30.元聖光騎士、魔物メシを食う
冒険者イェルクは、かつて聖光騎士団に所属していた。
敬虔な聖光教信者であると同時に、剣士としての才能もあった。将来を有望されたし、彼もその期待に応えようとした。
その才能が「人よりちょっと上手」程度だと思い知らされるのに、そう時間はかからなかった。
騎士以外にも、人を守れる方法はある。めきめきと実力をつける同期たちとの差にやさぐれかけたイェルクへ、新人教育を任されていた先輩騎士が言った。穏便に退団してもらうための方便だったとしても、彼が道を誤らなかったのはその言葉があったからだ。
イェルクは騎士団を辞めて冒険者になった。冒険者でも階級制度はあったが、こちらは実力を嫌というほど反映する分、逆に吹っ切れた。
時には一人で、時には他の冒険者と手を組み、依頼をこなす日々。一所に留まるのは性に合わないようで、ある程度馴染んできた頃に別の町に移り住む暮らしが続いた。
スレンドの町に来たのも、風の噂に興味を持ったからだった。
曰く、スレンドの町には魔物の肉を出す店がある。
本当にそうなのだとしたら、由々しき事態である。聖光教にとって魔物とは穢れそのもの。それを体に取り込むようなことをすれば、内側から腐るか魔物になってしまう。
真相を確かめるべく、イェルクは町に乗り込んで。
あっさり返り討ちに遭った。
「おのれぇ、銀のカナリア亭めえ……!」
「お客さん、それ何杯目? そろそろ会計しようか?」
「大将、こいつまだ一杯目だぜ」
「酒に弱いんだよ。一口飲んだだけで呑まれる」
「マジか。ほら、サービスしとくから」
酒場の大将からシメリツユが差し出される。暗に「酔いが酷くなる前に帰れ」と言われているが、イェルクもそう簡単に引き下がれない。
「どうにか……どうにかして、あの店を改心させなければ……」
「諦めろって。俺ら普通の冒険者が女将さんたちに敵うわけねえだろ」
「住み分けって大事だぜ、イェルク。ほら、これでも食え」
気のいい仲間が自分の小鉢を寄せてくれる。ありがたいが、とても手を付ける気にはなれなかった。
「つか、なんでそんな目の敵にしてんだよ。この間の聖光教会とのドンパチを忘れたのか?」
「待て。そんな話聞いてない」
イェルクががばっと起き上がる。「あれ? じゃああの時いなかったのか」と仲間が勝手に納得した。
「店に聖女候補の子がいたんだけどよ、枢機卿サマ相手に正面から喧嘩売ったんだよ。魔物肉のステーキを出して枢機卿の一人が激昂してな。そんで店を取り潰す、なんて言い出したら女将さんもブチ切れちゃってよ」
「正直、加勢しなくても勝てるんじゃね? とは思ったけどな」
当時の現場に居合わせた二人が説明してくれて有り難い。が、結果はイェルクと同じだった。
「聖女様も説得できなかったのか……。枢機卿猊下があしらわれるとは……」
「まあ、それくらい女将さんが強いってこった」
「説得したかったら、それこそ狩りの休憩中に突撃するしかなくね?」
仲間がけらけらと笑い、自分たちが頼んだものを口に放る。丁重にお帰り願われたイェルクを抑えつつ別の店に避難させてくれた彼らを無碍にも扱えず、イェルクは酒と悩みで頭を抱えた。
◆ ◆ ◆
銀のカナリア亭から出禁を食らったイェルクが、女将のディアナと接触できる機会は昼間の森の中だけ。しかも森は広大だから、探そうと思ってもなかなか見つからない。
ソロで依頼をこなしつつ、イェルクはひたすら森を彷徨った。途中で依頼された魔物を狩って、日暮れ前までディアナらしき人影を探す。
うろうろすること二週間。森の奥で、巨大な刃物が日光を反射するのが見えた。
ディアナが巨大なナタを獲物としていることは聞いていた。イェルクがすぐさまそちらに向けて駆け出す。
