8.ドラゴン①
その一報は、突然やってきた。
「おいおいおいヤベーぞ! アミディルの方でドラゴンが出たって!」
銀のカナリア亭に飛び込んできた冒険者が叫ぶと、賑わっていた酒場が静まり返った。
「アミディル?」
「山の向こうの国だよな?」
「え、こっち来るの?」
確認とも独り言ともつかない言葉に、飛び込んできた冒険者が答える。
「進路予測的にそうらしい。特急の鳥手紙がギルドに来て、避難勧告が出された」
酒場にいた全員がどよめいた。
ドラゴン。弱い個体でもA級の判定が下るほどの強さを誇る、魔物の代表ともいえる存在。その羽ばたき一つで村が吹き飛び、吐息一つで森が消し飛ぶ。まさに動く災厄だ。
熟練の冒険者であっても手こずるドラゴンがこちらに来るとなれば、身の安全を考慮して近隣の村や町に避難勧告が出るのも頷ける。
――普通の町であったならば。
「あらまあ、大変ね」
酒場にいる客の視線が、自然と一人に集まる。
「そのドラゴン、大きさはどのくらいなの?」
「およそ十メートルから二十メートル。まっすぐ南下してきているって話です」
「あら、じゃあ山を越えたあたりで落としちゃいましょうか」
しれっと放たれた言葉に、冒険者の何人かが「へっ?」と裏声を出す。
「お、女将さん、まさか倒すの?」
「ええ。前もドラゴンが来た時にやっつけたわ。なかなか好評だったわよ。個人的にはまたあのテールスープが飲めるのが嬉しいわね」
本当に嬉しそうにディアナは頬を緩める。他にも長く町にいる冒険者たちが頷いたり遠い目をする。
「ああ、あれか」
「あれは美味かったなあ。またあれが食えるのか」
「女将さーん、ドラゴン運ぶんならギルドに依頼出してってー!」
それを聞いてドン引きしているのは、町で暮らしてまだ日が浅い冒険者たちだ。
「マジか」
「最低でもA級の魔物までお肉扱いって……」
「ドラゴンまで狩れるって何者……?」
ドラゴンを仕留めて振る舞ったという噂は聞いたことがあったが、本当だったのか。
「女将さん、狩る気なのはいいが、貯蔵庫の容量はそう大きくないぞ?」
料理長のアルベルトが厨房から顔を出した。
「今の時期、そのまま外に出しておくのは危険だと思うが」
「そういえばそうね。じゃあスーくん、店の外にいい感じの穴を掘っておいてもらえるかしら? できればお店くらいの大きさで」
「急に大規模工事を頼まないでくれます!?」
スタニスラフが仰け反った。
「僕、土魔法苦手なんですよ」
「え、そうだったっけ?」
「言う必要も機会もなかったので言ってませんでしたけど。言われた規模の貯蔵庫を造ろうと思ったら、最短で一月はかかります」
「あら、そうなのね。じゃあ他の人にお願いした方がいいかしら?」
「そうしていただけると助かります」
「そういうことなら、わしが立候補するぞ」
ドワーフの鍛冶師が身を乗り出した。
「大地はわしらの隣人だ。ちょいと人手を借りればすぐできるぞ!」
「まあ、お願いします! 報酬もちゃんとお支払いしますね」
「おっ、それなら例のテールスープとやらを奢ってくれ。あんたが美味いというのだからよっぽどだろう?」
「もちろん。腕によりをかけて作りますね。貯蔵庫や運搬のお手伝いをしてくれた人にもサービスしますよ!」
ディアナの言葉に冒険者たちが湧いた。ドラゴンなんてまずお目にかかれないし、よその町ではなによりも先に避難が推奨される。討伐された上に美味しく頂けるなら、多少の苦労も吹き飛んだ。
「じゃあ、今のうちにギルドに依頼を出してくるわね。御馳走のために、明日はみんなよろしく!」
「「「イエエェェェ――――イ!!」」」
冒険者たちが拳を突き上げたりジョッキを高々と掲げる。今夜も遅くまで飲みそうだった。
◆ ◆ ◆
太陽が地平に上る直前、空は一等暗くなる。
黒の陰影が北の山脈を描く中、〝それ〟は悠然と姿を現した。
羽ばたきで山肌が削れる。呼吸のたびに炎が吐き出される。一瞬だけ明るくなった顔の周辺が、夜の闇に不気味に浮かび上がる。
「ひえ……っ」
