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6.覚悟することね

 冒険者ギルド一階の廊下はL字型に折れ曲がっており、休憩室は受付ロビーから遠く奥まったところにある。ロビーと廊下を隔てる扉などはないので、曲がり角に隠れながらこっそり覗けばロビーの様子はある程度見て取れるのだ。

 真っ先に目に入ったのは、揃って同じ方向を気にする冒険者たちの姿だった。皆、何かしらの用があってギルドを訪れた人たちだ。彼らが見ているのは受付カウンタ。ここからでは壁の影になってしまっているが、その辺りだけ人が捌けているおかげで、カウンタの前に立ちはだかっている人物が誰なのかは分かった。

 繊細にふわりと広がる金髪。華々しい顔立ちに、ただの町娘には手が出ないような上質のドレス。

 シェリーは思わず上げかけた声を、手で塞いで抑えた。

 予想はしていたものの、実際目にすると緊張で体が強張る。

 間違いない。フローラだ。


「さっきから言ってるじゃない。シェリー・ベルモットを早く出しなさいと。これは命令よ。それとも、平民のくせに貴族に逆らうの? お父様に言って処罰してもらったっていいのよ」

「ですから、ベルモットは休憩中でしてー。今職員が呼びに行っているところです。その間に要件だけでも伺おうって話でしてー」

「その適当な態度がムカつく。私が若いからって舐めてるんじゃないでしょうね? 言っておくけど、私はスゴい神様に愛されてるのよ。お前みたいな小物、本当なら私と直接話ができる立場じゃないんだから」

「はぁ。さいですか……」


 応対しているのは同僚のオレット君。声からして面倒くささが滲み出ている。仕事はできるがやる気のないオレットは短気な冒険者を怒らせる達人なのだが、今回ばかりは彼だけの問題ではなさそうだった。

 金髪の美少女は、白い手袋に覆われた手でバンバンと台を叩きながら横柄なセリフを口にする。それだけでも「うへあ」となるのに、ギルド職員に向ける目はまるで虫でも見るかのように冷淡だ。嫌悪感を隠そうともしていない。先程のセリフと合わせて考えても、平民をどう捉えているのかよく分かった。

 フローラの後ろには他の冒険者も並んでいるが、物理的にも精神的にも距離をあけている。煩く騒ぎ立てる貴族令嬢には、さしもの百戦錬磨たちも近寄りたくないのだろう。気持ちは分かる。シェリーだってこのまま関わらない距離を保っていない。


(い、いやだなぁ)


 しかし、シェリーはアレに呼ばれているのだ。本当は隠れている場合ではない。出ていかないと帰ってくれなさそうだし。

 困っている(?)後輩のためにも、このままだと用事を終えられない冒険者たちのためにも、ここは一つ勇気をもって踏み出さなければ。


「オ――オレット君」


 なるべくキリッとした表情を心がけ、ぎくしゃくと前へ進み出る。

 オレットはぱっと弾かれたように後ろを振り返り、安堵したような、それでいて申し訳無さそうな顔で会釈した。それに一つ頷きを返し、シェリーは値踏みするようにこちらを眺め回すフローラへ視線を向けた。

 ゴクリと静かに唾を呑む。

 フローラの装いは昨日より格段に華やかだ。昨日は少女の瑞々しさや無邪気さを表現した明るい色合いだったが、今日の彼女は首元や手指などにキラキラとした装飾品を着けており、大人の淑女といった印象を引き立てている。

 明らかに場違い、だが――


(戦闘装束)


 ――と思えるほど似合ってもいる。

 ここは冒険者ギルド。荒事を生業とする戦士たちの縄張りだ。その只中で、雰囲気に呑まれるでもなく真っ直ぐ立てる胆力は並ではない。

 しかも彼女はたった一人。貴族ならば、付き添いの一人や二人伴うのが普通である。それくらいシェリーも知っている。ギルドの外には控えているのだろうけれど、未成年の貴族令嬢が一人で冒険者の群れに飛び込む様は異様という他なかった。