小柄な女性が、今まさに巨木に向けてナタを振り下ろそうとしていた。
「ミス・ディア――!」
イェルクがすべてを言う前に、ディアナがぐりんっ、と振り返る。表情をすべて落とした顔で睨まれたイェルクが立ちすくむ。次の瞬間にはディアナも驚愕に目を見開いた。
「伏せてっ!」
鋭い叫びに、体が勝手に反応する。地に伏せたイェルクの頭上をナタが通り過ぎた。
一拍遅れて、ナタが巨木に衝突する。
「グオオオォォォォ――……」
巨木がうめき声をあげ、音を立てて倒れた。顔を上げると、倒れた木の幹に苦悶の表情が浮かんでいる。
「と、トレント……?」
「あなた、大丈夫だった!?」
呆然とするイェルクをディアナが抱き起した。
「怪我はしてない?」
「え、あ、はい……」
丁寧に土を落とされ、怪我をしていないかまで見られる。
「よかった。急に声をかけてきたからびっくりしちゃったの。ごめんなさいね」
「いえ。こちらこそ、軽率でした」
ただ、あの反応速度にはびびった。
「それで、私になにかご用?」
ディアナに訊ねられて、イェルクはやっと本題を思い出した。
「ミス・ディアナ。単刀直入に言います。どうか魔物の料理をやめてくれませんか」
ディアナは驚いたように目を見開いた。
「……誰か、困っているのかしら」
「いえ。ただ、倫理的に危険だと申しています。聖光教にとって魔物は穢れ。それを体内に取り込めば、いずれ――」
「――魔物になってしまう」
ディアナが続きを引き継いだ。
イェルクが驚いたように彼女を見ると、ディアナは困ったように笑った。
「前に、聖光教会の偉い人を迎える時に、ちょっと調べたのよ。聖光教にとって魔物は滅ぼすべき存在で、冒険者や騎士団以外は触れてはならないタブーだって」
「そうです」
イェルクは食らいついた。
「昨日まで無事だったからと言って、今日もそうだとは限りません。ミス・ディアナ。自分はあなたや町の人たちを心配しています。だからどうか――」
ディアナが目を細める。
「……ごめんなさいね。それはできないわ」
「どうして」
「私には、これしかないのよ」
ディアナはイェルクの隣に腰を下ろした。
「あなた、聖光騎士さん?」
「……元、です」
「そう。とても熱心な信者さんなのね」
「はぐらかさないでください。あなたには料理の腕も、狩りの腕もあります。その腕があればどこかの料理人に師事することも、冒険者になることだってできるじゃないですか」
「そうかもしれないわね」
「ならどうして……」
「悪食の勇者」
ディアナが不意に呟いた。
「今、どこにいるかしらね」
「……急に、なにを言いだすんですか」
「いいえ。ただ、あなたと話していて思ったのよ。魔物を食らい魔王を倒した英雄のことを」
ディアナは背中のリュックを下ろして、中を漁る。
「その人がどうして魔物を食べようと思ったか、考えたことない?」
「…………」
「きっとね、食べるものがなかったのよ。教会の教えを破ってしまうほどに」
冒険者は……いや、きっと世の中は、イェルクが思うほど教えに忠実な信者は数えるほどしかいない。それはイェルクもわかっている。戒律にがんじがらめになっていたら息ができなくなる。だから多少の破戒は目を瞑り、お互い様だと笑い合う。
それでも、魔物を食べるという発想を持つ者はどれほどいるだろうか。ここが辺境だからと言って、こんなとんでもない破戒が許されていいのだろうか。
――なぜ、この破戒者を教会は見逃しているのか。
「……あなたは、勇者に会ったことがあるんですか?」
「一度だけね。一人で町に来て、食べ物がないか聞いて回っていたわ。でも、町は魔物の被害で作物の不足に苦しんでいてね。とてもよそ様に分け与えられるだけの余裕がなかったの」
「そんな、相手は勇者ですよ?」
