11.侵入者
ドラゴンの肉が一週間かけて消費された翌日。
久しぶりの通常営業が始まろうとしていた日。
朝の酒場を開けると、誰かがネズミにかじりついていた。
掃除のために酒場に入ろうとしたディアナたちは一瞬固まり、
「か、確保ー!」
ディアナの鶴の一声で動いた。
慌てて逃げようとしたその人物を、風を呼んだスタニスラフが転ばせる。転んだその背中にフラヴィが飛びついて抑え込んだ。
「料理長、衛兵!」
「わかった!」
アルベルトが詰所に走る。
ディアナはフラヴィの手で後ろ手に拘束され、起こされた侵入者を見た。
髪は長くぼさぼさ。長すぎて前髪が目を覆い隠している。服もお世辞にもきれいとは言えない。体の線が細すぎて、男か女かの判別もつかない。年齢はフラヴィよりも年下な気がした。
「スーくん、水で濡らしたタオルをちょうだい」
「はい」
「ちょっとごめんね」
スタニスラフを待っている間に、ディアナは相手の髪をかき分ける。
痩せこけた頬。乾燥してかさかさになった唇。落ちくぼんだ目は怯えと諦めが混じっているのが見えた。
「女将さん、タオル持ってきました」
「ありがとう」
スタニスラフから濡れタオルをもらい、慎重にその顔を拭いていく。土汚れがなくなると、少し可愛らしい顔が現れた。
「あなた、お腹すいてたの?」
あらかた顔を拭いたところで、ディアナは訊ねる。
侵入者はきょとんとしたあと、己の罪を恥じるように頷いた。
「そう。……フラヴィ、スーくんと交代して、お医者さんを呼んできて。きっと痩せすぎて体が壊れかかってる」
「は、はい」
フラヴィが頷き、スタニスラフと場所を入れ替わって外に駆け出した。この時間だとたぶん寝ているだろうが、そこは叩き起こしてもらおう。
「ネズミはちょっと美味しくなかったわよね。待ってて、今ごはんを作るから。スーくんはかまどの一つに火をつけて貰っていい? それからそのまま見張ってて」
「ええ」
侵入者の頭を撫でて、ディアナは厨房に入った。
片手鍋を出して、中に水を注ぐ。火をつけて温めている間に、ニンジンをはじめとした野菜を一口より小さく切っていく。水が沸騰する前に、切った端から投入した。
水が沸騰し、中の野菜に火が通るまで焦げないようにかき混ぜる。
「衛兵連れてきました!」
「お医者さんも!」
バタバタと騒がしい足音が雪崩れ込んできた。
「ありがとう! ちょっと手が離せないの。まずはお医者さんに診てもらってもいい?」
「え、そんな呑気でいいの?」
ディアナの言葉に衛兵が突っ込む。酒場に不審者となればだいたいが食料や金庫目当ての泥棒だ。いくら相手がガリガリに痩せていても、悠長なことは言っていられないはず。
「とりあえず、野菜スープを作っているところだから。あと逃げる意思はないみたいだし」
「……たしかに」
衛兵がしぶしぶ頷く。大人しくしている上に、人数の差がありすぎる。よっぽど暴れたとしてもすぐに制圧できるだろう。
「じゃあ先生、お願いね」
「はいはい……朝から何事かと思ったよ」
フラヴィに連れてこられた医者は、ぶつくさ文句を言いながら侵入者の体を見た。悪態をついていた顔が、次第に険しくなる。
「……お前さん、よく今まで生きていたな。餓死一歩手前だぞ」
酒場の空気が張り詰める。
「女将さん、この子に野菜スープをすぐ飲ませちゃいけない。まずは人肌くらいのお湯から体を慣れさせないと」
「……さっき、ネズミ食べてましたけど?」
スタニスラフが恐る恐る訊ねる。
「ネズミ!? いきなり固形物を……いや、食うに困って、か。胃が引っ繰り返らなかったのは奇跡だ。すぐにお湯を沸かしなさい」
「今野菜をゆでているけれど、それでもいい?」
「ああ、いい。それを冷ませば飲めるだろう。なにか、書くものを持ってきてくれ。メモを忘れてしまってな」
「取ってきます」
