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18/20

18.運命

 地上には人の光が。空には星々が瞬いていた。

 その下を、二人は手を繋いで歩く。会話はない。二人分の足音だけが、夜の石畳に響き渡る。


(に、握っちゃった……)


 不意に差し出された手。掴んだのは咄嗟の行動。こんなチャンス二度とないと思ったら、体が勝手に動いていた。躊躇わなかった自分をよくぞやったと褒めてやりたい。今も心臓がバクバク鳴っている。


 肩の触れ合う位置に、好きな人がいる。

 二人の距離は遠いようで近く、近いようで遠く。

 冒険者とギルド職員。

 助けた者と助けられた者。

 文字にしてしまえば悲しいほどに簡潔な関係。無数に広がる宇宙の中で、出会ったことが奇跡と思える。

 好きだと言いたい。でも……。


 彼の隣には、別の女の子がいるはずだった。

 フローラ。たった十年で生涯を閉じてしまった女の子。

 傍から見ても、二人は仲良しだった。フローラはいつもルークにくっついているし、ルークもそれを嫌がらない。微笑みさえ浮かべて、寄り添っていた。


(今も好きだったりするのかな……)


 立派に成長したルークには浮いた話が一つもない。誰それが彼に気があるという噂なら数え切れないくらい耳にしたが、恋愛に発展した素振りすらないのは、どうにも疑いを持ってしまう。

 過去を引き摺っているからではないのか、と。


(聞いたら答えてくれるかもしれないけど、人の死に関わる話なだけになぁ)


 早逝した幼馴染の話を脈絡もなく聞けるほど、シェリーの心臓は強くない。好奇心だと思われて、嫌われても文句は言えない。

 なんて言って切り出す?

 ――仲良かった友達が死んじゃうなんて悲しいよね。

 ――もしかしてフローラさんのこと好きだった?


(ムリムリ! どうやっても無神経な人になっちゃう。大体、十年前のことルークは覚えてるの? 一度もその話になったことないじゃない。きっと忘れてるんだよ……。ちゃんと顔合わせたのは最初だけで、あとはこっそり覗いてただけだし……)


 うー、と喉の奥で唸る。

 勇気を出して話しかければよかったなどと後悔しても、後の祭りだ。

 仕事の付き合いがなければ赤の他人も同然、友人以下。通勤途中の野良猫の方が関わりが深い。なにせ、お腹を見せて撫でさせてくれるほどの仲なのだ。ルークはたぶん見せてくれない。

 もしルークが十年前のことを覚えていてくれたら、感動のあまり泣く。違いない。


(まあ……こうして一緒に歩けるだけで、今は十分かぁ)


 コツコツ、カツカツ。二人分の足音。ルークの方が少し重く、シェリーの方が歩幅が小さい。口下手な二人の代わりに、靴音が会話をしているみたいだ。


「あのさ」


 街灯の明かりに足すように、ルークの声が耳元に灯った。

 シェリーは顔を動かして見上げる。昼間より幾分暗い瞳が、静かに彼女を見つめている。


「俺、明日から遠征なんだ」

「はい、もちろん把握してますよ。オーヌ川の異変の調査でしたね。水棲魔獣が荒らしている疑いがあると。大変でしょうけど、頑張ってくださいね!」

「うん。ありがとう、頑張るよ」


 ルークは嬉しそうに、ふにゃりとはにかんだ。その破壊力たるや。心臓のど真ん中に矢を射られたシェリーは、呼吸を忘れ、危うく窒息しそうになる。生存本能が仕事するのがあと少し遅かったら、肺から送り出される空気で溺れ死ぬところだった。

 シェリーがそんな危機に見舞われてるとは思いもしないルークは、肩で息する彼女に向き直ると、繋いだ手にもう片方の手を重ねて力を込める。


「で、行く前に言おうと思ってることがあって……。明日はもう時間ないし、今日はシェリー会議で遅くなるかもって聞いて、本部前で待ってたんだ。迷惑だったらごめん」

「まさか! 迷惑だなんてこれっぽっちも思いません」

「そ。そっか」


 今、二人は正面から向かい合っている。互いの手を握りしめて。ルークに至っては両手だ。改めて冷静に考えると、かなり距離が近い。

 これはどういう状況なんだろうか。だいぶおかしいというか、誰かに見られたら誤解されそうな気がするのだが……。


 ルークの喉仏が小さく上下する。

 すぅ、と息を吸い――ピタリ、と止まった。


「シェリー・ベルモットさん。どうか俺と付き合ってください。ずっと君が好きだったんだ。十年前、初めて会った時からずっと」


 シェリーは目を見開いた。


 街灯の炎。吐き出される白い息。横を過ぎ行く馬車の影。

 全てがゆっくりと流れる中、鼓動だけが速くなっていく。


(――嘘だ。だって、だって今まで一度も)


