52.風邪引いた(アルベルトの場合)
「風邪引いた」シリーズが始まります。
寝苦しさで目が覚める。体がだるい。
アルベルトはぼんやりと霞がかった思考の中で、自分が風邪を引いたのだと思い当たった。そう言えば昨日から喉がちょっと痛かった。あれは風邪の前触れだったのか。
ぞくりと寒気がして、毛布を手繰り寄せる。起き上がる気力はなかった。風邪によくある咳やくしゃみがないのがせめてもの救いか。
(ああ、今日は一日厨房に立てそうにないな……。すまない、みんな)
心の中で謝罪しながら、アルベルトはまた眠りについた。
「うん、風邪だね」
往診に来たレヴェントン医師の診察を、アルベルトはぼんやり聞いていた。
未明に二度寝を始めてからの記憶が曖昧だ。時間通りに起きてこなかった自分を心配して、誰かが呼んだのだろうとあたりをつける。
「薬、出しておくからな。毎食後に飲むこと。はい、これは今飲んで」
手早く用意された粉薬を受け取る。コップの水と一緒に飲み下す。喉が痛い。上顎にへばりついた苦味を押し流すように、もう一杯口に含んだ。
「熱と喉なら、三日もありゃ治るだろ。お前さん、頑丈そうだし」
レヴェントンの言葉に曖昧に頷く。
「食事は誰かに作ってもらえ。あとトイレ以外で部屋から出ないこと! 他のメンバーにうつったらしばらく店を閉めなきゃならんだろ?」
押し倒すように肩を叩いてベッドに寝かせる。なんか早口でまくし立てていたが、アルベルトは聞くだけの体力を持っていなかった。
「じゃ、お大事に」
出て行くレヴェントンになんとか手を振り返して、アルベルトはまた目を閉じた。
(……風邪を引くなんて、いつ以来だろうな)
思い出す間もなく、また意識が深いところに落ちていった。
コンコン
「料理長ー、お邪魔しまーす」
「……寝てる?」
「っぽいですね。書置き残しておきましょう。ネリー、メモをお願いします」
「えーっと、お昼ご飯です。ゆっくり休んでください。……でいいかな?」
「いいと思いますよ。……あ、ありがとうございます。じゃ、退散しましょう」
「はーい」
「…………」
目を覚ましたアルベルトは、今しがた見た夢に頭を抱えたくなった。
(大勢の小人に甲斐甲斐しく世話されるとか……。疲れてるのか? 俺)
あまりにもファンシーな夢で否定したくなった。そりゃたしかに立場上、頼られる側だが、あんな願望を抱いたことはない。
(そういえば今、いつだ?)
重い体をなんとか動かして、カーテンをそっと開ける。太陽がちょっと傾いている。昼を過ぎた頃だろうか。
「……っ」
つばを飲み込んで、顔をしかめる。喉が腫れている今、こうして唾を飲むのも重労働だ。喉を動かすだけで横に引っ張られるように痛い。声なんて出したくても出せなかった。
(さて、食事はどうしようか……ん?)
首を回すと、テーブルになにかが置いてあった。布巾がかぶせられた深皿とスプーン、それからメモ。
『お昼ご飯です。ゆっくり休んでください。 ネリー、フラヴィ、スタニより』
布巾を上げてみると、つぶつぶしたものが白い液体をまとっていた。ライスプディングだ。ところどころに見える緑色の破片はハーブだろうか。
(ああ、懐かしいな)
冷たくて甘いライスプディングは、病人食の定番であり、病人の特権だった。コメと呼ばれる不思議な野菜を、ミルクとハチミツまたは砂糖などで煮込んで冷ましたものだ。風邪を引いた時にしか食べられなかったから、寝込んだ兄弟を羨ましがったこともあった。
体を鍛えて病気とはほとんど縁がなくなってからは、そんな記憶も忘れかけていた。
アルベルトは皿とスプーンを手に取った。ベッドの上でしか食べられないのも、病人の特権だ。
もともと冷たいライスプディングだから、冷ますことなくすぐに食べられる。いい意味で食べ慣れないコメの食感が面白い。柔らかくて、たまにコリコリしている。
(……急いでいて煮るのが甘くなったな?)
