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3.銀のカナリア亭の一日①

 銀のカナリア亭の朝は、近所の鶏の声で始まる。

 夜が明けきる前にディアナは目を覚まし、ベッドの上で大きく伸びをする。長い蜂蜜色の髪が背中を隠した。

 カーテンを開ければ、まだ暗い街並みが見える。しかし昨晩と同じ、欠けも崩れもないその景色に満足そうに頷いた。

「うん、大丈夫だ」

 クローゼットを開けてワンピースに着替える。ブラシで軽く髪を梳いて、髪をお団子にまとめる。

 まだ寝ている冒険者たちを起こさないように気を付けながら、裏口からそっと井戸まで向かう。そこで水をくみ上げて洗顔する。春になったとはいえ、まだまだ井戸水は冷たい。

 洗顔を終えたらまた宿に戻って、エプロンをつけたら女将モードに入る。

 フロントの金庫を開けられた形跡はないか。ならず者の侵入を許していないか。酒場に食材泥棒が入っていないか。

 寝ている間に異常がなかったかを見て回り、何事もないことに安堵する。

 フロントに戻って、業務日誌に異常がないことを書き込む。日誌にこの文字が増えていくと、ディアナの口元が穏やかに緩む。

 その頃には夜が明けて、宿の各部屋から賑やかな声が聞こえてきた。

「女将さん、おはよー」

「おはよう、今日も早起きできたわね」

「よしてくれよ、ガキじゃないんだし」

 そういう冒険者の口元には照れ笑いが浮かぶ。

「おはよう、女将さん」

「おはよー」

「おはよう!」

「うるせえ静かにしろ!」

「二日酔いは黙ってろバーカ」

 あれこれ言葉を交わしながら、冒険者たちは宿を後にする。向かう先は冒険者ギルドだ。基本的にその日暮らしの彼らは、毎日新たな依頼を求めてギルドに顔を出す。

 人間はともかく、魔物は際限なく湧いてくる。定期的な駆除依頼から、突発的な大型の依頼まで、己の力量と報酬の高さを天秤にかけるのだ。

 冒険者たちをあらかた見送ると、住み込みの従業員たちが下りてくる。

「おはよう、女将さん」

「おはよー」

「おはようございます」

 料理長のアルベルト、ウェイトレスのフラヴィ、ウェイターのスタニスラフだ。

「おはよう、みんな。今日も一日よろしくね!」

 銀のカナリア亭の一日が、本格的に始まった。


 まずは客室の掃除だ。宿は雑魚寝が基本になっている。お金持ちな冒険者は二階の個室を選んだりするが、基本は一階の大部屋にできるだけ詰めてもらう。

 寝汗を吸ったシーツをぜんぶ引っぺがし、大きなタライに突っ込んで灰と一緒に洗濯する。洗濯は持ち回りだ。シーツを踏むと空気が逃げようとしてどこかが丸く膨らむ。それを潰すのが楽しい。

 他の三人はその間に窓を全部開けて換気をし、掃き掃除と拭き掃除。

「おはよう、ディアナちゃん!」

「あら、おはようございます」

 洗い物をしていたら、町の人が家々から洗濯物を持ってきた。

「まー、今日も大量ね!」

「いつものことですよ」

「おれも手伝うー!」

「わたしもー!」

「まあまあ、順番よ」

 子どもたちが大きな桶に殺到し、すぐにぎゅうぎゅうになる。

 洗い終わったシーツを全部干したら、宿の仕事は一段落だ。

 次に酒場の清掃をする。昨日もどんちゃん騒ぎをしていて、床には昨夜掃除しきれなかった食べこぼしや飲みこぼしが大量に散っていた。それらに群がる害虫もいるが、慣れたものである。さっさとホウキなどで叩き出し、食べこぼしは一ヵ所に集めて土に埋める。飲みこぼしはよく水を含ませたモップで床全体をしっかり洗い流し、乾拭き用のモップで入念に水分を抜く。ついでに窓を開け放って換気を十分にする。

