3 婚約者の来訪 ①
エリーと別れた後、馬車に乗ったルイーズは帰路についた。
今はエリーからもらった紙袋を抱えながら馬車に揺られている。
袋の中からは、ハーブの穏やかな香りがほんのりと漂っている。ルイーズは、馬車内に広がるその香りを芳香浴で楽しんだ。
庭園のカフェから馬車に乗り、1時間ほどの時間が過ぎただろうか。
馬車の窓から外の景色を見れば、見慣れた屋敷が見えてきた。他のお屋敷と比べると小さいが、焦げ茶色のレンガでつくられた建物は、緑に囲まれ郷愁的な雰囲気に包まれている。
古臭いなどと言う人もいるが、ルイーズは凛と佇むその姿が大好きなのだ。
門を潜り敷地内に入ると、屋敷の正面玄関の横には、見慣れた馬車が停まっていた。
馬車を二度見するルイーズ。
(……噓よね。今日の今日で、家に来るってどういうこと? もしかして、婚約解消をしに来たのかしら。でも、先ほどの様子だと、そこまでする関係性には見えなかったわ)
ようやく落ち着きを取り戻したころ、婚約者本人かその関係者の来訪。
ルイーズが馬車から降りると、執事のトーマスが玄関前で出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、ルイーズお嬢様」
「ただいま戻りました。トーマス、お出迎えありがとう。でも、私の帰宅時間がわからないときは休憩してね」
「ありがとうございます、ルイーズお嬢様。お言葉ではございますが、私は、皆さまが健やかに朗らかに、過ごされる姿を見守ることが、一番の幸せなのです。ですから、毎日このお出迎えはさせていただきとうございます」
「わかったわ、トーマス。いつもありがとう」
ルイーズは眉尻を下げつつも微笑みを浮かべ、トーマスに感謝の気持ちを伝えた。
父親から「歳のせいか、最近は足腰の衰えが目に付く」とは聞いていた。
トーマスはいつも、穏やかな笑顔で出迎えてくれる。彼はルイーズにとって祖父のような存在なのだ。無理をしてほしくないから、ついつい余計なことを言ってしまう。このやり取りをするたびに、いつも切ない気持ちになる。
「とんでもないことでございます。それはさておき、先ほどお嬢様の婚約者様がお越しになりました。今は、旦那様とお話をなされています。お帰りになって早々申し訳ございませんが、そのまま応接室に向かっていただけますか」
「ええ、このまま向かうわ」
玄関から入って右手の廊下を進むと応接室がある。普段は快適なこの距離も、今日に限っては憂鬱だ。ルイーズの足取りも少し重たそうだ。
心を落ち着けながら、応接室のドアをノックする。
「ただいま戻りました、ルイーズです。お呼びでしょうか」
「入っていいよ」
部屋の中から父親の返事が聞こえてきた。 ルイーズはドアを開けて部屋に入る。するとそこには、見知った顔の人物が目の前のソファーに座っていた。婚約者のオスカーと、その父親のジャンだ。
ルイーズの父ルーベルトとオスカーの父ジャンは、王立学園の同窓であり、幼馴染である。
子爵と男爵で爵位が近く、領地が隣り合っていることから、昔から家族ぐるみの付き合いをしている。
以前はルイーズがブラン子爵家の跡継ぎとされていた。しかし、数年後に年の離れた弟が生まれたことで、男爵家嫡男のオスカーとの婚約が結ばれた。
そのような事情から、この婚約が解消になることはないと誰しもが思っていた。だが、ここにきての不安定な状況。この婚約は、経済的支援や領地がらみの契約は交わされていない。破棄したところで、わだかまりが残るようなものでもない。しかも、爵位の差はほとんどなく、父親同士の仲が良い。そのような背景があるため、オスカーは、すぐにでも婚約を解消できると考えたようだ。しかし契約は契約だ。ここでわだかまりが残らないように、動かねばならない。
ルイーズは気持ちを固めると、男爵に挨拶をした。
「お久しぶりです。本日はいかがなさいましたか」
「久しぶりだね。今日は突然の訪問ですまないね。実は、婚約に関することで話があって伺ったのだよ」
「婚約の話……ですか」
ルイーズの問いに答えるように、オスカーが言葉を引き継いだ。
「ルイーズ、ごめんね。僕は、どうしても君を一人の女性として見ることができなくて……。僕は嫡男だから、それでは困るだろう? これから先も、その思いは変わらないと思うんだ。だから、婚約を解消したいと思ってる」
オスカーは金髪碧眼だ。世間一般の美男子の部類に入るのだろう。きっと、自分でも自覚しているはずだ。それでも、中身が残念すぎる。
(——こんな無神経な人だったかしら)
ルイーズの顔には、悲しみの代わりに呆れた表情が浮かんでいた。