「久しぶりね。シェリー・ベルモット」

「…………」


 ピリッとした緊張が肌を突き刺す。挑発的なフローラの視線を受けるシェリーは一見泰然としているが、内心は怖すぎる状況に気絶寸前であった。


「シェリーさん、この方とお知り合いだったんですか?」

「えっと……」


 オレットが一同の疑問を代表して尋ねた。

 名前を挙げて連れてこいと命じるのだから、二人の間に何かしら関係があるのは推測できる。しかし、立場も性格もあまりに違いすぎるために、二人が知り合いだと推測だけでは信じられなかったのだ。

 シェリーは何とも言えずに言葉を濁した。知ってるのは生まれ変わる前の方の彼女です、なんて言ったところですぐに意味が通じると思えない。下手をすると、ここにいる全員に白けた目で見られることになる。


「私はエリザベート・モーラ。モーラ子爵家の一人娘よ。でもかつてはフローラと名乗っていたの。一等級冒険者ルーク・トライデンの幼馴染にして運命の恋人。悲運にも若くして死んだ哀れな美少女。その生まれ変わりが私ってわけ。あなたとは"フローラ"の時に一度会っているわ、シェリー・ベルモット。覚えているでしょ」

「その…………はい……」


 言った。自分から暴露(バラ)した。この人。

 その勇気に恐れおののきつつ、フローラの眼力に負けて肯定するしかないシェリーであった。

 どよ、とざわめきが生まれる。


「あのお嬢さん、何言ってんだ?」

「生まれ変わりって、頭大丈夫か?」

「あー……。いや、それよりルークの恋人とか言っちゃってんぞ」

「そんな話聞いたことないけど」

「というか、シェリーとあの子はどういう関係なんだ?」

「あまり友好的ではなさそうだが……」


 ものすごく注目されている。当然と言えば当然だが。

 まるで崖から激流に放り込まれた気分だ。しかも岸はギャラリーでいっぱい。


(こんな盛大に暴露しちゃって、この子いったいどういうつもり?)


 してもいいけど、自分を巻き込まないでほしかった。

 そもそも、フローラもといエリザベートは、どうしてわざわざ白昼にギルドを訪れたのだろう。シェリーに会うなら何もこんなところじゃなくてもいいはずだ。最初から見世物になるつもりだったのか。いや、たぶん彼女はギャラリーなんて気にしてない。彼女が見ているのは……。


「シェリー、助けがいるなら加勢するぞ!」

「外野は黙ってなさい。すぐ終わるから。今日は、シェリー・ベルモット、あなたに釘を刺しに来たの」


(き、きた~!)


 絶対そうだと思った!

 十年前に会った時よりも、今のフローラ――エリザベートは敵意マシマシだ。シェリーを敵だとはっきり認識している証拠。そしてその原因は、ルークのこと以外ありえない。万が一の確率に賭けて違ってほしかったけれど、現実はやっぱり厳しかった。


 エリザベートは両手でカウンタを叩きつけると、上半身をぐいっと乗り出し、目と鼻の先でシェリーを睨んだ。

 剣呑な碧い瞳。神は奇跡だけでなく優れた容姿すらも与えたのかと思わせる、美しいアーモンド型。しかし、その内側は美とは程遠く、嫉妬と怒りで濁っている。


「即刻、ルークと別れなさい。彼にはこの私がいるんだから。あなたは、私が死んだことによって舞台に上がることができただけの脇役に過ぎないのよ。真のヒロイン(わたし)が戻ってきた以上、あなたの出る幕はない。大人しく引っ込んでて。いいわね?」


 ピリピリと肌がひりつくような感覚。目の前の小柄な少女から放たれる威圧に、足が竦んで動けない。殴り合いの喧嘩はもちろん、口論でさえ心臓が縮むくらい苦手なのに、剥き出しの敵意を真っ向から浴びせられては立っているだけで精一杯だ。


(フローラさん……)


 彼女の真剣な眼差しを覗くと、ズキリと胸が傷んだ。

 ルークとフローラ。家が隣同士、年も同じで、生まれた時からの幼馴染。いつもぴったりと寄り添っていて、間に他の人間が入り込む余地なんて少しもなかった。ラビィにはストーカーだと怒られてしまったが、当時はどうしても話しかける勇気が出なかったのだ。そうこうしている内に、フローラが死んだ。

