15.真っ白な世界
主人公の表情筋死が死に設定になってしまったので、削除しました。すみません。
ゾクリ、と全身が凍りついた。
敵意だ。
無数の敵意が、シェリーたちを取り囲んでいる。真っ暗闇で何も見えない中、身動き取れずに立ち竦む。じっとしていること以外に、シェリーにできることはなかった。
彼女の周りには、ギルバートが生み出した魔術の風がゆっくりと渦を巻いている。襲撃者を感知すればたちまち風の刃が迎撃するという仕組みだ。この中にいれば、とりあえずは無事だろう。
心配なのは、真っ先に飛び出したルークのことだった。
先程から、小刻みに立ち回るルークの靴音と敵の羽音が空間内に反響している。そこに時折「ふっ」と息を吐くような音が混じり、水に石を投じたかのように闇が騒いだ。
ルークの力の源泉は、太陽神ソルグラシオの加護。神に通ずる輝きに、闇も恐れているのかもしれない。
「そうだ。ギルバートさん、ルークの力で闇を晴らせないの?」
「ルークが一緒に来るって言った時、僕も考えたよ。でもね……。彼の力は強力だけど、ほんの一瞬しか発現できないんだ。敵を灼くには一瞬で十分だけど、光源にはならない」
そう答えるギルバートは、何もしていないわけではない。風の流れで襲撃者の動きを捉え、近付けば排除している。ルークに言われるまでもなく、彼女に傷を負わせるつもりはないのだ。
「ごめんね、大丈夫って言っておいて」
「いいよ。危険のない冒険なんてないんでしょ。それより、ルークのフォローはしなくて大丈夫?」
「一応、敵があっちに行き過ぎないよう注意は払ってるよ。でもたぶん、そんなことしなくても彼なら捌ける」
「へぇ、信頼してるんだ」
「それは君も同じでしょ?」
「私は……」
言葉に詰まったその一瞬を縫うかのように、視界に強烈な白光が過った。夜明けの空を早回しするみたいに右から左へ、一条の閃光が駆け抜けていく。
羽音が消えた。
ルークが奇跡の力を使い、敵を一層したのだ。
「すごい……」
シェリーは呆然と呟く。ギルバートの言葉通り、ルークの光はたった瞬き一つで消えてしまったが、まだ瞼の裏で残光がチカチカと点滅している。
彼の力を見るのはこれが二度目だった。当然ではあるが、十年前よりもはるかに使いこなしている。
確かに、これなら不安になる必要もない。
「おい、ギルバート!」
ルークの怒ったような声が闇の向こうから聞こえた。いや、怒っているのではなく警告?
どうしたのだろう? 優勢であるはずなのに?
訝しむシェリーだったが、ギルバートには意図が通じたようだ。
「敵が再生してる……? いや違うか。ルークの攻撃によって減った分が増えてるんだ」
ギルバートが言うより早く、ザワザワと木立が擦れるような音が四方八方から聞こえていた。
暗闇のせいで方向が掴めず、シェリーはギルバートの背に隠れたまま不安気にきょろきょろと頭を巡らせる。
「退却だ、キリがない! せめてシェリーだけでも洞窟の外に」
ルークの張り詰めた声。対するギルバートは冷静だ。
「シェリーがいなくちゃ意味ないよ。悪いけどもう少しだけ頑張って。その間に何とかするから。……シェリーが」
「私!? 私がって言った!?」
「まあまあ。物は試しだよ。気を楽にして、失敗してもいいから」
「急な無責任発言やめて!?」
「……君たち、仲いいな」
羨ましそうに言われたってぜんぜん嬉しくない!
いきなりの無茶振りにシェリーは動揺していた。冗談のような流れだが、ギルバートのことだから本気に違いない。この中で一番切羽詰まっているのは彼の筈なのだ。何せ王都の安否を背負っているのだから。
必死で考えた。
ギルバートの望みは、王都を魔族の侵攻から守ること。どういうわけか、この洞窟がそれと関連していると彼は考えている。鍵はシェリーの持つ光魔法。これで闇を払うことができれば、魔族の侵攻は止まるのだろうか? そんな力が自分にあるとは思えないけれど――。
(……やってみるしかない)
できることは協力すると言った。ならば、やらずに逃げるのは約束を破ることになるだろう。失敗してもいいみたいだし。
敵のど真ん中で少し怖いけれど、ルークもギルバートも若いながらに一流の冒険者だ。この二人が守ってくれるなら不安を拭って集中できる。
よし、と心の中で気合を入れて、シェリーは瞼を閉じた。
目を開けていても閉じていても、辺りの暗さは変わらない。そんな中で、敵意だけははっきりと感じ取れる。
ここが闇の領分で、敵意はその配下だからだ。シェリーたちとは属する世界が違う。だからこそ、互いに異物だと認識できる。
(それだけじゃないな。たぶん、引っ張られてる。強い光を持つ私やルークがいるから)
ギルバートが一人で来た時には何も起こらなかったという。その理由は、ここの闇を支配する者にとってギルバートが脅威たりえなかったからだろう。だが、二人を連れてきたことによって状況が変わった。敵意を放って排除を試みつつ、一方で取り込もうともしている。
(だったら逆に、取り込み返せば?)
