28.住み込み希望のお嬢様
「ただいまー」
「ごめんください」
店の裏口と入り口から、同時に声がした。
思わずアルベルトたちが交互に見やる。裏口にいたのは、狩りから帰ってきたディアナ。入り口にいたのは、見知らぬ女性だった。
成人したばかりだろうか。まだあどけないが、どこか凛とした佇まいだ。
「あら、どちら様?」
期せずして向かい合う形になったディアナが、女性に訊ねる。
「初めまして、キャシーと申します。こちらで住み込みの仕事をさせていただけないでしょうか」
女性は丁寧にお辞儀をして答えた。ディアナがふむと考える。
「ちょっとこれから忙しくなるから、手短に言うわ。ごめんなさい、人は募集していないの」
「そうですか」
「他のお店は当たってみた?」
「はい。こちらが最後です」
「そっかー」
つまり同じように玉砕し続けてきたということか。
「お仕事の宛てはあるの?」
「いえ。追い出されたので帰る家もありません」
おっと、雲行きが怪しくなってきた。ディアナたちは思ったが言わなかった。
「ちなみに今日の宿代は……?」
「これくらいで大丈夫でしょうか」
女性がポーチから取り出したのは一枚の金貨だった。駆け寄って覗き込んだディアナが固まる。
「…………。これなら最低でも一ヵ月、ここで遊んで暮らせるわよ」
「そうなのですか?」
驚いたように女性が聞き返す。ディアナは思わず天井を仰いだ。
「あー……。ネリーちゃん、いやフラヴィの方がいいかしら。この方のお相手をしてくれる?」
「はーい」
「従業員として迎えられないけど、お客としてなら迎えられるわ。今日はご飯を食べて、あったかい布団で寝てね。私はここの主人のディアナよ。よろしくね」
「改めて、キャシーと申します。ありがとうございます」
キャシーの相手をフラヴィに押しつけ……もとい任せている間に、ディアナたちは今日の獲物の下処理をする。今日はビッグ・ベアが二体狩れた。ディアナとアルベルトが毛皮を剥いで肉を切り、スタニスラフとネリーが水を張った桶に肉を敷き詰める。
「皆さん、手慣れているんですね」
「毎日やってますからねー」
セッティングしたテーブルの一つにキャシーとフラヴィは向かい合う。キャシーは魔物の解体作業に怯えることなく、興味深そうに見つめている。
「あのー……。つかぬことをお聞きしますけど、もしかしてやんごとなきお方でした?」
フラヴィはどこかおっかなびっくり、でも直球で訊ねる。
キャシーが苦笑を浮かべた。
「元、です。それに大したことはありませんよ。ちょっと大きな町にいた伯爵の娘でしたから」
やっぱり。フラヴィは内心で頷く。
言葉の端々に出る上品さ。立ち居振る舞いは昨日今日で身に付くようなものではない。そういう教育を長年受けてきて、体に染みついているのだ。
「ここって、地図で見たらどん詰まりのところにあるじゃないですか。なんでここに来たんですか?」
「実家から遠く離れたかったので。以前図書館で地図を見た際に、行くならここがいいと決めていたんです。そのための馬車代も、手切れ金がわりにもらってきました」
用意周到だ。その理由はあえて聞かない。どこの世界でも泥沼なところはあるのだとフラヴィは知っている。
「へー。やってみたい仕事とかあるんですか?」
「それが……。お恥ずかしい話ですが、知っている仕事というのがせいぜいメイドや商人程度です。ですから、なんでもいいので一から学んでみたいなと」
彼女が言う商人とは、直接屋敷に赴いて商談をする貴族相手の商売人のことだろう。毎朝市場を開いている農家や商人たちとはやっていることが違う。
しかし、キャシーの目が真剣なのはフラヴィも気付いていた。退路を自ら断っているのだから、真剣になるのもわかる。だが切羽詰まっているわけではない。自身の今置かれている状況を受け入れた上で、誠実にやっていく覚悟が見えた。
「ふぅーん」
フラヴィは頬杖をついた。
「ちなみにさ、もしうちが人手不足で女将さんが雇うってなったら、キャシーさんはやっぱりここで働きたい?」
「もちろん。頑張って仕事を覚えます」
「体力仕事だよ? 申し訳ないけど、お嬢様だとすぐバテちゃいそうな気がするな」
「う……。そこは、体を鍛えます。重いものだって運びます」
「あとさ、ここ酒場なんだよね。そんでもって常連のほとんどがイカツイ冒険者なの。酔っぱらった冒険者の相手とかできる?」
「…………が、頑張ります」
言葉に詰まりつつも、キャシーは答えた。
酒場と言えば酒の力を借りて様々な話をする場でもある。ある場所では領主への減税を嘆願する会議の場になり、ある場所では大きな祭りを計画するための場となる。
銀のカナリア亭はスタニスラフの地獄耳のせいでそういった作戦会議はできない。代わりに冒険者たちが心置きなくどんちゃん騒げる場所となった。あんまりひどいならディアナがシメリツユを口に詰めて外に放り出す。
「ま、うちは女将さんが言った通り人手は足りてるからさ」
フラヴィは笑って言った。
「女将さんの言う通り、今日は美味しいもの食べてあったかいベッドで寝るといいよ。今日もシーツ綺麗に干せたからさ」
「…………」
キャシーはキョトンとした顔で彼女を見て。
「はい」
つられるように笑った。
◆ ◆ ◆
「今日の依頼完遂を祝して――かんぱーい!」
「「「かんぱーい!」」」