 触れなかったではないか。

 たった一度、前に会ったねと言うだけでよかった。

 だけど、しなかった。お互いに。


 桃色の唇が薄く開く。

 声は少し震えていた。


「覚えてたの? 十年前のこと」

「もちろんだ。忘れるわけない。一目惚れだったんだから」


 そう言ってルークは、懐かしむように笑う。

 時が動き出した。

 詰めていた息を吐き出す時、不覚にも嗚咽が混じりそうになり、耐える。涙で歪んだ世界に、輪郭がぼんやりと滲む。


「えっと……。それで、どうかな。俺と、付き合ってくれる?」


 心配そうに揺れる声。

 シェリーは涙が落ちる瞬間を見られたくなくて、反射的に俯いた。

 それに焦ったのはルークだ。


「ちょっちょっ、ちょっと待って! 断るのはもう少し待って!」


 シェリーが顔を背けたので断られると勘違いしたらしい。前のめりになって言い募る。


「ゴメン怖かった? 十年も引き摺ってたなんてストーカーみたいだよねっ。でも誓って違うから! 極めて健全で疚しいことなど一切ないからっ! いや、その、ちょっとはあるかもだけど――じゃなくて違うんだ。本当に。信じてくれ。少なくともアーヴィングよりは誠実なはずだからっ」

「……アーヴィングさん? 経理の?」

「そう。時々シェリーに粉かけてる」

「かけられてませんよ?」

「かけてるの! 君が気付いてないだけで」

「そ、そうだったんだ……」


 勢いに気圧される。

 アーヴィングはシェリーと同じ東王都支部の男性職員で、業務が違うため仕事で話す機会は少ないものの、何かと食事に誘ってくる不思議な人だ。二人きりでというのはないので、特に注意を払っていなかったのだが。

 ――そういえば、彼が誘うのは全員女性だったなと思い出す。ハーレム気分でも味わっていたのだろうか。

 胡乱な目つきで虚空を見据えるシェリーに気付いているのかいないのか、ルークは今まで溜め込んでいたものを限界とばかりに吐露する。


「アーヴィングが近いうち君を誘うって言ってるの聞いて、焦ったんだ。あいつイケメンで自信家だし、そのうえ実家も裕福で、前に『誘った女に断られたことがない』とか自慢してたから不安で不安で――!」


 誘うというのは、つまりそういう意味だろう。人伝とは言え、自分がそういう対象になっていると聞かされるのは結構恥ずかしく、先程浮かんだ涙はすっかり引っ込んでしまう。

 ルークはわなわなと宙を掻き毟るように指を震わせると、その手で自分の顔をガッと掴んだ。


「もし旅に出てる間に、シェリーがあいつと付き合うことになんかなったら……絶対嫌だ……。俺、あいつに何するか分からない」

「お、落ち着いてください。そんなことにはなりませんから! 私、アーヴィングさんのことはなんとも思ってませんし!」


 苦悩だ。苦悩する青年だ。そこに、一流の冒険者として堂々と振る舞う若きスーパースターの面影は微塵もない。シェリーとしては、冒険者としての顔も一面に過ぎないので関係ないが。

 というか、アーヴィングがシェリーを狙っているのは遊び相手としてではないのか? そう考えると、自分の言葉が意識過剰だったように思えて顔が真っ赤になる。


「……本当に? じゃあ俺は?」


 指の間から青い瞳がじっと見つめる。

 そこに含まれる感情をなんと言ったらいいのだろう。

 慕情。熱情。執着。哀愁。それらの根幹にあるのは、怖れ。


 ルークは顔を覆っていた手を徐ろに外した。指にかかっていた金髪が寄る辺を失い、たらりと揺れる。その手でシェリーの左手を掬い、両手で挟んで祈るように持ち上げた。形のよい唇が、触れそうで触れない距離で懇願する。


