44.トラブル×トラブル
「うわわわわっ!?」
ぽいぽいぽーい、と重い鎧の騎士たちがボールのように放り投げられる。
片手で首根っこを掴まれ、持ち上げられるだけでも驚きと恐怖で固まる。その上放り投げられたとなれば、いくら訓練された聖光騎士でも受け身を取れず地面に転がった。
「あ、子どもは放り投げないでよ!」
「わかった」
ディアナの言葉に魔王が頷き返す。両手に司祭と少年を掴んでいた彼は、防壁の外で二人を地面に下ろした。
市場に集まっていた住人たちは、何事かと遠巻きに彼らを見やる。銀のカナリア亭の入り口を塞ぐように立っていたから、またネリー関係で聖法国がちょっかいをかけにきたのだろうと想像できた。
「……おい、あれって」
「……ええ、〝彼〟ですね」
ネリーを背中に庇いながら、アルベルトとスタニスラフは頷き合う。ちらとネリーの様子を窺ったが、離れているおかげかそこまで顔色は悪くない。心配そうな顔で騎士たちを見ているあたり、彼らを気遣うだけの余裕はまだあった。
「おーい、料理長、スタニ、ネリー」
小声で呼ばれて、三人はあたりを見回す。人ごみを縫ってフラヴィが顔を出した。
「やあ」
「抜け出してきたのか?」
「手伝えそうなことなかったから。あとネリー、悪いけど部屋を漁って手紙を持ってきたよ」
フラヴィがそう言って手紙とペーパーナイフを差し出す。読みたかったのだろう。ネリーはぐっと親指を立ててそれらを受け取った。
聖法国が乗り込んできたのに、ポドロフが動いていないのはおかしい。おそらくあちらの動きが早かったのだろう。急いで手紙を開けた。
「……え?」
「な、な、な、なんなんだ、お前は!」
一方、町の外に放り出された聖光騎士たちは、それでもなお元気に声を荒らげた。へっぴり腰なのであまり格好よくはなかった。
「ん? 我か?」
問われた魔王はふむと顎に手を添える。
「そうだ! どこの誰だか知らないが、我ら聖光教会に歯向かえばただでは済まないぞ!」
「ほう」
魔王が興味深そうに目を光らせた。
「ただでは済まない、か。面白い。我が居城に単身乗り込んできた冒険者の時のように、我を楽しませてくれるのか?」
「は……?」
騎士たちの動きが止まる。司祭も思考が停止して間抜けな顔になった。少年も不思議そうな顔で魔王を見上げる。
「冒険者……悪食の勇者のことか?」
「いかにも。奴との闘いは面白かったぞ。聖女の加護もないのに我と対等に渡り合い、この身を切り刻んでくれた。奴との再戦が叶うなら、また闘ってみたいものだ」
魔王は楽しそうに頬を緩ませた。
でたらめを言うな。騎士たちも司祭もそう言ってやりたかった。
悪食の勇者は誰もが知っている。魔王を倒した偉業を成しながら、魔物の肉を食べてきた重罪人。本当に勇者に斃されたと言うのなら、この男はもしかしたら魔王かもしれない。
一方で、魔王はその存在こそ周知されているが、全貌を知っているものはほとんどいなかった。すべての魔物の頂点に立つ者。魔物を操る力を持つ。それだけだ。姿かたちに関する情報は、驚くほど少ない。
だから、目の前に立つ男が魔王だと言われても信じられなかった。いや、信じたくなかった。
魔王というのは、もっと凶暴で、無慈悲で、知能もない、あらゆる魔物の特徴を備えた異形であってほしかったから。
「勇者……じゃあ、おじさんは、魔王なの?」
誰も確認できなかったことを、少年が訊ねる。その目には恐怖と好奇心が浮かんでいた。
魔王は笑って答える。
「いかにも。だが、我がこの地に来たのはあの店の料理を食すためだ。滅ぼしに来たならまた返り討ちにされる」
「…………」
少年が、立ち上がる。なにか小声でぶつぶつ言っているが、小さすぎて誰の耳にも届かない。
少年の手が、剣の柄にかかる。
「少年……?」
魔王の顔にも戸惑いの色が浮かぶ。聖光騎士たちは、腰が抜けて動けない司祭を抱えて遠くに逃げた。
「魔王……」
少年が呟く。
「魔王を、殺す……僕は、勇者だから……」
剣が抜かれる。鈍色の刃が閃く。
真っすぐ突き出される剣を前に、魔王が目を見開いた。
剣の軌道を逸らそうと、魔王が手を振り上げる。
ぺきん。
軽い音がした。
空中で銀色に光るものがくるくると舞う。
「え」
騎士たちの中から間抜けな声が上がった。遠巻きにしている住人たちも、銀色の物体の正体に目を凝らす。
