10.ドラゴン③
「おはよう、女将さん」
「おはよー……。みんな朝早いわねえ」
「いつも通りですけど……。女将さん、昨日眠れなかった?」
「ううん、ちょっと仕込みの確認をしてたらね、寝るのが遅くなっちゃって……。あとで軽く片付けたら、もうひと眠りするつもり」
「大丈夫ですか? 毎日シーツ洗ってますけど、一日くらいどってことないですからね?」
思わず冒険者がそう言う。フロントにいるディアナは明らかに目の下に隈を作っていて、眠そうにカウンターの上でぐったりとしていた。いつもならきっちりまとめられているお団子もあちこちほつれている。どう見ても通常業務ができていない。
「そーはいかないのよぉ……」
「って言いつつ寝そうじゃん。ていうか寝てるじゃん」
「おーい、女性陣。全員のチェックアウトが済んだら女将さんを部屋に連れ戻しといて」
「はいはーい」
「へーきよぉ~……」
「そう思ってるの女将さんだけだから。はいはいチェックアウトするー」
銀のカナリア亭に泊まっているのは酒場の常連客たちだ。宿の流れもだいたい把握しているので、冒険者たちだけでチェックアウト業務が進む。金銭のやり取りは昨日のうちにすべて済ませているのも大きかった。
「はいじゃあ女将さん、ゆっくり休んでねー」
「シーツは本当にほっといていいからね!」
「はぁ~い……」
釘をさす冒険者たちに手を振り、ディアナは彼女たちを見送る。
それからいそいそと雑魚寝部屋に入ろうとして、
「女将さん捕まえたあ!」
「ひゃあ!」
後ろからフラヴィに抱き着かれた。
「女将さん、お疲れでしょう? 今日は夜までゆっくり休んでくださいよ」
「ええ~……」
「なんのための従業員だ。後のことは俺達でもできる。ほら」
「でも~……もうちょっとぉ~……」
フラヴィに抱き着かれてなお、そこから抜け出そうとディアナはもがく。動いているだけでちっとも脱出できていないのを本人だけが知らない。
アルベルトがため息をついた。
「はあ……。フラヴィ、頼む」
「はぁい」
フラヴィの拘束が緩む。ここぞとばかりにディアナは客間に行こうとして、
トンッ
「うん……?」
首筋に衝撃が走ったと思ったら、ディアナの意識はブラックアウトした。
体の力が抜けたディアナの体をアルベルトが受け止める。
「まったく……。フラヴィ、スタニ、このまま俺もひと眠りする。宿の方は頼んだぞ」
「はーい」
「任されました」
頷いた二人に頷き返し、アルベルトは従業員用の部屋に戻る。
ディアナの部屋に彼女を寝かせると、自分もすぐに自室に戻って布団にもぐった。
ディアナはもちろんだが、アルベルトも昨日の仕込みで疲れていた。夕方の本番まで英気を養いたい。
(相変わらず、肝心なところでは人を頼るのが苦手なんだな)
呆れたようにそう思って、自分もすぐに眠りについた。
◆ ◆ ◆
「っきゃ――――!!」
そろそろ日が沈みそうな頃に、ディアナの甲高い悲鳴が響き渡った。
「あ、起きた」
干していたシーツを回収してベッドメイクしていたフラヴィが呟く。
どったん、ばったんと、普段はしない騒々しい音を立ててディアナが走る。
「ちょっと料理長! スタニ! なんで起こしてくれなかったの!?」
酒場に駆け込んだディアナが叫んだ。いつも通り『スーくん』と呼んでいないあたり、気が動転しているのがよくわかる。
スタニスラフはそれを爽やかな笑顔でスルーした。
「おはようございます、女将さん」
「おはよう、女将さん。よく眠れたか?」
「ええもうばっちり! 一日寝過ごしたかと思ったわ!」
「ならちょうどいい。切り出したドラゴンの骨で出汁を取っていたんだ。確認してくれ」
厨房の奥からぬっと顔を出したアルベルトにそう言われて、ディアナはまだ肩を怒らせながらそちらに向かう。
五つあるかまどのうち二つを占拠した大鍋には、あきらかに砕いたと思われるドラゴンの骨が浮いていた。他にも玉ねぎや青ネギなどの香味野菜がぶつ切りにして入れられ、ごく薄いベージュ色のスープがふつふつと湧いている。灰汁の処理も丁寧にされていて、ほとんど見当たらなかった。
ディアナは味見用の小皿にスープをちょっとよそい、ゆっくりと飲む。
「……あら、いいじゃない」
一気に彼女の機嫌が直った。
「これと角切りにした尻尾の肉を茹でれば、テールスープの完成よ。井戸からお水をたっぷり汲んできてくれる?」
「わかった」
三つ目の大鍋を持ってアルベルトが井戸に向かう。その間にディアナは臨時の貯蔵庫に走り、ドラゴンの尻尾を持ってくる。
ドラゴンの表皮は、柔らかい腹部も硬い背中も食べられない。なので脂肪に沿ってごっそりと削る。切り取られた表皮は冒険者たちのいい装備に使われるだろう。装備を作る装飾屋がなんか悲鳴を上げていたけど、ディアナたちは下処理に必死だったので無視した。畑が違うので、あちらはあちらでなんとかするだろう。
