42.監査官の仕事
今回は銀のカナリア亭は出ません。
監査官は、嫌われ役である。
アウグストは父の背中を見て、そして自分もその役目を継いでから、それを骨の髄まで実感していた。
領主の代わりに各地を見て回り、不正がなされていないか、税が今年も無事に納められるかを見て回る。
公平性と公正さを重んじる姿は、時として裁判官よりも厳しく映るものだ。
「――なるほど、麦の貯蔵量と村の人口は把握しました」
アウグストは手元の資料と目の前に積まれた麦袋を交互に見やった。
「村の畑の現状も確認したい。案内してもらえますか」
「はい」
案内役を務める村長が頷く。アウグストは資料を補佐の男に預け、村長の後を追った。
スレンドの町周辺の村は、とりたてて豊かというわけではないが貧しくもない。平時なら、自分たちが食べていくだけの量は十分に賄えている。余剰分を町に卸して金銭を得て、祝いの日などにご馳走やちょっと高価な贈り物ができるほどだ。
だが、イナゴに襲われた後の畑を見てアウグストは顔をしかめる。
「……ひどいな」
村長が無言で頷く。
畑は土が剥き出しだった。畝はある。多少の雑草も生えている。だがそれ以外には、イナゴが食べ残したと思われる細い茎が申し訳なさそうに伸びているだけだった。
他の村でも見た光景だが、何度見ても胸が痛む。
「……以前、視察に訪れた時は、ここに小麦畑があったと記憶しています」
アウグストがそう呟くと、村長は驚いたように彼を見た。
「ええ、そうです、そうです。毎年ここには麦を植えていました。……今は、ご覧の有様ですが」
「秋小麦は諦めて、翌年の春小麦に賭けましたか?」
村長がまた頷く。
「今から育てても、麦は十分に育ちません。ならば、今は耐えて、春の実りに期待を寄せています」
「そうですか」
村によって、イナゴの後に畑にまた麦を撒いたかどうかは違う。まだ時間がある、あるいは飢えを恐れて、麦を少しでも増やしたくて撒いた村もある。逆に、この村のように翌年の春小麦にすべてを賭けた村もある。
どちらが正解かではない。その判断はアウグストが首を突っ込む領域ではない。
それぞれの判断と、残っている麦の量、人口を鑑みる。その上で、今年の税となる麦の量を弾き出すのだ。
不作に喘いだ村があれば、金銭など代替案も出せる。だが今年は世界各地でイナゴが猛威を振るった。カネがあったところで、少ない麦の奪い合いに発展するだけだ。
だから領主からは、少しでも多く麦を確保しろと、口が酸っぱくなるほど言い聞かされていた。
領主が貧しい生活をしていれば、他の貴族から舐められる。領主としての威厳をある程度保ってもらわなければ、雇われているアウグストたちの生活にも響く。しかし領民からむやみに麦を奪えば領主への信用は損なわれ、反乱が起こる。
監査官は、その難しい匙加減を一手に押し付けられているのだ。胃が痛くならないはずがない。
それをおくびにも出さず、アウグストは冷静な表情で頷く。
「なるほど。他の畑を見て回っても?」
「もちろんです。こちらになります」
畑は村の各所にある。その方針も村によって様々だが、ここは一つの品種ごとに畑を分けて育てていたようだ。だが他の畑も、小麦と同様にイナゴに食べつくされていた。それでも時期がまだ間に合うものは、残っていた種を撒いて育てているらしい。あるいは、次の季節の作物をすでに植えている場所もある。
着実に前に進んでいる証拠だった。
畑で作業していた村人たちが、アウグストを見て怯えたり警戒の色を露わにする。
気にするな、という言葉が届かないのはすでに理解しているから、アウグストは無視して村長に訊ねた。
「差し支えなければ、飢えている作物の種類を聞いても?」
「はい。こちらは夏野菜のウリを植え直しています。若くても食べられますから、今のうちから世話をしています。あちらは秋に収穫予定のジャガイモですね。こちらも多少時期が前倒しになっても食べられます。あと腹持ちがいいので、麦の消費を抑えられます」
「なるほど。あちらの畑は?」
「ああ、あちらはですね――」
荷車を余裕で押していけるあぜ道で区切られた畑たち。それを興味深く聞くアウグストに村長も気を良くしていた。
監査官と積極的にかかわりたい変わり者は、基本的にいない。だから補佐の男も、護衛でもある御者も、のんびりと眠くなりそうな景色を眺めていた。
後ろから迫る陰に気付いたのは、そこから発せられた甲高い声だった。
「死ねっ、悪魔の手先!」
「え」
気付いた大人たちが振り返る。
ゴッ、と鈍い音がしてアウグストが仰け反る。
拳大の石が彼の頭に直撃した。それを投げた主は、年端も行かない少年だった。
「――監査官殿っ!!」
状況を理解した補佐と村長が叫ぶ。
それが、アウグストが気を失う前に聞いた最後の声だった。
◆ ◆ ◆
「傷、痛みますか?」
