46.手土産
聖光教会の一件から、魔王はそれまで以上に店に顔を出すようになった。多い時は月に一度以上の頻度で来る。街の住人や冒険者たちも、新しい常連客と絡むのが嬉しいらしい。
ディアナはその度に苦い顔をしていたが、ちゃんとお金を支払ってくれるので無下に追い出せなかった。
「ほら、女将」
そんなある日、魔王が自然な動作で懐からなにかを取り出した。
「土産だ。受け取ってくれ」
それは、なにかを丸く包んだ布だった。一目見ただけでわかるほど上等な絹織物を差し出され、ディアナが固まる。
「あんちゃん、それすげえな」
魔王と同席で飲んでいた客が絹織物に目を奪われる。
「ああ。我が領地で作られたものだ。女将、受け取ってくれるか?」
ちなみに魔王の領地というのは、世界中に散らばるダンジョンを指す。
「…………。中身を確認してからでいい?」
「もちろん」
ディアナがテーブルの上で中身を広げる。
「……なに? これ」
ディアナが首をかしげた。
中から出てきたのは、植物やその実と思しきものだった。数種類の葉っぱに、形や色の違う粒。一際目を引くのは、赤くて細長い実のようなものだった。それぞれ十個ずつくらいはある。
「我の領地で栽培されているものだ。肉にまぶして食べると美味い。ぜひ使ってみてくれないか?」
「初めて見るわね……」
と言いながら、ディアナは黒い粒を口に放り込んだ。
「「ちょっ、女将さん!?」」
アルベルトとフラヴィが同時に叫ぶ。周りで成り行きを見守っていた客たちも息を呑んだ。初めて見るものだと言いつつ、なんの躊躇いもなく食べた。毒だったらどうするつもりか。いや毒だったらディアナの介抱と彼を叩き出すのを同時にやっているが。
「――っぐ」
ディアナの顔が歪んだ。
「げほっ、げほっ、ごほっ、かっ……!」
「女将さん!?」
咳き込むディアナに常連客たちが駆け寄る。
「女将さん大丈夫!?」
「出せ、吐き出せ!」
「水、水持ってこい!」
「おいお前さんなに食わせた!?」
他の客が魔王の胸ぐらを掴む。
「いや、我のはただの土産で……」
「毒を食べさせといてよく言うぜ!」
「土産だったらなんでも許されると思うな!?」
「げほっ、ま、待って……」
ディアナが客の肩を掴んで止めに入る。
空いた手で差し出されたコップを受け取り、一息に飲んで大きく息をついた。
「っはぁ……。びっくりしたわ。ものすごく辛かったんだけど」
「ああ。ここにあるものは、程度は違えど皆辛いぞ」
「待って。お客さんも女将さんも待って」
フラヴィが頭痛をこらえるような顔で割って入った。
「女将さん。順番、逆。まずこれがなんなのか聞いてから試しに食べるんじゃないの?」
「あ」
ディアナが「今気付きました」といった顔をした。フラヴィが彼女の腕をバシバシ叩く。
「んもー! 女将さんってば食べ物のことになるとこれなんだから! 前も市場で仕入れたちっちゃいトマト、試食とか言って食べ尽くしちゃったの忘れてないんだからね!?」
「そんなことあったのか!?」
常連客たちがドッと笑う。
「さすが女将さん!」
「店で一番食い意地が張ってるよな!」
「そんな言い方ないでしょ!?」
ディアナは吠えるが、実際そうなのだ。賄いで山盛りの肉と野菜を食べているのを見た客は、初見だとだいたい二度見する。それをまた美味しそうに食べるから、不思議と見ていて飽きない。常連客の中には、その食べっぷりを肴にしようと時間を決めて来ている者もいるのだ。
「それで、実際これはなんなんですか?」
脱線しかけた話をスタニスラフが戻す。魔王はふむと一つ頷いて、木の実を指さした。
「我が領地で採れた、辛い実だ。程度は違うが、この黒いものは少量でいいアクセントになる。こっちの赤くて細いものは特に辛かったから、一つで大量の肉に味が付けられると思う。こっちの草だが、これらは香りが高くてな。脂のしつこさを軽減してくれる爽やかなものや、臭みを消してくれるものまである。……ん? 女将、どうした?」
顔を上げた魔王が訊ねる。
ディアナは口を半開きにして彼を見ていた。
「女将さん?」
フラヴィが目の前で手を振って見せたり、軽く肩を叩いてみる。
息まで止めていたのか、ディアナがゆっくりと呼吸を始めた。三回くらい深呼吸をしてから大きく息を吸い込む。
「――庶民の店に香辛料を持ち込むんじゃないわよ馬鹿!!」
「……すぱいす?」
ディアナの絶叫にきょとんとしたのは、店にいたほぼ全員。
「女将さん、スパイスって、あのスパイスか?」
唯一反応が違ったのは、厨房にいたアルベルトだ。
「ええ、間違いないわ。私が食べちゃったアレ、黒胡椒よ」
「超高級品じゃないか! 金貨が何枚いると思っている」
「そうなのよねええええ~……」
ディアナが頭を抱えたところで、やっと周りも我に返った。
「えっ、えっ、えっ!? どういうこと!?」
「金貨って聞こえた? 幻聴?」
「安心しろ俺も聞こえた」
「なんでそんなのがここにあるんだ!?」
めいめいが騒いで手が付けられない。魔王の胸ぐらを掴んでいた客も、ぽかんとした顔で自然と手が離れた。
いまだきょとんとしている魔王が首をかしげる。
「どうした? いらないものだったのか?」
