49.聖夜に喜びを
バラカルニ地方は雪があまり降らない地域だ。北の山脈が雪雲を足止めしているからだ。そのおかげで、冬になると見事な雪山を望むことができる。
たまに生き残った雪雲がスレンドの町にやってくれば、お祭り騒ぎになる。
「雪だー!」
きゃあ、と子どもたちの歓声が響く。空からはひらひらと、小さな花びらのような雪が舞い降りてきている。
「ああ、どうりで寒かったわけだ」
「今夜はスープが売れそうだな」
白い息を吐きながら、アルベルトと野菜農家のフレッドが言葉を交わす。
冬になると、野菜農家はほとんど来なくなる。作物の収穫を終えたら、冬眠する熊のように家でじっとすることが多い。たまに町に顔を出すのは、自分たちでは食べきれない量を売るためと、町での買い物だ。
銀のカナリア亭でも野菜のストックは多めにとってあるが、こまめに農家から買い付けている。特にイモ類はこの時期になると消費が激しくなるので、多いに越したことはないのだ。
「たしかに。今日はポトフにでもしてみるか」
「あら、ミルクたっぷりのシチューもいいですよ?」
横から、牛農家で働いているキャシーが話に加わる。
「朝イチで採れた牛乳ですよ。いかがですか?」
「ふむ……」
アルベルトが数秒考えこんで、頷く。
「いいな。もらおう」
「まいどありがとうございます」
「やりましたね、ネリー。今日はシチューですよ」
スタニスラフが声をかけると、ネリーはにぱっと笑った。
一口大に切った魔物肉と野菜を鍋に入れ、牛乳と小麦粉、バターで煮込む。白いスープはクリーミーで、具材からも優しい味がする。
寒い日はスープものがよく売れるが、とりわけシチューは人気商品だった。
アルベルトが大きなミルク缶を荷台に積み込む。その横でキャシーが笑う。
「ふふ、これでプレゼントが買えるわ」
「?」
首を傾げたネリーに、スタニスラフが説明した。
「今日は聖夜祭ですからね。プレゼントを持ち寄ったり、ご馳走をみんなで食べるんですよ」
「元は、光の神の祝福を祝う日だったらしいけどな」
アルベルトが付け加える。
「そうそう。街で買った物や、自分で作ったものを交換し合うんだ。家族や友達同士でね」
フレッドの言葉にネリーはうんうん頷く。しばらく意味を理解するように黙り込んだ後、唐突に手を叩いた。
「ん?」
スタニスラフに向けて唇を忙しなく動かす。
「…………。ああ、なるほど。ええ、その通りです」
「なんだ? なんて言った?」
「例のものについて、やっと理解したようです」
「え、あー……。なるほど」
アルベルトも遅れて頷く。
それを見ていたフレッドとキャシーは顔を見合わせた。
「なんの話ですか?」
「プレゼントの話ですよ」
「あんまり大きな声じゃ話せないんで、勘弁してください。代わりにこれとこれ、買っていきますから」
「ありゃ、そっか」
「それじゃあ仕方ないですね。ネリーちゃん、良い夜になるといいね」
キャシーの言葉に、ネリーは大きく頷いた。
◆ ◆ ◆
聖夜祭の定番のご馳走と言えばチキンだ。聖典の一節には、光の神の降臨を一羽の鶏が予言したという話がある。そのため聖光教会にとって鶏は神聖な動物となり、聖夜祭で鶏を食べるのは、鶏を通じて光の神の加護を得る行為となった。
もっとも平民にとっては、数少ないご馳走を味わえる貴重な日として認識されている。
銀のカナリア亭も例に漏れず、この日はチキンを食べたい人が多い。だからディアナは前日の内に大量のコカトリスを狩ってきていた。ドラゴン狩りで作った臨時の貯蔵庫がなかったら危なかったくらいである。
「狩りすぎだ」
と、ディアナはアルベルトにちょっと怒られていた。
さて、そんなディアナだが、今日はボアボアの親子を一組とトレントを一体狩って戻ってきた。昨日もトレントを狩ってきたのだが、それでは足りなくなるほど今日はフル稼働させて肉を焼くのだ。
「ただいまー」
「おかえり」
「おかえりー!」