「俺にしてくれないかな、シェリー。他の誰でもない、俺が君の隣にいたい。いさせてください」


 熱い思い。彼の抱えるものが何であれ、それだけは疑いようもない気がして。

 もとより拒絶なんて選択肢、あるはずもなくて。

 シェリーは笑った。真珠のような嬉し涙がぽろりとこぼれ落ちる。


「はい。喜んで」


 降り積もる夜の静寂の中、繋いだ手は確かに温かった。







「ルーク……なんで……」


 一筋の涙が、辛そうに歪んだ頬に伝う。それは枕に吸い込まれ、小さな染みを作った。

 温かくて幸せな思い出の夢。だが、今はシェリーを苦しめる鎖でしかない。

 ()にはそれが分かっていた。


 ――すまない。


 実体のない手で、そっと娘の頭を撫でる。透けた掌では感触を伝えることはできないけれど、少しでも娘の悲しみを癒せることを願って。

 やがて、娘は静かな寝息を立てはじめた。



 * * *



 時は少し遡る。

 ギルバートは一人、風車塔に続く道を歩いていた。一緒に洞窟探索を終えたシェリーとルークは、一足先に帰っていった。二人を風魔術で崖の上に送り届けた後、まだ少し調べたいことがあったギルバートはもう一度洞窟に戻ったのだ。残念ながら成果は掴めなかったが。


(シェリーが光魔術を使って、湧いていた敵は全て消えた。光魔術で倒せたということは、魔獣ではなかったのか?)


 光魔術に攻撃力は一切ない。これは魔術家が長年に渡る研究で出した結論だ。闇魔術も同じで、精神に働きかけるが肉体に直接ダメージを与えることはできない。尤も精神を破壊することは容易なので、ある意味他の属性よりも遥かに凶悪なのだが。

 ともあれ、敵が消えたのは光魔術が直接の原因ではないというのがギルバートの考えだ。

 では、何が原因か。


(シェリーが意識を失ったことと関係がありそうだ。あの時、ルークが外に運ぶって言って聞かなかったから、詳しい検証ができなかったんだよね)


 ただ、彼女に異変が起きる前と後とで、洞窟の様子が明らかに違ったのは確かだ。なぜなら、ギルバートが火魔術を使えたからである。一切の光を許さなかった洞窟内で、煌々と燃える炎を見た時はさすがのギルバートも胸が熱くなった。

 ――上手く行った。

 何がどう()()()()()()のかは分からないが、今までにない希望を感じた。


「"風巡る塔の下にて眠る悪夢の半神を求めよ"――ベイラードの預言者が教えてくれた解決策。これで合ってるといいんだけど」


 もう何年も昔。年老いた老婆と会った記憶が蘇る。彼女はギルバートの目を見てはっきりと告げたのだ。そして言った。「彼の者を救いたいなら、運命を正せ」と。


「運命とは導かれるものらしい。僕の歩いている道が正しいのなら、きっと――」


 ――と、ギルバートは足を止めた。風車塔はまだ少し先だ。羽を回転させる仕掛けの音は、常であれば隣り合う人の声も届かないほどの大音量だが、風向きのためか、今はあまり気にならない。

 立ち止まったのは、木陰に佇む人物をみとめたからだった。木の幹に凭れ掛かり、腕を組んで睨むようにこちらを見ている。

 ギルバートの口元に笑みが浮かんだ。


「ルーク。てっきり帰ったと思ったよ。用事があるんじゃないの?」

「予定の時間には間に合うように移動する」

「お茶するなら相手は僕じゃなくてシェリーでしょ」

「……そのシェリーのことで、お前に頼みがあって来た」

「へえ?」


 ギルバートは面白がるように眉を上げると、ルークがいるのとは別の木陰に身を寄せた。燦々と降り注ぐ陽光が、足元の緑に斑な影を作っている。それは風に沿ってちらちらと揺れ、まるで二人の会話の行方を占っているかのようだった。

 ルークの瞳は真剣そのもの。最初はシェリーを挟んだ恋敵みたいな扱いだったが、小さな冒険を経て幾分か軟化している。その割にこちらと友達になろうという気はないようで、警戒心は健在だ。誰に対しても物腰柔らかだという評判だが、ギルバートに対しては違うらしい。


