4 婚約者の来訪 ②
ルイーズは、オスカーから視線を外して父親を見る。困惑してはいるが、仕方がないという表情だ。
仲の良い父親たちが結んだ婚約。父親の曖昧な態度を少し残念にも思うが、浮かれた様子の幼馴染との婚約を続ける気持ちはさらさらない。ルイーズは、この婚約に終止符を打つ覚悟をした。
「婚約についてのお話はわかりました。私としては、契約を無効としていただいてかまいません。ですが、白紙ではなく、解消でよろしいのでしょうか」
婚約解消になれば慰謝料が発生する。これを機に両家に溝ができてしまうのはどうしても避けたい。ルイーズは、ふと弟の姿を思い出した。大事な弟が、将来困ることのないように良好な関係を保っておきたい。
「ルイーズちゃんありがとう。愚息が本当に申し訳ない。こちらとしても、婚約は白紙にしていただきたいと思っている。ルーベルト、どうだろうか」
「ああ、そうだな。こちらとしては、ルイーズが納得しているならそれでいい」
男爵は頭を下げ、息子の不義理を何度も詫びた。普段は義理堅い男爵だが、息子には甘いようだ。
しかし思ったよりも早い段階で話がまとまったことに、ルイーズは安堵した。
これで一件落着かと思いきや、オスカーが意味不明なことを叫びだした。その場にいるの者たちは、何事かと一斉に彼に目を向けた。
「父さん! 白紙じゃだめだ! 解消か破棄じゃないと!!」
「っ! お前は一体何を言っているんだ!! 自分が身勝手な要求をしているにもかかわらず、ふざけたことを抜かすな! いい加減にしろ!!」
激怒した男爵が、オスカーを怒鳴りつけた。男爵は、それでも反省しないオスカーを、馬車に乗せておくようにと侍従に連れて行かせた。
ルーベルトとルイーズは固まったまま、そのやりとりを見守ることしか出来なかった。
我に返ったルイーズは、男爵の側に歩み寄った。
「おじさま、大丈夫ですか?」
男爵は荒ぶる心を落ちつかせようと自身の胸に手を押しつけながら、近くの椅子に腰を下ろした。
「すまない、ここ最近あいつの様子がおかしいんだ。半年前、学園に入学した頃は普通だったんだが——」
「態度が豹変しているじゃないか。情緒不安定になっていたし、本人から何か話を聞いていないのか」
「聞いても『何でもない』としか答えないから調べてみたが——。これといったことは分からなかった。ただ、新しい環境での生活に浮足立っているだけかと思っていたんだ」
「——そうか」
ルイーズは父親たちの会話を聞きながら、今日見た光景を思い出していた。
オスカーがあのようになった原因に、彼女が関係しているのか——。決めつけはよくないが、男爵には彼女のことを伝えておくべきだと思った。
ルイーズは、男爵が考え込む中、普段のように話し出した。
「おじさま、実は今日の午後、オスカーを学院近くの庭園で見かけたの。バラ園の中を、同じ年頃の女の子と仲良さげに歩いていたわ。同じ色合いの制服を着ていたから、お相手も学園の生徒だと思うの。私はすぐにその場を後にしたから、その後の様子は分からないのだけど——」
「ルイーズちゃん……すまない。そんな場面を見て傷ついたろう。本当に申し訳ない。でも、オスカーにそんな相手がいるなんて……知らなかった。それで、婚約を解消したいなんて言い出したのか…?」
男爵は自問するかのように呟いた。オスカーの言動を理解していなかった自分に動揺を隠せないようだ。
(親子だからといって、一から十まで理解するなんて難しい話だわ。ただ、婚約を解消したいなんて言い出した時点で、恋愛がらみだとは思うけど……)
ルイーズが男爵の気持ちを慮っていると、ルーベルトが彼に話しかけた。
「今は様子を見るしかないだろう。婚約に関しては、本当にその相手が原因なのかも定かではない。下手に刺激をしたら何をするかわからないぞ」
「ああ、そうだな……」
「白紙にする手続きはこちらで進めるから、オスカーにはそのことだけを伝えておいてくれ」
「わかった、必ず伝える。婚約のことといい、あいつの態度の悪さといい、本当に申し訳なかった。書類の件、よろしく頼む」
男爵は深くお辞儀をしながら謝罪した。
「承知した。そこは心配するな。今は下手なことをせず、オスカーを見てやれよ」
「ああ……」
男爵は、がっくりと肩を落とし、力なく返事をしてその場を後にした。
ルイーズとルーベルトは、その姿を黙って見送ることしかできなかった。
♢
「ルイーズ、帰ってきてそうそうすまなかったな」
「いえ、大丈夫です」
「私とジャンで決めた二人の婚約が、このような結果になってしまったこと——本当にすまなかった」
「謝罪は受け入れます。ですから、お父様も気にしないでください。私がもう少し気遣っていれば、オスカーの変化にも気づくことができたかもしれません」
「いや、ルイーズは十分良くやってくれた。ジャンからも聞いていたんだ。オスカーの勉強を見たり、身の回りの世話をしているとな。それを聞いて、安心していた。それに、家では手伝いもして、弟妹の面倒も見てくれている。ジャンには偉そうなことを言ってしまったが、私も反省せねばなるまい」
父親から労いの言葉をかけられるとは思ってもみなかった。ルイーズは、心につかえていたモヤモヤが、少しだけ解消されたような気がした。
今なら父親に言えるかもしれない。貴族令嬢としては、許されることではないかもしれない。だけど、どうか許してほしい。ルイーズは、そんな気持ちで父親を見つめた。
「お父様、お願いがあります。しばらくの間、婚約はしたくありません。それからどうか少しだけ、私にこれからのことを考える時間をください。お願いします」