「おかえりなさい」
裏口から入れば、いつものようにみんなが出迎えてくれる。
「あら、ネリーちゃん。どうしたの?」
懐に飛び込んできたネリーが、ディアナの手を引いて厨房を指さす。
スタニスラフが苦笑しながら言った。
「ああ、そうそう。やっと厨房の改修が終わったんですよ」
「やっと? 長かったわねえ」
ディアナもため息をつく。
実は数ヶ月前、アルベルトが仕込み中に足を捻って壁を破壊する大惨事を引き起こしていた。幸いにも捻挫は軽いものだったし、厨房の壁も棚などがない場所だったので大きな被害はなかった。街の大工に片手間でいいから直してくれとお願いしていたのだ。
「先に獲物の処理しておくぞ」
「ええ、お願いね」
アルベルトに頷き返し、ディアナは厨房の奥に向かう。
――が、その足がすぐに止まった。
「……え」
目に飛び込んだものが、理解できなかった。
この数ヶ月で見慣れたシートが取り払われている。
そこにあるのは、ただの壁ではなかった。
全体的に前にせり出したもの。上がドーム状に膨らみ、手前にはなにかを入れられそうな穴が大口を開けている。穴の奥で火が焚かれているのだろうか。ちらちらと火の粉が見える。
ネリーが手を引く。それにつられて、亡霊のような足取りでディアナはそれに近付く。
正面まで来て、やっと頭の中の知識と符合する。
石窯だ。スレンドの町ではパン屋でしか見たことのないものが、店の奥に鎮座していた。
「…………。これ、どう、して?」
強張る喉を震わせて、なんとか訊ねる。
ネリーがメモ帳を見せた。
『プレゼント!』
そう書かれた文字の下に、指で隠された続きがあった。ディアナの視線でそれに気付いたネリーが、指をずらす。
『女将さん、石窯が欲しいって前に言ってたでしょ? 前々から、どうやってここに設置しようか相談してたの。壁を壊して、新しく石窯を設置するの、ちょっと大変だった。私たちも手伝ったんだよ、石運びとか!』
ネリーはメモ帳を見せながら、どうだと誇らしげな笑みを浮かべる。
ディアナはしばらく、穴が開きそうなほどメモを見つめていた。
それから突然、ネリーを抱きしめる。
「っ!?」
「……あー、もう。ダメね。貰ってばかりじゃない」
驚くネリーの頭上でこぼされた独り言は、呆れると同時に震えていた。
ネリーはディアナの顔を見ないようにしながら、メモを書く。それを破ってディアナに見せた。
『私たちも、いっぱいもらった。住むところも、食べるものも。楽しいことも、びっくりすることも。だから、これは恩返し』
色々なことを、貰って、貰われて。きっとそれはこれからも続いていく。
「……そうね」
ディアナは袖で顔を拭く。それからようやくネリーを離して、彼女は笑った。
「これからもよろしくね、ネリー」
ネリーが力強く頷いたのを見て、ディアナは振り返る。
「みんなもね! プレゼントありがとう、すっごく驚いた!」
「でっしょー?」
「隠すの大変だったんですからね?」
フロアのセッティングを終えたフラヴィとスタニスラフが、カウンターで並んで肘をつく。
アルベルトが手を叩いた。
「さあ、そろそろ開店の時間だ。女将さん、早速それ使うぞ」
「ええ、もちろん!」
調理道具は使われてこそ真価を発揮する。
「はーい! 本日のおすすめ、コカトリスの石窯焼き、おまちどー!」
「うおお、待ってましたあ!」
カラメル色に焼き上がったコカトリスの身がテーブルに載せられる。
「うまーい!」
「ジューシー!」
「香ばしい!」
早速石窯の効果が出ているようで、評判も上々だ。
皮はパリッと焼き上がっているのに、中の肉はしっとりとしている。提供される部位ごとにもしっとり度合いが微妙に違うようで、各テーブルでは部位の交換が行われていた。
「あああ~……こんなに美味しいお肉を聖夜に食べられるなんて、最っ高……!」
「なあなあ女将さん! これ他の魔物肉でもチャレンジしてみたらどう!?」
