間話2 消えないお菓子の謎・前編
冒険者ギルド東王都支部の、一階奥にある休憩室。時間帯によっては職員で席が埋まることもあるが、今はとある女性職員が一人で部屋を支配している。
女性というより、少女と呼ぶ方が相応しいだろうか。
平均よりも低い身長、痩せ気味の体。だが見窄らしいというわけではなく、溌剌としたエネルギーが全身に漲っている。
頭頂部で結ったポニーテールはくるんとカールを描き、動くたびにぽわんぽわんと柔らかく弾む。あどけない顔立ちとは対照的に瞳には聡明さが宿っており、思案の矛先は今、テーブルの上に向けられていた。
休憩室の半分を占める長机。その端っこにぽつんと置かれた、陶器の皿。御婦人方が好みそうな花の絵付けがされている。その皿――正確には皿に盛られた小麦色のクッキーたちを前に、ラビィは深く考え込んでいた。
腕を組み、片方の手を顎に当てる象徴的なポーズ。誰がどこから見ても、思索に耽っているのは一目瞭然だ。ただ、視線の先にあるのがお菓子の皿なのが一種のおかしさを醸し出しているだけで。
「うーん」
一体、素朴なクッキーにどれほど込み入った懸案を見出しているのか。ラビィの思索が終わることはない。
そこへ、休憩室の扉が開き、他の職員が疲れた様子で現れた。青年はあくびをしながら沓摺を踏み越えようとするが、ぼんやりと開いた眼が難しい顔で唸るラビィを捉えると、「うおっ」と仰け反った。
「びっくりしたぁ。お前、座りもしないで何やってるんだ?」
「あ。オレット先輩。いえちょっと、考え事をしておりまして」
「それは見れば分かるが」
オレットと呼ばれた青年は不審な表情を崩さず、テーブルを回り込むとラビィの向かいの椅子に腰掛けた。その手が何気なく伸び、皿の上のクッキーを一つ抓んで口の中へぽいと放る。もぐもぐと咀嚼する様子は、何の変哲もない日常の光景だ。この休憩室に来れば、誰かしらが似たような行動を取る。
ラビィはその様子をじっと見ていた。
「……オレット先輩って、あたしより一コ年上なんですよね」
「んん? そうだけど、それがどうかしたか?」
ラビィが十七歳になったばかりで、オレットは十八歳。冒険者ギルドの勤務歴もたった半年の差しかない。東王都支部においては、ある意味最も近しい同僚だ。それでも先輩である以上、それなりに敬ってはいる。
常に覇気がなく、面倒くさがりで隠そうともしない性格。眠そうに半分閉じられた眼は生来の顔つきなのか、本当に眠気を抑えているからなのか判別しにくいところだ。その顔と気怠そうな口調がある種の人には大変癇に障るらしく、血の気の多い冒険者を三日に一度は怒らせている。
だが、優秀。相談に来る依頼者は会話が要領を得ないことも多いのだが、相手がどんなにパニック状態でも冷静に対処するおかげで手続きがスムーズに進む。これが非常に助かるのだ。しかも事務作業は間違わないし、面倒な確認も淡々と行う。一度、「オレット先輩は面倒くさがりなのに、どうして仕事は丁寧なんですか?」と聞いたら、「適当にやってトラブルになった時の方が面倒」という回答で納得したものだ。
それだけではない。彼は意外にも剣術に長けており、ギルドが行う環境調査にも護衛としてたびたび駆り出されている。
誰に尋ねても、色々前置きはつくだろうけど最後には「優秀」の二文字を飾るであろう男だった。
そんなオレットだが、何故かラビィには少し甘い。あからさまではないが、ふとした気遣いを見せることがあるのだ。食事は摂っているかとか、よく眠れているかとか。あと、ちょっとしたお願いをよく聞いてくれる。
たぶん、ラビィ以外は気付いていない。
しかし、彼女からすると疑問であった。あたしのこと好きなの? とか思ったこともある。だが、それにしては気を遣うところが保護者目線に寄り過ぎていて色気は全くない。
歳の近い妹でもいるのかもしれない。シスコンか。見た目は悪くないのに、残念な人だな。
と、勝手に可哀想なものを見る目を送っていると、突然ピコンとアイデアが閃いた。
