9.ドラゴン②
ドラゴンは魔王に次いで、魔物の頂点に立つ種族だ。
ダンジョンから生まれる他の魔物と違い、魔力溜まりでもない場所から唐突に現れる。
その巨体は小山を潰す。その羽ばたきは街を吹き飛ばす。その息吹は森を焼き払う。歩くだけで平野が広がり、水浴びをすれば海が荒れる。気まぐれに魔物も人類も区別なく食らい、一晩と持たずに地図が書き換わる。
アミディルから南下してきたドラゴンがわざわざ飛んできたのは、山が高すぎて歩くのが面倒だったからだ。ドラゴンがもうちょっと頑丈だったら、頭から突っ込んで山脈に穴をあけていただろう。
頂上を越え、緩やかに土埃を上げながら山肌を滑り降りる。そのまま地面すれすれに滑空して、進行方向に人族の集落を認める。
邪魔だな。ドラゴンはそう思った。しかしなにもしない。だって自分が動くだけで壊れるほど軟弱な集まりなのだ。わざわざ考えずとも、そのまま進めば簡単になぎ倒せる。
だから、眼下に小さな影を認めても、ドラゴンは気にしなかった。
「――!?」
首に一撃が入る。
首はドラゴンの数少ない急所だ。柔らかい腹側の中でも、特に危険な逆鱗の周辺を抉られる。
「おはよう――というには、ちょっと早いわね」
背中から声がする。
「こんばんは、ドラゴンさん。ちょっと墜落してくれる?」
翼が根元から斬り落とされた。
初めて感じる焼けるような痛み。ドラゴンは絶叫しながら墜落した。
「おっと」
勢いを殺さずに地面に突っ込んだから、体が地面をがりがり抉りながら進んでいく。自分の体でブレーキをかける以外に、ドラゴンはこの痛みを止める術を知らない。
「えいっ」
自分の体で地面を抉る屈辱に耐えている間に、もう片方の翼も斬り落とされる。
ドラゴンは混乱の中から浮上して、やっとその感情に気付いた。
――怒り。
ただの食糧でしかない人族が、傲慢にも自分の逆鱗に、翼に傷をつけた。地を這わせるという屈辱を与えた。
――許しがたい!
やっと止まった自分の体を起こし、首をひねって背中の人族を探す。
「それっ」
視界の端、自分の右前脚に銀色のものを振りかざすのが見えた。踏み潰そうと動く前に、右前脚が斬り飛ばされる。
ならば、と尾を振る。ドラゴンの尾は丸太十本分の太さ。そうそう避けられまい!
「はいっ」
叩き潰したはずの手応えはなく、左の前脚も切られた。後ろ脚だけでは支えきれず、またしても地面に倒れる。
「あんまり長く苦しめたくないの。大人しくしててね?」
死角から穏やかな声が聞こえる。耳障りな音に、重い頭をどうにか動かそうとする。
翼をもがれた。前脚も切られた。長くはないことくらいドラゴンも悟っている。
しかしそれでも、ドラゴンは王者だ。黙ってやられるわけにはいかない。
首をもたげて人族を睨む。小さな体には不釣り合いな大きな刃物を持っている。
たった一匹。その事実がドラゴンをさらに怒らせる。
山の手前では、自分が飛ぶだけで人族も魔物も逃げ惑った。試しに一匹二匹食べてみれば、さらに逃げていく。それが実に愉快だった。
だが、この人族は一匹でここまで自分を追い込んだ。
許しがたかった。
その存在を、灰も残らず燃やし尽くす。たとえここで命尽きようとも、それだけは成し遂げる!
ドラゴンが息を吸い込む。長い喉を通って空気を送り込み、肺の隣にある燃焼器官に送り込む。炎がせり上がる。口の端からこぼれながら、限界までため込む。
人族――ディアナは溢れる火の粉から最後の一撃を踏み留まる。今ここでドラゴンの首を落とせば、行き場を失った炎が際限なく平原を焼く。そうすればドラゴンはもちろん、自分や後から来る冒険者たちも助からない。
なにより、せっかくの御馳走が燃えるなんてもったいない!
ドラゴンの炎は、ドラゴン自身の意思に密接に関係している。わざと距離を取って視界の正面に立てば、ドラゴンはにたりと目を細める。
胸を大きく逸らし、大きく開けた口から大質量の炎が吐き出された。
ディアナは走って炎を避ける。ドラゴンはディアナの後を追うように炎を吐き続ける。人族のスタミナはドラゴンよりはるかに劣っている。すぐにバテて黒焦げにしてやる。
だがディアナは途中でぴょんとドラゴンの背に乗って逃げた。ドラゴンは慌てて炎を止める。そのまま背中を横断するなら、着地点が読める。そこに炎をぶつける!
