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17.森のはずれで

 冷たい風が吹いて、雨が降ってきた。

 スタニスラフの耳がせわしなく動く。

「……料理長、フラヴィちゃん」

 二人を厨房の奥へ手招きする。

「見つけました」


◆   ◆    ◆


「あら、雨」

 ぽつぽつと落ちてきた雫が、やがて一気に降り注ぐ。

「いやね、風邪を引いちゃうわ」

 頬を伝う雨粒を鬱陶しそうに払いながら、ディアナは森の中を駆ける。

 雨雲のせいで余計に時間の感覚がわからない。足元が見えるから、辛うじて日中だと判断できる程度だ。

 最初に比べたら随分と減った魔物たちを斬り捨てていく。

「ああ、泥がついちゃった」

 ディアナは残念そうに呟いた。

「洗えば落ちるけど、やっぱりいい気分はしないのよね」

 ごめんね、と柔らかい毛並みを撫でて、他の魔物を屠りに走る。

 冒険者たちが森の緩衝地帯で食い止めているのに対し、ディアナは森の深部を縦横無尽に駆けていた。ディアナの武器の大きさでは周りにも被害が出るし、奥へ行くにつれて魔物は強く狂暴になる。たまにお弁当を配達に来てくれる冒険者以外で彼女についてこられる人はいなかった。