「そうだ! オレット先輩、ちょっと手伝ってくださいよ!」
「あ? 何を」
聞く前から嫌な顔をするオレット。それには気付かないふりで、ラビィは机に両手を突いて身を乗り出す。
「あたしと一緒にお菓子の謎を解くんです!」
「はぁ?」
返ってきたのは、純度100%の戸惑いだった。
当然だろう。まず、何故ラビィと一緒なのかが分からないし、お菓子の謎というのも意味不明だ。それがギルドの業務と何の関係があるのかと、つい顔を顰めてしまう。
「よう分からんが、シェリーさんに頼めよ。親しいだろ」
「だめですー。先輩は今色々と大変なので、お手を煩わせたくありませんー」
「俺だって煩わしいのは嫌だよ。大体、お菓子の謎ってなんだ。お前が買ったものに異物でも混入してたのか?」
「それじゃ事件じゃないですか。官憲の出番ですよ」
どうやらそこまで大仰な話ではないらしい。
嫌がるオレットに、ラビィは強引に説明する。
――消えないお菓子の謎。
まるで児童向けミステリー小説みたいに銘打たれたそれは、ここ東王都支部では有名な怪奇現象であった。
職員ならば誰もが利用する休憩室に常備されている、お菓子の皿。大抵はクッキーやパウンドケーキといった日持ちする菓子が盛られていて、誰でも食べていいことになっている。
そこまではいいだろう。
ミステリアスなのはここからで、このお菓子、なくなるとどこからともなく補充されるのだ。お菓子自体は消えないわけでも減らないわけでもない。気付けば新しい菓子が用意されているという、言ってしまえばそれだけの話。
ただし、誰が、いつ、どのように置いているのかは誰にも分からない。無限にお菓子を出せる奇跡の持ち主だとか、恥ずかしがり屋の妖精さんの仕業だとか、現実的なところだとギルドと提携している業者だといった説があるものの、真実を知る者は誰もいない。
以上が、"消えないお菓子の謎"である。
熱の籠もった説明を聞き終えたオレットは、だるそうに頬杖をついたまま反論した。
「単にそいつが休み時間に菓子を食いたいから置いてるってだけだろ。謎でもなんでもないわ」
「それだと、常に置いてあるのは不可解でしょう。誰でも手に取れちゃったら、自分が食べたい時に食べられないかもしれないじゃないですか。あたしだったら自分のバッグに隠しておいて、食べたい時だけ取り出します」
「お前みたいにみみっちいのを基準に考えると、真実を見落とすんだぜ。出しっぱの方が楽だろ。残ってれば食うし、別の誰かが食い尽くしたならそれはそれで構わない。そんなもんだって」
「なるほどー。オレット先輩みたいにテキトーで他人に関する興味が薄くて人生枯れてると、そういう考えになるんですねー。でもそんな大雑把な人が、お皿が空になるたびに補充なんてマメなことしますぅ?」
軽口に軽口で迎撃すると、ラビィとオレットはバチバチと火花を散らして睨み合った。互いに顔はにこやかだが、目だけは全く笑っていない。そのまま鍔迫り合いが続くかと思われたが、先にオレットが折れた。たぶん、喧嘩するのも面倒くさいのだろう。吐く溜息にもしんどさが詰まっている。
「なんでそんなに犯人を突き止めたいんだよ。お前のせいで太ったんだぞって文句つけたいのか?」
「別に犯人呼ばわりするつもりはないですけど。単純に気になるってだけですよ。だって不思議でしょ。お菓子が毎日どこからともなく出てくるなんて。むしろなんで誰も気にしないんです? あと、あたしは別に太ってません」
「あーまあ、冒険者ギルドって細かいこと気にしない人多いからなぁ。仕事で神経使う分、どうでもいいことに思考を割きたくないんだろ。それはそうとラビィ、ここらへんの肉が前より……」
「うるさいですよ!!」
ラビィが犬なら、牙を剥いて吠えているところだ。しかし彼女の見た目では威嚇にならないのか、オレットは愉快そうに笑うのみ。
気に入らない。この人はあたしをなんだと思っているのだろう?
