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16.スタンピード

「スタンピードが来ます、女将さん」

 朝。冒険者たちもそろそろチェックアウトしようかという時間。

 眉間に深く皺を刻み、長い耳をへにょりと下げてスタニスラフが言った。

「…………」

 賑やかになりかけたロビーが沈黙する。

「スーくん」

 ディアナが穏やかに言った。

「ごめんね、もう一回言ってもらえる?」

「ですから、スタンピードです。森の方がいつもよりうるさい。これ、森のキャパシティを越えてこっちにくる寸前です」

「い、いやいやいやいや」

 スタニスラフの衝撃発言から立ち直った冒険者が手を横に振った。

「スタンピード? 俺らと女将さんがあんだけ駆除しといて? ありえねえだろ」

「ありえるんですよ。ダンジョン研究者がどれだけ時間をかけて研究しても解明できない自然災害ですよ? あと今回、マジで時間がありません」

「……具体的にはどのくらい?」

「持って三日。最短だと今日中にこっちに侵攻してきます」

「はあ!? ふつう最短で一週間だろ!?」

「だから時間がないんです」

「スーくん、チェックアウトお願い! ちょっと見てくる!」

「待って女将さん、俺らも行く!」

 店を飛び出したディアナの後を冒険者が慌てて追う。他の冒険者たちも急いでチェックアウトを終え、後に続いた。

「スタニ」

 仕事が一段落すると、アルベルトがフラヴィとネリーを連れてロビーに来ていた。

「聞こえたぞ。スタンピードが来ると」

「ええ。しかも今回、尋常じゃありません。人為的に発動したとしか思えないくらい規模が大きい」

「できるの? そんなこと」

「通常ならできません。そもそも、スタンピードは突発的な魔力の増加や自然淘汰が機能しなくなったなど、偶然が重なった産物です。人為的に起こすにしてもよっぽど魔法やダンジョンに精通していないとできませんって」

