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女将は(推定)S級冒険者  作者: 長久保いずみ


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38/66

38.災厄、襲来

虫注意です!

「ん? どしたの、ネリー」

 洗濯物を取り込んでいたフラヴィに、同じ作業をしていたネリーが突然抱き着いてきた。

 ネリーが指さした先には、干してあるシーツにしがみついている緑色と枯れ葉色の昆虫。

「イナゴじゃん。珍しいね」

 と言いつつ、フラヴィはシーツをばっさばっさと広げてイナゴを空に放った。

「ほら、ネリー。もういないよ」

 シーツをネリーに見せてやれば、彼女はほっと安堵の表情を浮かべた。

(ありがとう)

「いいって。さ、早く取り込んじゃお」

 またイナゴが来てはたまらないのだろう。ネリーは頷くとさっきよりスピードを上げてシーツを取り込みにかかった。

 それに苦笑しつつ、フラヴィも作業を再開した。


◆   ◆    ◆


「そういやさ、今日ってやたら虫がいなかった?」

 夜の銀のカナリア亭で、冒険者たちがそう言った。

「え? そうだっけ?」

「いや、いたいた。あれなんだっけ? バッタ?」

「イナゴだよ。地元じゃ害虫だったからよぉっく覚えてる」

 そう答えた冒険者が苦い顔をする。

「虫じゃん。なんかあったの?」

「俺の地元、農村なんだよ。俺が生まれるずっと前だけど……、じいちゃんの代だったかな。イナゴに畑を食い荒らされたことがあるんだよ」

「は?」

「あいつ、こんなちっこかったぞ?」

「そうそう。だから俺もに話半分だったんだけど、話してるじいちゃんたちの目がマジだったからさ。たぶんそう。空が黒くなるくらいのイナゴの大群に襲われたって」

「マジ? いやいや、さすがに話を盛ってるだろ」

「俺もそう思う。でも、貯蔵していた分の麦まで食い尽されて大変だったって。一日にパンどころか麦一粒も食べれなくてひもじい思いをしたから、お前らにはそんな思いを絶対にさせないって、耳にタコができるくらい言われた」

「それは……恐ろしいな」

「まあ、一匹二匹だったら大丈夫だろ」

「ああ。俺もそう思う」

 人はそれを前触れ(フラグ)と言う。


◆   ◆    ◆


 うぉん、と音がした気がした。

「……?」

 顔をしかめたスタニスラフが、野菜の皮むきの手を止める。

「ちょっと、外見てきます」

「え、雨?」

 フラヴィが嫌そうな顔をしながら手を拭く。

 スタニスラフが裏口のドアを開ける。

 その瞬間、十を越えるイナゴが店内に入り込んだ。

「うわっ!?」

「ギャー!!」

 スタニスラフが慌ててドアを閉める。フラヴィとネリーが抱き合って悲鳴を上げる。

 その間に、開いた窓からもイナゴが次々に入ってくる。

「スタニ、フラヴィ、追い出すぞ!」

 ホウキを取り出したアルベルトがフラヴィとスタニスラフにそれを投げ渡す。

「どうやって!?」

「叩き出せ!」

 そう言いながら、手本のようにイナゴの一匹をホウキで潰す。黄色っぽい液体を出しながら絶命したそれをドアの隙間から外へ掃き出す。

「やーだー!」

 と言いながらフラヴィも容赦なくイナゴを叩き潰す。スタニスラフも窓を閉め、魔法を使って飛ばないようにしてから潰している。

 カンカンカン、とフライパンが打ち鳴らされた。

 見れば、ネリーが厨房に入ろうとしているイナゴを指さしている。

「よく知らせてくれた、ネリー!」

 すかさずアルベルトがイナゴを叩き潰す。

 すべてを店の外に追い出して、水瓶からバケツに水を入れる。

「さて、掃除するぞ」

「はい」

「はぁい」

 全員でモップを持って、イナゴの体液が染みた場所を重点的に拭く。

「この間、お客さんが言っていたんですけどね。イナゴの大群で村が飢饉に陥ったって話が合ったんですよ」

「うわあ」

「近くの村を通ってきたのだとしたら、大打撃だぞ」

「ですよね。まだ外で気配がします。……あ」

 スタニスラフが顔を上げる。

「どしたの?」

「森の方でもイナゴが猛威を振るっているみたいです。いろんな悲鳴が聞こえます」

「うーわー……」

 フラヴィがげんなりとした顔になる。ネリーもしょっぱい顔になった。

「……スタニ」

 アルベルトが口を開く。

「その村のことで、客はなにか言っていたか?」

「えっと……、その日食べるものが本当になくて困っていたと。おじいさんから聞かされていたそうなので、おそらく五十年前くらいだと思います」

「だとしたら、町や近隣の村で貯蔵していた麦や、他の野菜も食い荒らされている可能性がある。しばらくパンの提供はできないと考えるのが妥当だな」

「えー!」

 フラヴィが抗議の声を上げた。

「パン食べられなくなるの? あそこのパン好きなのに!」

 銀のカナリア亭は、他の店と同様にパン焼き用のかまどを持っていない。町のパン屋に依頼して焼いてもらったパンを卸していた。

「わがままを言うな」

 アルベルトがぴしゃりと言った。

「あちらの小麦の在庫次第では、数日と持たない。今日焼かれていたら、その分は買い取って提供する。明日以降は店の小麦の総量と相談するしかない。ちょっとパン屋まで行ってくる」