ラビィだって女の子だ。普通の少女よりかは頑丈だけど、傷つくことだってある。正直、痩せてるとか太ってるとかどうでもいい。たぶんオレット以外に言われたら笑って受け流せる。その程度だ。でもどういうわけか、オレットが相手だとちょっと泣きそうになっている自分がいる。
そんな心の変化は見ないふりをして、感傷を奥底に閉じ込める。
オレットはラビィの表情になどちっとも気付かず、ただただ笑っていた。
「すまんすまん、冗談だよ。お前平均よりずっと痩せてるから、ぶっちゃけもっと太った方がいいとは思うけどな」
「余計なお世話ってんですよ、ったく」
痩せてるのは生育環境のせいだ。今現在のではなく、幼少期を過ごした孤児院の。
だが、まあ。
「んなことはいいんです。それよりお菓子の謎なんですよ、大事なのは!」
「そうかぁ?」
「そうです! この謎を解明しなくちゃ、あたし夜も眠れません。だからオレット先輩も手伝うんですよ!」
「この前寝坊しそうになったって笑ってたじゃねぇか。つか、お前なら一人で調べられるだろ。なんで俺を巻き込むんだよ」
「一人より二人の方が楽しいからに決まってるじゃないですかっ」
「そんな理由かよ。お前よく人のことをテキトーと罵れたもんだな」
「罵ったんじゃありません。テキトーなのは先輩の美点ですよ。褒めたんです、むしろ」
「おま…………はぁぁ。負けるわ、まったく」
勝った。
いつも通り、華麗な勝利だ。
やはり先輩はあたしに甘い。
「分かった、手伝うよ。ただし、休憩時間だけな。それ以上は付き合わねぇから。午後もあるし」
「大好きです! 先輩!」
調子の良い言葉に、オレットは盛大に顔を顰めるのだった。
* * *
調査と言っても、取れる手段は多くない。
現場が関係者以外立入禁止の区域であることから、探し人がギルドの人間なのはほぼ確実だ。
休憩室は、支部長や副長を除いてギルド職員全員の出入りがある。そこからただ一人の痕跡を見つけ出すのは困難極まりない。
手がかりは問題の菓子と皿のみ。皿は売った店の特定に使えそうだが、流石に手間だし時間もかかる。
ということでラビィが選んだのは、捜査の基本――聞き込みだった。
休憩時間は一時間だ。既に十五分ほど過ぎているので、残り四十五分。一人あたり五分かかるとすると、最速で動いても十人も聞けない計算だ。手早く、無駄なく行動する。
その結果――。
「ダメですね。話を聞いた人の中に、お菓子を補充する人物を見たという方は一人もいませんでした」
「だから"謎"なんだろ。簡単に行かないことくらい分かっていたことだ」
「はい。ですから、得られた証言を元にお菓子の補充犯を絞り込むしかありません」
「また妙な言葉を造り出したな。補充犯て。最初に"犯人"って言葉使ったのは俺だけどさ」
「名称があった方が分かりやすいでしょう」
結果は芳しくなかったが、想定内なので二人とも冷静だ。片方はやる気がないだけかもしれないが。
ラビィは腕を組み、人差し指で顎をとんとんと叩いた。
「証言をまとめると――行動が始まったのは大凡一年半前。これは大体の人が覚えてましたね。あたしはその頃ギルドにいなかったので初耳でしたが。当初は美味しいおやつが毎日食べられるということで、主に女性職員の間で盛り上がったみたいです。人の物かもしれないのに遠慮がないですね。まあ毎日毎日目につくところに置いてあれば、皆が食べるために誰かが用意してくれてるんだって認識にもなりますか」
「…………」
「当然、誰がお菓子を置いているのかという疑問は噴出しました。犯人探しではないですが、『アレ置いたのあんた?』みたいな会話はあったみたいです。でも結局誰なのかは分からず、すぐにみんな話題にしなくなったって言ってましたねー」
「…………」
メモなどは取っていない。聞いた内容は全てラビィの頭の中に収まっている。あとは情報を整理しながら話すだけ。
ラビィはさらに続けた。
「菓子店巡りが趣味のジョージ先輩によると、店売りじゃなくて手作りじゃないかという推測でした。気になって調べてみたことがあるそうで。少なくとも近場の菓子店やカフェで提供されているものとは味や見た目が合致しなかった、と。『プロ並みではあるが、あくまで"並み"。温度管理が甘い部分があり、たまに失敗したと思しき焦げもあった。特にチョコレートを使った作業は不慣れなのか、味にざらつきが出ることがしばしばだ。だが日に日に経験を積んでおり、着実に腕を上げている。これからも精進してほしい』……とのこと。うーん。ガチですね」
