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16.『太陽の勇者と黒の宝冠』

 何なんだ。この子供たちは。

 真っ白な謎の空間もそうだが、いきなり過ぎて意味が分からない。人を巻き込むなら最低限の説明くらいしてもらえないだろうか。あと、謎は一つずつ順番に解いてから出てきてほしい。こっちはいっぱいいっぱいなんだから。

 混乱も度が過ぎると却って落ち着くらしく、シェリーは取り乱すことなく、軽く痛む額を人差し指でぎゅっと押さえた。


 一番の問題は――彼らは、どうも人ではないということだ。


 ローブの中身が見えない以上、人間とは確定していない。耳が尖っているかもしれないし、鱗が生えているかもしれない。目が三つかもしれないし、口が大きく裂けているかも。

 が、そういう意味ではなく。

 少なくとも、ローブの中は人の形をしているだろう。していなくとも同じこと。姿の問題ではないのだ。


(人じゃなかったら、何だって言うの。まさか、神だとでも?)


「そうだとも」


 白いローブの方――声から察するに少年だ――が心の声に答えたように思え、シェリーははっとした。

 ()()()()()

 途端に、全身から空気が抜けるように力が失せた。落ちていく体を立て直すこともできず、カクンと折れた膝が地にぶつかる。軽い痛みと衝撃。尻餅をついたシェリーは、そのまま激しい動悸に意識が遠のきそうになった。

 目の前が真っ暗になる寸前、花が踊るような明るい声がシェリーの正気を取り戻す。


「あらあらダメよ、シェリー。あたしたちを視ようとしては。今のあなたは思念体なんだから、精神のダメージが直接魂に届いてしまう。巫女でもないあなたじゃ、あたしたちを視るのは無理があるわよ」


 途端に、苦痛が消えた。視界が色を取り戻し、はっきりと焦点を結ぶ。胸の動悸もなく、まるで時間を巻き戻したかのよう。その代わり、当然と言うべきか、少女のセリフの意味は何ひとつ分からない。


(って、なんで私の名前を知ってるの?)


「そりゃあ知ってるわよ、シェリー・ベルモットでしょ」


 心の声に、少女は平然と答えた。黒ローブがもぞっと動き、心持ちこちらへ身を乗り出す。


「あたしも読んだもの、『太陽の勇者と黒の宝冠』。太陽神ソルグラシアに選ばれた勇者が仲間と共に旅をして数々の困難に打ち克ち、最後には世界を救う王道ストーリー。その中で、あなたは結末を左右する重要な鍵を握るの!」

「…………えぇと」


 シェリーは困ったように、人差し指で頬を掻いた。

 いや、なんだそれは。

 え? 世界を救う冒険譚の、結末を左右する?

 ただのギルド職員には荷が重すぎないか。

 というか、なんでいきなり読み物の話……?


「分からないのも無理はないわね。でも、あなたも聞いたことはあるんじゃない? 無数に存在する世界の一つひとつは、とある神が描いた物語だという話」

「…………」


 その神話なら聞いたことがあった。画空世界と呼ばれている。神話としてはメジャーな方だろう。この世界以外にも無数の世界があるという夢の大きさから、年少向けの絵本で定番の題材だ。シェリーも幼い頃、母親のベッドの隣で何度も読んだ記憶がある。


「まあお主ら人間からすれば絵空事だろうが、ボクらにとってはただの事実だ。世界は概ね決められたシナリオの通りに進み、動いてもよい小さな偶然以外は必ず発生する。そのチカラは絶大だ。たとえ誰かが物語を歪ませようとしても、神の意思により決定された運命はさながら磁石のように引き寄せ合う。俗に言う、歴史の矯正力というやつだのう」


 なる、ほど……?