 アルベルトはエプロンを外して、イナゴに警戒しながら外に出た。

「…………ちょっと待って」

 フラヴィがハッと顔を上げる。

「うちの店、お肉は女将さんが調達してくれるけどさ。野菜とかどうなるの? あいつらが食べるのって麦だけ?」

「…………。どうなんでしょう」

 スタニスラフも首をひねる。

「スタニ、なんか聞こえない?」

「ちょっと待ってください……」

 目を閉じて集中力を高める。

 小声で精霊語を呟いて、精霊たちの助力も得る。

「…………」

「どう?」

「だいぶ町も混乱していますね。悲鳴ばっかりで詳細は掴めません」

「マジかー」

「今下拵えしている野菜は、今日中に使っちゃいましょう。それ以外は明日に持ち越せるかもしれませんし」

「オッケー」

 モップがけを終えて、野菜の下拵えに戻る。

 外ではまだ、ばしばしとイナゴがドアや壁に当たる音がしていた。


 イナゴの嵐は、日が暮れる頃には収まった。

「いや、もう、最悪」

 銀のカナリア亭にやってきた常連客たちは皆ぐったりしていた。

「あいつら、追い出しても追い出しても次々に来やがって……」

「森の方は平和だった?」

「ぶっちゃけ討伐どころじゃなかった。魔物の方も半狂乱だったけど」

「魔物を怖がらせるってすげーな、逆に」

「本当にそれ」

「はーい、コカトリスの揚げ焼きでーす」

 疲れて半ば投げやりな口調で、フラヴィがテーブルに皿を出す。

「あー、美味い……」

「疲れた体に染みるー」

 一口サイズに切られたコカトリスを、熱した油で揚げ焼きにしただけのシンプルな料理。柔らかいのに食べ応えのある身はもちろん、カリッと揚がった皮もいいアクセントになる。身が淡白だから、添えられた濃い目の野菜ソースとも合って食事が進んだ。

「なあなあ、女将さん。店としてはどう? 臨時休業はないよね?」

 冒険者の一人がディアナに訊ねる。

「そうねえ。お肉やキノコは森で調達できるからいいけど、それ以外は厳しいわね。パンの提供も少なくなったり、場合によってはなくなるかもね」

「えー」

「マジか……」

 人が生きる上で主食となるのは、肉とパンだ。そのうち片方が食べられなくなるのは死活問題である。

 季節はちょうど夏。小麦は育成の最中だ。小麦畑をイナゴの大群に襲われたら、向こう一年のパンがなくなる。

 冒険者たちは思い出す。森の中を飛び回るイナゴたちを。彼らに飛びつかれ齧られ、暴れまわるトレントの姿を。

「……大丈夫、だよな?」

「……たぶん」

 そうとしか言えなかった。


◆   ◆    ◆


 翌朝。

「おっちゃん、パンあるか!?」

 宿でチェックアウトを済ませた冒険者たちは、馴染みのパン屋に殺到した。

 来るのがわかっていた店の主は、しかし顔をしかめて首を振る。

「ないよ」

「マジで?」

「小麦、全滅?」

「なくはない。だが、贔屓にしている小麦屋の惨状次第じゃ、この量であっても一年は持たん」

 そう言って、パン屋の主は自分の後ろにある小麦の袋を指さした。そこには麻の袋がどっさり積まれている。が、薄暗い中をよく見たら、真新しい布で継ぎ当てをしてあった。

「……この量が?」

「そうだ。昨日、袋を食い破られて十袋ダメにされた」

 にわかには信じられなかった。だから冒険者たちは食い下がった。

「そんだけ量があるなら、今焼いてくれ。中身がなくてもいいから」

 だがパン屋の主は頷かなかった。

「これ一袋が、いつもなら一週間で消える。それを一ヶ月以上持たせなきゃならん。これは商業ギルドで話し合い、取り決めたものだ。新しい麦が入るまで、しばらく朝の販売はしない」

「そんな……」

 冒険者たちは肩を落としながら、それでも自分を納得させて店を離れる。

「仕方ないわ」

「うん。お店で出せるパンまで消えちゃうのは嫌」

「持ちこたえてくれよ、大将」

 激励を送ってくれる冒険者たちに、パン屋の主も顔を緩ませる。

「ちくしょー、あんだけ小麦があるのに……」

「ちょっとくらいいいじゃんか」

「けち!」

 それと同じくらい、捨て台詞を吐いて去る冒険者もいる。そちらへはなんのリアクションもしないで黙って見送る。

 露店が始まると、さらにその被害は顕著なものとなった。

「ひどいな……」

 アルベルトが顔をしかめる。

 野菜の類がまったくなかった。

「アルベルトの旦那」

「フレッドさん、畑はどうなっています?」

 責めるつもりはなく、柔らかく訊ねる。野菜農家のフレッドは首を横に振った。

「全滅だ。……実だけじゃない。葉も茎も、地面から生えているものはぜんぶ、あいつらが根こそぎ……!」

 フレッドの顔がくしゃりと歪む。そのまましゃがみ込んだ彼の肩を、アルベルトはさすってやることしかできなかった。

「銀のカナリア亭さん」

「キャシーさん」

 フラヴィが振り返ると、酪農家に就職したキャシーが立っていた。

「そっち、イナゴはどうだった?」

「牛たちに怪我はありません。ですが、飼い葉をやられました。牧草も荒地みたいになって……。まだストックはありますが、このままだと、牛のお乳にも影響が出ます」

 イナゴは植物性のものを無差別に食べるらしい。フラヴィたちも出かける前に店の外観を確認してきたが、窓やドアなど木製のもののそこかしこに齧られた跡があった。

「……大変、だよね」

 精一杯絞り出した言葉に、キャシーが頷く。

「はい。牧草の種を仕入れて、蒔き直して、食べられるようになるまで数ヶ月……。どうにか、持ちこたえてみせます」

「ごはん、ひもじくなったらいつでも来てね。女将さんが多めに狩ってくるって言ってたから」

「ありがとうございます」

 長い戦いが幕を開けた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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