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9.天才魔術師

 冒険者ギルド東王都支部。その瀟洒な扉が通り側から開かれ、カランと乾いたベルの音がする。その音に振り向いたのは、数人の冒険者パーティとちょうど手の空いていた窓口のオレットだ。彼は入ってきた人物をみとめると、意外と形の良い眉をぴくりと動かした。


 入ってきたのは一人の青年。

 肩に届くウェーブがかった髪は、艶のある黒色。紫の瞳は切れ味鋭く、口元に佩いた笑みは端正な面立ちと相まって自信の程を窺わせる。長身痩躯を包むのは、黒髪の映える白いシャツに、体に沿ったラインのスーツ。特注なのか、よく見れば動きやすい素材で、形も普通のスーツとは異なっている。襟元には上品なクラバット。丈夫そうな編み上げのブーツをカツコツと鳴らして歩く様は、冒険者というよりどこかの貴公子と言った方がしっくり来る。だがしかし、腰に帯びた剣帯に吊るしてあるのは大きな宝石のついた短杖で、それは彼が魔術師であることを何よりも雄弁に物語っていた。


 壁際で駄弁っていた冒険者たちが雑談をやめ、それまでとは明らかに異なる声音で囁く。


「おい、あれってもしかして一等級の……」

「ああ、噂通りの気障男だな」

「でも実力は確かなんだろ?」

「宮廷にも招かれたっていう、天才魔術師――」


 ――ギルバート・ルフェウス。

 ゴクリ、と唾を飲む音が重なる。

 幾人かの好奇の視線をものともせず、ギルバートは迷いのない足取りでロビーの中央を横切った。オレットの前までやってくると、カウンターに左腕を乗せて笑んだまま唇を開く。


「シェリーいるかい?」

「あー……。シェリーさんなら休憩室です。お呼びしましょうか?」

「いいよ。こっちから行くから。いいよね?」

「はい、支部長からギルバートさんは通していいと言われています。どうぞ」

「ありがと」


 ギルバートは小さく苦笑して、正直な受付係に礼を言った。

 彼が本来職員のみ立ち入りを許されている場所に入れるのは、ギルドと提携する魔術家としての一面を持つからだ。彼が考案したいくつかの魔術は冒険者ギルドが買い取り、機密保持の仕掛けに使われている。

 ただし、その辺りのアレやソレにシェリーは全く関わっていない。今日訪れたのは、完全にギルバートの私事だ。その辺りのことはオレットも分かっているはずだが、大目に見てくれるらしい。

 ギルバートは許可を得たことを幸いと、カウンター横をすり抜けて関係者意外立入禁止の奥へ進んだ。

 勝手知ったる東王都支部。

 飴色をした二枚扉の前に立つと、右手をノックの形にして掲げ――


「御機嫌よう、シェリー! 君の心の友が来たよっ!」


 バァァン! と、勢いよく両手で扉を撥ね飛ばした。


 だが、威勢に反して返ってきたのは痛いほどの沈黙だった。

 部屋を分断するように置かれた長机。その片隅に座り、こちらを見据える冷めた眼差しが一つ。焦茶の髪を太いポニーテールに結った、愛らしい少女のものだ。その虫を見るような目に、ギルバートの笑顔も石みたく固まる。

 少女、ラビィは、明らかな作り笑いで答えた。


「ごきげんようです~、ギルバートさん。心の友ってなんのことですかぁ?」

「いやいやいや。聞いてないよ、君までいるなんて。彼、オレットだっけ、僕ちょっと抗議してこなくっちゃ」

「あたしが同席してるのがそんな不満ですか。まったく、んなつまらないことでうちの職員を煩わせないでくださいよ。ほら、用があるなら座って」


 そう言って机の下で片足を伸ばし、ガンっと向かいの椅子を蹴る。

 なんて行儀の悪さだと慄きつつ、ギルバートはその隣の席を引いて腰掛けた。


「で」


 ちらりと見やった先は、ラビィの右隣に座る――いや、沈む人物。

 天板にべたりと頭を横たえ、自らが流した涙の海に没したシェリーであった。目は開いているのに死んでいる。死んだ目からは今もぱたぱたと絶えず涙が溢れている。異様だ。瞬きもしてない。本当に生きているのだろうか?


