41.理想と現実
昨夜のうちに固い決意をしたものの、ソフィアの本業は魔物の生態学者。
フィールドワークに出れば、どちらに比重が置かれるかなんて火を見るよりも明らかだった。
「あっ、あっ、すごい! ビッグ・ベアがマーキングしてる! すごい、やっぱり迫力あるなあ~!」
「……あの、博士。あの木、トレントですよ?」
「へえ~! 魔物にもお気に入りのトレントとかあるんでしょうかね?」
「さあ……」
ドン引きを通り越して無我の境地に達しているブライアンには目もくれない。そんなことよりスケッチだ。
ブライアンが気配遮断の魔法を使ってくれるおかげで、ソフィアの調査は順調に進んだ。いつもは安全圏からかすかに見える影を追う程度しかできないので、これほどまでに間近で見られる機会はそうそうない。
「ああ~、お金持ちだったらブライアンさんを専属で雇いたいです。調査がはかどる」
「そんなにですか?」
「はい、ものすごく助かっています。この距離だったら普通に死んでますもん」
それくらいの危機管理能力は備わっている。
背中をこすりつけてマーキングをするビッグ・ベアに対し、トレントはなにも反応してこない。怯えて擬態を続けているのか、それとも害がないとわかっていてされるがままなのか。もう少し観察する必要がある。
その傍らで、ソフィアは周辺に生える野草を摘むのも忘れなかった。
ブライアンが不思議そうにのぞき込んで訊ねる。
「……博士。なんで草を取っているんです?」
「これも立派な資料の一つですよ。この森の魔物たちがどんな草を食べるのか、木の実はどうか、避けるとしたらどんな理由があるのか。調査は尽きませんよ」
というのは半分本当。もう半分は、人間が食べられる食材を現地調達して、ダンジョンで栽培できるか調べるためだ。
本当は小麦を得られればよかったが、食糧難の今では難しい。他の野菜類も同様だ。だったら、ダンジョンで得られた植物でまずは実証するしかない。
根っこまで慎重に掘り出して、保管する体でメモに挟む。離れた場所に植えてみて、無事に育てば成功だ。
(女将さんに頼んだら、タマネギの根っことかくれたかな? 今日聞いてみよう)
目につく範囲で、食べられそうな野草を引っこ抜いておく。五種類ほどメモに挟んだら、マーキングに満足したビッグ・ベアがのそのそと移動するところだった。
そのままじっとトレントの様子を窺う。だが、一分待っても微動だにしなかった。
「あのトレントに近付いてみます」
「わかりました」
気配は遮断してくれているが、それでもさらに慎重にトレントへ近付く。
パッと見ただけでは、野生の木と変わりはない。木の表面の凹凸が人の顔っぽく見えるとか、風がないのに不自然に枝が揺れるとか、ウロの中からよだれのように細い草が垂れているとか、それくらいでしかトレントを見分ける術がない。
さすがに触ると気付かれるので、三歩ほど離れた場所で止まる。じっと目を凝らせば、木の表面にビッグ・ベアの毛が絡まっていた。回り込んで顔らしき場所を探すが、見当たらない。
「……あの、本当にこの木、トレントなんですか?」
「間違いないですよ。ほら、ここが目で、ここが口です。熟睡しているみたいですね」
ブライアンが指さした場所を見つめる。横に繋がっているように見える溝が二つ。その下に、ちょっと下向きにカーブした溝が一つ。なるほど、寝ている人の顔のように見える。
「わあ、本当だ。こんなにしっかりしたトレントの寝顔、初めてかも」
急いでスケッチに描き残す。
その後ろで護衛の男は、退屈そうに欠伸を噛み殺していた。
「女将さん、女将さん。ちょっと相談いいですか」
「あら、なにかしら?」
「もしスレンドの森で小麦や野菜等の栽培や収穫が出来たら、どう思います?」
銀のカナリア亭でソフィアがそう訊ねると、周りの空気が凍り付いた。
ソフィアは自分に集まった視線に首をかしげる。その横で、ディアナは真剣な顔をして考え込んだ。
