14.これだからソロ専は
じめっとした空気が、蜘蛛の糸のように手足に絡みつく。粗い岩肌は凸凹と何度も隆起し、非常に歩きにくく、無駄に体力を消耗する。天井に染み込んだ雨水が滑り落ち、ポタリと首筋に当たってひやりとさせる。暗くて不気味な空洞はひっそりと静まり返り、侵入者を奥深くへと誘っていた。
……というような風景を想像していたシェリーは、意外にも快適な歩き心地に拍子抜けしつつ、先導するギルバートの背中をちょこちょこと追った。
予想通りだったのは暗さだけだ。すぐに光魔術で明かりを出したので問題はなかったが、洞窟に入ってものの数歩で隣も視認できないほどの暗闇に閉ざされたのは驚いた。洞窟とはそういうものかと思ったが、殿を務めるルークが低く唸っていたので異常なのだろう。
普通に考えれば、暗くなるにしても入り口が見えなくなってからだ。だがこの洞窟では、突然明かりを落としたかのように光が消えた。たった数歩のうちにだ。ギルバートが言っていた"特殊な力"とやらのせいだろう。シェリーの光魔術も、心做しかいつもより弱々しく感じられる。明かり一つでは足りないかと思い、もう一つ生み出して先頭を行くギルバートの頭上に浮かべた。それに気付いたギルバートは振り返って礼を言い、後ろのルークが何とも言えない顔をしていた。
道は一本だ。ギルバートの言った通り、迷いようがない。
三人分の息遣い。三人分の足音。衣擦れの音、ルークが帯びた剣帯の金具がぶつかる硬い音。それ以外は静かなもの。むしろ、シェリーたちの立てる音が洞窟の平穏を乱している。無害な獣の巣を侵すような、小さな罪悪感がある。
ひたひたと、背後から暗闇が追ってくる。
「随分歩きやすい洞窟だな」
ルークがぽつりと呟いた。小さな呟きだが、洞窟の中では反響して大きく聞こえる。ギルバートは顔だけ振り返って頷いた。
「そうだね。まるで人が歩くために掘られたように思える。少なくとも、自然に出来た穴じゃないのは確かだよ。じゃあ誰が何のために、という疑問には答えられないけど」
誰が何のために――。
シェリーはその言葉を心の中で反芻した。
ギルバートは王子だ。肩書に元が付き、王族としての地位や権力を失った今でも、国王とは繋がりがある。そのギルバートが詳細を知らない謎の建築物。彼のことだから、王城にある資料は当たったに違いない。なのに把握できていない。
「ギルバートさん、この洞窟には何があるの? その……な、何か大事なこと隠してる?」
王都襲撃の予知をルークの前で言っていいものか分からなかったせいで、妙な言い方になってしまった。
(実際どうなんだろう? いざという時にルークの力は必須だろうし、私に明かしてルークに言わない理由はないと思うんだけど)
とは言え、話すかどうかを決めるのはシェリーではない。協力できるところは協力するが、ギルバートから申し出がない限り下手に動くつもりはない。
「実は、僕にもよく分からないんだよね。過去の例から考えて、ここに何かあるのは確実だと思うんだけど、何度調べても解明できなかったんだ。だけど今日はシェリーがいるから、違うことが起きるかもしれない。それが僕の目的に達する手掛かりかもと考えてるんだ」
「私?」
「シェリーは光魔術が使えるでしょ。他に知らないんだよ、君より強い光属性の魔術師」
「光……」
シェリーは無意識に、頭上に浮かぶ光の球へ目を向けた。
光属性は六属性の中で最弱と言われている。というのも、攻撃力が一切ないからだ。
光魔術で生み出す光には、傷を癒やす力や体力を回復させる力、筋力や魔力を増大させる力などを付与する能力がある。味方の継戦能力を飛躍的に高めることができるので、できるなら一パーティに一人は欲しい人材だ。が、いかんせん使える術者が非常に少なく、数少ない光魔術師も戦いの道を選ぶと限らない――シェリーのように。
ギルバートは顔を前に向けたまま、蛇のように長い洞窟に低い声を反響させる。
「君の光はとても強いから。この深すぎる闇の中でなら、君の光も輝けるんじゃないかと思ったんだ」
それは、どういう意味なのか。
問う前に、背後から響く靴音が変わった。ほとんど同時に、体が軽く押される。と思えば背中を壁に押し付けられ、庇うようにルークが背を向けて立ちはだかっていた。
驚いたが、それどころじゃない。
ルークの肩越しに見えた光景に目を瞠る。
「光が!」
シェリーの生み出した魔術の光が、すうっと暗闇に溶けるようにして消えていくところだったのだ。
空洞に闇が満ちる。目の前の背中も見えなくなる。
「なんで? 私、消した?」
シェリーは戸惑い、自分の掌がある場所を見下ろした。そんなことをしても意味はないのだが。