「頼みって?」

「俺が不在の間、シェリーの護衛をしてほしい」


 ギルバートの顔から笑みが消えた。探るような視線がルークを穿つ。

 確かに、一ヶ月は長い。その間、フローラ・アイベストが何の行動もしないとは考えにくい。あの女は、わざわざギルドにまで押しかけてシェリーを脅していったのだ。ルークの不在はむしろチャンスだろう。

 そこでギルバートに応援を頼むのは、判断としては間違っていない。シェリーと親しく実力もあり、一定の信頼がある。

 だが、もっと適格な人間がいることにルークは気付いていないのだろか。


「了承する前に一つ、尋ねたいことがあるんだけど」

「なんだ」

「どうしてシェリーに全てを話してしまわないんだ? シェリーは君と話したがってるんだろう? 何故逃げる? 君とシェリーは愛し合ってるんだろう? だったら包み隠さず話すべきだ。二人の間に不和をもたらすよりは」


 ルークの瞳が蝋燭の灯のように頼りなく揺れた。その一瞬のブレに、彼の迷いを見て取った。

 "迷っても、迷わず決断する"。死と隣り合わせの冒険者には必須のスキルだ。一分一秒の逡巡が生死を分けることもある。正しい道なら迷う必要もない。だが、今のルークは決断できていない。これが絶体絶命の場面なら即死だ。


「他人に依頼せず、君自身の手で守ればいい。その覚悟くらいあるだろう? 仕事を投げることになるのが気になる? でも、僕に頼むくらいあの子の身を案じているのに、自分の評判とシェリーの安全とを天秤にかける君じゃないと思うな。違う? それに、シェリーだって同じだよ。彼女は君を支えたがってる。そのためならきっと何でもするよ。だから、いっそのこと全て話して……ルーク?」


 ギルバートは言葉を止め、訝しんだ。

 ルークの様子がおかしい。

 顔は青褪め、呼吸が浅い。拳を白くなるまで握りしめ、震えている。

 そういえば、先程シェリーと話していた時も顔色が真っ青だった。まるで幽霊にでも遭ったかのように――フローラは一度死んでいるのだし、幽霊と言えなくもないが。それにしては尋常じゃない。


「ル――」

「……俺からも一つ訊きたい」


 硬い声音と、刺すような視線に、ギルバートは言葉を飲み込む。


「ギルバート・ルフェウス。お前はなぜフローラ・アイベストの名を知ってる? シェリーだって姓までは知らないはずだ。彼女たちは一度話しただけで、それ以降会ってもいないからな。家もかなり離れていたし、俺の知る限り共通の友人もいなかった。なのにお前が知ってるのはなんでだ? 調べたのか? わざわざ? 十年前に死んだ子供のことを?」


 問い詰める言葉は、堰を切ったように次々と溢れてくる。

 ギルバートがうっかり口を滑らせた、たった一つのミス。帰り道で待ち構えていたのは、それを問い質す目的もあったのだろう。


「お前はフローラのことを以前から知っていたんじゃないか? おそらく、()()()()が起きる前から。答えろ。フローラとお前は、どういう関係だったんだ」


 それでも、ルークはギルバートにシェリーを託すことを選んだ。思ったよりも高く信頼されていたのか。普通なら、敵か味方かも分からない奴に恋人を守らせたりしないだろうに。相変わらずのお人好しで、笑いが込み上げてくる。


 突然忍び笑いをはじめたギルバートに、ルークが目を眇めた。そのタイミングで。


「あーあ。これも運命――いや、自業自得か。まさか君に罪を告白することになるとはね」


 ギルバートは長い前髪を手で掻き揚げ、薄く笑みを佩いた。普段の彼からは想像もできないほど酷薄な表情が浮かんでいる。

 ルークがぽかんと口を開け、固まっていた。無理もない。ギルバートは今まで徹底的に"飄々として""無害な"冒険者を演じていたから。全ては誰にも邪魔されず、身軽に動くため。

 決めたのだ。どんな手を使ってでも、あの女を排除すると。たとえ、一番大事な親友を失ったとしても。


「フローラ・アイベストを殺したのはこの僕だ。十年前、僕があの女を魔術で殺した」


 時が戻っても、許さない。

これで第一章は終了です。シメは裏主人公のギルバート君でした。

閑話を一話挟んだあと、しばらく書き溜めに入るので二章の開始は少し時間がかかります。

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