アルベルトが宿まで取って返す。ディアナがお椀に注いだ野菜のゆで汁をフラヴィが持っていく。スタニスラフがそれを魔法ですぐに冷ます。
「これくらいでどうです?」
渡された医師が一口飲む。
「……うん、いいだろう。ゆっくり飲みなさい。一気に飲むと胃がびっくりするからな」
お椀を差し出された侵入者が、おそるおそるそれに口を付ける。ゆっくりと、静かにお椀が傾けられていく。
皆が息を呑んで見つめる中、たっぷり時間をかけてゆで汁を飲み切った。
「……うん、まずは体に水分を行き渡らせることが大事だ。それから消化しやすいものから食べ始めなさい。詳しいことはメモに書いておく」
「ありがとうございます」
一度鍋を火からおろし、ディアナは頭を下げる。
「礼には及ばないよ。じゃ、私はメモを書きつけたらもうひと眠りしようかね」
アルベルトが持ってきたメモとペンを手に、医師は書付を残すべく別のテーブルに向かう。
それと入れ違いに、衛兵が侵入者の前に立つ。
「じゃ、改めて聞かせてもらおうかな。君はどこの誰で、どうして、なんの目的でこの店に入ったのか」
口調こそ穏やかなものだが、その目は逃げることを許さないほど鋭い。
侵入者はぐっと言葉を詰まらせ――自分の喉に手を当てて、口を開いた。
ぱくぱくと、空気だけが吐き出される。
「……ん?」
「……え?」
見守っていた全員が侵入者を見つめる。
侵入者は、ひたすらに自分の喉を押し、息を吐く。
なにかを伝えるかのように。
「……もしかして」
なにかに気付いたアルベルトが呟く。
「口が利けないのでは?」
侵入者が激しく首を上下した。
全員の口がぽかーんと開いた。
◆ ◆ ◆
「――で、だからってこの店の従業員にする!? 女将さんマジで!?」
「マジなのよお」
夜。冒険者で賑わう銀のカナリア亭で、ディアナは何度目かわからない回答をした。
「そのまま店に入り浸って乗っ取るとか……!」
「昼間にみんなでいろいろと調べたけど、そんな意思微塵もなかったわあ」
「あの子をエサにしてとかじゃ……」
「そんなことをする輩なら、むしろ彼女を引き取ってそいつら叩きのめすわ」
「だよな……」
低めのトーンになったディアナの言葉に、冒険者たちは頷く。
冒険者たちは、少なからずディアナの強さを知っている。町の繁盛店を潰したり乗っ取ろうとするならば、彼女を敵に回す必要がある。もし身内にそんな計画をしている奴がいたら、全力で止めるし店にチクる。
ディアナと真剣にやり合うなら、まずあのでっかいナタを振り回すだけの腕力を持ってこいという話だ。それに、あの美味しい魔物メシが食べられなくなるなんて、それこそ冒険者たちの士気にかかわる。C級B級冒険者の団体を舐めてもらっては困る。
「はいはーい、ビーストウルフの焼き肉、おまちどお~!」
フラヴィがお皿を持って、注文のテーブルに向かう。その後ろには、濃い金色の髪を後ろで結んだ少女がお皿を持ってついてきている。
フラヴィとおそろいの給仕服を着ている彼女が今朝の侵入者であり、この店の新人従業員となったネリーだ。
あれから首を縦に振るか横に振るかで意思疎通を図りながらわかったことはおおむね三つ。
一つは、自分の名前がないこと。名前を呼ばれたことがなく、自分で名づける発想もなかった。そこでディアナが仮に〝ネリー〟と名付けたのだ。
二つ目は、彼女の身体についてだ。タライでざっくり身綺麗にさせてから医師に改めて診てもらうと、栄養失調に起因する成長阻害が起こっていた。簡単に言えば、栄養が足りていないから体が大きくならなかったのだ。二十歳近いと知った時はディアナが卒倒しかけた。
そして三つ目が、彼女がここに来た経緯である。故郷と思しき村から追い出されたらしい。スレンドの町の南からずっと歩いてきたらしく、ここまでの道のりは文字通り草と泥水だけで生き延びてきたという。