「……難しい質問ね。そりゃあ、たしかに安定的に商品が仕入れられたら、それに越したことはないわ。現にお肉は私が現地調達しているし」
「ですよね。原理はそれと同じです。たとえ燃やされても、イナゴに襲われても、明日には甦るんです。ダメージゼロで、ずっと美味しいものが食べられます」
「そうなってしまったら、小麦や野菜を作っている農家さんはどうなるの?」
ディアナの問いに、ソフィアは答えられなかった。
「農家さんだけじゃないわ。ダンジョンの中で栽培されるってことは、そこに行って採取できるのは冒険者だけになる。冒険者は農家とは違うのよ」
「でも、女将さんだって……」
「私は特例で許可をもらっているから、あの森に入れるわ。……そもそも、どうして特例で許可が下りているか、わかっている?」
「魔物の肉を狩るため、ですよね?」
「根本的な理由は違うわ。自分で対処できる能力があるからよ」
ディアナはソフィアと正面から向き合う。
「いい? あの森は冒険者ギルドが危険度Cと認定したのよ。ギルド規定の最低ランクFでさえ危険なのに、上から三番目と四番目に危険とされているCとBの魔物がうようよしているの。ここにいる彼らだって、今日はたまたま運がよかっただけかもしれない。明日またご飯を食べに来てくれるかわからない。それほど危険と隣り合わせの場所に、わざわざ作物を作って、収穫するなんて……。リスクが高すぎるわ」
「…………。じゃあ、最低のFランク認定のダンジョンだったら、どうなんですか?」
「あなた、冒険者ギルドが出てきている時点で、素人じゃ手が出せない危険領域だって理解している? 魔物のいないダンジョンなんてないの。そして、魔物はどれだけ弱くても、人間を簡単に殺せるくらい強いの。はっきり言うわ。あなたの理想はとても羨ましい。でも、それを実現させてしまったら、飢えるよりも魔物に襲われて死ぬ人の方がずっと多くなってしまう。あなたの理想のために、ここにいる人たちを危険にさらさないで」
真っすぐな言葉だった。この町で生きて、あの森で毎日狩りをしているからこそ出る、地に足が着いた言葉。頭ごなしの否定ではない分、ソフィアの胸にずしりと響いた。
「ねえ、ソフィア」
ディアナが優しく声をかける。
「今回のこと、私たちもどうにかなるなら手を打ちたいわ。でも作物の実りには時間がかかる。限界もある。そしてダンジョンにも、生態系があるしルールがある。それはあなたも理解しているんじゃない?」
ソフィアは頷いた。調査した様々なダンジョンには、それぞれ独自の姿があった。
「なら、それに手を加えるのは人間の傲慢よ。魔物はどう足掻いたって滅びない。だったら、私たちも滅びないように足掻くしかないのよ。できる範囲でね」
「…………」
ソフィアは、頷けなかった。そこまで人生を達観できるほど、まだ経験を積んでいない。
希望が見えたと思った。助けられると思った。認められると思った。
すべて、机上の空論だった。
「なにもできないって、辛いですね」
気付けば、そんな言葉が漏れていた。
「役に立ちたいだけなのに」
「そうね。やる気が空回りした時ほど、けっこう落ち込むのよね」
「女将さんもあるんですか?」
「あるわよ、そりゃ。みんなにたくさん食べてもらいたくて、いっぱい狩ってきたら貯蔵庫に入りきらなくて料理長に怒られたとか。うっかり他の冒険者さんの獲物を横取りしちゃったこととかもあったわね」
「あー、あったあった。後ろからナタが飛んできた時は死んだかと思った」
「あれは、お前がボアボアの群れに轢かれそうになったところを女将さんに助けてもらったんだろうが!」
横で聞いていた冒険者の言葉に、同席していた別の冒険者が突っ込む。
別の冒険者が手を挙げた。
「俺も経験あるぞ! トレントを討伐していたら、そいつを挟んで女将さんと前後からぶった切ったことがあった」
