57.呪術師①
狩りに出かけたディアナを見送り、市場から戻ってきたアルベルトたちと共に今日の下ごしらえをする。
いつも通りの日々のはずだった。
「ん?」
スタニスラフが勢いよく顔を上げる。そのままドアの方へ向いて、
「何者ですか!?」
平時の彼とはかけ離れた鋭い声が出た。
その声に気付いて他の三人も顔を上げる。
厨房の前に、暗い色のローブを身にまとった誰かがいた。
フードを深くかぶっていて顔は窺えない。ローブの色も相まって、影のように微動だにせず立っているのが不気味だった。
フードがつい、と動いた。
「……悪食の勇者ニーナを殺せ」
「は……?」
思わず呆けた声が出た。
悪食の勇者と言えば、ディアナのかつての肩書――
ザザッザザザザザザザザザザッ!!
「うわあっ!?」
金属製の葉擦れの音と共に、頭を掴まれたような強烈な頭痛に襲われた。スタニスラフは悲鳴を上げてうずくまる。
(なっ、んだ!?)
脳の内側をインクで乱暴に塗り潰されるような感覚。自分の体であるのに、その支配権がどこかに移るような嫌悪と焦燥感。
(だめだ、やめろ! なんだこれ!)
抵抗しなきゃ乗っ取られる。直感でわかっているのに、その方法がわからない。
――殺さなきゃ。
――悪食の勇者を。
――早く。はやく。ハヤク!!
バキッ!
「……っ!?」
左頬に強い痛みを感じる。スタニスラフはそのままバランスを崩して倒れた。
「スタニ! 風で周りの音消せる!?」
フラヴィの声にハッとする。
塗り潰されかけた思考が明瞭になる。視界が開ける。
すぐさま精霊に呼びかけ、自分たちの周りに分厚い空気の壁を作った。
頭痛もいつの間にか治まっている。
「い……っつ」
呻き声がした。振り向くと、大の字になっていたアルベルトがのそりと起き上がるところだった。
「フラヴィ……急に殴るな」
「殴んないと正気に戻らなかったでしょ?」
「それは、そうだが……」
大柄なアルベルトを一撃で正気に戻すほどの威力のパンチとか知りたくない。スタニスラフはそっとフラヴィから距離を取った。
「……って、フラヴィとネリーは無事だったんですか?」
はたと気付く。男二人がなにかしらの術に呑まれそうだったのに、彼女たちはなぜ無事だったのか。
「あたしは舌噛んで正気に戻ったの」
フラヴィが自分の舌をべっと突き出す。一ヵ所、大きく血が滲むところがあった。
「で、ネリーはそもそも悪食の勇者が誰か知らない」
「「……ああ!」」
アルベルトとスタニスラフは同時に手を叩いた。
ネリー以外の三人は、諸事情によりディアナが悪食の勇者ニーナであることを知っている。だが後からやってきたネリーは、それを知らない。
悪食の勇者とディアナが結びつかなければ、そもそも術が効かない。
「盲点だった」
「すっかり忘れていましたね」
ネリーがムッとしながらメモを突き出す。
『怖かった』
「すまなかった」
「すみませんでした、ネリー」
二人で頭を下げる。ネリーはそれぞれの頭をぺしんとはたいて終わりにした。
「でさあ」
フラヴィがけだるげに言う。
「あいつどうする?」
全員の視線が厨房の入り口に向かう。
そこには相変わらず、ローブを纏った誰かが立っていた。
己の不利を悟って逃げるわけでもない。何事もなかったかのようにそこに立ち続けている。
「追い出す……のは難しいですよね」
スタニスラフの言葉に全員が頷く。
「明らかにあたしたちに危害を加えようとしているもんね。正当防衛とかならないかな?」
「気配がなにもなかったのも引っかかる。真横に立たれるまで気付かなかったかもしれんな」
「じゃあとりあえず……。声だけでも封じます?」
再び頷く。
フラヴィがカトラリーナイフを構えた。
「スタニ、合図したら一回この壁解除して」
「はい」
「三、二、一……今!」
音を遮断していた壁が消える。直後、再び頭を鷲掴みにされた。
「あっ……ぐ……!」
意識が濁る前に、フラヴィを真似て舌を噛もうとする。しかし分厚い舌に歯を突き立てても、なかなか力が入らない。
(あ、ヤバイ……これ……!)