「――と思うわよね」
ディアナは背骨に沿って真っすぐにドラゴンの首に迫る。首をもたげていたドラゴンは驚き、躊躇ったのちに炎を吐く。自前の鱗を焦がすのは癪だが、こちらへ一直線に向かってきているのはむしろ好機だった。
ディアナは大きく左右に避けながらドラゴンの首に迫る。長い首を駆け上がり、炎を出せない位置まで肉薄する。
「これで、おしまい」
ドラゴンが最期に見たのは、首を失った己の体。その上で無表情に見下ろす人族の姿だった。
◆ ◆ ◆
荷台を引いた冒険者たちが続々と到着したのは、夜が明けて少しした頃だった。
「ひぇっ」
「あ、みんな来てくれた? ありがとー」
「お、女将さん、それどうしたの!?」
冒険者たちの到着に気付いて、ほんわかと笑うディアナ。だが冒険者たちにしてみれば、部位ごとに切断されたドラゴンの死体と、その傍らで全身真っ赤に染まって巨大なナタを振るう彼女の姿だ。控えめに言ってスプラッタホラーでしかない。
「あ、これ? うっかり頸動脈を切っちゃったみたいで、ドッパーって返り血を浴びちゃったのよ。べたべたするし生臭いしで、嫌になっちゃうわあ」
「おーい、水魔法が使える奴ー!」
「女将さんを綺麗にしてあげてー!」
すぐにエルフや水魔法の使い手が招集された。荷台に載せられるくらいの大きさにまで斬られていたので、運搬は冒険者に任せてディアナは即席のシャワー(冷水)を浴びる。というか冒険者たちに説得されて強制的にシャワーの刑にされた。
「見てもいいけど、見たらぶっ飛ばすからねー」
冗談めかしてそう言ってから服を脱ぐ。そんなことを言われて見ようとする命知らずはいない。魔法使いが全員ディアナに背を向けて、ついでに自分たちを即席の間仕切り代わりにして野郎どもの視線から守った。
空気中に留まった、人が入れそうなほど大きな水の塊。そこに頭を突っ込んで乱暴に頭を洗う。たまに息継ぎをしながら髪と顔の返り血を落としてさっぱりする。両腕の血も落とせば、肌についた血はあらかた落ちた。
続いて服についた返り血だ。ほとんど血を吸ってしまっているので完全に落とすのは難しいだろう。それでも生臭さを落とすため、水の塊に突っ込んでごしごしと洗う。水の中に赤い色素がたゆたうのを見るのはちょっと楽しかった。
「はっくしゅん」
「女将さん、大丈夫ですか?」
「風魔法送ります?」
「ありがとう、服を洗ったらまとめてお願いするわ」
背を向けたまま訊ねてきた魔法使いたちにそう返して、ディアナは洗濯を続ける。
上着もズボンも下着もすべて洗い終えると、完全にとはいかないがだいぶ落ちた。水の塊がかなり赤を含んでいるし、これが限界だろう。
ぎゅっと絞って水気を切り、ゴワつく服を着こむ。
「おまたせ、水魔法はもういいわ。風魔法を送ってもらえるかしら」
「わかりました」
「水はそっちに頼むぞ」
「おー」
水の塊を何人かの魔法使いに引き継ぎ、残った魔法使いがディアナに向けて弱めの風魔法を送る。弱めと言っても、人を吹き飛ばさない程度の強風だ。束ねられていない長い髪が風にあおられ、あちこちに向きを変える。頭皮に指を滑らせて、あらかたの水気が飛んだのを確認したディアナが手を振って魔法を止めさせた。
「みんなありがとうね」
「いやいや、これくらいどってことないって」
「あー、やっといつもの女将さんになった」
「そう? 大げさね」
「いや、全身真っ赤になってあのナタ振ってたらびっくりしますって」
「正直、どこのネクロマンサーかと思った」
「うんうん」
全員に激しい首肯で返されてしまった。解せない。
「じゃあ、ドラゴンを町までお願いね」
「「「はーい」」」
ドラゴンの肉を積み終わった荷車から、町に向かって引き返す。行きよりも数段重かったが、ディアナは行きと同じくらい軽々と運んでいってしまった。
太陽が昇り切る前には、スレンドの町が見えてくる。
「おーい、ただいまー!」
「おかえりなさーい!」
手を振って呼びかければ、城壁の前で待っていたフラヴィが飛び出してくる。遅れてアルベルトや町の住人たちも駆け寄ってきた。
「女将さん、大丈夫だった!?」
「怪我してない?」
「平気よ。アルベルト、貯蔵庫とシメリツユは?」
「貯蔵庫は完成している。シメリツユは今冒険者たちとスタニが摘みに行っている」