「妙な話を聞いたんだけど、それが原因でこうなってるってことでいい?」

「……どうやら一から説明しなくていいみたいですね」


 助かります、とラビィは頭を下げた。


「ぅっく……私なんかしょせんゴミクズなんだぁ……いらなくなったら、ポイなんだぁっ」

「なんか言ってるんだけど」

「本日の鳴き声です。あまり気にしないでください」


 態度から察するに、ずっとこの調子らしい。


「こんなに酷いのは休憩に入ってからですよ。午前中は何とか平静を保ってました。なので、先輩がこんななってるって知ってるのはあたしだけです。あ、今はギルバートさんもか。まあ時間の問題でしょうけど」


 昨日のエリザベート襲来と合わせて、騒ぐ人が増えそうだとラビィは懸念する。


「ギルバートさんはどうしてここへ? シェリー先輩と親しかったですっけ? 心の友?」

「これからそうなる予定~。共通の友人がいるんだよね。それもあって、彼女のことはちょっと気になってたんだ」


 概ね真実を言えば、疑ぐり深い視線が突き刺さる。そりゃそうだ、とギルバートは思う。シェリーとルークが付き合い始め、フローラの自称生まれ変わりが現れたこのタイミング。シェリーに近づく理由はなんだと疑念を抱くのは仕方がない。

 けれど、ギルバートは嘘はほとんど言っていない。先の言葉で真実でないのは、「共通の友人」という点くらいだ。その人物はギルバートにとっては友人だが、シェリーにとっては違う。ただし親しい関係に変わりはないので、誤差の範囲である。


「僕がここに来たのは、シェリーにお願いしたいことがあったからだよ。彼女にしかできないことなんだ」

「内容を聞いても?」

「ごめん。言えない」

「そうですか」


 ラビィはあっさりと引き下がった。かと言って退室することもなく、ギルバートが"お願い"を口にする機会を封じた形だ。あくまでシェリーを守ろうとする過保護っぷり。ここに来て手強い相手に出会ったなと、ギルバートは指先で頬を擦った。


「お茶、淹れましょうか」

「いいよ。必要ない。モーラ嬢は、東王都支部の間でかなり評判を落としてるようだね」


 エリザベート・モーラ。フローラ・アイベスト。どちらの名前を使うべきか一瞬迷い、無難な呼称を口にする。


「落とす評判もなかったですけどね。なにぶん、いきなり現れたので」

「そうだね。ルークもシェリーも災難だったな」

「――ルーク」


 ぽつんと、涙の海に声が落ちた。

 ラビィとギルバートは、揃って声のした方を振り向く。だけど、そこには相変わらず死んだ瞳のシェリーがいるだけだ。

 ラビィとギルバートは互いに顔を見合わせ、肩を竦めた。


 先日ギルドでの一幕を見ていた者たちの口から、シェリーとルークの関係は東王都支部所属の冒険者を中心に一気に広まった。個人的な知り合いでなくとも、二人を知る人間はとても多い。冒険者に限って言えば、知らない者の方が少ないくらいだ。

 二人とも謙虚で真面目。見目よく、実力もある。万人ではなくとも十人に聞けば七、八人は好感を持つと答えるだろう。なので、交際自体は割と好意的に受け止められた。中には嫉妬したり嘆いたりする者もいるが、シェリーたちの人気を考えればむしろ当然だった。


 一方で、エリザベート・モーラに対しては非難轟々だ。冒険者というのは威勢がよく、仲間意識が強くて、変なところでプライドが高い。それなのに、冒険者の拠点であるギルドで騒動を起こしたというのがよくなかった。一応相手は貴族のお嬢様なので、発言には慎重な人もいるが、言いたい放題な人も多かった。