落ちる、と覚悟した。
だが、いくら待ってもその瞬間が来ない。あるいはすでに支配権を奪われて操り人形にされているのか。
「スタニ、もう大丈夫だよ」
フラヴィの声がする。スタニスラフがそっと目を開くと、ローブを纏った人物は倒れていた。
「……え?」
「意外とあっけなかったね」
と言いながら、フラヴィは無防備にローブに近付いていく。
スタニスラフが大丈夫なのか、と言う前に、ローブを蹴っ飛ばした。
「あー、やっぱりね」
フラヴィが手招きする。おそるおそる近付いてみると、
「え……」
ローブの下は灰になっていた。
「これ……なんですか?」
呆然と呟くスタニスラフに、答えたのはアルベルトだった。
「呪術……」
「えっ」
「うん。こいつは分身だよ。本体を叩かなきゃ意味がない」
「え、お二人とも呪術師に会ったことあるんですか?」
スタニスラフがフラヴィとアルベルトを交互に見る。ネリーも訳がわからないといった顔でメモを突き出した。
『ずずつしってなに?』
「呪術師、だ。こう書く」
アルベルトがメモの余白に書き加える。
「死者の未練や怨念を使った術を使う外道のことだ。知識としては知っていたが、実際に会うのは初めてだ」
「スタニは知らなかったの? 呪術師のこと」
「魔法とは相容れない術の使用者だというのは知っています。ただ僕も初めてでしたから……」
ふと、記憶のピースが引っかかった。
「……こいつ、悪食の勇者って言ってましたよね」
「うん」
「言っていたな」
「ただの想像の飛躍なんですけど……。こいつ、コンラート君の件に関わっていませんか?」
全員が顔を見合わせる。
思い出されるのは、洗脳され勇者に仕立て上げられた少年。魔王など特定のワードで正気を失わせ、偶然とはいえ実際に立ち向かわされていた。
「あの強い暗示が呪術によるものだとしたら、聖光教会にとっても大問題だぞ」
「うん。誰が呪術師に依頼したのか。それとも、呪術師が教会関係者を洗脳して、最初から仕組んでいたのか。どっちに転んでも大きな騒ぎになる」
「そちらは教会の仕事だからいいとして……問題は、どうやって拘束するかですよね」
「それだよなあ……」
頭を抱える。
なにしろ分身の言葉一つで洗脳されかかったのだ。うかつに出歩けば呪術の餌食になる。かといってこのまま引きこもっていて、町中が洗脳されていたらそれこそディアナの身に危険が及ぶ。
「ん? どうした、ネリー」
アルベルトが振り返る。
彼の腕をつついて気を引いたネリーは、三人にメモを見せる。
『私が行く』
たった一行。その文字列に三人は驚愕の声を上げた。
「「「はあっ!?」」」
アルベルトは自衛の術がない。
スタニスラフは風で音を遮断できるけれど情報が収集できない。
フラヴィに至っては何度も舌を噛んでいたら死ぬ。
だったら、悪食の勇者とやらを知らない自分が動くのが適任だ。
ネリーは筆談と読唇術で三人を説得し、町に繰り出した。
「いい? ヤバいと思ったらすぐに引き返すんだよ? 絶対に無茶しないでね?」
フラヴィたちからはそう念を押されている。もちろんネリーも心得ているが、同時にワクワクしていた。
(いつも守られてばっかりだったけど、今日は私がみんなを守るんだ)
高揚感は隠し切れない。それでも呪術師の情報を少しでも集めるため、ネリーはまず詰め所に向かった。
「はいはい、どなたー? あれ、ネリーちゃん?」
詰め所にいる憲兵たちの様子は変わっていなかった。
『変な人が来たの。黒いローブの人。知らない?』
「いや、見ていないな。そんな特徴的な人、来てたらすぐに気付く」
「俺も知らないな。え、まさか勝手に侵入してきたとか?」
それはそれで一大事だ。
ネリーはあらかじめ裏に書いてあった文字を見せてみる。
『悪食の勇者』
憲兵たちがきょとんとした顔をする。
「ネリーちゃん、悪食の勇者のこと調べてるのか?」
ネリーは頷く。
「昔、魔王が猛威を振るっていた時に闘った冒険者さ。道中で魔物の肉を食べたから、教会からそう呼ばれているんだけどな」
「そういえばその冒険者、素顔とか全然情報がないんだよな。実は華奢な女の子だったとか、強すぎて国を追放された武人だとか、噂はすごいんだけどな」
へー、とネリーは熱心に聞いた。
『ありがとう』
「おう。また今夜店に行くからな!」
「サービスしといて!」