臨時の宿泊場所として提供してもらっていた村長の家に担ぎ込まれて数時間。
意識を取り戻したアウグストは、そばで看病していた補佐の男に訊ねられた。
「ああ……。痛みは、ないかな」
ぼんやりとしたまま頭に触れると、こめかみの付近にガーゼの感触を得る。おそらくここに直撃したのだろう。撫でると包帯でしっかり巻かれているのがわかった。
「腕のいい薬師がいるのかな?」
「いえ、奥様が、家の中の薬草を持ってきて提供してくださいました。よく怪我の手当てをしていたからと言っていましたよ」
「そうか。あとで礼を言っておかないと」
「ちょ、もう起きて大丈夫なんですか?」
自力で起きようとしたアウグストを、補佐が支える。
「私が起きたと知らせないと、村人も今後の判断のしようがないだろう。村長に連絡を」
「は、はい」
補佐の男は頷き、テーブルの水をちゃんと飲んでおくようにと言いつけてから部屋を出た。
水を飲んでしばらくしていると、ノック音がした。
「監査官殿、村長と例の子どもと、その両親を連れてきました」
「入れ」
子ども? と思ったが、入室を促す。
ぞろぞろと入ってきた中で、やはり一番目を引いたのが少年だった。泣いていたのか、目を真っ赤にしている。
「こんな格好で申し訳ないが、私も状況が掴めていない。村長、その子どもと両親は何者ですか」
アウグストが訊ねると、村長はすっかり恐縮して答えた。
「はい。こちらの子どもが、監査官殿に石を投げたのです。悪魔の手先だとか言って……」
「その石が、ここに当たったのか?」
「左様でございます」
アウグストは少年を見た。たしかに血も涙もない悪魔だと言われたり陰口を叩かれることはあったが、昏倒するような大きさの石を投げられたのは初めてだった。
少年はヒッと引き攣った声を上げるが、後ろに父親が立っているせいで逃げることも隠れることもできない。服の裾を掴んで目をぎゅっと瞑る姿は、断罪を控えた罪人のようにも見えた。
「……君」
アウグストは努めて優しい声を出した。
「君は、どうしたかったのかな?」
「……?」
少年がおそるおそる目を開ける。
「私は今回、運よく倒れただけだった。打ち所が悪かったら死んでいたかもしれない。もし私が死んだら、この村は領主を殺すかもしれないと思われるだろう。そうなったら、領主はこの村を自分の領地から切り離す。もしかしたら攻め滅ぼしてしまうかもしれない」
穏やかな声で語っているのは、この村の最悪の未来。たとえ今回は回避できたとしても、ちょっとでもタイミングがズレれば、いつこの未来がやってくるかわからない。
「今回は、運が良かった。そうまでして、君はなにをしたかった?」
「……っ」
少年の目から涙があふれだす。はらはらと落ちて止まらないそれを乱暴に拭いながら、少年は必死に息を吸う。
「おい、言うことがあるだろ」
後ろから少年の父親が急かす。
「監査官様に謝りなさい。ほら、早く!」
横から少年の母親も促す。
「少し黙っていてもらえますか」
それをアウグストはぴしゃりと止めた。
「泣けるということは、罪の重さを理解している証拠だと、私は考えます。私が聞きたいのは、彼がこの行動を起こした理由です。……私を殺せばなにかが変わる。そう思っていたんじゃないのかい?」
少年に向けて優しく訊ねれば、少年は目をこすりながら頷いた。
「……た」
「うん」
「た……食べ物、なくなったら、……とられたら……みんな、死んじゃう。……死んじゃうの、やだ……!」
「……そういうことか」
しゃくり上げながら出てきた言葉に、アウグストは内心で頭を抱える。
「我々が、村の食料をぜんぶ奪う悪党に見えた。だから倒さなければと思ったんだね?」
少年が何度も頷く。
「こ……っ、この、馬鹿者っ!」
父親が少年の脳天に拳骨を入れた。
「監査官殿と盗賊を一緒にするな! どこでそんな話を聞いたんだ、お前は!?」
「だって、だって! ご飯ないっていつも言ってたじゃん! これからどうしようって、監査官が来たらどうしようって!」
ついに少年が声を上げて泣き出した。
大人たちの不安をそばで聞いていたのだろう。ご飯がない。今ある食糧が尽きたら飢え死にになる。そこに監査官が来たら、きっと残りの食糧も根こそぎ奪われる。どうにかしようと一人で突っ走った結果が今回の事件だ。誰も悪くないだけに、少年だけを一方的に責めきれない。
「申し訳ありません、監査官殿」
村長が床に手をついた。
「今回のことは、我々の監督不行き届きです。いかなる処罰も受け入れます。ですからどうか、どうか……!」
床に額をこすりつけた村長に倣い、少年の一家も同じようにする。
アウグストは一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔をすると、すぐに平静を装って指示を出した。
