4.銀のカナリア亭の一日②
この世界には、どれほど倒しても魔物が尽きない場所がある。
それは広大な森であったり、いつできたのかわからない遺跡であったり。滝の裏にある洞窟や、最果ての荒野かもしれない。
人々はいつしか、それを〝ダンジョン〟と呼ぶようになった。
ダンジョンから無限に湧き出る魔物は、周囲を荒らし、人々を襲い、やがて地上の覇権を握ろうとする。それを防ぐため、人類は魔物討伐の専門組織を作り出した。
それが冒険者ギルド。腕に覚えのある者たちがカネと名声を得るため、今日も危険な仕事をこなしていく。
スレンドの町の西にある森は、町の左半分をぐるりと囲うように広がっている。
ダンジョン名は、町の名前をそのまま冠した〝スレンドの森〟。ドラゴンほどの危険度はないが、油断すると死ぬほど強い魔物たちが森の中を跋扈している。
その一振りで木をなぎ倒せるビッグ・ベアや、集団で突進されればひき肉になること間違いなしのボアボア。他にも幻覚や強い睡魔をもたらす胞子を持つお化けキノコや、木のふりをして侵入者を襲うトレントなど、油断も隙もない危険地帯である。
冒険者でも金属製の鎧を着けていくのが暗黙の鉄則となっている場所だ。そこにディアナは、普段着に巨大なナタという格好で分け入った。
「今日はちょっと霧が濃いのね。お化けキノコがいっぱい出そう」
薄い霧が立ち込める森の中で、ディアナは独り言ちる。迷いなく進んでいく様はピクニックに来ているかのようだ。
「あ、ラチカの実だ」
足元に群生している赤い実を見つけて、ディアナは立ち止まる。ラチカはダンジョン原産の小さな果物だ。白と黄色のコントラストが可愛い花をつけ、丸々と赤くなった実をつける。薄い皮を剥けば、四等分された白い果実が現れる。砂糖代わりの甘味料になるのはもちろん、人々のちょっとしたおやつにもなるポピュラーな果物だ。冒険者に苗木を持ち帰ってもらい、栽培している農家もいるほどである。
ディアナはしゃがんで、野生のラチカの実を三つほど取った。潰れないように、リュックの中の小さなかごにいれておく。
さらに奥へと進んでいくと、空気がじわりと変わっていく。
魔物も基本的に臆病なので、人里には滅多に下りてこない。その境界に近い場所であれば、普通の人でも護衛がいれば立ち入れた。うっかり出くわしても双方が知らないふりをすれば余計なトラブルにはならない。
だけど、ここからは違う。完全に魔物のテリトリーだ。
警戒が、敵意が、殺意が、肌に突き刺さる。
それでもディアナは、まるでそれがないかのように森の奥へと突き進む。
ディアナは一本の大きな木まで来ると、手にしていたナタのガードを外した。剥き出しになったそれの柄を握り、
「えいっ」
一閃。
「ギャオオオウウゥゥ……」
悲鳴を上げてトレントが根元から倒れた。
「いい木ね、あなた。いい薪になりそう」
ディアナは物言わぬ木になったトレントにそう語りかける。
「ギャーッ」
頭上から金属がこすれるような音がした。まっすぐに首を伸ばし、ディアナに向けて落下する金突鳥。羽をたたむことで空気抵抗を軽くし、高度から勢いをつけて相手に突き刺さる。その威力は、フル装備のプレートメイルを背中まで貫く。
それが次々に落下してくる。ざっと見ただけで二十羽はくだらない。
ディアナはそこから一歩も動かず、巨大なナタを盾にするように頭上へ持ち上げた。
最初の一羽がナタと接触する。ナタがちょっとだけ――目視でもわからないほど、本当にちょっとだけ――動いた。
ギャリン!
