36.冒険者の食糧事情
夜が明けると、冒険者たちは泊まっている宿の寝床からもぞもぞと起き出す。
「んあー……朝か」
「おはよー……」
「おい、床で伸びてるぞ」
「ほっとけ」
部屋の両側に、隙間なく詰め込まれたベッド。すし詰めで寝ていたところから一人、また一人と抜け出して身支度をする。
「ふがっ」
「おっとわりぃ」
いつの間にか床に落ちている誰かを踏むのも、よくある光景だ。
「おはよー、女将さん」
「おはよう。よく眠れた?」
「おう、ばっちり」
酒場を兼業している銀のカナリア亭のロビーでチェックアウトする。店の気遣いとして、一階の大部屋二つはそれぞれ男女別になっている。男性陣には不評だが、女性陣には大好評である。
続々とチェックアウトした彼らが次に向かうのは、冒険者ギルド――ではなく、早朝から唯一開店しているパン屋である。
「おっちゃん、肉のパン二つちょうだい!」
「こっちは三つ!」
「野菜と果物、三人まとめて五個ちょうだい!」
「はいよ」
昨日の間にかまどをフル回転させて焼いた、野菜や果物、肉類を混ぜたパンだ。しっかり焼いているので保存がきく上に、具が入っているので冷めても美味しい一品だ。何個も買っていくのは、最低でも朝食に一個、昼食でもう一個食べるからだ。
「おっちゃん、肉入りは?」
「さっき完売した」
「なにー!?」
人気なのは、肉の切り落としが入ったものだ。こちらは瞬く間に売り切れる。タッチの差で買いそびれた冒険者が地団太を踏んだ。
「残念だったな」
「ちくしょー……。おっちゃん、代わりに野菜と果物一個ずつ」
「はいよ」
パン屋の店主が布にくるんでパンを渡す。布はその日のうちにパン屋に返すと、生地の余りを焼いたプチパンをくれることがある。もちろんこれも早い者勝ちだ。
「お、当たりだ。イモが入ってる」
「こっちはラチカの実とアオサンザシだ!」
朝食にパンを頬張りながら、冒険者たちはやっとギルドに顔を出す。
ギルドのロビーがあっという間に冒険者たちでごった返す。馴染の人たちでパーティが作られ、新しい依頼が張り出される時を今か今かと待っている。
受付で作業をしていた事務員たちがおもむろに立ち上がる。手には大量の紙束。
冒険者たちの視線が注がれる中、事務員たちは手分けして巨大な掲示板に依頼書を張り出していく。それは国の補助金を得て町が定期的に出すものだったり、近隣の村や町からの依頼だったり。
ピンで最後の一枚が掲示板に張られ、がらんどうだった場所があっという間に紙で埋め尽くされる。
「――お待たせしました」
事務員が一礼して掲示板の前から離れる。
入れ違いに冒険者たちが掲示板の前に殺到した。
「取ったー!」
「あっ、てめえズリィ!」
「早い者勝ちだ!」
「トレントあったぞ!」
「ねえ、隣村で害獣駆除だって」
「よっしゃ行くぞ」
わぁわぁ言いながら依頼書を破る勢いで取っていく。受付で参加メンバーを書き込み、受領印を押してもらえれば依頼の受注は完了だ。
ちなみに、冒険者の等級がB級であれば、C級相当の依頼を取るのは構わない。だが、C級がB級相当の依頼を受けてはいけない。それは冒険者ギルドが定めた厳格なルールの一つだ。
「おや、C級の方が混ざっていますね」
「駄目か?」
「いいえ。他の方がB級であれば、等級のガイドラインを十分に満たします。お気をつけて」
「おう!」
たまに、低級の冒険者が混ざっているが、他が依頼書の求める等級であれば問題ない。
「受付さん! 俺らも!」
「はい。……む、皆さんはほとんどがC級ですね」
「ああ。でもそろそろB級への昇格がかかっているんだ。腕試しに行ってもいいだろう?」
「いけません。昇級試験は来月ですね。正式に等級が上がるまではC級の依頼をこなしてください」
「えー! そこをなんとか!」
「駄目です。貴重な戦力をみすみす失うわけにはいきません」
「ヤバかったら他の人とか助けを求めるから!」
「駄目です。最初から他人をアテにしている時点で自分の実力不足をわかっているではないですか。誰もいない場合、ただちに全滅となります。命が惜しくないのですか?」
「うぐ……っ!」
正論でことごとく撃ち落とされ、冒険者は歯噛みする。
「ほらー、だから言ったじゃん」
後ろで控えていた仲間の冒険者が言った。
「B級一人とC級四人は分が悪いって」
「じゃあお前らがさっさと昇級しろよ!」
「そのために頑張ってるじゃない。文句ばっか言ってるあんたにだけは言われたくないわ」
「なんだと……!」
相手の胸ぐらを掴みそうになった手が、横から出た大きな手に掴まれた。
「喧嘩は外でやれ。あと、女の子に手を挙げるとかみっともないぞ」
「うぐ……っ!」
冒険者は介入者を睨むが、相手は涼しい顔をして見つめ返すだけ。
「くそっ!」
冒険者は手を振り払い、書き損じの依頼書も受け取らず肩を怒らせてギルドを出て行った。
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
「C級でも油断するな。来月の試験、受かるといいな」
「はい!」
介入した別の冒険者は一つ頷くと、依頼書を一枚受付に提出した。
「――はい、受領しました。お気をつけて」
受付が受領印を押して微笑みかける。
「ああ」
彼は一つ頷いて、ギルドを出て行った。
残されたC級冒険者たちは、改めて残った依頼書を眺める。
「あ、モンディールが残ってた」