「……だが、今回はその可能性を捨てきれないと」

「はい」

 アルベルトとスタニスラフが厳しい顔になる。人為的に起こされたと思しきスタンピード。期限は最短で一日。持っても三日後にはこちらに雪崩れ込んでくる。

 ギルドはスタンピードの対処で手一杯になるはずだ。ディアナも同様。

 動けるのは自分たちだけ。

「スタニ、そいつの目星は付けられるのか?」

「……やってみます」

 頷いたスタニスラフは店の裏にある梯子から屋根に上った。二階建ての宿の上からなら、スレンドの森の全貌を見渡せる。

「……やかましいな」

 端正な顔を歪ませ、スタニスラフは吐き捨てる。

 だけど、こんなふざけた事件で店を、町を潰されるのは癪だ。

 スタニスラフは右手を前に突き出し、右側へ素早く振った。

「……ルルィ、ュリェニ、ラヒチェィル……」

 紡がれるのは、エルフに伝わる精霊の言葉。

 エルフは人族の中でも自然に近い。自然の化身たる精霊たちは、彼らの遠い親戚であり祖先でもある。

 精霊は自由だ。四季と戯れ、命を喜び、出会いも別れも等しく愛する。

 だけど精霊とて、誰にも必要とされなければ寂しいし悲しむ。

 スタニスラフの周りに風が集まる。精霊が彼の声に応えてくれた。

「ヒィシュレニィリリ。ァヌィチ?」

 精霊の言葉で問いかけると、風が一際強くなって森へと飛んだ。

「ひとまず、これで見つかればいいけど」

 スタニスラフはしばらく森を睨んでから、屋根から降りた。

 雨雲が近づいてきていた。


 冒険者を通じたスタニスラフの一報から、冒険者ギルドは空気が張り詰めていた。

「だから、町の住人だけでも避難させないと!」

「どこにだ? ここから隣町まで歩いて十日はかかる。その間に魔物の軍勢が我々を飲み込むぞ」

「地下に即席の避難壕を掘っているが、小さい子どもを連れた家族が精いっぱいだ」

「その広さをもっと広げられないか?」

「無茶を言うな! これでも精霊の力を借りて超特急で掘り進めているんだぞ!」

 ギルドの奥の応接室では、四人の男たちが額を突き合わせていた。冒険者ギルドのマスター、商人ギルドのマスター、鍛冶屋ギルドのマスター、そしてスレンドの町の町長だ。

 魔物の巣窟であるスレンドの森は町とは目と鼻の先。しかもよその報告のような猶予が今回はほとんどない。冒険者ギルドが早便で飛ばした応援要請がどれだけ間に合うか。

「失礼します」

 そこにノックをして、冒険者ギルドの受付が入ってきた。

「銀のカナリア亭の女将他、冒険者が偵察から戻ってきました」

「状況は?」

(かんば)しくありません。今は共食いをしている状態だと聞きますが、いつこちらに飛び出してきてもおかしくないと。ひとまず血気盛んそうな個体は優先して討伐したと」

「そうか」

 冒険者ギルドのマスターが呻く。

 先んじて飛び出そうとした魔物の討伐はいいが、全体を見れば焼け石に水だ。森の奥にあとどれだけの魔物が潜んでいるのか。それが一斉に町を襲ったのだとしたら。

 最悪のケースが頭をよぎる。

「カナリアの女将さんは? なんて言っているんだ?」

 町長がすがるように受付に訊ねる。彼女が所属しているギルドは商人だが、冒険者と同じかそれ以上の実力を兼ね備えているのは誰もが知っている。

「……それが」

 受付が言いにくそうに言葉を濁す。

「なんだ?」

「……食材がありすぎると、処理しきれないから困る、と」

 応接室になんともいえない微妙な空気が流れた。

「……ははっ」

 失笑したのは冒険者ギルドのマスターだった。

「あの人は変わらないな」

「ええ、まあ。これを機に保存食にできないか試す気満々です。あと、従業員の皆さんもこれを受けて避難を拒否。炊き出しの準備に取り掛かっています」

「ふはっ!」

 鍛冶屋のギルドマスターが膝を叩いた。

「逃げるという選択肢はなしか。本当に変わっているな、あの店は」

「ええ、本当に」

 頷く受付も笑っているが、そこに皮肉も嘲りもない。確固たる信頼の笑みが浮かんでいた。

「冒険者の皆さんも、迎え撃つ気満々です」

「ならば、防衛戦だ」

 冒険者ギルドのマスターが他の三人を見回した。

「鍛冶屋ギルドは引き続き避難壕の増築、商人ギルドは避難の呼びかけを。我が冒険者ギルドはスタンピードの迎撃と町の防衛。町長はそれを統括ということでいかがか」

「異議なし」

「ま、よかろう」

「承知しました」

 商人、鍛冶屋のギルドマスター、そして町長が頷き、席を立つ。

 冒険者ギルドのマスターもその後に続き、ギルド内で待機していた冒険者たちに宣言した。

「緊急の依頼だ! スレンドの森全域で発生した異常増殖(スタンピード)を殲滅せよ!」

「「「おおおっ!!」」」


◆   ◆    ◆


 今にも雨が降りそうな暗雲の下、スレンドの町は緊急避難命令が出ていた。

「急いで! 荷物は全部置いていけ!」

「子どもの手を離さないで! ご家族はもっと奥に!」

「人手が足りない! 誰でもいいからスコップ握れるなら穴を掘ってくれ!」

 町の地下に作った即席の避難壕。アリの巣穴のように細い通路の先に一家族分ほどの空間を作る方式で、もし街中に魔物の侵入を許しても襲われる人数を最小限に防げる。

 避難壕の補強は鍛冶屋ギルドが担い、そのための資材は商人ギルドの在庫から出している。

 避難と掘削の一方で、銀のカナリア亭も戦場と化していた。

「はいはい、サンドイッチできたよ!」

「まだ数には余裕があります! 皿はこちらで回収しますから、食べ終わったら順次迎え撃ってください!」

 魔物肉を焼いて野菜と挟んだ簡単なサンドイッチ。食べやすいように四等分にされたそれをカウンターの上に並べていく。空になった皿はネリーが回収し、洗って再利用していた。

