2.気持ちで負けてちゃ
冒険者。それは、命知らずの冒険ヤロウを指す言葉――だったのは昔の話。現在は職業として成立し、人々の生活を脅かす魔獣への対抗策として、王都だけでも数千人が冒険者ギルドに登録している。全員が頻繁に仕事を請け負っているのではないし、中には若い頃は依頼を受けていたが、年を取り身体が動かなくなった後も、退会届を提出せず登録したままになっているという者もいるので、数千の民間戦力が常に王都にあるわけではない。
それでも、機動力が高く融通の利く彼らは魔獣被害に悩む人々にとってのヒーローであり、国としても無視できない存在だ。
ギルドはどこの国にもあるが、関係性は様々。協力しあう国もあれば、あまり良好でない国もある。隣の多民族国家ベイラードなどは、目に見えてギルド側が反発を受けている。それでいて民族間の争いも起きるから、地域によっては魔獣被害が深刻なようだ。
ソルレシア王国は断然前者だった。魔獣の生態調査や被害報告など、多数の情報を共有し、時には王家直々に依頼が出されることもある。逆に国側からは魔獣研究員が派遣されたり、ギルドに登録済みの魔術師向けに最新の魔術研究資料の閲覧を許可していたりと、手を取り合って治安維持に取り組む姿勢が鮮明だ。
その甲斐あって、ソルレシア王国は他国に比べると魔獣被害が小さい。少ないのではなく、被害が広がりにくいのだ。確固たる協力関係のおかげで、適切かつ迅速な対処が可能なおかげだ。
とは言え、冒険者は決して楽な仕事でも安全な生き方でもない。それはどの国でも変わらない。
なぜならば、世界のほとんどは未だ魔獣の支配領域だからだ。人間が大手を振って闊歩できる土地は、人間が生きていける範囲に限られる。そして魔獣の住処と人間の国はおおよそ隣り合っており、どちらかがはみ出ればたちまち争いとなる。
それがこの世界の構図だ。
人は時間をかけて少しずつ版図を広げてきたが、これ以上増えることはないだろうと言われている。尤も、それは幸運だと唱える者もいる。仮に魔獣が消えたとすれば、次に起こるのは人間同士の土地を賭けた争いだろうから。
* * *
冒険者ギルド、ソルレシア王国東王都支部は、王都支部の中で最も忙しい部署である。
各支部は王都から東西南北に伸びる街道の近くに置かれ、東王都支部はその名の通り王都の東――ドルー街道沿いを管轄している。
ドルー街道は、一言で言えば"裏道"だ。北街道や南街道と違い山間部を通るルートは険しく、長い旅となるのは確実だ。そのため、東方面を目指す者はまず北へ向かい、別の街道を通って東の方角へ大回りするのが定石だった。
また、魔獣の巣窟であるトラントの森が街道の傍にあるので、それを避けたい気持ちもあるだろう。特に商人などは、大事な荷を安全に運ぶため、リスクが少ない方を選びがちだ。
ドルー街道周辺は豊かな農作地帯なのだが、上記のような理由で他方面の日陰的存在になってしまっていた。
しかし冒険者からすると、評価はガラッと変わる。
獲物が豊富に棲息する、良好な狩り場なのである。
人里が発展していないということは、魔獣の縄張りが近いということだ。実際、トラントの森という悩みの種も存在する。森の外に目
を向けても、魔獣が好む環境が整っている。
毎日のように舞い込む数々の依頼と、被害防止のための間引き、巡回、罠の設置に生態調査……。
これらをこなす東王都支部は他の支部よりも忙しく、また、最も腕利きの冒険者が集まる部署なのだ。
* * *
「死んだはずの昔の女が生まれ変わって元カレに会いに来たぁ?? なんですかそれ!」
「ちょ、声大きいよ、ラビィ。あと元カレじゃないから! ……たぶん」
壁がビリビリするくらいの大声を戒めたあと、シェリーは後輩からちょいと視線をずらし弱々しく付け加えた。
ラビィは浮き上がった腰を再び椅子に沈めると、ふ~んと怪しみながら焼き菓子の皿に手を伸ばした。
冒険者ギルド東王都支部、休憩室。二人が座っているのは、近くの食堂から譲ってもらったお古のテーブルセットだ。テーブルの上には焼き菓子の皿が置かれている。なくなっても気付けば補充されているので、誰かが作るか買うかしているに違いないのだが、職員は皆否定しているという曰く付きの菓子皿である。
それに平然と手を付けるラビィは十七歳で、シェリーの二つ年下。共に受付を担当している。
