45.事後処理だって楽じゃない
しょりしょり。しょりしょり。
「あ、あの、皮剥きぜんぶ、終わりました」
「ああ。ありがとう、コンラート」
大鍋でクズ野菜を煮込んでいるアルベルトが、軽く振り向いて答えた。山盛りになった向き野菜の隣には、鎧を脱がされた少年が所在なさそうに小さくなっている。
「疲れただろう。水差しがそこにあるから、適当に飲みながら休んでいなさい」
「はい」
ナイフを洗い桶に入れ、軽く手を洗う。小さな食器棚からカップを一つ取って、そこに水を注いで飲んだ。
鎧を着ていても暑くない季節だが、大量の野菜と格闘した後の水は格別に美味しい。
ホールの方を見ると、一足先に野菜の皮剥きから離脱したフラヴィたちがテーブルと椅子のセッティングをしていた。フラヴィとスタニスラフがテーブルを並べ、その隙間を縫うようにネリーが椅子を並べていく。
ふと、スタニスラフが立ち止まって天井を見上げた。あの時間が来る、と少年――コンラートはそっと身を乗り出す。
天井のランプに、一斉に明かりが灯った。そこまで光量は強くないのに、店内が一気に明るくなる。
開店間近を示す合図は、何度見ても飽きない光景だった。
――銀のカナリア亭に乗り込んできたコンラート、および聖光教会関係者は、迎えの馬車が来るまで店で軟禁されている。
聖光騎士三人と司祭は宿の個室に押し込み、衛兵に監視をお願いしている。衛兵たちからは
「また聖光教会か?」
と呆れられたが、夕食を奢ることで監視を引き受けてもらった。
軟禁中の食事は他の店から手配させてもらっている。魔物肉を生理的に受け付けない教会関係者を餓死させるわけにはいかない。
一方でコンラートの方は、日中アルベルトたちが監視するとともに店の準備を手伝わせていた。ディアナの提案で、司祭たちと引き離して情報を遮断させるためだ。
ついでに、なぜこうなったのか話を聞き出す。最初に乗り込んできた時と比べて明らかに気落ちしていたからだ。どことなく怯えているようにも見えたため、話の糸口としてそれを選んだ。人間、共通の話題があればそれなりに打ち解けられるものである。
下拵えをさせつつ話を聞き出せば、いきさつはこうだ。
ある日突然やってきた聖光教会の一団。彼らは村人を郊外の神殿まで連れて行くと、そこに祀られていた聖剣を抜いてみるように一人ひとりに頼んだそうだ。何人かが興味本位で触れたことはあっても、ついに抜けたことのなかった聖剣。抜いたらなにがあるんだろうと、深く考えないまま順番に試していった。
「おそらく、この時からすでに術をかけられていたのでしょうね」
閉店後の作業の時に、スタニスラフがこっそりと零した。
老若男女が試して諦める中、コンラートも楽な気持ちで聖剣に触れた。どうせ抜けないと思って勢いをつけて動かしたら、あっさり引っこ抜けて引っ繰り返った。
それから、勇者が誕生したと大騒ぎだった。司祭たちもコンラートのような幼い子どもが引っこ抜いたことに驚いたが、嬉しそうにしていた。
司祭たちからその後聞かされたのは、魔王が復活したという話。それを退治するため、聖女がいる町まで行って彼女を迎えに行かなければならない。
コンラートはその言葉に頷いた。それが正しいことだと思ったからだ。
道中で鎧を作ってもらい、それを着てこの店に乗り込んだ。
――というのが、コンラートが知っている経緯だ。
ちなみに、司祭側の言い分は一切聞いていない。法律に関して素人の自分たちがあれこれ聞いたところではぐらかされるだけだし、それはポドロフたちに丸投げするつもりでいる。どこまで教会そのものが関与しているのか知らないが、子どもに思考を濁らせる術をかけたのだ。相応の罪は課せられるはず。
酒場の仕事には出せないので、かつてネリーの定位置だった場所に椅子を持ってきて見学させていた。