物見やぐらで寝ずの番をしていた住人が、遠目からでもよく見える炎に腰を抜かした。
ドラゴンが来たらどうしようと考えて、でもずっと手放せなかった紐が小さく鐘を鳴らす。それに触発されて激しく手を振れば、連動して鐘がやかましくがなり立てた。
狂ったように鳴らされる合図に冒険者たちが飛び起きる。
「うおっ、なんだ!?」
「ドラゴンが来たんだ!」
「おい鐘を止めろ! 頭に響く!」
「二日酔いはこれでも食っとけ!」
頭痛や吐き気に苛まれる仲間に容赦なくシメリツユの葉をねじ込む。普段は煎じたものや刻んだ葉のエキスを抽出したものを飲ませたりしているが、なんだかんだ言って生のハーブが一番効く。
臭みでのたうち回る仲間は放っておいて、冒険者たちは身支度を整えて宿を出る。ドラゴンが迫る非常事態の中、いつも笑顔で対応してくれる受付も厳しい表情で外に出ていた。
「冒険者の皆様、ドラゴンを確認できたため、これより緊急の依頼を出します。内容はドラゴンの討伐、およびその体の運搬や解体です。こちらにいるディアナさんを先頭に任務に当たってもらいます」
受付が示した隣には、同じく身支度を整えたディアナが立っていた。いつものエプロン姿ではなく、動きやすさを重視したパンツルックである。傍らにはいつもの巨大なナタを立てていた。
「みなさーん、朝早くから集まってくださり、ありがとうございます! これからドラゴンを討伐に行きますので、みなさん頑張ってついてきてください! 頑張ってくれたら、明日は御馳走ですからねー!」
ドラゴンが迫っているとは思えない、いつもと同じほんわかした声。それが冒険者たちの緊張をほぐし、モチベーションを上げていく。
「よっしゃあ!」
「どこまでもついて行きますぜ、女将さん!」
「俺ステーキ食いたい!」
「テールスープ!」
「半身揚げってできる?」
「ドラゴンの半身!? 食えるの!?」
馬鹿笑いが大通りに響く。ディアナもそれにクスクスと笑って、気を引き締めるように手をパンと叩いた。
「ドラゴンは大きいので、協力して運びましょうね! 夕べのうちに荷台をたくさん用意してもらったので、みなさんで分けて運んでください!」
「「「おおうっ!」」」
「それじゃあ、レッツゴーです!」
「「「いやっはぁ――!!」」」
田舎の子が初めて王都に行くような――つまるところ遠足気分だ――テンションで冒険者たちは出発する。
町の外に用意された数十台の荷車や馬車を分担して運ぶ。
「じゃ、お先に行ってるわね!」
ディアナもそのうちの一つにナタを乗せると、さっさと走っていってしまった。
「ええ、ってあれ……?」
頷いた冒険者が「お気をつけて」と言う前に、夜明けの草原の彼方に消えていく。
「女将さん、相変わらず規格外だなー……」
「わかる。普段は朗らかだから忘れそうになるけど、この前の巨大ビッグ・ベアとか一人で討伐したんだもんな」
「あれ女将さんだったの!?」
「なんだよ、知らなかったのか?」
口々に言い合いながら、冒険者たちも出発する。今回の依頼は「討伐」と銘打っているが、悔しいことに自分たちにできるのは戦闘後の後処理だ。
「女将さんが冒険者にならないの、惜しいなーって思いつつ安心してる自分がいる」
「わかる」
「女将さんはなんていうか、そのままでいてほしい」
「わかる!」
「けどさ、もし仮に女将さんが冒険者になったら、どこまで行くと思う?」
一人の冒険者の言葉に、他の冒険者たちは顔を見合わせる。
「そりゃあ……」
「たぶん……」
「あ、待って。せーので言おうぜ」
「んじゃ……」
「せーのっ」
「「「S級冒険者!」」」
冒険者たちの声は綺麗に揃った。
「だよなー!」
「やっぱそう思う!?」
「いやそうじゃなきゃあの強さは納得できねえって! A級止まりだったら猛抗議してやる!」
「それはそう!」
空の荷台を引きながら冒険者たちは笑い合う。
そこに不安は一切なく。
全幅の信頼だけがあった。
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