メタルポインターの泣き声とは違う金属音を上げながら、相手の嘴がナタの表面を滑る。二羽目、三羽目も受け流され、メタルポインターの群れは様子がおかしいと感じ始める。
しかし、一度始めた落下はそうそう止められない。下手に翼を広げれば仲間の嘴に当たって自分が怪我をするからだ。だったら、味方を犠牲にしてでも真下の人族を刺し殺す。
メタルポインターの群れが、土砂降りの雨のようにディアナに降り注いだ。激しい金属音が響き、軌道を逸らされたメタルポインターが次々に地面に突き刺さる。嘴を引き抜こうと動く前に、味方の嘴に貫かれて絶命する。
受け流され、突き刺され、貫かれ。それがどれほど続いただろうか。
きぃん、と耳鳴りの外で嘴と接触する手ごたえを感じなくなったディアナは、ようやくナタを下ろした。
あたりには、血だまりに沈むメタルポインターの群れがあった。
一羽だけ、ばさばさと翼を広げてもがく個体がいた。おそらく最後の一羽だろう。
「待ってて、今楽にしてあげる」
ディアナがナタを振って、最後の一羽の首が飛んだ。
あたりを見回せば、四十羽近いメタルポインターがいた。山と積まれたその群れの中で、ディアナは袖をまくる。
「さあて、血抜きしますか」
一羽ずつ引っこ抜いて、首を落とし、足をロープに結ぶ。それをすべてのメタルポインターに施して、手ごろな幅の木と木の間に吊るしていく。頭は持ち帰らず、スコップで掘って土に埋めた。
メタルポインターは嘴が硬い。これはシメリツユで漬けても改善しなかった。頭部はもともと脳とか目玉とか食べたくない部位が集中しているので、頭を落としたら森に埋めている。
「うーん、いい運動したわ」
メタルポインターを吊るし終えたら、ディアナは伸びをした。
「ちょうどいいからお昼にしようかな」
ナタは重いし、吊るす作業は重労働なのだ。
スコップを適当なところに突き刺して目印にし、ディアナは川を探す。森は至る所に浅い川が流れている。シメリツユの群生地の一つであり、魚型の魔物もいない。そして、そこではなぜか魔物も大人しいのだ。たまに返り血を洗っていても怒られたり襲われたことがないから、ここも不可侵領域の一つなのだろう。
川のほとりに着くと、上流でモンディールが水を飲んでいるのが見えた。ディアナは見て見ぬふりをして、いい感じにクッションになってくれそうな雑草の上に座る。
空の水筒に水をくみ、手ですくってのどを潤す。冷たい水が胃に届き、火照った体を冷ましてくれる。
リュックの中からお弁当と、ラチカの実を入れたかごを取り出す。お弁当は潰れていなかったようで、バンダナを広げるとふわふわのパンが現れた。
二つある肉入りのサンドイッチのうち、一つにかぶりつく。サンドイッチは行儀悪くがマナーだ。
バターの塩味、レタスのしゃっきりした歯ごたえ、トマトの酸味、魔物肉のうまみが口の中で一斉に広がる。
「ん~!」
ディアナは笑顔のまま足をバタバタさせた。水を飲んでいたモンディールがびっくりしたようにディアナを見て、そそくさと離れていく。
そんなことはつゆ知らず、ディアナは夢中になって食べ進める。最後の一口をよく味わって飲み込み、水筒の水を飲む。
次に手を出したのは、肉が入っていないサンドイッチだ。一口食べると、レタスの歯ごたえがより強く味わえる。そのあとにガツンと来るのが、魔物肉を煮込んだソースである。コジマソースの塩辛さとラチカの実の甘み、さらに魔物肉から出ただろう脂が絡まって、肉がないのに満足度の高い一品となっている。
「あ~、美味しいわあ。やっぱりソースを多めにして正解だったわ」
頬に手を当ててうんうん頷く。
ご飯が美味しいのはいいことだ。生きる糧になる。
水を飲みながら食べ進め、最後にまた肉入りのサンドイッチに手を伸ばす。最初は美味しさのあまり急いで食べてしまったから、ゆっくりと味わうように食べる。たまに魔物が川の水を飲みにやって来るが、あちらは食べ物に興味がないのか、ディアナのサンドイッチに見向きもしない。
木漏れ日が揺れる。川の水がささやかに流れる。魔物たちの穏やかな息遣い。
「平和だなあ」
危険な場所だと忘れそうになるくらい、穏やかな時間が流れた。
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