「とは言えだ。物語には終わりがあるが、物語が終わったとて世界は続く。全てが神の掌の上というわけではないから、安心せい」

「は、はぁ……」


 未だに実感の湧かないシェリーは曖昧に頷いて返した。何もかも神様の思い通りというのは考え詰めれば怖ろしいが、彼女の思考はまだそこまで至っていない。唐突すぎて、受け止めるのに精一杯だ。仕方ない、シェリーはごく普通の人間なのだから。

 だが、彼らの話が正しいとすると――。


「王都の襲撃は避けられないということですか?」

「たぶんなぁ」

「お、王都はどうなってしまうんですか? まさか滅び――」

「まあ待ちなさい。それを知っては面白くないでしょ。あたしネタバレはしない主義なの」


 シェリーは思った。


(さっきガッツリしていたような……)


「あっ! 『さっきガッツリしていたような……』って思ったわね!? いいのよ、あたしたちの匙加減なんだから! それにどうせ、あなたたちの世界もうエルメスのシナリオから外れちゃってるんだから、未来のことを言っても意味ないの。本来はあり得ないんだからね? ココに封印されるのも、本当はあたしたちじゃなくてラウディアだったんだから。ああ、心配しなくても大丈夫よ。シナリオを外れたからって理が捻じくれるわけでもなし。せいぜい、あなたたちの世界が滅亡しちゃうだけだからね。最悪の場合」

「めつ……っ」


 驚きのあまり、シェリーは口をパクパクさせた。

 心配するところが、全っ然違う。


(やっぱり人間じゃないんだ、この子たち!)


 せっかくギルバートが王都を救おうと頑張っているのに、下手すれば国どころか世界そのものが滅びてしまうかもしれないらしい。そんな重大事を"だけ"と言い切ってしまう彼女たちは、人間の常識など及ばない領域にいる。


(どうしよう。どうすれば……。ああもう、ギルバートさんに伝えなきゃっ)


 動揺するシェリーに、黒ローブの少年が溜息をついた。


「どのみち、ここを出ればお主は何も覚えていない。ボクらと会話した内容も。それどころか、ボクらと出会ったことさえ忘れる。全てだ。今、訪れるかどうか分からない未来を心配しても詮無いことだぞ」

「で、でも!」

「そこで、よ。あたしたちが一度だけ助けてあげようってわけなのよ」

「ま、そういうわけだのう」


 え、と目を見開いた。

 白い被衣から覗く小さな口元が、くすりと頬笑む。


「忌々しい封印を解いてくれたお・れ・い。ちなみにこれは原作通りよ。まあ、今更原作がどうのって言えない状況ではあるんだけど」

「いいから行くぞ。ほれ」


 長いローブの裾が持ち上がり、小さな指先が現れる。

 二人の指先から光が生まれ、それは線となりシェリーの胸に吸い込まれていった。

 痛みも温もりもない。ただ、光が吸い込まれた瞬間、シェリーは猛烈な眠気に襲われた。


「迷った時は風車の奏でに耳を澄ませよ」

「じゃあね。シェリー。あなたが願う日を待っているわ」


 霞んでいく意識に、黒と白の声が遠のく。代わりに、どこか聞き覚えのある音が近づいてくる。

 ゴトリ――ゴトリ――ゴトリ――


 ゴトリ――――…………



 * * *



「――リー! シェリー!」


 意識が揺さぶられる。深層から表層へ。急激な浮上に眩暈を起こしたシェリーは、うっすらと開いた視界に映るものをすぐには理解できなかった。

 ぼんやりと曇ったガラスのような世界に見えたのは、柔らかい金色の髪をした優しい顔。彼のこんな必死な顔を見るのは初めて会ったあの日以来だと、シェリーは未だ白い残像の残る頭で思った。


「シェリーっ、気付いたか! よかった……!」

「だから大丈夫だって言ったでしょ。魔術の反動を食らっただけで、しばらくすれば目が覚めるって」

「お前の言うことが正しい保証なんてないだろっ。魔術に関してこっちは素人なんだ、心配くらいさせろ」

「君という奴は……。ほんと、シェリーのこととなると人が変わるよね」


 ギルバートの呆れた物言いを意に介さず、ルークはゆっくりと瞬きをすることで眩しさに慣れようとするシェリーに、安堵の笑みを落とした。


「大丈夫か? 痛いところはない? ムカつくけどコイツが受け止めたから、どこも打ってはいないと思うけど」

「えっと、私……?」

「ああ、飲み込めないか。光魔術を使った後、いきなり意識を失ったんだ。でも、シェリーのおかげで敵は皆消えた。危険は去ったよ。ここは洞窟の外だ」


 そうなんだ、と口の中で呟いて、シェリーは唐突に、自分が寝そべったままルークに抱きかかえられていることに気が付いてぎょっとした。離れようと大きく藻掻く。が、ルークの両腕はしっかりとシェリーの肩と腹に回され固定されている。