「助かるよ」

「腹が減っちゃあ戦はできねえからな」

 肉弾戦にしろ魔法にしろ、戦う人は腹が減る。それはヒーラーたちも同じだ。

「助けてくれ! 仲間が足をやられた!」

「すぐに治療するわ!」

 森の近くということで、銀のカナリア亭のホールは野戦病院の様相だった。負傷した冒険者が次々に担ぎ込まれ、ヒーラーたちが癒しの祈りを捧げていく。

「助かった。さて魔物ども、お返しすっぞ!」

 傷が癒えるや否や、冒険者たちはまた森に取って返す。

 空腹や負傷で戻ってくる者、回復して飛び出す者で銀のカナリア亭は溢れかえっていた。

「ねえ、誰か女将さんにお弁当届けて!」

「任せろ!」

 冒険者の一人がフラヴィから包みを受け取る。中には四等分にしたサンドイッチが三つ入っていた。

 ディアナの居場所はわかりやすい。振り回されるナタを恐れた魔物たちが逃げていくのだ。

「女将さーん、お届け物でーす!」

「あら、ありがとう」

 ビッグ・ベアを三体まとめて斬り伏せて、ディアナは振り返った。

「相変わらずえげつないっすね」

「まあ、今回は数が数だからねえ」

 サンドイッチを頬張りながらディアナが苦笑する。誰よりも魔物を倒しているのに、その全身に返り血がほとんどついていないことを指摘したのだが、気付いていないようだった。

「あ、伏せて」

 言うが早いかディアナがナタを振り回した。咄嗟にしゃがんで避けた冒険者の後ろでなにかが倒れる。振り向くと新たなビッグ・ベアが死んでいた。

「お弁当ありがとうね。ここはいいから、あなたは別のところを任せてもいい?」

「は、はい」

 冒険者はそそくさと別の魔物を探しに行った。


 朝早くから始まったスタンピードだが、昼を過ぎても一向に衰える気配がない。

「やべえなこれ。あとどんくらいだ?」

「知るか。おいスタニ、森ってまだうるさいか?」

 休憩を兼ねた腹ごしらえに戻ってきた冒険者がスタニスラフに訊ねる。厨房を歩き回っていたスタニスラフが耳を動かした。

「静かになってきましたけど、まだまだです。あと半分くらいでしょうか」

「マジか」

「あと半分……」

 朝から魔物を狩って狩って狩りまくって、まだ半分。ちょっと心が折れそうだった。

「ん?」

 くいくいと腕を引かれてそちらを見ると、ネリーが立っていた。

「どうした?」

 訊ねると、ネリーは拳を突き上げて唇を動かす。「ふぁいとー」と言っているようだった。

 あまりの可愛らしさに冒険者たちの頬が緩む。

「ありがとうな、ネリーちゃん」

「なあなあネリーちゃん、こっちにも頼む」

 呼ばれた先で同じことをすれば、冒険者たちが悶絶する。

「あああ~! 可愛い!」

「俺も! 俺もお願い!」

「応援してくれたら頑張れそうな気がする!」

 あちこちから声がかかり、ネリーは皿を回収する間もなく応援に回る。

「……あれ、いいの?」

 フラヴィが半眼になって冒険者たちを睨みながらサンドイッチを出す。

「どうでしょう……個人的には複雑です」

「俺もだ」

 フライパンから離れられないアルベルトも言った。

「なんというか、娘を嫁に出したくない父親の気分」

「それだ」

「それです」

 形容しがたい感情に名前を付けられて、フラヴィとスタニスラフは頷いた。

 すっかり士気が上がった冒険者たちがまた森に入っていく。

「ネリー」

 やっと皿を回収できたネリーをフラヴィが呼ぶ。

「いい? 今は非常事態だけど、普段はあんなことしちゃだめだからね? リクエストされたら遠慮なくあたしらにチクッてね?」

 両肩を掴まれて凄まれたネリーは、おどおどとしながらも頷いた。

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