「でもあの人に食べ物を渡してしまったら、その先の食糧がなくなってしまうの。勇者のために身を削れるだけのものなんて、あの町にはなかったのよ」
イェルクは絶句した。勇者が魔物を食らった話は耳にタコができるほど聞いた。しかし、その経緯を聞いたのはこれが初めてだった。
「…………。それで、勇者は、魔物を?」
「きっとね」
ディアナが頷く。
「あ、そうだ。魔王が討伐された後、もう一度会っていたわ。その時にね、魔物肉の調理の仕方を教わったのよ」
「……それで、作ったんですか!?」
「ちょうど町の冒険者が斃してくれたビーストウルフがいたからね。試してみたくなっちゃったのよ」
下拵えに時間がかかるだけで、工程はいたってシンプル。肉が柔らかくなれば、あとは他の肉と変わりなく調理できる。
「まあそのおかげで故郷を追われたりしたんだけど、美味しかったし後悔はしていないわ」
ディアナはリュックの中から、大きなバンダナに包まれたものを取り出した。
「お腹すいてない? よかったら食べる?」
「…………」
イェルクは即答できなかった。
中身はおそらく、いや絶対に魔物肉。息絶えてなおうごめく肉塊のイメージが頭を支配する。
「あ、中身は普通のサンドイッチよ。今日はコカトリスのお肉を使ったから、ちょっと肉厚に切ってあるの」
ディアナがバンダナを広げると、中には三つのサンドイッチが積まれていた。白くてプリッとしたものがコカトリスの肉だろうか。普通の鶏肉じゃないのか、と思いかけて慌てて首を振る。
「私もかれこれ十年くらいは食べているけど、体のどこかに異常が起きたってことはないわね」
サンドイッチの一つにかぶりつきながらディアナは言う。
「でも、怖いって思うのは人間の本能の一つよ。それを否定しちゃいけないわ。だからって、誰かの行動を頭ごなしに否定するのもよくないけどね」
ぐっさりと胸に刺さることを言いながら、ディアナはサンドイッチを頬張る。
「……その、ミス・ディアナ」
イェルクは恐る恐る訊ねた。
「さっきも言っていましたけど、本当に後悔はないんですか?」
「ないわ」
ディアナは即答した。
「お店を始めたから、この町に来れた。町の人や、従業員のみんなと出会えた。冒険者のみんなと出会えた。昔よりもずっと幸せよ」
「……そう、ですか」
聖光教会が殴り込みに来ても、あのナタを手に立ち向かうだろうことは他の冒険者たちからの話で想像がつく。というか、聖女候補のネリーを教会に引き渡すかどうかでその一歩手前まで発展していた。ネリーが聖法力を使っていなかったら本当に店が壊されるところだった、と安堵していたのは、きっと冒険者たちだけではない。
あの店は、ただの酒場では収まらない、大きな存在なのだ。
「あの」
イェルクは言った。
「お一つ、いただいでもいいですか」
「ええ」
ディアナは頷いて、サンドイッチを一個差し出した。
「ありがとうございます」
礼を言って受け取る。
レタスやトマトと一緒に顔を覗かせる鶏肉に、口の中が涎で溢れる。
震える両手で掴んで、一口。一噛みで意識を混濁させうる毒を持つ、凶悪なコカトリスとは思えないほどジューシーだった。
「ゆっくりお食べ」
先に食べ終わったディアナが優しくイェルクの頭を撫でる。
「誰も取ったりしないから」
イェルクは黙って頷いた。
――ああ、神聖なる光の神よ。禁を破った自分をどうか赦さないでください。穢れを取り込んだ自分はきっと地獄に落ち、二度と日の目を見ないでしょう。
でも、どうか、今だけは。
美味しいと思ったこの感情だけは、否定したくないのです。
ちょっと塩気の強いサンドイッチは、優しい味で満たされていた。
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