 動けない。

 シェリーはしばし息を詰めて――しまいには諦めた。

 顔が熱いのは日に当たっているせい。視線が定まらないのは眩暈が残っているせい。と、自分に言い聞かせる。

 実際、シェリーは少し不調を感じていた。

 光魔術を放ったことは覚えているが、その直後からの記憶がないのだ。なんとなく間隔が空いている気はしていて、その間に洞窟の外へ運ばれたのだろうと想像する。

 こめかみを人差し指でぐっと押さえ、揉み解す。それでどうなるわけでもなかったが、気分が落ち着く感じはした。


「……ごめんな」


 驚いたシェリーが見上げると、ルークが眉を八の字に下げて情けない顔をしていた。


「ルーク?」

「シェリー、話したがってただろ。なのに突っぱねて、すまなかった」

「それって……ああ」


 数日前の夜、〈伝信箱〉で連絡を取ろうとした時のことか。返事の素っ気なさに傷つきはしたが、今となってはどうでもいい。それよりも衝撃的な場面を目撃したから。

 こんなこと、この場で訊いてもいいんだろうか。でも、向こうから切り出してくれた今がチャンスだ。

 シェリーは悩んだ末、思い切って口を開いた。


「あの夜、モーラ嬢と一緒にいたんでしょ?」


 驚いたルークは青色の目を見開く。側にはギルバートもいたが、空気を読んだのか口を挟まない。


「……知っていたのか」

「二人でいるのを見たの。どうしても話し合いたいと思ったら、居ても立っても居られなくてあなたの家に……ごめんなさい」

「なんでシェリーが謝るんだ。俺が悪いのに」


 俺が悪いのに。

 その一言を聞いた途端、シェリーはざあっと血の気が引く思いがした。

 彼女がショックを受けたのが分かったのだろう。ルークは一旦不思議そうに首を傾げて――ハッと目を見開いた後、ぶんぶんと首を横に振り回した。


「ちっ違う! あの夜のことは、あいつがいきなり家に押しかけてきたものだから、話をするために仕方なく部屋に入れただけであって――あの女に気が移ったとかそういう意味じゃないから! そんなのあり得ない!」

「中身がフローラさんでも?」


 硬い声で聞き返すと、今度はルークが青褪める。そして何故か押し黙ってしまうのだった。

 シェリーは何とも言えない胸の痛みに襲われた。


(やっぱりそうだ)


 彼は、何か大きなものを抱えている。シェリーにも言えないものを、だ。きっと、フローラに関すること。シェリーの知らないルークの過去。

 その重荷を自分にも分けてほしいと切に思った。十年積み重ねた想いは、ちょっとやそっとで崩せない。

 だけど、「大丈夫だから」と促しても簡単には渡してくれないだろうことも分かっている。


 ルークは昔からそうだった。


 ギルド職員になるよりずっと前、シェリーは東王都支部で一度だけ彼を見かけたことがあった。支部長とかつて交流があったという祖母の用事について行った時のことだ。

 筋骨隆々とした男や防具を着込んだ冒険者が占める中、若いどころか幼さの残る十三歳の冒険者は一際目を引いた。シェリーだけでなく、他の冒険者もルークを見ていた。無理もない。色々な意味で目立つから、無意識に目で追ってしまうのだ。

 飛び抜けた若さ。

 優れた容姿。

 そして全身から溢れる必死さ。

 口を真一文字に引き締め、目は真剣で余所見もせず真っ直ぐ歩く。足取りは力強いと言えば聞こえはいいが、余裕がなく追い詰められた者特有の、前のめりの歩き方だった。周りの大人が手を差し伸べたくても、その手を拒んでいるのが雰囲気に滲み出ていた。

 祖母と話していた職員がシェリーの視線を追い、ぼそりと言った。


「あれは新人のルーク君ね。あの年にしてすごい実力を持ってるんだけど、どこか危ういのよね」


 ――あの頃からルークは全然変わっていない。

 抱えているもの。

 背負っているもの。

 手枷足枷。

 外面を取り繕うことを覚えた後も、全ての重荷を自分一人で抱え込んだまま。

 シェリーもまた、どうすれば彼の負担を軽くしてあげられるのか、ずっと分からないままだった。

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