客の一人の言葉に、ディアナも笑う。
「それ、考えていたところなの。しばらくはいろんな魔物の石窯焼きを提供できると思うわ」
「「「やったー!」」」
常連客たちが子どものようにはしゃぐ。
「しっかし、大工の旦那もよく隠してくれたよな! 全然気づかなかったぜ!」
「当たり前だ。女将さんに気取られないよう毎日ちまちまレンガを積み上げていったんだ」
冒険者に絡まれた大工のドワーフが大きなジョッキを傾ける。街の修繕を請け負っている彼が、仕事の合間に石窯を作ってくれたのだ。
石窯の入り口が見える場所に陣取った彼は、忙しなく肉を出し入れされる石窯を見て目を細める。
「……ああ、いい踊りだ。サラマンダーが喜んでる」
「え、サラマンダーいんの?」
「どこどこ?」
身を乗り出した冒険者たちを、大工が手で追い払う。
「アホか、サラマンダーは人の目に見えんぞ! ドワーフの慣用句で、かまどの調子がいい時とかに『サラマンダーが躍る』とか『サラマンダーが喜ぶ』って言うんだ」
「なあんだ」
火の精霊として有名なサラマンダーが見えると思っていた冒険者たちは、肩を落として席に着く。
「でも本当にいそうじゃね?」
「な?」
「ばかたれ。サラマンダーが本当に居着くのは、早くても五十年は先だ」
「えー!」
「見たかったー!」
「残念だったな、若造ども」
大工がゲラゲラと笑って酒を呷る。ドワーフの寿命はヒューマンよりも長い。店を誰かが継いで、きちんと手入れがされていれば、もしかしたらサラマンダーと出会えるかもしれない。
ちなみに長命で有名なエルフは規格外だ。あちらは寿命の概念がほとんどない。
「はいはーい、シチュー持ってきたよ!」
フラヴィがネリーを連れてシチューを配膳する。大量の湯気を出すシチューに、また歓声が上がった。
「やった、シチューだ!」
「美味しいんだよね、これ~!」
シチューには野菜しか入っていないが、一緒にコカトリスを頼んでいる人がほとんどなので不満は出ない。
「えっ、お前なにやってんの?」
「ん? こうしたら美味いかなーって」
小さくカットしたコカトリスの肉をシチューに沈める冒険者。クリーミーな液体を纏った肉が口に運ばれる。熱くてはふはふと言いながら、冒険者は一人頷いた。
「うん、やっぱ美味い」
「……ずりぃ!!」
それを見ていた他の冒険者たちが一斉に叫んだ。
「なにそれ絶対美味いやつじゃん!」
「真似しよ、真似しよ!」
「パンに乗っけても美味いぞ!」
「ちょっ、まだやってない!」
声が弾ける。笑顔で満たされる。
聖夜の力もあるだろう。ディアナにはいつもより店が賑やかで輝いて見えた。
「いい夜ね」
「女将さん、女将さん」
ひとりごちたディアナを、常連客の一人が呼ぶ。
「なにかしら?」
「あのさ、このシチュー、いや他のスープでもいいんだけどさ。今度、これの上にパン生地をかぶせて焼いてみてほしいんだ。美味しい気がする」
常連客の言葉に、それまで騒いでいた他の客たちも沈黙する。
「……え、なに? なんかまずった?」
「…………。天才」
「え」
ディアナは常連客の手をがっしと握った。
「あなた、天才! それならパン生地を破るまでスープが冷めにくくなるわ! しかも柔らかいパンを同時に提供できる!」
「女将さん、それいつ提供できる!?」
「小麦屋さんと相談させて。でも来週中にはがんばって開発するわ!」
「「「よっしゃー!!」」」
この店でまた美味しい料理が一つ出来上がる。美味しいものはいくつあっても足りない。
「やったな、お前!」
「天才!」
「今日は奢るぞ、このやろー!」
「お前金欠だろ!?」
ジョッキを片手に馬鹿騒ぎが起こる。
ディアナたちはその間を忙しなく回り、料理を提供する。
外の寒さを吹き飛ばすくらい、店は閉店するまで暖かかった。
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