 ディアナは無心でナタを振るった。ビッグ・ベアもモンディールもボアボアもコカトリスもビーストウルフもトレントもすべて。

 魔物を食べるのは生きるため。美味しいものを作って、みんなに食べてもらって喜んでもらうため。

「悲しいわね」

 ひとりごちる。無意味な殺生ほど意味を求めたくなる。

「……あら」

 はたと気付いた。森を抜けて、北の山脈の前に来ていた。

 さすがに山越えを実行しようとする魔物はいなかったが、高い壁を前に右往左往している。

「ごめんね」

 小さく謝罪して、すべてを屠る。ここで放置すれば、近くの農村に新たな被害が出る。首を刎ねられた魔物が崩れ落ち、大地が血を吸う。

 その先に、小さな洞穴があった。人為的に掘られたものだろうか。人が一人入れるだけの小さな穴が開いていた。

「ちょうどいいわ。雨宿りさせてもらいましょ」

 ディアナはナタを引きずって洞穴に入った。

 中は薄暗く、奥はよく見えない。ディアナはハンカチで軽く髪についた水滴を拭いて、壁際に腰を下ろした。

「……誰だ」

 暗闇の方から声がした。男だろうか。低くしゃがれた声が響く。

「ごめんなさい、少しだけ雨宿りをさせてもらえます?」

「駄目だ。帰れ」

 ディアナが穏やかに問えば、暗闇の方から突っぱねられる。

「そうは言っても、この雨じゃあ風邪を引いてしまいます。周りには魔物も多いし、お腹もすいちゃいました」

「帰れと言っている」

 取り付く島もない声に、ディアナは肩をすくめる。

「帰したいなら、力ずくでどうぞ。私も疲れちゃったから、動きたくないんですよ」

「…………」

「あなたこそ、こんなところでどうしました? 怪我をしちゃいました?」

「放っておけ」

「ここで出会ったのもなにかの縁ですよ。私、近くの町で酒場を営んでいまして。銀のカナリア亭っていうんですけどね、よければ来ません?」

「貴様、黙るということを知らないのか」

「人がいると喋りたくなっちゃう性分で。……すみません、もう少しそちらに行ってもいいですか?」

「駄目だ」

「ここにいると冷たい風が吹いてきちゃいまして。奥は温かいですか?」

「来るなと言っているそばから来るな」

「あら、ごめんなさい。でも一緒にいれば寂しくないでしょう?」

「だから、来るなと言っているだろう!」

 しゃがれた声が怒鳴ると同時に、火花が散った。ディアナの足元に落ちたそれは、地面を黒く焼く。

「次は本当に当てるぞ。もう一度だけ言う。出ていけ」

「…………」

 ディアナは小さくため息をつくと、とぼとぼと踵を返した。

 そして、先ほどまで座っていた場所にまた腰を落ち着ける。

「おい」

「せめて、雨脚が弱まるまではここにいさせてくださいな。お邪魔はしませんので」

 外から覗く雨は、カーテンのように視界を覆う。激しい雨音が周りの音も遮断し、洞穴と外とを切り離しているかのようだった。

「…………勝手にしろ」

 熟考の末、しゃがれた声はそう吐き捨てた。


◆   ◆    ◆


「雨が激しくなってきたな」

「女将さん、大丈夫かな?」

 銀のカナリア亭に休憩に戻ってきた冒険者たちがこぼす。

 少し前から降り出した雨は、土砂降りとなって周囲に叩きつけている。だが魔物たちは雨だろうとお構いなしに進軍し、冒険者たちとの小競り合いを続けている。

「お、タオル?」

「ありがたい、サンキューな、ネリーちゃん!」

 宿から持ってきたタオルをネリーが配って回る。雨でぬれた体は体温を著しく奪う。冒険者たちが皆安堵のため息をついた。

「ほら、スープだ。温まれ」

「料理長、わかってるう!」

 野菜とミルクを煮込んだだけの簡単なシチューだが、それすら今は嬉しい。火傷しそうなほど熱くて、体の内側から温まった。

「なあ、スタニ。フラヴィちゃんどこ?」

「具合悪くなった?」

 冒険者たちが訊くと、スタニスラフはいつもの笑顔で答える。

「おつかいです。避難壕の人たちに食料を届けに行っています」

 その時、外から悲鳴が飛び込んできた。

「おい、ビーストウルフが突破してきたぞ!!」

 冒険者たちに緊張が走る。

「スタニ、ネリーを地下に!」

「はい!」

 スタニスラフがネリーを引っ張って厨房の奥へ向かう。

 すぐに冒険者たちが応戦のため外へ飛び出すが、その合間を縫って一体のビーストウルフが店内に入る。

 おそらく料理の匂いにつられたのだろう。しきりに鼻を鳴らして匂いを嗅いでいる。

「――っ」

「ネリーちゃん、大丈夫」

 スタニスラフが背後にネリーを庇う。

 魔物というのは総じて視力が弱い。鳥系など一部の例外はあるが、彼らが認識できるのは動いているか否か、である。だからまずはじっとしていることが一番。続いて静かに視界から外れる。そうすることで彼らの注意を引くことなく離脱できる。

 ビーストウルフは嗅覚と聴覚が異常なほど発達している。冒険者たちのかすかな息遣いや足音で生存と位置を特定し、恐ろしいほどの脚力で飛び掛かる。

 誰も彼もが息を殺す中、ネリーは急に自分の足から力がなくなっていくのを感じた。恐怖で腰が抜けたと気付いたのは、床にへたり込んでから。

 そのかすかな音を、ビーストウルフは聞き取った。

 一瞬で狙いを定め、床を蹴る。肉球の形に床がへこんだ。

 スタニスラフが牽制で火を放つが、ビーストウルフは怯まない。冒険者たちの行動が半秒遅れる。その間に彼らの横を駆け抜ける。

「スタニ、ネリー!!」

 アルベルトが叫ぶ。手に大きな肉切り包丁を持って駆け出したが、ビーストウルフの方が速い!

 黒い影が迫る。急に立ち上った炎の壁にも驚かない。

「――ゃ」

 スタニスラフがネリーを守ろうと抱きしめる。こっちに来る。食われる。殺される!