「さぁて、在庫、在庫っと」

 酒場の清掃も終えると、ディアナは厨房に入っていく。その奥の床に嵌め込まれた大きな扉を開ければ、地下に掘った食糧庫に続く階段が現れた。

 明かりを手に階段を下りて、目の前に広がる棚を見つめる。棚板で仕切られた各スペースには、シメリツユと一緒に漬け込んで熟成されている魔物の肉があった。

 先日のビッグ・ベアのハンバーグは大好評だった。スタニスラフがまた意地悪をした効果だったらしく、最初に仕込んでいたハンバーグのタネがなくなった時はちょっと焦った。すぐにステーキ用の肉を潰して事なきを得たが。

 今棚で眠っている肉は、大型のモンディールだ。遠目には山が動いているように見えたことから山鹿(モンディール)と名付けられたらしい。

 通常なら五メートルもないような大きさだが、昨日狩ったのは十メートルに迫る大きさだった。たまに現れる異常個体の一種だろう。朝、森から顔を突き出した巨大モンディールを見た時はさすがにびっくりした。

 モンディールはシンプルに焼き肉が美味しい。しっかり血抜きして流水で洗った内臓(モツ)も濃い目のタレで煮込むと美味しい。

 ちなみに、狩った魔物の毛皮などは装備や装飾品を作っている店に卸している。モンディールの毛皮は丈夫で伸縮性に優れているので、冒険者だけでなく一般の人にも人気だ。角は包丁の柄にも使われているので、今度アルベルトが新しい包丁を欲しがった時に付いているといいなと思う。

 さて、そんな大型のモンディールだが、だいたい今日で消費されるだろう。毎日同じように討伐に出かけている冒険者たちの胃袋は大きいのだ。実は、毎日狩りをしているディアナの胃袋も似たようなものである。

 棚の空き具合を見て、一つ頷く。

「うん、今日は東の方を見てみようかな」

 ディアナはその日の気分で、今日の狩りの場所を決める。放っておくと異常増殖(スタンピード)の原因になりかねないが、一ヵ所に集中していたら魔物特有の生態系が崩れる。放置にしろ狩りにしろ、何事もやりすぎはよくない。

