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女将は(推定)S級冒険者  作者: 長久保いずみ


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39.博士~監査官を添えて~

 イナゴの襲来から一ヶ月が経過しようとしていたある日。

 スレンドの町に一台の馬車が停まった。

 二頭立ての馬車の側面には、スレンドの町を含めたバラカルニ地方を治める領主の紋章が刻まれていた。

「お母さん、あれなに?」

「領主さまの馬車よ。なにか御用かしら」

 町人たちが遠巻きに馬車を眺める中、馬車の扉が開く。

「どうぞ、ソフィア博士」

「ありがとうございます」

 黒の外套を羽織った男が先に降り、あとから降りてきた女性のエスコートをする。

 男の外套を見た年配の住人たちがどよめいた。

「監査官だ」

「この間のイナゴの調査に来たのか」

「なんだ、やっとか」

「そう言ってやるな。監査官殿も大変なんだろうよ」

 聞こえよがしに交わされる言葉に、男は眉一つ動かさない。

「おじいちゃん、監査官って?」

 町娘の一人が訊ねた。

「簡単に言えば、領主さまの手先だ。お忙しい領主さまに代わって、領地内の各町村を見て回っているのさ」

「偉い人?」

「ああ。あいつの調査書一つで税が重くなる」

 その言葉に、町娘も複雑な顔をした。

「監査官も大変だね」

「ああ。税が重くならないよう、せいぜい嘆願しないとな」


(――って思ってるんだろうなー)

 監査官アウグストは一瞬だけ遠い目をした。

 領主の使いとして各地を回る自分に向けられる感情はよく知っている。

 堂々と自分に向かって言い放つ人もいれば、媚を売るふりをして遠回しに言ってくる人もいる。それらはたしかに税の増減にかかわる大切な声だが、反映されるのは微々たるものだ。

 監査官の調査報告書に目を通し、最終決定するのは領主だ。意見を丸ごと無視されることも一度や二度ではない。だがそんなことを言ったところで、現状が変わるわけではないのだ。

 せめてもの抵抗で、可能な限り事実を書く。間に挟まれる人間がいつだってしんどいのだ。

「アウグスト監査官」

 声をかけられて、アウグストは我に返った。

「魔物の肉を扱うお店ってどこでしょう?」

「……さあ」

 アウグストは素直に首をかしげた。

「町の人に聞けば、わかるかもしれません」

「そうでしたっ。じゃあ聞いてきます!」

「ちょっ、ソフィア博士!」

 アウグストが手を伸ばす前に、ソフィアは民家に向けて駆け出して行った。肩掛け鞄が大きく揺れるのもお構いなしだ。

「……止めた方がいいですか?」

 御者が降りてきてアウグストに訊ねる。

「……いや。馬を置いてきたら、彼女の護衛としてそばにいてくれ。自分は町長のところへ挨拶に行く」

「わかりました」

 御者と頷き合って、二手に分かれる。

 道中も自由人なソフィアになかなか振り回されたが、お目当てを見つけた彼女の行動力はそれを上回るものだろう。

 こっそりと御者に合掌を送っておいた。


◆   ◆    ◆


「ごめんくださ~い」

 ノックされ、ドアが控えめに開けられる。

 厨房にこもっていた面々が振り返る中、アルベルトが近付いてドアを開けた。

「どちら様?」

 そこにいたのは、二十代と思しき女性だった。栗色の髪を後ろで束ね、動きやすそうな服装をしている。重そうな肩掛け鞄はぱんぱんに膨らんでいた。

「急に訪ねてきてすみません。私、学者をしておりますソフィアと申します」

 女性はそう名乗り、深々と頭を下げた。

「銀のカナリア亭さんはこちらでよろしかったでしょうか?」

「……ええ、そうですが」

 アルベルトが眉間にしわを寄せながらも頷く。するとソフィアがぱあっと顔を輝かせた。

「ああ、よかった! あ、もしかして仕込みの時間でした? でしたら営業時間に出直し……いえ、お忙しいですよね。ご店主にお話を伺いたいんですが、今いらっしゃいますか?」