「三頭? よし、それ行こう」
「隣村だから準備しないとね」
新たに手にした依頼は、無事に受領された。
さて、依頼を受けた冒険者たちは、必要に応じて追加の装備や食糧を買い込む必要がある。
「おやっさん! この間の剣、直ってる?」
「おう、坊主か。ほら、受け取れ」
「やった! ありがとう、おやっさん!」
「すみませーん、このナイフ貰っていいですかー?」
「銀貨二枚寄越せ」
ある鍛冶屋では修繕した武器の受け渡しや武器の売買が行われ。
「干し肉ください!」
「あいよ、どれくらいいる?」
「とりあえず五食分! 五人いるんだ!」
「ひとり一食かい? まいど!」
「ワインの水割り、これにぜんぶ詰めて!」
「はいはい、水筒一個銅貨十枚よ」
「ドライフルーツ、これ一杯ください!」
「豪勢だね。はい、銀貨三枚! ついでにおまけ!」
「やった、ありがとう!」
干し肉やドライフルーツなど、保存食を取り扱う店でも冒険者たちがこぞって買い込む。たとえ近場のスレンドの森だとしても、パンだけでは物足りない。周辺の町や村まで行くとなれば、道中の食料も確保する必要があった。
身支度を終えれば、各々が魔物を狩りに向かう。
その主戦場は、西に広がるスレンドの森だ。
「そっち行ったぞ!」
「逃がすか!」
目当ての魔物を探し出し、仲間と協力して追い込む。
「あ」
「やっべ」
が、等級が混在するエリアでは、予期せぬ上位種と出会うこともある。
ボアボアを追っていたらビッグ・ベアに遭遇した、とか。
「逃げろ!!」
C級冒険者がB級の魔物に出くわしたら、逃げる一択である。まっすぐ町まで引き返すことができれば、相手は諦めて森の奥に帰っていく。
「うおおおおおっ!!」
「衛兵さーんっ!!」
それでもしつこく追ってくる個体は、町の警備に加わった一部の冒険者が討伐する。
屋根の上の見張りが矢を放ち、ビッグ・ベアの目を潰す。その隙に懐に潜り込んだ剣士二人がその心臓を貫いた。
「た、助かった……」
「命拾いしたな、お前ら」
腰が抜けた二人の冒険者を、町で見張りに当たっていた冒険者らが助け起こす。
「んじゃ、報酬一割もらっていくぜ」
「へーい……」
「ちくしょーめ……」
森の冒険者が町の警護に助けを求めた場合、その回数に応じて成功報酬から費用を引かれる。これも冒険者ギルドが町と取り決めたルールの一つだった。
「肉入りのパン買えてよかったな」
「本当だよ」
二人で昼食がてら、朝に買ったパンをやけ食いする。冷めているのでなかなか噛み切れないのだが、その分小麦や中に入っている肉の味や香りを長く楽しめる。今日は燻製肉の切れ端が入っていたようだ。ほのかに焚火のような香りがする。
それを水で薄めたワインで流し込めば、先ほどの悔しさはちょっと薄まった。
「よし、もういっちょだ」
「おう!」
空が茜色に染まる頃には、依頼を達成した冒険者たちはギルドから報酬を受け取っていた。この時間まで森にいたのは、なかなか獲物と出会えなかった不運な人か、獲物を取り逃がして再挑戦していた不運な人だ。
「今日もホックホクだぁ」
「よっしゃ、一杯やるぞ!」
仕事終わりの人が向かうのは、だいたい酒場だ。こと冒険者たちが行く先は、銀のカナリア亭とほぼ相場が決まっている。
「いらっしゃい」
「女将さん、今日も来たよー」
そんな挨拶を交わしながら彼らは好きなテーブルに向かう。
「ついでにこれ、今日の宿賃」
「はい、まいど」
ディアナに銀貨を二枚渡す。これで今日の宿は確保できた。
少し遅れて、常連の鍛冶師やパン焼き等の職人らも顔を見せた。
「ネリーちゃん、今日のおすすめってなにがある?」
水を持ってきたネリーに冒険者らが訊ねる。ネリーは首から下げているメモ帳を見せた。今日はボアボアとビッグ・ベアが揃っているようだ。
「よし、ビッグ・ベアのステーキを二人前!」
「あとお酒よろしく!」
伝票に書きつけたネリーが笑って会釈する。その後ろから、別の冒険者が声をかけた。
「お前ら、昼間ビッグ・ベアに追われた連中か?」
「おうなんだ、文句あるか?」
「いいや、勝てないからって食うか?」
「勝てないからこそ食うんだよ!」
「目指せB級!」
冒険者は熱心な信者ではないが、ジンクスを信じる者は多い。
ボアボアの群れが横切ったらいいことがある。トレントの幹が人の顔に見えたら悪いことが起こる。
そして、銀のカナリア亭で魔物メシを食えば強くなれる。
真偽のほどは定かではないし、真実がどちらだろうとどうでもいい。自分たちのモチベーションを保てるならなんでもいいのだ。
「はいはーい、ビッグ・ベアのステーキお待ちー!」
フラヴィがネリーを伴ってステーキと酒を持ってきた。皿の上でじゅわあと脂を光らせる姿は、自分たちを亡き者にしようとしたビッグ・ベアと同じとは思えない。
「待ってました!」
「んじゃ、今日も無事に依頼達成ってことで……」
「「かんぱーい!」」
ジョッキを景気よく打ち鳴らし、酒を喉に流し込む。すきっ腹にはエールが染み渡った。
同じように酒と飯が届いたあちこちのテーブルで乾杯の音頭がとられる。
賑やかな夜が始まった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
よろしければ、下の☆☆☆☆☆で評価していただけると嬉しいです。
執筆の励みになります。
よろしくお願いします。