「一言一句覚えてるお前がすげぇよ。でもそこは謎解きに関係ないだろ」
「他の方からは、流行を無視した独自路線のレシピ、輸入でしか手に入らない食材が使われているなどの指摘がありました。それぞれエリカ先輩、ロージェ先輩からの情報です」
「なんでこのギルドそんなの分かる奴がゴロゴロいるんだよ。そっちの方が謎じゃねぇか」
ラビィは鬱陶しげに青年を見やった。
「いちいちツッコミうるさいですね。そういう相方は求めてないんですが」
「知るかボケ。お前が拾ったんだろうが。飼うなら最後まで責任をもて」
「そっちこそボケてんですか? 先輩みたいな可愛くないペット、飼うわけないじゃないですか」
「なんだと! 弄んだっていうのか? 俺を!」
ラビィは冷めた眼差しで鼻を鳴らし、オレットは傷ついた表情をしてみせた。
流れる沈黙。
コホン、と二人とも咳払い。
「……寒いコントはやめましょう」
「……お互いにな」
「あたし、お菓子を置いてるのは男性だと思うんですよね」
突然のシリアス化に動揺したのか、オレットは目を泳がせた。
ちょっと戸惑ったように一旦間をおいてから、冷静に聞き返す。
「なんで?」
「ギルドにいる女性職員は、こういうことを隠れてやらないだろうと思うからです。むしろ、ここぞとばかりに女子力アピールするはず。知ってますか。血走った目で結婚相手を探す婚活女子の戦法を。彼女たちは、持てる武器はなんでも使います」
「……あんまり知りたくねぇなぁ」
「お菓子作りが趣味なんて王道なアピールポイント、使わないはずありません。ですから、女性よりかは男性の方が可能性としては高いのではないかと」
悲しいけれど納得できる推理だ。
まだ若いこともあって結婚願望のないラビィでも、先輩たちが必死になる理由はなんとなく分かる。彼女たちはただ普通に暮らして、普通に幸せになりたいのだ。手を伸ばせば届く環境にあることが、どれだけ恵まれたことかも知らずに。
……駄目だ。またもや感傷が顔を出す。
軌道修正、軌道修正。オレット先輩に悟られるな。
「それに、お菓子にはチョコレートやスパイスなどの高価な輸入食材が使われてますよね。流石に頻度はそれほど多くないですけど。そんなものを使えるってことは、比較的裕福な方で間違いないでしょう。貴族? 貿易商? 本人がじゃなくて、家族か親類か……」
「なぁ。ラビィ」
熟考に入りかけた、その時。オレットの静かな声がラビィの思考を引き戻す。ラビィはいつになく真剣な響きを感じ取り、彼の顔を見上げた。
いつもの半眼。だが、そこに気怠げな光はない。代わりに覗かせた気迫に、ラビィは少しだけ気圧されそうになる。
「なんですか?」
「調査、まだ続けるのか?」
「勿論です。今日聞けたのは一部の方だけですからね。次は調査部の方にお邪魔してみようかと。聞き込みは量が大事なんです」
というのは、何かの本で読んだ知識だ。間違ってはいないと思う。百人が知らないことも、百一人目が知っているかもしれない。ましてや、まだ十人弱しか聞き込みしていない。打ち切るのは早すぎるとラビィは思っていた。
やる気に満ちたラビィ。彼女とは対照的に、オレットは暗い表情で口を開く。
「あのさ。一度協力するって決めといてなんだけど……。やめないか? こういうこと」
「え?」
きょとんと。
豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。
それを見るオレットは、何故か辛そうだ。
「だって、隠してるのには理由があるだろ。知られたくないから隠すんだよ。そいつにはそいつなりの事情があるのかもしれない。いや、あるんだよ。だったら、そっとしておくのが優しさじゃないのか? 別に誰かが不利益を被ってるわけじゃない。謎を解き明かしたいってのはお前の都合、好奇心だ。だろ? 絶対に明らかにしなきゃならない理由はない」
ぶつけられる本音に打ちのめされる。
聞き慣れた軽口じゃない。面倒を避けるために捻り出した世迷い言でもない。
本質を捉えている。
「それは、そうですが……でも――」
――でも、言葉は続かなかった。
薄闇色の沈黙が落ちる。気のせいか、視界も少し暗くなったように感じる。ラビィの足元だけ、光が避けているかのよう。
ロビーの喧騒が遠くに聞こえる。団体がやってきたのかもしれない。かなり賑やかだ。
時計を確認したのか、オレットが動く気配がした。
「そろそろ休憩終わるから、俺行くな」
「……はい」
どんな言葉で止めろと言うのか。
足音が遠ざかる間も、ラビィは俯いて自分の爪先を見下ろしていた。