中途半端な光では意味のないことはもう分かった。ルークの光でも駄目だったのだ。ギルバートは持続して光らないせいだと言ったが、それだけとは限らない。
ルークの光は敵を灼く光。なら、その逆。光魔術には、癒やしの効果もあるのだ。
完全に思いつきだったが、まずは試してみようと迷いを捨てた。
(成功したとして、何が起こるか分からないけど)
胸の前で祈るように手を組む。魔術師はそれぞれ独自のスタイルを持つ。指を鳴らしたり、呪文を唱えたりと言った予備動作を。シェリーの場合は祈りが一番やりやすく、集中を必要とする時は常にこのスタイルだった。
念じると、扱い慣れた自身の魔力がすぐに浮かび上がってくる。ギルバートが驚くに違いないほどの、膨大な魔力量だ。
彼女もまた、ギルバートとは別種の天才。普通の魔術師が水桶の水を操るようなものだとしたら、シェリーは広大な湖を自分の手足のように動かすことができる。魔術師としての道を選ばなかったがためにその才能を知る人間はごく限られているが、実は宮廷魔術師も夢ではないほどの力を秘めている。
(どうか光を。闇を打ち消して)
ぼうっと白い光が灯る。それはシェリーの体の内側から放たれているようだった。
光はどこまでも強く輝く。闇に支配された空間を、真っ白に染め上げていく。隅々まで、一切の影も許さぬとばかりに。
羽を持つ闇の配下たちが、光に触れて煙のように蒸発していく。文字通り黒く棚引きながら。
ルークとギルバートは思わず攻撃の手を止め、シェリーを振り返った。その表情すらも光に染まって見えなくなる。ただ一人シェリーだけが、光の中心で静かに祈りを捧げていた。
そして。
「…………」
気付けば、シェリーは真っ白な世界にいた。
「……え?」
思わず立てた声が、思いの外大きく響く。
白。白。白。どこを見ても白しかない。床も壁も天井もない。かと言って屋外というわけでもない、たぶん。屋外だったら、それはそれでおかしいのだが。シェリーたちは洞窟を探索していたのだ。いつの間にか外に出ていたなんてことはあり得ない。
「……えっ?」
水色の双眸を大きく一度瞬いて、再度声を上げる。
相も変わらず、白かった。
おまけに傍には誰もいない。シェリー一人だけだ。
「ルーク? ギルバートさん? どこ?」
白い空間に、震える声が吸い込まれていく。
魔術師としての本能だろうか。場に満ちる空気は清澄と言ってもよいほどだが、心地よさよりも底知れない何かを感じる。先程の洞窟なんかよりも余程怖ろしい場所だ。気付かぬ間に転移していたという状況を抜きにしても。
「ルークどこ――っていうか、ここがどこ……?」
考えられるのは、シェリーの光魔術が引き金となって別の術を発動させた可能性。
(何かの仕掛け、それとも封印?)
人を眠らせ、夢を見させるという術があったと記憶している。だけどあれは神官の使う僧術だったはず。人の心に干渉する術は、闇魔術を別として基本的には神官の領域だ。だとすると神官の仕業だということになるが……。
いや。仮定に仮定を重ねるだけだと気付いて、シェリーはそれ以上考えるのをやめた。
「ともあれ、ギルバートさんの勘は半分正しかったってことね。あの洞窟に秘密があって、私の力が必要だってことまでは。あとはこれが王都の襲撃を防ぐ手立てになるのかってことだけど……まあ、ギルバートさんは過去にいくつもの事件を未然に防いだ実績があるわけだし。何か考えがある、のかなぁ?」
奥行きすら分からない空間で、動き回る勇気もない。及び腰になりながらキョロキョロと辺りを見回すシェリーは、自然と独り言が多くなっていた。
「真っ暗な部屋から明るい部屋。極端にも程があるんじゃ? そう言えば、そういう神様いたよね。なんて神様だっけ。確か、イ、ヤル、イェ――」
突然、岩が転がり落ちてくるような大きな物音が何もない空間に響き渡った。驚きのあまり喉が引き攣れたような悲鳴を放ち、全身がびくぅっと跳ねる。
まん丸に見開いた目に映っていたのは、とても不可解な物体だった。
その物体――真っ白と真っ黒の布の塊がもぞもぞと動き出す。
「いったぁい。やっと自由になったと思ったらこれよ。信じられない、最悪! あいつ、次に会ったら絶対とっちめてやるんだからっ」
「ほんとか? じゃあボクの分までやり返してくれよな。絶対に絶対だぞ?」
「嘘よ。そんなことできるわけないじゃない。そりゃあ位階はあたしたちの方がずっと上だけど、仕返しの仕返しで何されるか分からないじゃないの。今度はこんなとこじゃなくて、狭くて暗い時計の中に閉じ込められちゃうかも。チックタックチックタックって針の音がずーっと鳴り続けて……考えるだけで頭がおかしくなりそう!」
「陰湿だのう」
「陰湿なヤツなのよ!」
……子供だ。正確には、子供の声。
どうやら真っ白と真っ黒の布の塊は、それぞれ別のものらしい。よく見れば黒い布には白の縁取りが、白い布には黒の縁取りがされている。
二つの大きなマント、いやローブだろうか。そして当然、中身もある。
背の高さはシェリーの胸にも届かない。顔は大きすぎる頭巾に隠れていて、見えるのはよく動く口元だけ。余ったローブの裾がドレスのように床に重なり、僅かに開いた合わせ目から小さな裸足が覗いていた。
子供、だろう。見た目を信じるなら、そのはずだ。しかし、ただの子供であるはずがない。ただの子供がこんなところにいるはずがない。
(この子たち、何者なの?)
こちらに気付いているのかいないのか。二人に無視される形になったシェリーは、理解の追いつかない頭でひたすら呆然としていた。