「よう、坊主! 今日も元気に食ってっか?」
「は、はい」
「元気がないぞー! よし、とっときのこれ一口食わせてやる!」
「こらー、子どもに絡まないの!」
赤ら顔の冒険者をディアナが牽制する。
「ごめんね。酔っ払いたちのことは気にしないでね」
「は、はい」
コンラートがこくこくと頷く。この少年はディアナたちの監視下に置かれてから、「はい」「仕事終わりました」「わかりました」くらいしか言っていなかった。生まれ持った気質にせよ猫を被っているにせよ、保護して数日で心を開いてくれるとは誰も思っていない。
だからつかず離れず、特別扱いをしすぎない程度の距離感でディアナたちは接していた。
カランカラン、とドアベルが鳴る。
「いらっしゃ……い」
振り返ったディアナが半眼になる。
「来たぞ、女将よ。今日も美味い肉を食わせてくれ」
ドアをくぐってきたのは魔王だ。にこりと微笑んだ彼を見て、女性客から黄色い悲鳴が上がる。
「おー、あんちゃんいらっしゃい! こっち来いよ!」
「では、お言葉に甘えて」
手を振る常連客の席に魔王が着く。
余計な混乱が起こらないよう、彼については「お忍びでやってきた貴族」という設定で通している。聖光騎士を投げ飛ばした光景を目撃していたり、ディアナの隠し切れない態度から浅からぬ因縁を察知している人はいる。だが深く突っ込む人はいない。そんな命知らずは山盛りのシメリツユで黙らされるからだ。
魔王が近くにいると体調を崩すネリーは、スタニスラフと持ち場を代わることで対策を取っている。常連たちにも「ちょっと苦手」と言っておけばそれで済んだ。
本日のおすすめを注文した魔王に、そうと知らない客が喋りかける。
「あんちゃん、最近よく来るな。そんなにこの店が気に入ったのか」
「そうだな。ここに来れば美味いものが食える。それと、あちらの少年が気になってな」
ちらと魔王が厨房に視線をやれば、コンラートが怯えるように縮こまった。さすがに目の前で聖剣(レプリカ)をへし折られたのはトラウマになったらしい。
「ああ、なんか教会絡みで預かってるって言ってる子か。あの子がどうかしたんか?」
魔王は怖がらせないように軽く手を振ってから、同じテーブルの客に向き直った。
「そうだな……。うまく言えないのだが、あの子には光るものを感じるのだ」
「ほう? どんな?」
「まだはっきりとは言えない。だが、きちんとした指導を受ければ、あれは化ける」
「へー、有望株なんだな。よかったな、坊主! 貴族様の御墨付きがもらえたぞ!」
常連客が呼びかけると、コンラートは飛び上がった後にぺこぺこと頭を下げた。あれだけおどおどしている子どもがどのように成長するのか気になるが、悲しいかな酔っ払いの思考は長く続かない。
「はい、本日のおすすめ」
ディアナがいつもより雑に料理を持ってきた。
「おお、美味そうだな。今日はなんの肉だ?」
「ビーストウルフよ。……それにしても、三日と開けずに来るなんてどういう風の吹き回し?」
「ここの料理を食べたくなったからだ。それと、あそこの少年についてな」
「は?」
ディアナの目つきが鋭くなる。
「……なにかしようっていうなら御退店願うけど」
「違う、違う」
魔王は手を振り、ぱちんと指を鳴らした。
途端、周りの動きが止まった。いや、よく観察すれば、ごくゆっくりと動いている。周囲の時間を遅らせたのだとすぐに気付いた。
「手短に話そう。あの小僧、もしかしたら本当に聖剣の使い手かもしれぬぞ」
「は?」
今度は素っ頓狂な声が出た。
「馬鹿を言わないで。聖剣のふざけた逸話がいくつあると思っているの?」
「だが真実、我は本物の聖剣でこの胸を貫かれたことがある。あの清浄な波動は今も息づいているぞ」
魔王はまっすぐディアナを見つめて答える。