「なら、もう下拵えを始めましょう」
ディアナは頷いて、集まっている住人に向けて声を張った。
「みなさーん! おいしいご飯づくり、手伝ってくれますかー?」
「「「は――――い!!」」」
主に子どもたちの元気な声が返ってくる。魔物の肉は怖いけれど、女将さんが作る料理が美味しいのは町の常識だ。その手伝いができる。非日常勘にワクワクが止まらなかった。
「じゃあ、お水をたーっぷり用意してください!」
本当の戦いは、ここからなのだ。
◆ ◆ ◆
次々に到着するドラゴンの肉を、タライに入り切るよう整形して敷き詰める。そこにバケツリレーでどんどん水を入れ、シメリツユをまんべんなく広げていく。
「女将さん、ただいま戻りました」
「ナイスタイミング! シメリツユがなくなりそうだったの」
森から帰ってきたスタニスラフたちからシメリツユの追加を受け取り、出来上がったそばから裏口の臨時貯蔵庫に運び入れる。
「ちゃんと持てよ!」
「わかってる、声をかけるな!」
明日の美味しいご飯のために、冒険者も町の住人も一体になって仕込みを続ける。
次第に飽きたり体力が尽きて離脱する者が増える中、夜になってようやくすべての下処理が完了した。
「お疲れさまでした。皆さん、ありがとうございました!」
ディアナの声に、疲労困憊な町の住人たちが拍手で応える。ちなみにこの後、第二工程があることを彼らは知らない。ディアナもくたくたな彼らにこれ以上の無理を強いるつもりはなかった。
「はいはーい、炊き出しだよ!」
カンカンカン、とフライパンとおたまが打ち鳴らされる。
見ると、広場に大鍋がいくつも用意されていた。他の酒場の女将や主人たちだ。
「銀貨一枚でおかわりし放題! 今日だけ特別だよ!」
「マジで!?」
へたりこんでいた冒険者たちが炊き出しに殺到した。銀貨と食器が飛び交う。
「うっま!」
「味濃いのがしみる~!」
「おっちゃん、おかわり!」
「はえーだろ、もっとよく噛んで食え!」
「なあおばちゃん、こっちも食べていい?」
「いいよ、銀貨一枚ね」
「えっ、食べ放題じゃないの!?」
「そんなことは一言も言ってないよ! 店ごとに銀貨一枚よこしな!」
「えー、ケチ~!」
「今日は赤字大サービスの日なんだ、文句があるなら食わんでよろしい!」
「そうは言ってないだろ? ほら!」
「まいど!」
町は一気に祭りのような様相になる。いや、実際に祭りなのだ。ドラゴンの肉を食べるための前夜祭。眠っているはずの子どもたちもはしゃぎまわり、大人たちもそれをいいことにジョッキを傾けている。
「女将さん、今日はあたしたちも外食しない?」
「え?」
フラヴィの提案にディアナは驚いたように彼女を見た。
「いいですね。たまには他のお店の味も知りたいです」
スタニスラフが頷き、さっさと屋台に向かっていく。
「ね、ね? いいでしょ?」
手を引くフラヴィに、ディアナが困ったようにアルベルトへ視線を向けた。
「いいんじゃないか?」
アルベルトは肩をすくめた。
「今日はみんな頑張ったんだし」
わしわしと、アルベルトの大きな手がディアナを撫でる。
「……子どもじゃないわよ」
「知っている。ほら、行くぞ」
いつの間に用意していたのか、銀貨をディアナとフラヴィにそれぞれ渡して屋台に促す。フラヴィはスタニスラフを捕まえて、違う店の味比べを提案している。
ディアナはアルベルトを連れて、手近な屋台に向かった。
「あ、女将さん!」
「こんばんは。お一つもらえる?」
「どうぞ。お口に合うといいけど」
「ありがとう」
銀貨と交換して渡されたのは、肉と野菜がごろっと入ったスープだ。透き通ったスープがカンテラの灯りを柔らかく反射している。
屋台から少し離れたところで、まずはスープを一口。疲れた体をいたわるように、野菜の甘みが胃の中に広がった。
「……美味しい」
思わず口からこぼれ出る。隣でアルベルトも柔らかい表情で食べている。美味しいものを食べると無口になる癖は健在だ。
「おーい、そっちも一杯くれ!」
「俺も!」
「はいはい、銀貨一枚ね! あと食べ過ぎてひっくり返るんじゃないよ!」
即席の屋台村は深夜まで続いた。
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