅乃は優太の方を見あげて不思議そうな顔をした。

「あなたの笑顔が僕は好きです。あなたの笑顔にこの一カ月半何度も救われてきました。僕が苦しい時、あなたはいつも笑顔で励ましてくれる。それが僕は嬉しいんです。三上さん。あなたとなら僕はこの地獄のような環境から抜け出せる気がするんです。僕を地獄から天国へ連れて行ってくれませんか?」

 茅乃は目を丸くして優太を見つめる。優太は茅乃に手を差し出した。

「僕はあなたと一緒にいきたいです」

 その言葉を聞いた茅乃は一瞬とても嬉しそうな表情をした。しかしすぐに深く考え込む。

「えっと、お気持ちはとても嬉しいんですけど……少し考えさせてくれませんか? 必ず、あなたが退院するまでに答えをだします」

「はい、もちろんいいですよ」

「ありがとうございます!」

 茅乃は今までに見せたどんな笑顔よりもキラキラとした笑顔で答えた。


 その日の夜。明日は退院だと早めに優太は眠りについた。

 深い闇が空を覆う深夜、優太は不意に息が詰まるような苦しさを感じ目覚めた。

 部屋の電気は落とされていて周りがよく見えない。優太は声を出そうとする。しかし、息を吐き出すことが出来ない。

(なんだ? 息が苦しい……!)

 まずい状況だと判断し、ナースコールボタンを押そうとする。しかし手足が痺れていて動かない。

「ああ、蓬莱さん。とっても苦しそうな顔をしてらっしゃる」

 上から聞き覚えのある声が降ってきた。閉じそうになる瞼をなんとか開く。暗闇に目が慣れてそこに人がいるのが分かった。その人物は

「いかされている。いきたくないと、あなたはおっしゃいましたもんね」

 三上茅乃だった。手には液体が入った注射器を持っている。

「これが私の答えです、蓬莱さん。一緒に逝くことは出来ませんが、あなたを天国に連れていくことは出来ます」

 茅乃は暗闇の中でも分かるくらいの満面の笑みだ。優太は状況が分からず混乱する。しかし頭は徐々に回転しなくなっていく。

(三上さんの笑顔は、綺麗だな……)

 それは優太が死ぬ直前、最後に思ったことだった。


「やっぱり人が苦しんでいる顔をみるのは最高だなぁ……人が苦しんでいる様をこんなに長く近くで見たのは久しぶり」

 茅乃はそう言って一人真っ暗な病室で笑っていた。

 三上茅乃は笑顔の絶えない人物だ。

 たとえ他人が苦しい表情をしていても。むしろ他人のつらい話を聞いている時の彼女のほうが、普段の何倍も輝いた笑顔をしていた。

 記憶をたどればおかしな部分はあったかもしれない。しかし茅乃の笑顔の意味に、優太が気づくことはなかった。

読んでくださりありがとうございます。よろしければなにかリアクションしてくださると私は嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
いい話だと思って読んでいたら、最後とんでもないオチになりましたね。 思わず読み返しちゃいました。 三上茅乃はサイコパスだったんですか。 笑顔を見るのが好きな蓬莱優太と、苦しんでる顔が好きな三上茅乃…
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