『それはできない』
「えー」
冗談を言い合って、詰め所を離れる。
ある程度離れたところで考えを整理した。
(衛兵さんたちは術にかかっていなかった。悪食の勇者のことは知っていたけど、店のみんなみたいにはならなかった)
フラヴィはネリーについて、「悪食の勇者を知らない」と言った。
実際、その名前を聞いたのはあの時が初めてだった。だから呪術が効かなかったのかと思ったが、どうやら違うらしい。
(悪食の勇者と別のなにかが結びついて、きっと初めて効果を発揮する)
悪食の勇者は冒険者だった。ならば、冒険者ギルドなら知っているだろうか。
以前ディアナが風邪で倒れた際に、依頼を出す手伝いで冒険者ギルドを訪ねたことがあった。なにか新しい情報が得られればいい。
「あら、ネリーちゃん? いらっしゃい」
冒険者ギルドのカウンターで仕事をしていた受付嬢に会釈をする。
『今、変な人が来ているの。お店のみんな、動けない』
「あら大変。依頼を出す?」
受付嬢の言葉にネリーは首を横に振った。
『まず情報収集。ギルドマスターからも話が聞きたい』
「わかった。連れて来るわね」
受付嬢が奥の部屋に消える。ネリーはその間にざっとギルドの中を見てみた。
広い待合スペースに人はいない。掲示板にも受理されなかった依頼書が数枚、風で揺れているだけ。
カウンターでは他の受付嬢や事務員が書類仕事に勤しんでいる。
特に変わったところはないように見えた。
「ネリーちゃん」
受付嬢が戻ってきて呼ばれる。いかにも歴戦の風格があるギルドマスターの姿には慣れないが、ネリーは気を取り直してメモを見せる。
『お忙しいところすみません。怪しい人が来ていないか確認して回っているんです』
「彼女から聞いた。他の従業員が動けないってなると相当だな。そいつのことわかるか?」
『黒いローブを着ていました。顔はわかりません。それと悪食の勇者って言っていました』
ネリーがメモを見せると、受付嬢は首をかしげた。
「悪食の勇者? なんでそんなおとぎ話みたいな人を……? ギルドマスターはなにか知って――」
受付嬢が振り返って、止まった。
ギルドマスターの顔から表情が抜け落ちている。腕も力なくだらりと垂れ下がっている。
「ギルドマスター……?」
受付嬢が呟くように呼び掛ける。
「悪食の勇者は殺さなければならない」
ギルドマスターが呟いた。声に抑揚がない。
突然のことに、仕事をしていた他の事務員たちも驚いたように彼を見ていた。その視線も、まるで存在しないかのように気にしていない。
ネリーはメモに文字を綴る。
『悪食の勇者とは何者ですか?』
「魔王討伐の道中で魔物を食らった者。今は銀のカナリア亭という酒場で女将をしている」
(……え?)
ネリーは目を見開く。
天地が引っ繰り返ったように感じた。
どうして魔物を食べようと思ったのか、それを使った専門店を出そうと思ったのか、疑問に思わなかったわけではない。
でも彼女が狩ってきた魔物の肉はどれも美味しくて、飢える心配がなかったから、どうでもいいと思った。
聖光教会が初めて乗り込んできた時、どうして潔く引いたのかも納得できる。魔王を単独で打ち倒せるほどの実力者なら、権謀術数入り乱れる教会よりも安心できる。実際にネリーも安心して暮らせている。
さらに復活した魔王の存在だ。ディアナとやけに親しそうなくせに、彼女からは蛇蝎のごとく嫌われて、時には利用されている。なにをどうしたらそんな関係を築けるのかと思っていた。かつて殺し殺されていた間柄なら納得してしまう。
(――って、今はそんなこと考えている暇はない!)
慌てて思考の海から浮上して現実を見据えた。
ギルドマスターは相変わらずぶつぶつ言っている。事務員たちは全員がカウンターの外へ避難した。
「ネリーちゃん、逃げよう」
ギルドマスターを連れてきた受付嬢がネリーの手を引く。
だがネリーはその手を振り払った。
(許さない)
呪術師の正体が誰か知らない。
だが、店のみんなを危険にさらした。ギルドマスターを操った。
今まさに、ディアナの命が狙われている。
体の奥底から怒りが湧いてきた。
「ふざけるなああっ!!」
感情を乗せた叫びが、冒険者ギルドに響いた。
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