もう一度光を出そうとしても、上手く行かない。何度やっても、蛍くらい小さな光さえ作れない。
「魔術は発動してるのに、どうして?」
できるはずのことができないと、不安になる。ましてや暗くて狭い場所。五感の一つを奪われた事実が、未知なる恐怖に拍車をかける。自分の一部分が欠けたような、そんな心許ない心境だった。
不意に、肩に温かいものが触れ、体がビクっと跳ねた。温かいものは慎重に、なおかつ控えめに探るように下へおりていき、シェリーの手を強く握りしめる。ぎゅっと込められた淡い力が、大丈夫だと心の内側に囁くようだ。
(ルーク……)
不意打ちの優しさに涙が出そうだった。見えなくても、ちゃんとここにいる。そう言ってくれているかのようだ。
不安が消え、代わりに安心感と愛おしさで胸がいっぱいになった。
「どうなってる、ギルバート」
ルークの声が問い詰める。
「落ち着いてよ……って、落ち着いてるか。これもいつも通りだよ。魔術の炎だろうとカンテラの炎だろうと、途中まで来ると全部消えちゃうんだ。光魔術ならって思ったけど、やっぱりダメだったみたいだね」
「最初に言っとけよ……」
「あはは、ゴメンゴメン。言わなくてもどうせ分かるしと思って」
「ちっ。これだからソロ専は」
「ゴメンてば~」
ルークが舌打ちし、シェリーは目を丸くする。他人に礼儀正しい彼にしては珍しい。この二人、こんなに仲が悪かったのか。いや、どちらかと言うと、親しいがゆえの無礼さにも思えるが。
……どっち?
「じゃあどうする? 引き返すのか?」
「いや。これも想定の内だ。予定通り最奥まで進むよ」
「分かった。シェリーもいいか?」
「う、うん。任せる」
「任せて」
と短く言い、ルークはゆっくりと歩きはじめる。片手はシェリーに繋がれたままだったので、軽く引っ張られると同時にシェリーも歩き出した。
目の前すら見えないシェリーには真っ直ぐ進めているのかどうかも定かでないが、二人の青年には行くべき方向が分かっているらしい。彼らの足取りに迷いはなく、シェリーはルークの導きに従って歩くだけでよかった。
それからしばらくすると、どことなく空気が広がった気がした。狭い路地から大通りに出たような。靴音の響き方が違う。その感覚は正しかったらしく、まずギルバートが立ち止まった。
「着いたよ。ここが最奥だ」
「案外早かったな」
「ざっくり説明すると、円形の部屋みたくなってる。壁に手をついて歩いたことがあるんだ。なかなか広い空間だよ。あまり奥に行き過ぎると、自分の位置を見失いかねないから気をつけて」
見失ったらどうなるということをギルバートは言わなかったが、その先は簡単に想像できてシェリーは軽く身震いした。
真っ暗な部屋。右も左も分からず、大パニック。下手すると永遠に部屋から出られず衰弱死。
想像するだけで怖いのに、腕一本で歩き回ったギルバートはどうかしている。
「まあ歩き回らなくても風魔法で大体分かるんだけどね。でも暗くて未知な場所って、ドキドキして楽しいからさ」
「本当にどうかしてる……」
「シェリー。次からはこいつの誘いに乗る前に俺に相談するんだぞ」
うっかり頷いてしまいそうなシェリーだった。
そんなやりとりをしていると、再び空気が切り替わる。と言っても、シェリーが気づけたのは同行者の雰囲気だ。表情は見えなくとも、繋いだ掌が緊張を帯びたのが分かった。
「何か来る! 気をつけろ!」
手がぱっと離される。
「シェリーは絶対ここから動かないで」
分かったと応じる暇も与えず、靴音が駆け出す。代わりに、ふわりと動いた風がシェリーの周りをゆったりと回りはじめた。
「迎撃魔術だよ。風とか土なら問題なく使えるんだ」
「闇魔術は?」
「あれは相手を正確に認識する必要があるんだ。気配だけじゃ曖昧すぎて、下手するとルークを巻き込んでしまう。もし敵が襲ってきたら、倒すのはルークに任せよう」
「て、敵……」
ゴクリと唾を飲む。
我らが東王都支部が誇る一等級冒険者が二人もいるんだ。大丈夫。
そう言い聞かせても、やはり緊張する。
シェリーはなるべく落ち着くように深く息を吐きながら、月一で行われるギルドの戦闘訓練を思い返していた。評定員からは、「所定の位置から動かなければ優秀な部類」との評価をいただいている。要は極度の運動音痴というわけだが、今は敢えて後者に目を向けた。
万が一のこと――ないとは思うが――があれば、自分の水魔術が必要となる。そんな状況にならないよう、シェリーは祈った。
暗闇の向こうからルークが叫んだ。
「敵だ! 小型多数っ」
端的な警告。ジャッ、と刃が鞘を滑る音。
バタバタと洗濯物がはためくような羽音が、広い空間に反響する。
「ギルバート、絶対シェリーに傷をつけさせるなよ!」
そして、闇が動いた。




