2.酒場『銀のカナリア亭』
『銀のカナリア亭』は、冒険者ギルドからほど近い場所に立つ酒場兼宿屋だ。日が傾く前から一仕事を終えた冒険者たちや町の住人らがやって来て、名物の魔物メシに舌鼓を打つ。
「女将さん、聞いてよお~! こいつら、俺とジョシュアを置いてビッグ・ベアから逃げたんですよお~!?」
顔を真っ赤にしたヨハンが、木のジョッキを叩きつけるようにテーブルに置いて管を巻いた。かれこれ三回目の話である。
「まあまあ、大変だったわねえ」
「でしょ~!?」
「女将さーん、つまみのおかわりあるー?」
「はーい!」
タイミングよく飛び込んできた別のテーブルの声の方へ、ディアナは流れるように駆けていく。絡む相手がいなくなったヨハンは泣き上戸になってテーブルに突っ伏した。
「……本当に盛況なんだな、銀のカナリア亭」
ジョッキの代わりに水のカップを差し出してやりながら、ジョシュアは店内を見回して言う。
「まあな。冒険者のたまり場と言えばここよ」
「今日はすまんかった、奢るから遠慮せず頼めよ」
「って、それ今日の報酬から出るんだろ?」
「バレたか」
「バレいでか!」
ワハハハハ、と笑い声が店内の雑音に消えていく。
あの後、合流した五人でなんとかボアボアの一家を仕留められた。ギルドで報酬を受け取ったら、打ち上げ場所は当然のように『銀のカナリア亭』に決定した。
「って言っても、俺なにがいいのかまったくわかんないけど?」
ジョシュアが言った。なにしろこの町に来てまだ一日ちょっとだ。ここの名物が魔物メシだと聞いたのもついさっきだったのだ。
「そもそも、魔物メシって美味いの?」
「「「「美味い」」」」
酔っていたヨハンも含めて全員が即答した。
「でも他の店はダメだ! 魔物肉の扱い方がなってない!」
「つーかスキルがないんだよ。あとやっぱ女将さんが狩ってきてるのが大きい」
「だよな。女将さんが狩ってきて、料理長が捌いて店に出す。あの二人がいなかったら魔物メシの美味さを知らずに死んでた!」
「おうよ!」
「そ、そうか」
口々に絶賛され、若干引きながら頷く。
「じゃあ、おすすめとかあるか?」
「おーい、フラヴィちゃーん!」
仲間の一人がウェイトレスを呼んだ。呼ばれたのは黒いボブカットの少女だ。あと数年すれば大人の仲間入りをするだろう。お盆を手に軽快な足取りでテーブルまでやってきた。
「はいはーい?」
「今日ってなにがおすすめ?」
「今日はコカトリスがありますよ。半身揚げはあと五人分残ってます」
「よしきた、それぜんぶちょうだい!」
「はーい、まいどー♪」
伝票に素早く書き込んで、フラヴィと呼ばれたウェイトレスが厨房に引っ込む。たまに見える大きな体が料理長だろうか。刈り上げた赤髪が印象的だ。
「……あれ? じゃあ昼間見たビッグ・ベアは?」
「そりゃ明日以降だろ」
「なんでだ?」
「えーっと、たしか……」
「お肉が硬すぎるんですよ」
「うおっ!?」
真後ろから聞こえてきた声に、ジョシュアは飛び上がった。
振り向いたら、水色の髪を後ろに流したエルフが笑顔で立っていた。ウェイターの服を着ているから、ここの従業員だろうか。
「ああ、失礼。話し声が聞こえてきたので」
「出たよ、スタニの地獄耳」
「お客様は初めてですか? 僕はスタニスラフ。気軽にスタニと呼んでください」
「あ、どうも」
仲間の皮肉は見事に無視された。
「それで、肉が硬すぎるってどういうことですか?」
「女将さんから聞いた話なんですけどね、魔物の肉というのはそのままだと煮ても焼いても噛み切れないくらい硬いんですって。かといって生の肉だとお腹を壊してしまいます。そこで、洞窟などに群生している『シメリツユ』という草を使うんですって」