「……生憎と、出かけています。夕方まで戻りませんよ」

 そう答えれば、一転してソフィアはしゅんと肩を落とす。

「そうですか……。じゃあ、お店が開く頃にまたお邪魔させていただきます」

「お客さんとしてなら構いませんよ。学者さんのお口に合うかはわかりませんが」

 言外に「お前に出す料理はない」と言ったのだが、ソフィアは気付かなかったようだ。

「本当ですか? やったー! じゃあ夕方にまた来ますね!」

 子どものように両手を空に突き上げてぴょんぴょん跳ねる。最後にもう一度深くお辞儀をして、ソフィアは踵を返した。

 と思ったら、またこちらに引き返してきた。

「すみません、ついでにお聞きしたいのですが、スレンドの森ってどっちにありますか?」

「…………。一応聞きますが、どのような目的で訊ねてきたのですか?」

「それはもちろん、実地調査です!」

「は?」

 アルベルトの口から間の抜けた声が出た。店の中にいた三人も顔を見合わせる。

「え、今、実地調査って言った?」

「言いました。ばっちり言いました」

 戸惑うフラヴィたちの存在に気付かないまま、ソフィアは続ける。

「私、こう見えて魔物の生態調査をしているんです。色々な地方の魔物について研究していましてね、今回監査官さんの馬車に同行させてもらえたんで、こうして見て回っているんですよ!」

 ソフィアが膨らんだ鞄から大きな紙束を見せつけてくる。規則性もなにもない、メモ程度の文章がめちゃくちゃに書かれている。筆記の癖が強すぎて解読できない。

「冒険者の方々から得られる情報というのも貴重ですが、やっぱり自分の目で見て、肌で感じないと実感できないものっていうのがあるんですよ! そこで各地のダンジョンやダンジョン未満の生息域にも足を運んで――」

「それはご苦労様です。ですが森は危険なので立ち入らないよう警告されています。ですので我々も教えられません。お役に立てず申し訳ないです。仕込みがありますので失礼します」

 ソフィアの話を遮ってほぼノンブレスで言い切ってからアルベルトはドアを閉めた。念のため閂もかけて対策する。

「……料理長」

 スタニスラフがそっと声をかけてきた。手には水が入ったコップが握られている。

「お疲れ様です」

「ああ」

 アルベルトはコップを受け取り、一気にそれを呷った。

「……一応あの人、あれから知り合いっぽい人に止められています」

 聞き耳を立てたスタニスラフが言う。

「あの人、本当にスレンドの森に行くと思いますか?」

「行かない、と、思いたいが……」

 アルベルトも難しい顔で天井を仰ぐ。

「ああいうタイプがそう簡単に諦めるとも思えん」

「同感です」

「でもさ」

 そこにフラヴィが加わる。

「ダンジョンって一応冒険者ギルドの管轄でしょ? 素人がホイホイ行けるもんなの?」

 以前、薬草を求めて森に飛び込んでいったハロンのように、許可なく森へ行く者はいなくもない。だが中級以上上級未満の魔物が闊歩するダンジョンへの出入りは、まず冒険者ギルドの許可がなければ入れない。ディアナも毎月ギルドへ顔を出し、許可証の更新手続きをしているのだ。

 ソフィアのように実地調査を公言するなら、そのあたりの手続きを知らないはずがない。

「そこは許可をもぎ取るだろうな」

 アルベルトが疲れたように言った。

「加えて、もし今夜女将さんと意気投合したら、女将さんの付き添いって方面から攻めてくる可能性もある」

「「うっわ……」」

 フラヴィとスタニスラフが顔を引きつらせた。

「大丈夫……じゃないよね、うん」

「ええ。魔物に対する好奇心の点で絶対に意気投合します」

 それで最悪、ソフィアの身に危険が及べば、ディアナやこの店にも責任が生じる。

『女将さんと学者さん、会わせない方がいい?』

 ネリーの問いにアルベルトたちは頷く。

「誰かに徹底して聞き役なってもらう方がいいな」

「あ、じゃあ今剥いているイモが一番遅かった人とか」

「いいですね。ネリー、できそうですか?」

 訊ねられたネリーが頷いた。

「なら、仕込みついでにやるぞ」

 四人は再びイモの皮むきに取り掛かった。


◆   ◆    ◆


 そして、その日の夜。

「ええっ!? 女将さん、ビッグ・ベアも倒せちゃうんですか?」

「そうよ。ここの人気商品なの」

「いいなぁ~! 日替わりなのがまた憎いですよね。このメタルポインターの焼き鳥も美味しい! するする入っちゃいます!」

「嬉しいこと言ってくれるわあ。ねえねえ、他の地域だとどんな魔物がいるの?」

「えっとですね……」

((((どうしてこうなった!!))))