「メタルポインターから逃げ回っていたら助太刀に来てくれたんだよな。後で俺の討伐対象だって知って謝られた」
「俺なんてモンディールの角で吹っ飛ばされた後、女将さんにキャッチしてもらったぞ!」
「なにそれ羨ま……しくないな」
「なんでだよっ!?」
冒険者のツッコミに酒場がドッと沸く。
それから、スレンドの森で討伐中に起こったトラブルやハプニングが次々に飛び出した。トレントの根を踏んで危うく捕まるところだったり、コカトリスと鉢合わせして焦った挙句に威嚇合戦に発展したり。
面白おかしく語られる危機一髪な出来事に、町の住人たちも驚いたり笑ったりと忙しい。
「いろいろと考えてくれてありがとう」
ざわめきの中でディアナが言う。
「私たちはなんとかやれているから。あなたは気にせず、調査を続けてね」
「……はい」
正直、納得はしていない。もっとみんなが笑顔になれる方法はあるんじゃないかと思う。
でも、ソフィアはこの町に滞在しているだけの部外者だ。その土地のことを――ダンジョンを含めて、すべて知っているわけではない。
(ご飯も美味しいのになあ。でも学会で発表したら追放されちゃうだろうなあ)
学会では魔物に対する研究はイロモノ扱いされる。ソフィアの論文をまともに読んでくれた人はいない。たまたま彼女の研究内容に、バラカルニ地方の領主が興味を持ってくれた。支援を申し出てくれたその恩を無駄にしたくない。
「ああ~。世知辛い」
ソフィアはテーブルに行儀悪く突っ伏した。
「世の中、そんなもんだって」
冒険者がゲラゲラ笑う。
「そうそう。美味いもん食って忘れろ! ってことで女将さーん、今日のおすすめもう一皿! この人に!」
「はーい、まいど~」
席を立ったディアナが厨房へ向かう。
しばらくして持ってこられたのは、モンディールの肉を使った焼肉だった。小さいパンのスライスが一枚付いているだけでもありがたい。
「……いただきます」
フォークを手に取る。モンディールの肉はすでに食べやすい大きさにスライスされている。口に入れると、あっさりと塩気のきいた肉の味が広がる。脂っけがないのでどんどん食べれそうだ。
「美味しいなあ……」
「そうでしょ、そうでしょ?」
一人で噛み締めていると、どこからか冒険者らしき女性たちがわらわらやってきた。
「ここ、魔物肉をメインで出しているけど、どれも脂がしつこくないんだよね~」
「他のお店だと気分が悪くなっちゃうんだけど、ここだとそれもないんだよね」
「わかる! あとお肌の調子が良くなったりしない?」
「それは気のせいでしょ」
「なんでよ!?」
女性たちの甲高い笑い声が響く。
そのうちの一人がソフィアを見た。
「さっきの話、面白かったよ。ダンジョンを農場にするなんて、あんたやるね」
「えーっと……どうも」
褒めているわけではなさそうだから、曖昧に頷いておく。
「でもあたしは女将さんに賛成だな。魔物が生きているからとかそういうんじゃなくて、そもそも職業が違う。あたしらは冒険者。魔物を狩る人間だ。間違っても麦を刈る側じゃないんだ」
他の冒険者も頷く。
「言いたいことは女将さんがぜんぶ言ってくれたんだけどね。受け入れられないものってあるんだよ」
「ここだけじゃなくて、他のお店も街の人たちもなんとか生きようって頑張っているからさ」
「……うん」
ソフィアは頷く。
それから気付いた。
ここの人たちは、ソフィアの考えは否定しても、ソフィア自身を否定したことがない。
女だからとか、若いからとか、平民出身だからとか、ソフィアだからとか。
そんなこと、彼ら彼女らは一言も言わなかった。
肩から力が抜ける。ずっと緊張していたのだとようやく気付いた。
「いい町だね、ここ」
「でしょー?」
ソフィアの言葉に、冒険者たちが誇らしげに胸を張った。
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