「シメリツユ!?」
別の仲間が仰け反った。
「あれ、酔い覚ましに効くけどとんでもなく臭い草だろ!? 大丈夫なのか?」
「僕もびっくりしましてね。でも驚くことに、それと一緒に漬け込んでおくと肉が柔らかくなるんですって。しかも臭いが移らない。まあ一日くらい時間がかかるので、今日狩ってきた食材は最短でも明日の提供となるわけです」
「なるほど……。ちなみに俺ら、今日の狩りの現場に居合わせちゃったんですけど」
「おや、そうでしたか」
「ビッグ・ベアって、やっぱ食べれるんですか?」
「うちの定番メニューの一つですよ。骨付きのまま焼いてもいいですし、細かい部位をミンチにしてハンバーグにしても美味しいですね」
「あ、ちょっと待ってスタニ、それ以上はヤメテ」
「今コカトリス頼んだのに! ビッグ・ベアの口になっちゃう!」
仲間たちが口々に制止するが。
「おやおや」
にこーっと、スタニスラフの笑みがさらに深くなった。
「……個人的にはハンバーグがおすすめですよ。食材の都合上、筋の多い部分や骨から削ぎ落とした場所を使われるのですが、きちんと叩いているおかげで嫌な食感にならないんですよね。むしろ軟骨のような良いアクセントになっていまして、飽きずに食べられます。あと脂がしつこくなくて食べやすいと女性からも人気が高いんですよね」
「ぎゃー! やめろスタニー!」
「これで明日の夜までお預けだろ!? ひどくないか!?」
「おい誰だよスタニの食べれない飯テロ発動させた奴!?」
仲間たちが悲鳴を上げ、別のテーブルからも非難の声が上がる。食べれない飯テロ。なるほど言い得て妙である。だってめっちゃ美味しそうだったもの。これで出てくるのが半身のチキンはきつい。
「ちょっとスタニー! 油売ってないでこっち手伝ってー!」
「はーい。では失礼します」
フラヴィの怒鳴り声に、スタニスラフは飄々と答えて去っていく。後に残ったのは、ぶつけようのない感情に項垂れる冒険者たちだけだった。
「くそう、スタニの奴……」
「あいつの食レポ本当に美味そうだから困る」
「ていうか実際美味いし。口の中涎でいっぱい」
「うわー、明日のハンバーグ食えるまで死ねねえー……」
周囲も似たような感じで死屍累々だ。
だが、ここまで表現させうる魔物メシとは、一体どんなものなのか。メニューが違うとはいえ皆が太鼓判を押すのだ。余計に期待が高まって腹が鳴りそうになる。
「はーい、コカトリスの半身揚げ、お待ちー」
フラヴィが両手にお皿を持ってやってきた。肘や肩にまで乗せていて、落とさずすべてテーブルに配膳した。器用なものである。
「え、これが魔物?」
そしてジョシュアはそのビジュアルに驚いた。
大きさこそ鶏よりも一回り大きいが、形はどう見ても鳥の半身だ。薄い衣をまとってこんがりキツネ色に揚がっている。揚げたてなのか、ほのかに湯気が見えた。
ぶつ切りにした肉をお湯にくぐらせただけというイメージしか持っていなかった魔物メシが、さっそく足元から崩れていく。
「待ってました!」
ヨハンたちが歓声を上げた。ついでに酒のお代わりを注文し、待ちきれずに誰も彼もがかぶりつく。格式高い場所でなければ、基本的に飲食店は無礼講だ。特に酒場ともなれば、よその客に絡むなど最低限のマナーを守ればつまみ出されない。というか、冒険者にそれ以上のマナーを求める方が厳しい。
「あー、これこれ!」
「俺やっぱ鶏よりコカトリスだわ!」
「わかる! なんで鶏なのにこんなジューシーなんだ?」
口々に絶賛しながら、その手は止まらない。ジョシュアも遅れて半身揚げにかぶりついた。
「っ、うま……」