 ディアナ以外の従業員全員が、床に崩れ落ちて拳を叩きつけたい衝動に駆られていた。

 朝の宣言通りに店にやってきたソフィア。彼女を店の奥の席に誘導するまではよかった。スタニスラフたちがディアナを近付けまいとガードしていたが、いつの間にかソフィアの席で談笑していた。同席している彼女の護衛らしき男は、話題についていけず遠い目をしてワイン水を飲んでいる。

(しくじったぁ……。女将さん、新顔の人のところには絶対に挨拶に行くんだった)

(なんだかんだ言って、店のことを一番把握しているのは女将さんなんですよね……)

(見えなかった……。本当に一瞬、学者さんから目を離したら女将さんが隣にいた……!)

(あーあ、せっかく余計なトラブルにならないよう気を張っていたのに……)

 四者四様の嘆きは露知らず、ディアナはソフィアとの話に花を咲かせる。

「へえー、シメリツユ! それが美味しさの秘訣なんですね」

「そうよ。あれを一緒に漬け込まないと、お肉が柔らかくなってくれないのよ」

「酔い覚ましの薬にそんな効果が……! これ、学会で発表したらすごいことになりますよ!」

「そんなに?」

「ええ! 魔物を家畜化する動きは、ごく少数ですがあります。私が取材したところでも、コカトリスのタマゴやモンディールのお乳を使った特産品を作っていました」

「へえ、そうなのね」

 ディアナが相槌を打つ。周りの冒険者たちも興味をそそられるのか、ちらちらとソフィアの方を見ていた。

「そうなんです。まあ、魔物から作られたってことで、やっぱり一部の物好きな貴族様にしか売れていないみたいなんですけどね……。試食させてもらったんですけど、どれもこれも絶品で……ああもったいない!」

「いいわねえ。ねえ、魔物を家畜化させるなんて言ってたけど、彼らをどう手懐けているの?」

 ディアナが訊ねると、それまで饒舌だったソフィアは一転して固まった。

「…………。それが、ですね……」

「うん?」

 首をかしげるディアナの前で、ソフィアはしきりに周囲を見回してから声を潜めた。

「……あんまり大きな声では言えないんですけど、毒薬を使っているみたいなんです」

「え」

「毒と言っても、微量です。オバケキノコの胞子に、複数の薬草を混ぜて魔物に食べさせるんです。そうすると大人しくなるみたいですよ」

「……でもそれ、人体に影響がないとは限らないわよね?」

「ええ、まあ。それを知ったのが試食した後だったんで、しばらくは寝付けなかったりしたんですけどね……。食べた量が少なかったからなのか、とりあえず今のところは元気です」

「……そう」

 ディアナは考える。

 魔物の肉は工夫して食べられる。他の副産物も利用できるなら、その方法を知りたいと思ったし、さらなる食文化の進化に繋がる。これまでもコカトリスのタマゴや内臓など、使えるものは使ってきた。

 だけど、毒を使ってまで魔物に手を出すかと言われれば否だ。毒薬を撒いた野菜なんて誰も食べたくない。

(――ああ、そうか)

 だから、〝一部のもの好きな貴族〟が利用するのだ。毒で弱らせた魔物から採取したタマゴや乳を使った料理でもてなし、判断が危うくなったところになにかしらの取引を持ち掛ける。

 彼らにとっての魔物メシとは、政争の道具なのだ。

「話してくれてありがとうね」

 ディアナは笑ってソフィアに礼を言う。

「ねえ、ソフィアはいつごろまでここに滞在する感じ?」

「監査官さんのお仕事が終わるまでなので……。二~三週間はいる予定です」

「あら、その間のお宿は?」

「監査官さんが取ってくださったので大丈夫です。ご飯は別行動をとった時のために、お世話になっている領主さまから軍資金をいっぱいもらってきたので安心です!」

 笑顔でソフィアが鞄を叩く。中の紙束がぱしんと乾いた音を立てた。

「いいわねえ。魔物の生態調査をしているんでしょう? 森に行ったりしないの?」

「冒険者ギルドから、冒険者の護衛を条件に許可をもらいました。なので明日から早速調査に行くつもりです」

「へえ、もしかしたら会えるかもしれないわね」

「あ、だったら女将さんについていってもいいですか?」

「いいけど、私冒険者じゃないわよ?」

「誰か護衛を連れて行くので平気です!」

「ふふ、じゃあ楽しみにしているわね」

「はい!」

 和やかに会話が展開される。

 あっという間に狩りの同行の約束まで取り付けたソフィアとディアナ。唯一その会話を聞いていたスタニスラフは遠い目をした。

(しーらない。もうしーらない)

 ソフィアがこの店に来た時点で、こうなることはもはや必然だったのだ。

 空気に徹する同席の男に同情しながら、スタニスラフは注文を捌くためにキッチンへ向かった。

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