磨き上げたかのように艶のあるチョコレート色のポニーテールと、くりくりとした大きな瞳がチャームポイントの可愛い娘だ。見た目は小動物さながらだが、性格はそこらの冒険者より気が強くて度胸がある。冒険者は荒くれ者が多いので、受付にうってつけの人材なのだ。シェリーにとっても頼れる後輩である。普通は逆なのではないか、とたびたび他の職員から指摘されているが、シェリーはちょっとしか気にしていない。
「シェリー先輩、フラれて頭おかしくなっちゃったんだ……。いつもの先輩だったら嘘も冗談も言いませんもんね。かわいそう……」
「フラれてないし、嘘でも冗談でもないってば! 狂ってもないっ。そりゃあ、信じがたい話であることは認めるけど、本当なんだよぉ……」
無表情のまま、琥珀色の瞳に大盛りの涙を浮かべる。
シェリーは感情表現に乏しい人だが、人形ではないので当然感情だってある。その上で自制もできる。だが、時にこうして内なる悲鳴が爆発することをラビィは知っていた。今回の場合、ルークを目の前で掠め取られたのが余程ショックだったのだろう。それがショックでない人間なんていないだろうけど。
「でもそれ、そのフローラ? って女が、一方的に主張してるだけなんですよね?」
すっかりしょげ返ってしまった先輩がさすがに不憫で、ラビィもからかうのを止めて路線を戻す。ただし菓子を貪る手は止めない。昼食もしっかり摂ったのに、一体お腹のどこに入っていくのだろうとシェリーも不思議だ。そしてこのお菓子はどこから湧いてくるのだろう。
「うん。でも、ルークは信じたみたいだった」
「信じる理由があったってことか。その女とルークさんは、具体的にどういう関係だったんでしょうね? 少なくともあたしはあの人の浮いた話とか聞いたことないんですけど」
「…………」
シェリーは気まずそうに視線を逸らす。そわそわと、テーブルの下で組んだ手を無意味に動かす。
あからさまに不審な反応だ。
ラビィは半眼で先輩を見据えた。
「シェリー先輩も知ってる人なんですね。フローラって女のこと」
「う」
さっきからラビィのフローラに対する敵愾心が隠せていない。味方であるはずのシェリーですらたじたじになってしまう。「大好きな先輩の恋敵! 威嚇してやるっ」という気持ちであれば嬉しいのだが、なにぶん争い事が苦手なシェリーは、味方が持つボールにも怖がっていたタイプである。子供の頃はそのせいでボールを使ったゲームから外されがちだった。
「まぁ、いいですよ。話さなくても。先輩なら何かの拍子にぽろっと零しちゃいそうだし」
「べ、別に話したくないわけじゃないんだよ。……ちょっと頭の中でまとめとくね」
「それじゃあ、フローラのことはまた後ってことで。問題は、フローラの主張が真実だった場合」
ラビィは腕を組んで背凭れに寄りかかり、思案顔になった。古びた椅子がぎしっと軋む。
「生まれ変わりが与太話ではないとしたら――"奇跡"ですか」
「うん。その可能性はあると思う」
シェリーもまた深刻な顔で一つ頷いた。
奇跡。
この場合、神がかった偶然を指す言葉ではない。
神によって人に与えられる、人知を超えた御業。選ばれし者のみが触れられる、世界の理。そういったものがこの世界には存在するのだ。
たとえば、失った手足を蘇らせたり、死に至る病をも消し去る癒やしの力。
たとえば、砂漠を海に変える力。
たとえば、空想上の生き物を召喚する力。
世界には数多の神がおり、奇跡の力も千差万別。
魔力を必要とする魔術や、祈りを力に変える僧術とは異なり、奇跡には何の対価も必要としない。
必要なのは、神からの愛だけ。
それだけで人は、人の域を少しだけはみ出る。
理を操るのは魔術と僧術。
理を超えるのが神の奇跡。
生まれ変わりなどという物語にしか存在しないような事象も、神を由来とする奇跡ならば実現可能なのではないか。
実際に奇跡持ちを知っているだけに、ありえないとは言い切れない。
「どこの神様か知らないけど、余計なことをしてくれましたね。昔の女なんか出てきたら、臆病でヘタレなシェリー先輩はビビって引っ込むに決まってるじゃないですか」
「ラビィ。そんなこと言わないの。神様だって何か理由があって――え? 私? 今私の悪口言った? なんで?」
「愛ゆえの発破ですよ、愛ゆえの」
「あいゆえ……」
今のは発破をかけられたのだろうかという疑問は置き去りに、ラビィはどんどん話を進める。
「それよりも! 落ちこんでる場合じゃないですよ。やっと掴んだ幸せの糸端、すり抜けてくのをこのまま指を咥えて見ているつもりですか? もしルークさんが本当にあっちに靡いたりしたら、シェリー先輩は道化ですよ、道化! 噛ませにだってなってません! 路傍の石以下、家畜のエサ以下!」
「うぅ、そこまで言わなくても……」
「ならどうするかっ」