真っすぐ落ちてきたそれを魔王が受け止める。
――折れた聖剣の刀身だった。
「ふむ?」
だが、少年の動きは止まらなかった。折れた剣を魔王の腹に押し込み、効かないとわかればやみくもに殴りつける。だというのに、魔王の体どころか着ている服も傷つけられていなかった。
「失礼」
聖剣の刀身を投げ捨てた魔王が、少年の手から聖剣の柄を取り上げる。
すると少年の動きがぴたりと止まった。
魔王が少年の目を覗き込む。
「…………。ああ、なるほど。特定の言葉に反応する術をかけていたのか」
どこも見ていないような少年の瞳に向け、魔王は指を鳴らす。
少年の目の焦点が戻ってきた。
「……え、……え?」
「少年よ、大事ないか」
「あ、はい……?」
少年が曖昧に返事をする。
「術が解けた……?」
「馬鹿な、高位の術者にかけてもらった強力なものだぞ」
騎士たちの囁きが魔王の耳に届く。だが少年には聞こえていなかったらしい。きょろきょろと辺りを見回して、魔王が手にしている聖剣の柄を凝視した。
「……え、あ……せい、けん……」
「ん?」
魔王が自分の持っているものを一瞥して「ああ」と頷く。
「これか? よくできた模造品だな」
「え?」
「「「は?」」」
少年だけでなく、騎士たちの方からも素っ頓狂な声が聞こえた。
「懐かしいな。我と初めて相対した者が使っていた剣にそっくりであったぞ」
魔王はそう言いながら、折れた剣を眺めている。
「え……だって、本当に大人たちも抜けなくて……」
「ほう?」
魔王が折れた聖剣をじっと見つめた。目がぼんやりと光る。
「司祭様、目を閉じてください!」
「妖しげな術の類かもしれません!」
慌てて騎士たちが司祭を庇う。少年もすぐに目を閉じた。
魔王の目をよく見れば、その瞳孔に魔法陣が浮かんでいるのを確認できる。しかしその模様は幾重にも重なっている上に小さかったから、ただ目が光っているようにしか見えなかった。
「……ああ、なるほど」
目の奥の魔法陣を消して、魔王は頷く。
「どこの誰が造ったのかは知らないが、手の込んだことをする」
「え……?」
「これにはな、特定の魔力の波長が合う者にしか抜けないよう、台座と剣に仕掛けを施していたのだよ。そなたが偶然、その波長に合致して引っこ抜いてしまったのだ。幸運なのか不運なのか。いやはや、面白いものを見せてもらったよ」
魔王が少年の肩をぽんぽん叩く。少年は呆然と彼を見上げるだけだった。
「お話は終わったかしらあ?」
そこに、ディアナが大きな声を上げながら近付いてくる。
「ああ、女将よ。この者たちの処遇はどうするのだ?」
「教会に丸投げするわ。……それにしても」
ディアナは固まっている聖光騎士たちや司祭を睨む。
「独断でここまで突っ走るなんて、むしろ褒めてやりたいくらいね」
「な、なにを……」
「ポドロフ枢機卿から、今朝がた手紙が来たのよ。聖女宛てにね」
「やはり聖女を隠していたのか!」
いきりたつ騎士たちを、ディアナはひと睨みで黙らせる。
「知らない人にホイホイ教えるわけないでしょう? で、手紙の内容だけど。聖女を擁立したい一派が、田舎の子どもを勇者に仕立て上げてこっちに来てるって内容だったのよ。気付いた時には出発していたから、こちらで足止めや拘束をお願いしたい。事と次第によっては多少の暴力にも目を瞑るって書いてあったわ」
「でたらめを言うな。ポドロフ猊下はそんなことを言わない!」
「しっかり聖光教会御用達の伝書鳥が、聖光教会の印章付きの封筒を運んできてくれたのよ」
ディアナが掲げて見せた封筒には、彼女が言うとおりの封蝋がなされていた。
「文通の内容は私も目を通しているからわかるわ。あの穏やかなおじいちゃんがこんな切羽詰まった文を寄こすなんて、よっぽどの異常事態よ」
ポドロフは中立派だ。法王にも聖女にも与せず、この世の平穏を第一に考える。聖女とのつながりを持つ数少ない人物だから、聖女派としては彼を取り込みたかっただろう。しかしポドロフはその意思を頑として曲げなかった。
聖女派は焦った。聖女がいるなら、なぜ彼女を保護しないのか。誰かに脅されているのか。
――もしもそうなら、それ以上の脅威をでっち上げてしまえばいい。魔王が復活した。勇者が降臨した。それならば、聖女も動かざるを得ない。