 そんな過激派が、ここにも一人。

 机に両方の手で頬杖をつき、ラビィはむすっと不満顔。いつも置いてある菓子の皿には手を付けていない。それほど怒っているのだ。


「あの自称生まれ変わり女、見るからに怪しいの何なんですかね。顔は確かに可愛いけど、中身は嫉妬深い悪魔ですよ。大勢の前でシェリー先輩貶めて、許せない! イライラする! 先輩がこんななったのも、石に躓いたのもお肌の調子が悪いのも全部あの女のせいだ!」

「悪魔か」


 ギルバートは面白そうにニヤリと笑う。


「じゃあその娘に奇跡を授けたのも悪魔かな」

「…………」


 ラビィはバタバタと手を振り回した格好のまま、ぴたりと口を噤んだ。

 ――神は気に入った人間に奇跡を授ける。つまり、人間を見ているということだ。水害や旱魃などの天災が神による罰だという説もある。ラビィは信じていないが。それでも、神が見ているかもしれない中で神が奇跡を授けた者の悪口をいうのは、もしかしたら、不敬……かもしれない。

 しばらく無言で考えた末、ラビィは開き直ってふんぞり返った。


「けっ! 天罰下すなら下だせってんですよ! 受けて立とうじゃないですかっ」

「さすが、勇敢だなぁ」

「天罰……」


 ギルバートが感心していると、再び幽霊みたいな声が聞こえてきた。

 先程と同じように振り返り、二人してぎょっとする。

 起き上がったシェリーが、はらはらと涙を零していたのだ。

 涙が止まらないのはさっきまでと変わらない。違うのは表情だ。

 死んだような眼差しではなく。いつもの平然とした顔でもなく。

 悲痛に歪んだ口元。必死で痛みを堪えようとする瞳。見ている方が心臓をぎゅっと鷲掴みにされるような、辛い表情。


「天罰なのかなぁ。私が悪いのかなぁ。私、ルークを守る神様に嫌われたのかもしれない。だからこんなことになるんだ……」

「そっ……」


 ラビィはそんなことない、と言いかけて言葉がつかえた。シェリーの言葉が正しいと認めたからじゃない。今の彼女に何を言っても救いにならないと気付いたからだ。

 昨日、エリザベート・モーラがやって来て。卑劣にも脅迫していって。その後、何があったのかラビィは知らない。おそらくエリザベートか、もしくはルーク本人と接触したのだろうとは思っている。

 だけど詳しいことは聞けなかった。今のシェリーを見ればそれは正解だったと分かる。

 どこからどう見ても、シェリーは限界だった。

 一押ししただけで崩れてしまいそうなほどに。


「先輩……」


 我慢できずに呟くと、それが契機になったわけではないだろうが、シェリーはふっと糸が切れたように気を失った。背凭れから落ちそうになるのを、ラビィは慌てて支える。

 むっとした顔でギルバートを睨んだ。


「何かしました?」

「疲れてるみたいだから休ませただけだよ」


 心をね、とギルバートは悪びれず笑う。

 この男じゃなかったら寸刻はっ倒しているところだ。悪意や害意はないと分かっているから、溜め息をつくだけで済ませられる。


「はぁ。魔術使うなら、せめて一言言ってからにしてくださいよ。心臓に悪いです」

「闇魔術なんて縁起でもないし?」

「我らが誇る一等級冒険者様にそんなことは言いません」


 ギルバートは、今度は声を立てて笑った。


 冒険者には一等級から五等級に格付けされるが、大抵はパーティとしての評価となる。というのも、徒党を組まずに単独で依頼を受ける人間などほぼいないからだ。東王都支部では――いや、王都全体を見ても、ギルバートくらいだろう。

 ルークも一時期一人で動いていたが、それは大物を狩るためだった。標的が人の気配に敏感な魔獣だったため、一人でも実力十分なルークが依頼を請け負ったのだ。その成功が決め手になり、ルーク・トライデンは単独一等級と認定された。現在は彼もパーティを背負っている。


 一方、ギルド入会から現在に至るまで、ただの一度も誰とも組んだことのないのがギルバートだ。彼は新人の頃から四属性を操る凄腕の魔術師で、ルークとは別の意味で他と一線を画している。

 単独(ソロ)で一等級。

 まさしくルークと並ぶ冒険者なのである。

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