 葬儀にはシェリーも出席して、ささやかながら祈りを捧げた。ルークは列から離れたところに一人でいて、ずっと下を向いていた。落ち込んでいるのだと察して、シェリーも声をかけなかった。かけられなかった。フローラの死因は事故だ。だけど、ルークが一緒だったら防げたかもしれない。100%助かったとは言い切れないけど、もしもの可能性を考えてしまうことがルークを追い詰め、責任を感じさせているんじゃないかと思った。

 だから、近付けなかった。

 二人を繋ぐ絆は、シェリーには決して触れられないものだ。エリザベートの言うことも一理ある。現在のシェリーの幸せは、フローラの死によって成り立っている。彼女が現世に戻ってきた今、その幸せを彼女の手に返すべきなのかもしれない。

 ――でも。


「いやです」


 声は微かに震え、しかし聞き間違えることのないくらいハッキリと拒絶する。腹の前で祈るように組んだ掌に汗が滲む。それでも気持ちを奮い立たせたのは、負けたくないという思いが不意に湧いてきたからだった。

 休憩室でラビィと話している時は、完全に及び腰だった。ルークを巡って争うなんて考えられなくて、自分が身を引くしかないと半分以上諦めていた。

 だが、面と向かってエリザベートの一方的な要求を聞いていると、ムカムカとした不快な感情が腹の底から浮かび上がってきたのだ。

 エリザベートはルークの代弁者でもなんでもない。シェリーと同じくルークを好きな女の一人であって、かつての幼馴染。ただそれだけでしかないのだ。

 そして、今ルークの心を掴んでいるのはシェリー。


(のはず)


 怯む必要はないのだと、シェリーは下腹に力を込めた。慣れない反抗に心臓がバクバク波打つ。冷や汗が出る。それでも負けるかと言わんばかりに、シェリーは唇を結んで顎をあげる。

 エリザベートは氷のような瞳で、すべてを見透かすようにシェリーを見据えていた。視線が棘を伴うようだ。見られているところがチクチク痛い。

 睨み合いの末、先に目を逸らしたのはエリザベート。折れた――のではなかった。


「――そう。あくまでそっち側(・・・・)ってわけ」

「…………」


 目を伏せ、ふ――っと細く吐息する。

 次に瞼を上げた時、シェリーが感じたのは、かつてのフローラが見せた艶やかで冷たい微笑みだった。棘のある薔薇、という表現がしっくり来る。


「いいわ。あなたがルークに付き纏うというなら、こちらにもそれなりの考えがある。絶対に私は諦めないから。覚悟することね。この先何があっても、それはあなたの愚かさが招いたこと。あとから後悔しても遅いんだから」


 ゾワッと背筋が粟立ち、シェリーは両手で己を掻き抱いた。そんなシェリーを一瞥し、ふんと鼻を鳴らしてエリザベートは踵を返す。

 カツンカツンと靴音が床を叩くと、様子見していた冒険者たちは無言で道を開ける。その真ん中を堂々と進むエリザベートは、貴族というより女王といった風格だ。誰も彼女に声をかけようとする者はいない。

 エリザベートが誰かに合図すると、外に待機していたらしき若い使用人が、両開きの扉をスルスルと開いた。ずっとギルドの真正面に馬車を停めていたようだ。外を通った人は何事かと訝しんだことだろう。

 エリザベートは御者が設置したステップをヒールの高い靴で上り、馬車の中へと消えていった。一度も振り返らなかった。

 最後に、芝居がかった仕草で使用人がギルドの扉を閉じる。

 静寂がロビーを包んだ。エリザベートの残していった強烈な余韻が、ギルドの空気を押し下げているかのよう。

 そして、たっぷりと時間が経った頃。

 今まで黙っていた分、冒険者たちの言いたいことが爆発した。


「なんッッだよアレ! 俺たちのシェリーに向かってどういう態度だ!?」

「どういうって、貴族様だろ」

「見た目は可愛いのに性格で台無しだな。貴族のお嬢様ってみんなああなのか?」

「オレ、虫けらを見るような目で見られた……」


 広いロビーのあちこちで、怒号や呆れ、罵倒などの声が聞こえてくる。彼らはそれぞれ商売敵だが、同時に仲間でもあり、同族意識が強い。それは冒険者を支援するギルド職員に対しても向けられている。加えて、美人でいつも丁寧な対応をしてくれるシェリーは、冒険者たちの癒やしでもあるのだ。そんな彼女を脅す人間は、貴族だろうと少女だろうと敵である。