「聖女ネリーの身柄は、ポドロフ枢機卿の名のもとにこの『銀のカナリア亭』が預かっているわ。本当に危機的状況で、かつネリーちゃんが動くというのなら、私たちも止めないわ。逆に、彼女の意思を無視して連れ去ろうというのなら、どんな手を使ってでもそれを阻止するわ」
ディアナの低い声に、しかし聖光騎士たちは怯まない。
「……聖女様は我々の希望だ。こんなところで終わっていい御方ではない!」
「実際に彼女を見てから判断してもらいたいわね。まあ当の本人はこいつのせいで出てこれないけど」
「は?」
「こいつは正真正銘、本物の魔王よ。人間に擬態しているけど、たまに角や尻尾が出るのよね。あの子はそれ以外のオーラや気配に敏感みたいで、一定の距離から近付けないのよ。……というか、今日はやけに頑張るじゃない。一度も幻覚が解けてないわよ?」
「お前が口煩いからな。我も頑張ったのだ。肉三人前は食べさせてもらわなければ割に合わぬ」
「ちょっと、奢るのは一人分よ。追加で頼むならちゃんと支払ってよね」
「ならば前払いだな。これでどうだ?」
魔王が懐から革袋を取り出す。中を検めたディアナが、じろりと魔王を睨む。
「……どこで調達したの?」
「我の領地に乗り込んできた人間どもを追っ払ったら、落としたから拾った」
ディアナは天を仰いだ。その人間はどこの馬鹿だと突っ込みたかった。その人間たちは落とした財布のことなんて忘れているだろうし、ほいほい取りに戻れるような場所でもない。
とりあえず、中から銀貨を数枚抜いて魔王に突き返す。
「はい、とりあえず今夜の分は先に取っておいたわ。また夜になったら来てちょうだい」
「心得た」
頷いた二人は、そろって騎士たちの方を見やる。
「おや、逃げるのか?」
そぉーっと離れようとしていた一団が固まる。
「ひどいわあ。こんなちっちゃな子に責任を押し付けて逃げようとするなんて」
ディアナがさっさと距離を詰め、騎士たちの間から司祭の肩を掴む。司祭がひぃと悲鳴を上げた。
「大丈夫よ。迎えが来るまで、あなた方は丁重にオモテナシしてあげる。近くの大聖堂から人を派遣してくれるらしいから、一ヵ月もかからないわ」
各地の大きな都市にはかならず存在する大聖堂。そこは事情があって総本山へ巡礼できない信者たちの拠り所であり、裁判所の機能も備えている。そこから人が派遣されるということは、教会が自分たちの行動を重く見ている証だった。
信者を脅威から守る盾である聖光騎士と、信者の鑑であるはずの司祭が裁判にかけられる。教会への大きなイメージダウンは免れないはず。そのリスクを負ってでも、教会は聖女の安全を取った。それほどまでに大事に思われていることに、司祭は年甲斐もなく嫉妬した。
いやその前に、あの酒場でもてなされるとか、聖職者以前に人として受け付けない!
「女将よ、この少年はどうする?」
「一緒に保護するわ。このまま放り出すわけにはいかないでしょ」
「これはどうする?」
「あ」
魔王が掲げた聖剣だった物体に、ディアナは沈黙する。
「…………。一緒に提出しましょう。脆くなっていたとでも言えば、まあ信じてくれる……わよね、きっと」
「自信がないなんて珍しいな」
「あんたが飴細工みたいに折ったからでしょう!」
「お、おい……」
「ちょっと……」
きゃんきゃんと言い合いながら、ディアナは司祭を引きずっていく。脱臼しない程度の力加減にしてくれていることに彼らは気付かない。しかも歩幅を合わせてくれているので、あまり強く出られない。十分前までの威勢の良さはどこに行ったのか。
「さ、そなたも行こうか」
「えっと……」
少年はおどおどと魔王を見上げ、訊ねる。
「……こ、殺さないの?」
「なぜだ?」
「僕、剣を向けたのに……」
どうやら、術にかかっている間の記憶があるらしい。魔王は少し考えてから答えた。
「この町で誰かを傷つければ、あの女将の鉄拳が飛んでくる。あの店の食事は美味だからな。それを食べられないのは口惜しい。まあ、そなたが再び歯向かうというのなら、我とて容赦はせんがな」
魔王は朗らかに笑う。
少年は終始戸惑った表情のまま、促されて歩き出した。
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