涙目で小さくなるシェリーを余所に、ラビィは一人で大盛りあがり。椅子を蹴倒して立ち上がると、天井に向かってぐおーっと拳を突き上げる。
「戦うっきゃないっ! 戦いましょうっ! 幼馴染だろーが昔の女だろーが、そんなの終わった話でしょ? どうせ美化されてるに決まってますよ。そんな女に負けるな先輩っ」
「で、でもぉ~」
「でももヘチマもないんですっ。勇気を出せっ。気持ちで負けてちゃダメです。喧嘩ってのは士気が大事! 相手が押してきたらそれ以上の力で押し返すっ。つまり先輩、ドレスです! 向こうがピンクの可愛い系なら、こっちはセクシー系でルークさんに抱きつきましょう! これで絶対勝てる!」
「なんでそうなるのー!」
「シェリー先輩にピンクは似合いませんからっ」
――一分後、ようやく落ち着きを取り戻し、軽く息を整える二人の姿があった。
ラビィは澄まし顔でコホンと咳払いし、
「失礼しました。闘争となると、昔を思い出して本能が疼くんですよね。あたしの悪いクセ」
疼くどころじゃなかったけどなぁ、と思いながらシェリーは返す。
「えぇと、大兄弟だったんだっけ?」
「違いますよ。孤児院育ちです。まあ、兄弟みたいなもんですけどね、みんな。大変でしたよ。食べ物も遊び道具も居心地のよいベッドも、何もかもが日々取り合いだったもので」
敗者は冷たい床で寝ていたらしい。厳しい世界だ。温かい家族に囲まれてぬくぬく育ったシェリーは、なんとなく後ろめたさを感じてしまう。そんなこともラビィにはお見通しなのだろう、曇り一つなく笑ってみせる。
「今のあたしがあるのは、シェリー先輩のおかげなんですよ。本当は冒険者にと思ってギルドの戸を叩いたのに、先輩に職員志望だと勘違いされたのがはじまり」
「ああ、そんなことあったね。だってあの頃のラビィ、小さかったんだもの。とても戦えるようには見えなくて。カウンタに身を乗り出すなり、『働きたいんだけど!』って言うから、てっきり職員希望かと」
「あははっ! 無理もないや。それで、あたしムカッと来ちゃったんですよねぇ。たぶん、クールぶってて見下してるって感じたのかな。最初はシェリー先輩がこんなに気弱な人だと思わなかったし」
「……よく言われます」
初対面の人は、必ずと言っていいほど距離を置く。表情が乏しいせいで冷たそうに見えるらしい。だが、何回か言葉を交わせば誤解は解ける。そして殊更親切になるのだ。自分はこんななのに、つくづく周りの人に恵まれていると感じる。
「で、ついつい喧嘩腰になっちゃって」
何があったんだっけ、とシェリーは記憶を探る。
そうだ。勘違いしたシェリーとそれを正そうとするラビィが言い合っているところに、別の受付カウンタでちょっとした揉め事が起きたのだ。
冒険者はその性質上、乱暴な――もとい、元気のよい人が大変多い。声が大きくて威圧的で、おまけに言葉遣いも荒い。特に手強い人の対処は、慣れたギルド職員であっても容易ではない。
その時も、対応に当たった若い職員が、百戦錬磨の剣幕に当てられたじたじとなっていた。
そこへ助け舟を出したのはシェリー――ではなくラビィ。自身も苛々していたところに理不尽に怒鳴り散らす大男がいたものだから、彼女曰く、闘争本能に火が点いたらしい。それで相手をこっ酷く言い負かし、ギルド職員に謝罪させた。
「あの時のラビィ、格好良くて惚れ惚れしちゃったなぁ。あまりに感心したものだから、思わず受付に勧誘しちゃった」
「勧誘されちゃいましたねぇ」
ちなみに言い争いで負けた冒険者は、現在ラビィの隠れ舎弟となっている。
「本当に惚れてもらってもよかったんですよ?」
「いやいや。私にはルークがいるから」
流し目で誘惑するラビィに振り向かず、シェリーは余裕を持って胸を張る――がしかし、現実を思い出して一瞬で背中が丸まった。
「ルークがいた、かなぁ……」
「め、目が死んでる! 先輩生き返ってくださいっ」
「むりぃ」
「そんなー!」
くたりと花が萎れるようにテーブルの上に突っ伏すシェリーを見て、ラビィはあわあわと焦った。
「そうだ、先輩はなんでルークさんが好きなんですか? ほらっ、かつての情熱を思い出してっ」
「え~? 話すと長いよ~?」
「なんでもいいから喋ってください! このままじゃダメ人間になっちゃう!」
酷い言い草だなぁと思いつつ、シェリーは身を起こした。
(ルークを好きになったわけ)
それは十年前に遡る。
ルークとの初めての出会い。
恐怖と後悔、温水に手を浸すようなほのかな温かさ。
そして、好意と自覚する前に萎んだ初恋。
チクリとした痛みを思い出した――。