聖女の逸話に眉唾物が多いように、聖剣に関する話も似たり寄ったりだ。だがネリーの能力が逸話を肯定したように、聖剣の逸話もあるいは事実が多いのかもしれない。
なにより、魔王は自身が言うように当事者なのだ。嘘をつく利がない。
「それを私に教えて、どうするの」
「なにも」
飄々と魔王は言った。
「言ったろう。我はしばらく、魔物をけしかけないと。この身が不完全のまま人類と相対するほど愚かではない。少なくとも、そなたが死ぬまでは行動に移さぬ」
「……真実なのね」
「誓おう」
魔王は嘘をつかない。それは彼自身が言ったことだ。
それに、ディアナが仮に寿命を迎えるまで生きるとすれば、あと数十年はかかる。その頃にはあの少年も現役を退く頃だ。ネリーだって生きているかどうか怪しい。
次の世代に期待するなんて、希望的観測は抱けない。ディアナが立ち向かわざるを得なかったように、真なる勇者と聖女が魔王を倒すなんて、都合のいいおとぎ話だ。
「……わかったわ」
だから、ディアナはすべてを飲み込んで頷いた。
今ここで彼が暴れないというのなら、自分も手を出さない。それが店のルールだ。
「うむ」
魔王も満足そうに頷いて、もう一度指を鳴らした。
時間が元通りになる。音が帰ってくる。
「教会に目をつけられたのは可哀想だが、どうかあの才能を殺してやるなよ」
「……一言一句教会連中に伝えたくなるけど」
ディアナはため息交じりに一呼吸置いた。
「聖女関係で繋がりのある枢機卿がいるわ。彼に保護されれば、まあ安全かしら」
「期待しておるぞ」
魔王はその言葉で締めくくり、目の前のビーストウルフのステーキを口に運んだ。
「うむ。美味だ」
それからさらに三日後。
ようやく聖光教会の馬車が到着し、銀のカナリア亭で預かっていた面々を連れて行った。
司祭たちは忌々しそうにディアナたちを睨んでいたが、なにも言わずに馬車に乗る。
「あの、ありがとう、ございました」
コンラートは彼らとは別の馬車に乗る前、そう言って頭を下げた。ディアナが彼の肩を叩く。
「いいのよ。おうちに帰れるといいわね」
「はい」
三台の馬車が列になってスレンドの町を出る。
「あ~、やっといなくなったー!」
馬車が遠くなるのを見送って、フラヴィが両の拳を天に突き上げた。
「なんだかんだいって、ずっと気を遣っていましたもんね」
「監視中の食事代、ちゃんと請求したよな?」
「もちろんよ」
魔物の肉を食べない教義に従い、司祭たちの食事はよその店から出前を取って対処していた。最初はその出前の料理も疑っていたそうだが、騎士の一人を鎧と武器を没収した状態で出前に同行させることで決着した。面倒な連中である。
その食事代は一時的に銀のカナリア亭が負担し、後日ポドロフを通じて教会から支払われる仕組みだ。軟禁中にその手筈は整えている。
「ねえ」
ディアナが従業員たちを手招きし、耳打ちする。
「今日は奮発して、ハチミツとコジマソースでお肉を甘辛く炒めちゃうのはどう?」
全員の目が輝く。ハチミツは砂糖に次ぐ甘味だ。手ですっぽり隠せる大きさの瓶で銀貨五枚もする。銀のカナリア亭ではご馳走の代表だ。
「賛成!」
「よーし、張り切って作るわね」
フラヴィがテンションの高いまま店内に飛び込み、スタニスラフがそれに続く。ネリーがハチミツについてアルベルトに訊ねる横で、ディアナはお弁当の準備に取り掛かる。
いつもの日常が戻ってきた。
――一ヵ月後、ポドロフから手紙が届く。
教会の尽力により、コンラートが故郷に戻れたそうだ。
さらに、今回の騒動を起こした司祭や騎士たちは、身分の降格や資格の剥奪などの制裁が加えられた。
しかし、村人やコンラートに催眠術をかけた術者の行方はわかっていない。
注意してくれ、と添えられていた。
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