 棚から袋を一つ取り出し、階段を上がって食糧庫から出る。その足で戸棚からパンを取り出した。続いて包丁やトマト、レタス、キュウリも並べていく。

 袋の中から小ぶりな魔物肉の塊を取り出し、シメリツユと一緒に漬け込み用のタレを布巾で拭い取る。それから慣れた手つきで薄くスライスしていった。

「女将さん、なに作ってるのー?」

 後ろからフラヴィが覗き込んでくる。

「簡単なサンドイッチよ。みんなのお昼にもなるからね」

「やった!」

 フラヴィが両手を上げて喜んだ。

「ねえねえ、今日はお野菜なにを買えばいい?」

「ちょうどトマトとレタスを使っちゃうから、まずはそれを五キロずつね。それと春イモが十キロかしら。アルベルトさん、調味料は?」

「塩が足りないな。それと、卵と牛乳もだ。一緒に買いに行こう」

「じゃあスーくんは留守番だね」

「えー、僕だけ除け者?」

 悲しいなー、と眉を下げてスタニスラフがカウンターに肘をつく。

「あら、お留守番も立派な仕事よ?」

「じゃあ代わる?」

「えーどうしよっかなー?」

 フラヴィの提案にスタニスラフは首をかしげる。いつもにこにこ笑っているように見えるが、生まれ持った顔つきがそうだというだけである。

「アルベルトさん、お塩ちょうだい」

「はい」

 アルベルトのいかつい手で掴まれると、塩の瓶が可愛らしく見える。

 彼から受け取った塩をディアナが魔物肉に振りかけ、さらに余計な水分を減らして味の浸透をよくさせる。

 続いて下の棚から取り出したのは小さな樽。ふたを開けると、黒い液体からしょっぱいような甘いような、独特な香りが溢れた。

「あ、それ大好き!」

「ああ、コジマソース」

 フラヴィがディアナの背中に飛びつく。スタニスラフも身を乗り出して樽の中を覗き込んだ。

「不思議ですよね、はるか東の小島で作られたそのソース。なんでこんなに食欲をそそるんでしょう」

「これだけだとしょっぱすぎるのも不思議よね。あと意外と作り方が簡単なのも」

 春に種をまき、冬まで待って枯らした植物の豆を水につけ、煮だし、熟成させて作られるコジマソース。これも店の人気を支える隠れた立役者だ。

「女将さん、よく知ってますよね。どこで知ったんですか?」

「諸国を漫遊しているときにね。たまたま大陸に来ていた小島の人と出会ったのよ」

 懐かしいな、と言いながらディアナは景気よく鍋にコジマソースを投入する。そこに甘みを出すラチカの実をちぎって入れる。砂糖なんて高級品は庶民の店にないのだ。

「スーくん、火をお願い」

「はいはい」

 スタニスラフが突き出した指先にふっと息を吹きかける。ぬるい風が厨房の中を巡り、かまどの一つに火が付いた。

「ありがとう」

「お安い御用ですよ」

 鍋の中のラチカの実を木べらで潰しながらかき混ぜていく。鍋が温められ、ふちにぷつぷつと泡が湧いてきた。

 店の外から、カランカランと鐘の音が聞こえてきた。フラヴィと並んで鍋を見つめていたアルベルトが顔を上げる。

「市場が開いたか。フラヴィ、行くぞ」

「はーい。じゃあ女将さん、スタニ、行ってきまーす」

「いってらっしゃい」

「いってらっしゃいませ」

 アルベルトとフラヴィが裏口から出て行く。まずは重い春イモから選ぶだろう。置いてある荷車をがらがら引いていく音と、秘密基地扱いしていた子どもたちの笑い声が響く。

「今日も平和ねえ」

「ええ。楽しそうな声がたくさん聞こえます」

 鍋をかき混ぜる手は止めない。大通りでは市場が開かれている。毎日新鮮な野菜や果物を持ってきてくれる農家や商人には頭が上がらない。

 それからじっくりかき混ぜていくと、やがてソースがとろみを帯びてきた。

 そこに薄切りにした魔物肉を投入し、火を入れながらソースを絡ませていく。薄く切ったので火の通りは早い。

「スーくん、味見する?」

「します」

 スタニスラフがいそいそと厨房に入ってきた。

 味見用のフォークを二本取り出して、一切れずつ食べてみる。

「……うん、ばっちり」

「美味しいです。やっぱり女将さん、料理上手ですね」

「褒めてもおかわりはないわよ?」

「えー、残念」

 二人とも笑顔で笑い合う。

 かまどから鍋を降ろし、粗熱を取っている間に他の食材を切る。

 パンは人差し指の第一関節くらいの厚み。トマトは輪切りで、キュウリは斜めにスライスする。レタスはちぎって水にさらしておく。

 パンにはバターを塗り、水気を切ったレタス、トマト、魔物肉、またトマト、レタス、パンの順で重ねていく。それを八つ作ったら、今度はパンに直接ソースを染み込ませ、レタスとキュウリを挟んだものを四つ作った。

「よし、できた」

 ディアナは肉のあるサンドイッチを二つと肉なしのサンドイッチを一つ、大きなバンダナに包んだ。残りは同じ組み合わせで三つのお皿に盛っておく。ゴミがつかないよう、バンダナをかぶせるのも忘れない。

「じゃあこれ、お昼ごはん。みんなで食べてね」

「ありがとうございます」

 礼を言いながらスタニスラフが保存用の戸棚にしまう。

 ディアナは厨房の奥にくたりともたれかけていたリュックを開けた。中にはナイフやロープが入っている。そこにサンドイッチと革の水筒を入れる。水は現地調達だ。側面にスコップを固定してリュックを背負うと、壁に立てかけてある巨大なナタを手に取った。刃に触れて怪我をしないよう、刃の真ん中五十センチほどに持ち手がついた革製のカバーがあった。

「じゃ、ちょっと狩ってくるわね」

「いってらっしゃいませ」

 スタニスラフに見送られ、巨大なナタを手にディアナは駆け出す。

 目指すはスレンドの町の北北西。西側に広がる森の東エリアだ。

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