アルベルトはそう考えた。コメは水で煮ると水分を吸って柔らかくなる。くたくたになるまで煮れば病人食として最適な柔らかさになるのだ。
コリコリした食感は、まだ硬いコメがあるということ。だが、普段は厨房に立たない三人が四苦八苦しながら作ったのだと思うと微笑ましかった。
冷たくて甘いのが功を奏したのか、喉もそれほど痛まずに食べられた。だが、薬を飲むと思い出したように痛くなる。
(本当に治るんだろうな、これ……?)
まだ半日ほどだが、完治するか不安になる。
(ああでも、こんなに不安になるのも久しぶりだな……)
風邪で寝込んでいる間は、基本的に一人だ。いつもはなんだかんだ言って、一人になる時間はなかった。心細さを自覚して失笑する。笑おうとしたら喉が痛くなってやめた。
(病人の仕事は、寝て治すこと)
誰に言われたのか覚えていない言葉を反芻しながら、アルベルトは三度、眠りに落ちた。
コンコン
「料理長、入るわね……?」
ノックの音とディアナの声で、アルベルトは目を覚ました。
首をひねってドアの方を見ると、ディアナがトレーを持って入ってくるところだった。
「あら、ちょうど起きた? それとも起こしちゃった?」
ディアナは訊ねながら、トレーをテーブルに置く。ふんわりといい香りが鼻をくすぐった。
「夕食を持ってきたの。お肉と野菜が入ったスープよ。一緒にパンもあるからね」
そんなに食べられるだろうか。いや、食欲はあるにはある。喉が痛いせいで水を飲むのも億劫なのだ。パン一つくらいなら、スープに浸して食べられる。
ディアナが手早くランプに火をつけてくれた。
のそのそと起き上がって、トレーを手繰り寄せる。
ディアナが言っていた通り、肉と野菜が入っていた。細切れにして食べやすくした肉が浮いている。野菜は一口サイズよりさらに小さく切ってあった。黄金色のスープからは、野菜や肉から染み出したエキスが香りとなって漂う。
「すぐに食べられるように冷ましてあるわ。じゃあ店に戻るからね。薬、飲み忘れないでね」
ディアナの言葉に苦笑いする。まるで母親のようだ。出て行く彼女に手を振って、アルベルトはスープを一口飲んでみた。
相変わらず喉は痛い。なにかを飲み込むたびにズキリと痛むのだからたまったものではない。美味しいと感じているのに、痛みのせいでその喜びが半減する。
できるだけ喉に負担がかからないよう、少しずつ飲む。スープである程度喉を湿らせたら、野菜や肉にも挑戦してみる。
人参もジャガイモもしっかり煮込まれていた。小さくカットしているので喉への負担も最小限に抑えられる。肉を食べると、それだけで体に活力が巡るような気がした。
いつもよりよく味わって、喉に負担がかからないよう歯ですり潰してから飲み込む。途中でパンをスープに浸して食べれば、それもするりと喉を通った。
時間をかけて食べ終えて、アルベルトは完食したことに驚いた。食べきれなくて半分くらい残すかもしれないと思っていたのだ。
(少しくらい回復しているか……?)
と思ったが、薬を飲むとやっぱり喉が痛い。
寝ようと思ってランプを消そうとして、止まる。
引き出しからペンとインク壺を引っ張り出して、ネリーが置いていったメモの裏に書く。
『美味しかった。ありがとう』
それだけ書いてペンとインク壺をしまい、ランプを消してベッドに潜った。
酒場を閉めた後、ディアナは再びアルベルトの部屋を訪ねた。
「料理長、入るわねー……」
小声で呼びかけながら部屋に入る。
当のアルベルトは寝入っているようで、まったく反応がなかった。薄明りの中で、山になった毛布がかすかに動いている。
ディアナは彼を起こさないよう、そっとテーブルの上のトレーを回収した。
(……ん?)
トレーの上にメモがある。それが風で落ちないようにしながら部屋を出て、明るい場所で確認する。
「…………」
メモの内容を見たディアナの口元に、ゆっくりと笑みが広がる。
「病人は休んで、甘えるのが仕事よ」
小さく呟いてメモをしまう。それから貯蔵庫で作業をしている三人にも見せるべく、ディアナはトレーを持って酒場に戻った。
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