「こないで!!」

 澄んだ楽器のような声が響いた。

 ギャン、とビーストウルフが悲鳴を上げた。


 その異変に最初にまず気付いたのは魔物たちであった。

 それまで我先にと森の外を目指していたのに、急に反対側へと取って返し始めた。

「え、な、なんだ?」

 冒険者たちが困惑する後ろで、空気が震える。

「んなあっ!?」

 振り返った一人が変な声を上げた。

「どうした!?」

「あ、あ、あれ!」

 魔物の動きに気を配っていた冒険者が、同僚に強く体を叩かれてようやく町の方を見る。

「……は?」

 振り返った冒険者たちも呆けた声を出した。

 光の柱が立っていた。

 家屋を数軒分は飲み込んでいそうなそれが、どんどんこちらに迫ってくる。――いや、広がっている。

「ちょちょちょ、なんだあれ、なんだあれ!?」

「知るか! 逃げた方がいいんじゃねえか!?」

 魔物たちからはるかに遅れて、冒険者たちも森の中に逃げる。もはや討伐とか防衛とか言っている場合ではなかった。よくわからないものからは逃げるに限る。

「グアアッ! ガァッ!」

 ビッグ・ベアが

「お前らなんで来るんだよ、こっち来んな!」

 とでも言いたげに喚いたが、

「うるせー! 俺らだって命は惜しいんだよ!」

 冒険者たちも必死である。

 だが冒険者たちが――いや魔物の足でさえ、光の柱に比べたらはるかに遅い。

「うわっ――!」

 光が冒険者たちを飲み込み。

「グギャッ――!」

 魔物たちを消滅させた。


◆   ◆    ◆


 ぱきんっ

 洞穴の中で、なにかが割れるような音がした。

「ああ、びっくりした。……大丈夫ですか? なにか落としたような音が聞こえましたけど」

 急に森の外が明るくなったかと思えば、太陽でも月光でもない強烈な光に飲み込まれた。すぐに目が慣れたし、体に異常はない。それどころか、不思議と体が軽かった。

 ディアナが洞穴の奥を見やる。そこには割れた水晶玉と老人がいた。禍々しい黒さを宿した水晶を前に、老人は座り込んだまま動かない。

「もしもーし?」

 ディアナが呼びかけても、返事がない。

 その真横を、なにかがかすめた。

 どん、どん、どん

 木の枝が老人の額、心臓、鳩尾の三点を的確に貫いた。

「こぷっ……」

 老人がゆっくりと倒れる。静かに血と、鉄の臭いが広がった。

「…………」

 ディアナは老人を見つめ、それから洞穴の外に出る。

「フラヴィ、いるんでしょう?」

 呼びかければ、木の上からメイド服のフラヴィが下りてきた。手には弓が握られている。

「どうして彼を殺したの?」

「スタニから、スタンピードの犯人がここにいるって教えてもらったの」

 フラヴィはまっすぐにディアナを見て答える。先ほど人を殺めたとは思えないほど凛とした表情だった。

「スーくんから……。なんて言ってたの?」

「今回のスタンピードは、人為的に起こされたものだって。精霊たちが強い邪気を感じたって。なにか魔物を呼ぶようなものを持ってたんじゃないの?」

「おじいさんの前に、水晶玉があったわ。とても禍々しいものだった。……そっか。あれで魔物を召喚していたのね」

 ディアナは額に手を当てた。

「眉唾物だとは思っていたけれど、本当にあるんだ。魔物を呼ぶ道具って」

「殺しちゃったから真相は闇の中だけど。……どうする?」

 フラヴィの問いに、ディアナは洞穴を振り返る。

「…………。水晶は念入りに砕いて埋めるわ。御遺体も、別の場所に埋葬する」

「手伝おっか?」

「お願い。……ちょっと疲れちゃったわ」

 今日はスコップを持ってきていないが、二人がかりならいけるだろう。

 ナタで入念に水晶を砕いて、フラヴィと一緒に穴を掘って埋める。老人は洞穴の外の木の陰に埋めた。

「じゃあ、先に帰ってるね」

「ええ」

 フラヴィが木と木の間を飛んで町へ戻っていくのを見送る。

「……雇い主失格ね。()()殺しの仕事をさせちゃうなんて」

 ディアナはしばらく、日差しと雨が同時に降る中で立ち尽くしていた。

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