日が暮れてくると、酒場の営業開始だ。依頼を終えて懐が温かい冒険者たちが酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打つ。
「うまーい!」
「女将さーん、つまみおかわり!」
「モツってもうないのー?」
「はいはーい! 持ってくるから待ってて!」
準備時間中が嘘のように騒がしい店内で、ディアナを筆頭に店員たちがせわしなく動く。アルベルトはずっとかまどの前から離れられないし、料理が次々に出来上がってはどこかのテーブルに運ばれていく。
流れるようなその動きを、キャシーはテーブルの一角で呆然と見ていた。
「驚きましたか?」
横から声をかけられ、飛び上がる。見れば、いつの間にかエルフの給仕が立っていた。
「あ、はい。……えっと」
「僕はスタニスラフと言います。気軽にスタニとお呼びください」
「では……スタニさん、いつもこうなのですか?」
「そうですね。とりわけ忙しい時間ではありますけど、おおむねこんな感じですね」
「スタニー! ちょっといいかー?」
「すみません、呼ばれてしまいました」
「いえ、お気遣いなく」
スタニスラフが一礼して、声がしたテーブルの方へ行く。なにかの注文をしたのか、一言二言交わして彼が厨房へと向かう。
冒険者は男性が多い。女性も少なくはないが、男女比で言うとどうしても男に軍配が上がる。
キャシーのテーブルの周りは、離れ小島のように誰も来なかった。周りのテーブルからちらちらと視線は来るのだが、誰もこちらに来ようとしない。
男性――とりわけ酔った人は態度が横柄になりがちだ。そして相手が異性であると、調子に乗って手を出してくる。本やメイドたちの愚痴からそういった知識は知っていた。だからキャシーも警戒していたのだが、ここの冒険者たちはまだ紳士的な方だ。騒ぐけれど、女性への対応をわきまえている。
それがありがたくもあり、居心地が悪かった。
現実逃避するように、目の前にあるシチューを食べる。賄い用のものを特別に持ってきてもらったのだ。赤ワインを使っているおかげで香りがとてもいい。
数種類の野菜と一緒に入っているのは、ビーストウルフの肉だという。魔物の中でも知能が高く、集団戦を得意とする種だ。ビーストウルフに限らないが、魔物に襲われた旅人や冒険者の犠牲は後を絶たない。
そんな恐ろしい存在をこんなに美味しい料理に変えてしまうなんて。キャシーには真似できないが、だからこそ羨ましい。
(ああいう自立した女性に憧れていたから。婚約破棄してくれてむしろありがたかったわ)
邪魔者のキャシーが消えて、今頃幸せの絶頂にいるのか。それとも彼女がいなくなったことで生じたトラブルに右往左往しているのか。ちょっと知りたくなったが、すぐに思考から追い出した。
あちらにこれ以上労力を割きたくない。それよりも新天地で働き口を探すのが先決だ。
そのためにも、今はこれを食べて力を付けよう。
こっくりした旨味のあるシチューは、長旅で疲れた体に沁み渡った。
◆ ◆ ◆
「人手? いるいる! 今牛が出産しててよ! 働き手が欲しいところだったんだ!」
翌朝、キャシーは市場に連れてこられた。町の中に働き口がなくても、その周囲にならあるかもしれなかったからだ。
予感は的中。酪農家から牛乳を買い付けるついでに話を聞けば、諸手を上げて喜んでくれた。
「お嬢さん、途中で嫌だって言っても逃がさねえから、そのつもりでな?」
「はい。よろしくお願いします」
酪農家に頭を下げたキャシーは、続いて市場に連れてきてくれたアルベルトたちにも頭を下げる。
「ありがとうございました。この御恩は忘れません」
「ん……」
「恩返しというなら、落ち着いた頃に市場に顔を出してくれればいいですよ」
言葉少なに頷いたアルベルトの隣でスタニスラフが言う。
「元気にしてくれるのが一番ですから」
「はい」
『元気でね』
「はい。みなさんも、お元気で」
まだまだ買い出しがある一行と別れて、キャシーは酪農家の牧場へ向かった。
「おじさん、あれからキャシーさんの様子はどう?」
「お? 嬢ちゃんのことか。最初は仕事に慣れなくてヒーヒー言ってたけどな。最近は俺らと同じように夜明け前に起きれるようになったぜ」
「へー、頑張ってるんだね」
アルベルトたちは市場で酪農家に出会ったら、キャシーの様子を聞くようになった。一晩の客だったが、彼らが仕事を斡旋したのでどうしても気になるのだ。
「ああ。なかなか根性があるぜ。いいところの娘さんだと牛に触るどころか近付くのも無理って人もいんのに、ブラシがけや掃除を率先してくれるんだからな」
「わかるんですか? 彼女が貴族の出だって」
アルベルトが驚いて訊ねる。すると酪農家はガハハと口をあけて笑った。
「あんなオーラ出してたらすぐにわかるって! 詳しくは聞いちゃいねえが、ま、苦労はしたんだろうな。家内たちがあれこれ世話焼いてるよ」
「そうですか」
「じゃあ大丈夫かな」
アルベルトが神妙に頷く横で、フラヴィが明るく言った。
「おじさん、暇になったらキャシーさん連れてきてよ。話聞きたいからさ」
「おう」
今日使う牛乳を酪農家から買って、一行は次の露店に行く。
彼らがキャシーと再会するのは一年後。
貴族から酪農家の娘へと雰囲気が変わった彼女に驚愕するのは、また別の話。
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