「外套を。ここでこの村の処遇を言い渡す」
「はい」
補佐の男がすぐに外套を持ってくる。
ベッドから降り、外套を羽織り、アウグストは告げる。
「この村の今年の税は、昨年と同量の小麦だけとする」
「はっ……え?」
村長が頷きかけて、がばっと顔を上げる。
「ただし、一月遅れるごとにペナルティを課す。いいな、必ず昨年と同量の小麦を納めるように」
「は……はいっ!」
村長が再び頭を下げる。小さな小さな「ありがとうございます」は聞こえないふりをした。
「それから、君」
アウグストは少年の頭に手を置く。
「元気なのはいいが、遊びはほどほどにするように」
「……?」
「石投げの遊びは、今後はしないこと。約束できるか?」
「……うん」
きょとんとした顔で少年は頷いた。その両脇では両親がまた小さく「ありがとうございます」と言っている。
「村長、明日の朝一番で我々はここを発つ。それまで部屋をお借りするが、よろしいか?」
「はい、もちろんでございます」
「では、彼らを送ってくれ」
「はっ」
御者兼護衛の男が村長たちを立たせ、部屋から退出させた。
ドアが閉まり、足音が遠ざかったのを聞いて、アウグストはゆっくりとベッドに腰掛けた。
「ふぅー」
「お疲れ様です」
補佐の男が外套を受け取る。
「優しいんですね」
「は?」
「いえ。昨年と同量って、ここにある小麦のギリギリじゃないですか」
補佐は外套をハンガーにかけ、にやにやと笑う。
「大怪我させられたんですから、もっとふんだくってもよかったんじゃないですか?」
「そんなことをしたら村が本当に滅ぶ」
アウグストはため息交じりに言った。
「こんな大怪我をしたんだ。当然領主にも報告しなければならない。自分の部下を怪我させた地域に手心を加えられるほど、領主さまは優しくない。小麦に加えて、今植えている作物の大部分を税として持っていくだろうな」
「わーお。それでこの村、生き延びられます?」
「よそへ出稼ぎに行ったり、近隣の村へ救援を出すだろうが、なんとか生き延びるだろう。そのあたりの采配は領主さまもよくわかっている」
自分の報告書と領主の決裁を何度も読んできたからわかる。感情的にならず、かといって甘やかすこともない。彼なら自分があえて甘い判断を下した意図に気付いてくれるはずだ。
「そうですか。もう夜も遅いですし、お休みになられます?」
「いや、まだ仕事が残っている。領主さま宛に手紙を書く」
「え、なぜ?」
「この頭で仕事ができると思うか? すぐに代わりの監査官を手配するように頼むんだ」
「わかりました」
頭に拳大の石が直撃して、それでも平然と仕事ができるような人間はそうそういない。事故の内容は先ほど同様に誤魔化すとしても、しばらくの療養は免れない。
「村を出たら、ソフィア博士を回収してそのまま領主さまの元へ戻る。資料をまとめておけ」
「はい」
補佐から羊皮紙を受け取り、アウグストは手紙をしたためる。それを鳥に託した後は、食事もとらずに泥のように眠った。
◆ ◆ ◆
「か、か、か、監査官さんっ!? どうしたんですか、その怪我!」
「ソフィア博士、静かにっ!」
スレンドの町で予定より早く帰ってきたアウスグトを見て、ソフィアは素っ頓狂な声を出した。アウグストが口を塞ごうとしてももう遅い。
「車を出せ!」
「はい!」
何事かと集まってきた住人から逃げるように、馬車は慌ただしく走り出した。
町がある程度遠のいてから、アウグストは事情を話す。
「視察先の村で事故に巻き込まれたんです。こんな状態じゃ視察もできないので、今日で帰ることになったんです」
「ええー……。残念です」
ソフィアが肩を落とす。
「調査が足りませんでした?」
「足りませんよ! あの森だけで七種類もの魔物が生息しているんですよ? しかもお互いにテリトリーを守って共存し合っている! やっぱり遠くから見ているだけじゃわからないことが多すぎます!」
「ソフィア博士、危ないから座って!」
身を乗り出したソフィアを慌てて座席に押し込める。
「……日程は短くなってしまいましたが、調査は有意義なものになったみたいですね」
「はい、それはもう!」
笑顔でソフィアが頷く。
「すごいんですよ、ボアボアって他のファミリーが来ても敵対せずに一緒に過ごすんです。なんか人間の家族みたいに、『あ、こんにちはー』『今日はいい天気ですね』って会話が聞こえそうなかんじなんですよ。あとトレントも大人しかったんです。もちろん近付かないし根っこには気を付けていましたけど、すぐ近くにいても爆睡している固体がいましてね……」
急に始まった魔物の生態報告。移動中は書類に目を通すしかできないからと、アウグストは静かにその言葉に耳を傾けた。
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