「そういう問題じゃないのよ……。ていうか、なんでこれを持ってきたの?」
「ふむ……。日頃、女将には美味い料理を作ってもらっているからな。せめてもの礼だ。我が領地ではよく生るのだが、誰も食べぬから邪魔でしょうがなかったのだ。で、そなたが教えてくれた調理法にこれを加えて焼いてみたら、いつもより美味かったのだ。その報告ついでに、そなたにも分けてあげようと思ってな」
「完全に善意だったぁ~……」
ついにディアナがしゃがみ込む。魔王がおろおろとあたりを見回す。
「な、なんだ? 調子が悪いのか?」
「いやぁ、これ、あんたのプレゼントが想像以上に高価でびっくりしすぎてるだけ」
横からフラヴィがフォローを入れた。
「あのね、世間知らずの貴族様に教えてあげるんだけど、これって海をまたいだ向こうの大陸から仕入れてくる超高級品なの。貴族の中でも王族とかしか使えないくらいたっかいの。だからどうしようって女将さん、今頭抱えてる」
「なんと」
魔王は今頃になっておたおたし始めた。
「そうとは知らずすまなかった。これらは我が責任をもって――」
「待って」
絹織物を包み直そうとする魔王の手を、ディアナがガッと掴んで止める。
「なにも、いらないとは言っていないわ」
「女将……?」
ディアナがゆっくりと顔を上げる。その目は爛々と輝いていて、頬が紅潮している。
「せっかくあなたがくれると言ってくれたものよ。たしかに驚いたわ。でも日常的に使うわけじゃない。こんなとんでもない贈り物、使わない方がどうかしているわ」
「そ、そうか。ではそなたに譲ろう。我よりも、そなたの方が有効的に使ってくれそうだ」
「もちろん。腕が鳴るわあ」
厨房から空いているかごを持ってきて、香辛料を移していく。
「女将さん、この布はいらねえの?」
「いらないわ。私はそっちよりこっちの方が嬉しいの」
「じゃあ、代わりに俺がもらっちゃっていいか?」
名乗り出たのは、近くの町を巡っている行商人だ。
「こんなに上等な織物は初めて見た。仲間にも見せてやりたいんだ」
「それを決めるのは私じゃないわ。あなたはどう?」
ディアナが魔王に話を振ると、彼は頷いた。
「うむ。我が持っていても詮無きものだ。どうか使ってやってほしい」
「ありがたい! お代と言ってはなんだが、ここの店の料理、ぜんぶ俺が奢るぞ!」
行商人の宣言に、客たちがワッと沸き立つ。
「マジで!? いいの!?」
「むしろ足りないくらいだ。じゃんじゃん頼んでくれ!」
「女将さーん、お酒追加ー!」
「はいはい」
にわかに騒がしくなる店内に背を向け、ディアナは香辛料を厨房の奥へ隠す。
「……大丈夫か?」
おもむろにアルベルトが訊ねた。
「え?」
「顔。だらしないというか、鬼気迫るというか、すごいことになっている」
「あら」
ディアナは両手で自分の頬を揉んだ。
「どう? ちょっとは良くなった?」
頬のこわばりを解いて訊ねてみる。
「……ああ、だいぶマシになった」
「そこは良くなったって言ってよね」
ディアナは軽く背中を叩き、お酒を注いでホールに戻る。
「はーい、お酒持ってきたわよ!」
「待ってました!」
いつにもましてお祭り騒ぎになる店内で、魔王は小さくため息をつく。
「ふう」
「大丈夫ですか?」
横からそう訊ねられ、魔王はそちらを見た。なんの気配もなくスタニスラフがそこに立っていることに驚く。
「顔色が優れませんが」
「……いや、そうだな」
魔王は曖昧に答える。
「あやつのあの目を、久しぶりに見た」
「目……?」
「そうだ。我に最後の一撃を入れた時と同じ目をしていた。あれは、恐ろしかった」
スタニスラフは驚いた。怖いものなんてないように見える魔王に、恐ろしいと思わせるディアナの目。さっきまで彼女の顔が見えない位置にいたからわからなかった。いったいどんな目をしていたのか。
「あやつにあんな顔をさせるほどの食材とは思わなかったな。次もまた持ってこようか」
「女将さんが『二度と持ってくるな』と言いそうなのでやめた方がいいと思います」
なにしろ金貨が複数枚必要な素材だ。庶民にとって一生に一度とお目にかかれない。そんなホイホイ持ってこられたら経済が破綻するし国に目をつけられてしまう。
「なんだ、つまらん」
魔王は鼻を鳴らした。スタニスラフは苦笑いを浮かべつつ、助け舟を出す。
「香辛料は厳しいですが、果物は歓迎ですよ。こちらではラチカの実がよく採れます」
「ほう、ラチカか。あれはたしかに美味だ」
「我々庶民の貴重な甘味です。それ以外の果物があれば、またの機会に見せてください」
「よかろう。覚えておく」
スタニスラフは小さく安堵のため息をついた。よかった。機嫌は持ち直してくれた。
「なあなあ、貴族のお兄さん」
絹織物を引き取った行商人が声をかけてきた。
「この絹、なにでできているんだい?」
「ん? 女郎蜘蛛だが」
「――ん?」
店が静まり返る。スタニスラフが恐る恐る訊ねる。
「……蜘蛛、とおっしゃいましたか?」
「そうだ。あれの糸は丈夫で光沢がある。水も弾いてくれるから重宝しているのだ」
うぎゃあ。
女性を中心に悲鳴が上がった。
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