ドラゴンの肉は、筋肉を守るように薄い皮下脂肪に覆われているだけで、あとはすべて筋肉質だ。尻尾も例外ではなく、三角錐状の肉の断面は見事な赤身で占められている。
よく水気を切って水分とシメリツユを取り除き、包丁を手に一口サイズに切る。ベースのスープを作るため、最初のうちに骨と肉を切り離しておいて大正解だった。おかげで労せず肉を煮込める。
「女将さん、水を汲んできた」
「ありがとう。スーくん、火をお願い」
「はい」
三つ目のかまどに火が付き、そこにどんと大鍋が置かれる。まだ沸いていないところに一口サイズのドラゴンテール肉を投入した。同時に、ベースとなるスープがくどくならないよう、骨と香味野菜を引き上げる。それが終わったら、肉が焦げないようにかき混ぜつつ野菜も切って投入した。たまに灰汁が浮いてきたら、表面が見える程度に適度にすくう。
「よし、スタニ。俺が肉を運んでくるから、順次拭いていってくれ」
「わ……かりました」
スタニスラフの顔があからさまに引きつった。数日分はあるだろうドラゴンの肉だ。拭いているだけで今夜の仕事が終わってしまいそうである。
「宿のお掃除終わったよー」
そこに、ベッドメイクを終えたフラヴィが加わった。
「フラヴィちゃん、手伝って」
「はあい」
二人がかりで肉を拭き、それをディアナとアルベルトが焼いていく。
「ちわーっす! ドラゴンの肉食いに来ましたー!」
そこに、今日の仕事を終えた冒険者たちがやってきた。
「いらっしゃい! テールスープとステーキがあるわよ!」
「よっしゃあ!」
歓声を上げた冒険者たちが、こぞってそれを注文する。
濾されて琥珀色になったスープにドラゴンテール肉と野菜が入っている。ステーキは分厚く、ミディアムレアな焼き加減だ。
「うっまー!」
「なにこれ、ジューシー!」
受け取った冒険者たちが我先にと料理をかき込む。あっさりしているのにガツンと旨味がくるスープと、塩だけで味付けされた野趣溢れるステーキが合う。肉には適度に歯ごたえがあって、噛むたびに肉汁が口の中で溢れる。シンプルな味だから飽きずに食べられるし、途中で飲むテールスープの旨味が引き立つ。
「女将さーん、おかわり!」
「えー? 明日動けなくなっても知らないわよー?」
「その時は女将さんに行ってもらう!」
「嫌よ、明日はシチューにするつもりなんだから」
「なんだと!?」
冒険者がどよめく。
「あれだけの量を今日明日で使い切れると思う? しばらくはドラゴン肉祭りが続くんだから、色々と品を変えて出していくわよ」
「じゃあ、じゃあ! リクエストしてもいい!?」
「出来る範囲で応えるわよお」
「「「うおおおおっ!!」」」
冒険者たちの歓喜の悲鳴で店が揺れた。
「じゃあハンバーグ!」
「薄切りにしてドーンって出して!」
「パンに挟んでもいい? サンドイッチ! 挟むの自分でやりたい!」
「シチューにするならミルクたっぷりで!」
「薄切り肉をトマトで煮込んだら美味しくならないか?」
「お前天才だな!」
「はいはい、順番、順番ー!」
リクエストもアイデアも次々に飛んでくる。フラヴィが肉を拭く手を止めて慌ててメモをした。
――実は前回も、冒険者や町の人々の意見を取り入れて様々な料理を出していた。今回もメニューに困る心配はなさそうだ。
「女将さーん、ドラゴンのお肉食べていいー?」
店じまいをした商店の人たちが、酒場にひょっこり顔を出した。
「もちろん、いいわよ!」
「今日はドラゴンテールスープとステーキでーす!」
フラヴィがそのまま給仕に回り、空いたテーブルに案内する。すぐにアルベルトから料理が回ってきた。
「おおー……!」
「これがか……」
普段は店に来ないからか、見た目は普通の肉料理を固唾を呑んで見ている。
「あれ? 食べないの?」
隣のテーブルの冒険者が覗き込んできた。
「いや、食べる。食べるけど……」
「なんというか、びっくりしている」
「食べたらもっと驚くぜ?」
酒が回った冒険者たちがぐいぐい皿を寄せてくる。フラヴィが「絡み酒は禁止よ~」と言いつつ止めないので、まだ理性的な方だろう。
意を決して、ステーキにかぶりつく。
「…………うまい」
「だろお!?」
目を見開く町の人の肩に冒険者が腕を回した。
「女将さんが狩ってくる魔物の肉は、みんな美味い!」
「そのとーり!」
「よっ、町の守護神!」
「勇者!」
「女神!」
「S級冒険者!」
「どれも違うわよお」
厨房からディアナが否定するが、店のざわめきにかき消される。
飲めや歌えやのお祭り騒ぎになり、どこの店から借りてきたのかテラス席まで出現した。
魔物の肉は怖いけど、ドラゴンの肉は食べてみたい。そんな町人たちがちらほら顔を覗かせる。
「テールスープとステーキのセット、追加ー!」
「はーい!」
注文の声は止まない。今夜は過去最高の売り上げを記録しそうだった。
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