すべての話を総合して理解した時点で、ディアナが「もううちの子になりなさい。というかうちの子にする」とネリーの肩を掴んで離さなかった。
幸い、ここは魔物メシをメインにしているが飯屋だ。食べ物のストックはある。ネリーが怯えながらも嫌がらなかったこと、骨と皮だけの女性をひっ捕らえるのは良心が痛んだのもあって、身柄は銀のカナリア亭が預かることになった。
フラヴィと一緒に食事を持ってきたネリーを、冒険者が見下ろす。
「お前が噂の新人か」
そう言ってネリーに手を伸ばす。
ネリーの目がぎゅっと閉じ、頭を守ろうと細い両手で庇う。
それを通り過ぎて、武骨な手が小さい頭を撫でた。
「よかったな、女将さんは怒ると怖いが、基本優しいぞ」
「コゼットさーん、なにか言ったかしらー?」
「なんもー? それより酒、おかわりー!」
「はぁーい」
追加の注文で誤魔化して、呆然としているネリーに笑いかける。
「ここは賄いも美味いって話だ。よかったな、もう食いっぱぐれることはないぞ」
驚いたように見上げるネリーを置いて、コゼットは仲間との笑い話に戻ってしまった。
棒立ちのネリーをフラヴィがちょんと突く。
「ネリー、ちょっと厨房で休憩してきたら?」
首を横に振ったら「無理しないの!」と厨房に押し込められた。カウンター席から持ってきた椅子に強引に座らせて、フラヴィはホールに戻っていく。
「ネリー、そこにスープがあるだろ」
入れ違いにアルベルトがある場所を指す。そこにはたしかに、ふんわりと湯気が立つスープがあった。
「君の分だ」
それだけ言って、アルベルトは調理に戻った。今日は薄切りにした魔物肉の料理のようだ。さっきから肉切り包丁と鉄鍋の間を行ったり来たりしている。
仕事の邪魔にならないよう、ネリーはそろそろとスープを取りに行き、また椅子に戻っていく。
医師のメモ書きの通り、まずはお湯から初めて、今は野菜を潰したスープを飲んでいる。一度に飲む量が限られているため、細切れに飲むよう勧められている。
ネリーは静かに一口飲んだ。よく刻まれ、潰された野菜の甘さが口の中に広がる。飲み下すと、胃の当たりからじんわり温かさが広がっていく。
ああ、美味しい。
今日何度目かわからない、今日初めて味わった感情。
口が利けなくても、嫁の貰い手はいるだろう。親がそう言ってなんとか生かす程度に育てられていたのはわかっていた。こんな見た目では貰い手がいないことも、薄々理解していた。周りの子たちみたいにふっくらしていたらと思うが、今となっては後の祭りだ。
魔物が活発化する夜の間に叩き出され、這いながら、息を殺しながら生きてきた。死にたくなかった。
何度か村や町を素通りして、辿り着いたこの町で、たまたま残飯に群がるネズミを見た。
我慢の限界だった。捕まえていざ食べようとした時に、この店の人たちに見つかった。
ああ、もう殺される。そう思っていたのに、店の人たちはスープをくれた。
温かかった。優しい味がした。生きたいと思ってしまった。
そのうえ、こんな自分を店に置いてくれるという。いくら体力がないとは言っても、タダ飯食らいになりたくなかった。それでもしょっちゅう厨房においやられてしまう。
情けない。そう思っても、スープの温かさが押し流してしまう。
もっと役に立ちたい。恩返しをしたい。
その意思だけは流されまいと思いながら、ネリーはスープを飲み干した。
なお、ほそっこい少女(に見える女性)が一生懸命にスープを飲む姿はカウンターからよく見えてしまっていて。
「女将さーん、料理長ー。今日の料理しょっぱいよー?」
「あら、塩加減間違えたかしら」
主にカウンター席からクレームが届いた。
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