こぼれ落ちたのはそんな感想だった。衣がパリパリと小さく音を立てて割れる。歯で噛み切った肉はほどよい弾力と抵抗を持ちながらスッと離れる。何度も噛めば、口の中で肉がほろほろと崩れていく。肉汁がほのかに甘い。一緒に漬け込んだというシメリツユの青臭さもまったくない。
「だろ!?」
隣にいた仲間に思い切り背中を叩かれ、ジョシュアは今しがた飲み込んだ肉の欠片を喉に詰まらせそうになった。
「俺も最初は魔物メシって聞いた時、どんなゲテモノが来るのかと思ったけどよ。こんな美味い料理を知らずに生きてて人生損するところだったーって思ったね!」
「あらあら、嬉しいことを言ってくれるわあ」
いつの間にか近くにいたディアナが、ほわほわと笑いながら言ってくる。
「ジョシュア君、お味の方はどう?」
「っぐ、けほ……。美味しいです。ほんと、魔物だったのかって疑うくらい」
「あら、嬉しい。そう言ってくれると仕込みをした甲斐があるわあ」
「他にもあるんですか?」
「ええ、もちろん。とりあえず亜人系以外はすべて網羅しているわよ?」
「マジですか」
人族ほどではないが、ある程度知能を持ち武器や集団戦を得意とする亜人種の魔物がいる。二足歩行の彼らを調理しないのは、さすがに倫理観に止められたか。
「ねえねえ女将さん、前ドラゴンを調理したことがあるって聞いたけど本当?」
「本当よ。とても大きくてねえ。狩り甲斐があったし、ご飯もいっぱい作れたわあ」
「それで保存庫に一度入りきらなくて、大変でしたよねえ」
フラヴィもそれに参戦する。
「冬だったからよかったけど、夏場だったらどうするつもりでした?」
「その時はご近所さんの保存庫を借りるか、町の近くに穴を掘って臨時の保存庫を作るつもりだったわよ」
「しばらくはドラゴン肉祭りだったんじゃないスか?」
「あら、よくわかったわね! おかげで研究もはかどったわあ!」
「あはは……」
しれっと流されたが、ドラゴン種はA級冒険者が束になってかからないとまず倒せない代物だ。周辺の魔物の危険度がC~Bであるこの町にドラゴンが来たら、応戦すらできない。だってドラゴンに太刀打ちできるような技量の冒険者がいないのだから。
そんな相手を倒して、あまつさえ料理にしてしまう。目の前の小柄な女性がどういう人物なのか、怖くて聞けなかった。どっかの猫みたいに好奇心で死にたくない。
「もし俺らがいる間にドラゴンが来たら、その時はドラゴン料理を振る舞ってくださいよ!」
「もちろん! 腕が鳴るわあ」
どっちの腕が、とは聞けなかった。たぶん両方だろうけど。
女将さーん、と厨房の方から呼ぶ声が聞こえて、ディアナはそちらへ駆けていく。
気を取り直してコカトリスの半身揚げを食べながら、ジョシュアはちらと店内を見回した。
テーブルは満席。カウンターも同様だ。フラヴィもスタニスラフもきびきびと動き回っている。
陽気な笑い声、誰かの馬鹿笑い、泣いたり絡んだり、それでも食べ物の前ではみんな笑顔だ。
「……いい店だな」
「だろう?」
思わず呟くと、パーティのリーダー格だった仲間がにやりと笑った。
「フラヴィちゃーん、酒おかわりー!」
「またー? 二日酔いになるよ?」
「冒険者はこれしきの事で酔わねえよ!」
赤ら顔が言っても説得力がない。それでもフラヴィは人数分のおかわりを持ってきてくれた。
「そんじゃー、新しい仲間にかんぱーい!」
「「「「かんぱーい!」」」」
何度目かもわからない乾杯をして、ジョゼフたちは景気よくジョッキをぶつけ合った。
――なお、翌日はヨハンやリーダーの他、深酒した一人がしっかり二日酔いになっていた。
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