32.目が覚めたなら
ネリーはぱちりと目を覚ました。
ネリーにあてがわれている部屋は窓がないので、昼でもランプが必要となる。だが今は、誰の気配もない。冒険者たちの賑やかな足音がないということは、きっと今は夜中だろう。
ならば、朝が来るまでもうひと眠りしておいた方が夕方まで疲れない。これまでの経験でそうわかっているのだけれど、なんだか今日は寝付けない。
ネリーはランプに火を灯し(最近、ようやく火打石を危なげなく使えるようになった)、フロントまで出てみた。
暗い廊下はいつもより長く感じたけれど、フロントまで出ると月明かりがほのかに差し込んできていた。
ランプを置いて、いつもはディアナが使っているフロントの椅子に座ってみる。宿の帳簿はディアナの仕事だ。これは誰にも譲れないらしく、酒場でその日の売り上げをネリーたちが数える横で、一人でノートと向き合っている。
その姿がかっこよくて、ちょっと近寄りがたかった。
ネリーはフロントの机に手を置いて、右手はペンを持つ形にする。こうすることで、なんとなく宿の女将になりきった気がした。
「ネリー、どしたの?」
その時、後ろから声が聞こえてネリーは飛び上がった。椅子から転げ落ちなかったのは奇跡と言っていいだろう。
飛び出す心臓を抑えながら振り返ると、寝間着姿のフラヴィが立っていた。
「あ、ごめんね。……もしかして、眠れないかんじ?」
小声で訊ねる彼女に、ネリーは頷く。するとフラヴィは、にんまりと笑った。
「じゃあさ、ちょっと厨房に行こうよ」
悪戯を思いついたような笑顔に、しかしネリーは頷いて椅子を下りる。
普段は寝静まっている夜に厨房に行く。それはなんだか、ちょっとした冒険のように思えたのだ。
厨房には、食材泥棒対策として人払いの魔法がかけられている。だが、それは「鍵」と呼ばれる魔方陣を刻んだ符牒を持つ者であれば誰でも施錠、解除ができるのだ。
「こっちこっち」
魔法を解除して、二人は厨房に入る。
かまどの一つに火打石で火を入れ、薪を入れて火を大きくする。地下の保存庫から牛乳を取ってくると、それを小鍋に移して火にかける。
しばらく待つと、牛乳がふつふつとしてきた。火から下ろして、マグカップに均等に注ぎ入れる。
「さらにここに、ジャン」
フラヴィが果物入れのかごの中からラチカの実を取り出す。
「ラチカの実を、こうして添えるの」
マグカップの淵にラチカの実をさす。急に非日常感が増した。
「じゃ、かんぱーい」
かつん、と小さくマグカップをぶつける。
息を吹きかけて適温まで冷ましながら、一口飲む。温められてコクが増した牛乳の中に、ラチカの実のエキスがほんのり加わる。果物の甘さで牛乳のくどさがうまく中和された。
「どう?」
フラヴィに訊ねられ、ネリーは「おいしい」と唇の動きで答える。宿の従業員の中で一番読唇術がうまいのは彼女だった。次に上手なのはスタニスラフ。彼は唇の動きというより、吐き出す息の振動を耳でキャッチしているらしい。
逆にディアナとアルベルトはからっきしだ。簡単な挨拶ですら、二人にとっては難問になる。だからネリーは唇とボディーランゲージ、そして筆談の三つを使ってみんなとコミュニケーションをとっている。
「へへ。でしょー?」
フラヴィは得意そうに笑った。
「昔さ、女将さんにこれを作ってもらったことがあってね。めちゃくちゃ美味しかったんだ」
懐かしそうにフラヴィは語る。
「実はここで働き始めた頃さ、あんまり眠れなかったんだよね。それで、ホットミルクの作り方を教わってさ。でも、最初に女将さんに作ってもらったあの味には遠く及ばないんだよねえ」
ネリーは新参者だ。だからディアナがどうして魔物メシ専門の酒場を開いたのか、従業員たちがどういった経緯でここで働くようになったかは知らない。
でも。
ネリーはちょいちょいとつついてフラヴィの注意を引いた。
(おいしいよ)
唇でそう伝える。
(フラヴィが伝えてくれた味)
フラヴィが目を丸くする。それから一瞬、泣きそうな顔になって、
「嬉しいこと言ってくれるねえ」
わしゃわしゃと頭を撫で回された。
その後、ホットミルクを飲み切ってラチカの実を食べ終えたら、カップと口をゆすいで証拠を隠滅する。火はかまどの上と薪の投入口を鉄板で塞げば、じきに消えた。食料泥棒対策の魔法をかけ直すのも忘れない。
「じゃ、おやすみ」
それからランプを頼りに宿に戻って、自分たちの部屋に戻る。
ディアナたちは最後まで起きてこなかった。そのことに安堵しつつ、ネリーはベッドに潜る。
胸の奥では、まだホットミルクの温かさが残っている。かまどを暖炉の代わりにした秘密のお茶会は、ほのかに残っていた心細さを打ち消してくれた。
枕をぎゅっと抱きしめて、ネリーは目を閉じる。
その後は、朝まで目を覚まさなかった。
冒険者を見送って、宿の掃除を終えたら酒場に向かう。
「ん?」
アルベルトは、水瓶の水がわずかに減っていることに気付いた。もしや、と思ってミルクパンの中を確認すると、こちらもちょっと減っていた。
「夜中、ちょっと起き出していましたね」
後ろからスタニスラフが小声で言う。
「……スタニ、いきなり言うな。びっくりしたぞ」
「それはすみません」
まったく反省していない顔でスタニスラフは謝る。
「先にネリーちゃんが起きていました。その後をフラヴィちゃんが追うように部屋を出ていましたよ」
「……そうか」
アルベルトはミルクパンの蓋を閉じた。
「あんまり夜更かしが続くようなら、声をかけてやってくれ」
「はい」
「料理長ー、スタニー、どうしたのー?」
ホールの方からフラヴィが声をかけてくる。
「なんでもない。すぐに行く」
アルベルトが答えて、二人でホールに向かう。
フラヴィもネリーもいつも通り働いている。
ちょっと小腹がすいたとか、眠れなかったとか。そこから起こる小さな、悪事とも呼べない〝悪いこと〟。
大きな悪事でないなら、気付いていても咎めない。それはこの店のひそかなルールだ。ちょっとの非日常で息抜きができる。そしてまた日常で頑張れる。毎日が騒がしいからこそ、静かな楽しみの一つや二つはあってほしい。
ただ、あまり眠れないようだったら、原因を探るために自分たちも動く。それだけの話だ。
「水持ってきたわよー」
ディアナとネリーが水の入ったバケツを持ってきた。残飯を掃き出して害虫を駆除し、水拭きを始める。
「ふんっ、ふふ~ん♪」
フラヴィの鼻歌が流れる。モップが床板に染みた汚れをふき取っていく。
今日も快晴。いい一日になりそうだった。
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