「ていうかさぁ! シェリー、ルークの野郎と付き合ってるって本当!?」


 バンッと、さっきのエリザベートよりも強い力で台を叩きつけ迫ってくるのは、逞しい二の腕を剥き出しにした大柄な女戦士。声も大きく、悲痛な叫びはロビー全体に轟いた。


「エ、エミリアさん」

「嘘だよね? あの女が適当言っただけだよね? シェリーが男に取られたとか! お願い、嘘だと言ってよぉぉ!」


 丸太みたいな胴体を架け橋に、泣きながらシェリーに縋り付く。エミリアにかかれば、受付カウンタなんて子供のままごと道具みたいなものだ。人間と言うより、熊に抱きつかれているような錯覚。反面、力加減は完璧なので、シェリーは苦笑するしかない。

 どうやって宥めようと思っていると、エミリアの圧力が不意に消えた。


「いい加減にしろ、エミリア。シェリーが困ってるだろ」

「いててっ。リリ、背中っ。背中ァっ」


 エミリアとは対照的な細い少女が、冷めた面持ちで女戦士の後ろから現れた。左手はエミリアの背後に回されており、その手がグイグイと捻るような動きをするたびにエミリアの苦悶が広がる。具体的に何をしているのかシェリーからは見えないが、エミリアの様子と周囲の冒険者たちの青褪めた顔から、容赦のない仕打ちだということは分かった。

 五回ほどエミリアの体勢が変わったところで気が済んだのか、リリは手を放し、無機質な眼差しをシェリーに向けた。


「大丈夫だったか?」

「え、ええ。私はなんとも。それよりもエミリアさんは――」

「違う。エリザベートとかいう女の方だ。うちらが入って来た時、あの女はもうシェリーに肉薄してた。何かされなかったか?」


 ああ、そっちか。

 シェリーはにこりと微笑んでみせる。


「心配いりませんよ。何もされていませんから」

「そうか。それはよかった」

「よくありません」


 エミリアたちは、口を挟んだラビィを振り返った。

 小さな肩が、怒りでプルプルと震えている。目は鬼のように吊り上がり、今にも炎が噴き上がりそうだ。過剰な反応にシェリーの方がビクッとしてしまう。

 ラビィが睨んでいるのはシェリーでもエミリアでもリリでもない。既に去ったエリザベートの幻影だった。

 何も分かっていなさそうなシェリーに向かって、ラビィは唾を飛ばす。


「だって、最後の、完全に脅迫じゃないですか! 『それなりの考え』? 『後悔しても遅い』? 自分が勝手に押しかけてきたくせに、シェリー先輩が悪いような言い方して!」


 ダンッ! と、拳を激しく台に打ち付ける。――何度も叩かれているカウンタが、段々可哀想になってきた。


「これは戦争ですよっ! あの(アマ)はギルド職員に喧嘩を売ったんです! 今すぐカチコミだぁっ!」

「待てっつの」

「あだっ」


 調子づくラビィの後頭部に、オレットの手刀が炸裂する。

 面倒くささで垂れ気味の目がラビィを見下ろしていた。


「相手は貴族だ。容易に事を荒立てるな」

「出た、オレット先輩の事なかれ主義! 理不尽に立ち向かえ、日和見主義者!」

「酷いな。年上に向かってなんてこと言うんだ」


 なんとも思ってなさそうな顔でオレットが言う。彼はそれ以上ラビィに構わず、立ち尽くすシェリーに顔を向けた。


「今日のことはオレからも支部長に報告しておきますから。大丈夫。あなたの味方は多いですよ」


 この場で詳しく聞くつもりはないようだ。事を荒立てるなというのは、シェリーの気持ちにも配慮した言葉だろう。遅ればせながらそこに気付いたラビィは、少々気まずそうに顔を背ける。


「うん……ありがとう」


 シェリーは微かに震えていた拳に、そっともう片方の手を重ねた。

 怖くないはずがなかった。エリザベート相手に勇気を揮ったのは、精一杯の抵抗だった。

 シェリーだって、このままではいられないと考えている。

 ルークと話をしよう。ラビィたちに微笑んでみせながら、そう心に決めたのだった。

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