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1.生まれ変わりなんて

 今日は、シェリーにとってとても特別な日。長年片想いをし続け、先日ようやく思いを通わせることができた男性との初デートだ。

 待ち合わせ場所として定番のサンクレスト広場で、待ち合わせの三十分以上前からシェリーはそわそわして待っていた。

 頭上には抜けるような蒼穹が広がり、弾けるような太陽が地上の人々に祝福の光を降りまいている。

 新しい春の訪れを誰もが感じていた。

 サンクレスト広場といえば国の主神である太陽神ソルグラシア像だが、彼の神を彩る眷属として水の神や花の女神も祀られている。

 ソルグラシア神像を中心に、三角形の頂点を結ぶように配置された三基の噴水。噴き出す涼やかな水音は、傍を通りかかる人々に絶えず癒やしを届けている。

 その丸く湛えた水をぐるりと囲って咲き誇るのは、色とりどりの花々だ。花の女神リエーリャは草花のあるところならどこにでも降り立つと言われ、現に、花々がキラキラと水飛沫を纏わせる様は、女神が水浴びをしているかのようだった。


 それ以外に目を向ければ、至るところに人、人、人。東区に住むシェリーにとって、中央区に位置するサンクレスト広場は普段の行動範囲外にあるとはいえ、全く来ないわけではない。それでも、単なる通過点として通り過ぎる時とこうして立ち止まって眺めている時とでは、五感に入る賑やかさが段違いだった。熱気が押し寄せてくるみたいで、圧倒される。広場の周辺には人気の食べ物屋や装飾品を扱う店が集まっており、地元の人間だけでなく観光客もやってくるのだ。また、屋台の姿もちらほらと見て取れる。東区は大人しいというか比較的静かな地域なので、見ているだけでなんだかワクワクする。新鮮でとても楽しい。

 彼が来たら一緒に広場を見て回るのもいいな、と昂ぶる気分のまま呟いた。


 そして、とりわけ目に留まるのは、逢引目的と思しき人達の姿だ。シェリー自身がそうだから、つい気になってしまうのだろう。

 親しげに腕を組み、慣れた様子で屋台に並ぶ若い少年少女。ベンチに座って語らう大人な男女。洒落た男性が慌てた様子で走ってきたかと思うと、キョロキョロと辺りを見回す。待ち合わせ時間ギリギリなんだな、とシェリーはぴんと来た。案の定、少し離れた街灯の下で手を振る女性を見つけると、安堵して駆け寄っていく。

 何もかもが微笑ましい。

 いつもは、春を謳歌する彼らを横目に通り過ぎるだけだったというのに。

 なぜなら、今日のシェリーはいつもと違うから。


(今日は! 私も! 初デートっ!)


 心の声は元気いっぱいのシェリーである。

 たとえ見た目は氷が吹雪くような冷たさだとしても。

 胸の中は真昼のように明るく、鳥の羽のごとく浮かれまくっている。

 たとえ表情筋が微塵も動かず、彫像もかくやだとしても。

 恋人が現れて見つけてくれるのを、今か今かと待ち続けているのだ。


(昨夜は緊張して眠れなかった……)


 メイク道具をチェックしたり、着ていく服を選んだり、数少ないアクセサリの中から衣装に合う物を吟味したり。想像していたよりもずっと、デート前夜は忙しい。

 こういう時頼りになりそうな母は父と一緒に行商の旅に出ていて、シェリーは寝ている祖母を起こさないように気をつけながら、一人くるくると頭を悩ませたのだった。


 今のシェリーは、薄い水色の髪をハーフアップにし、青と白の綺麗なビーズを連ねた髪留めでまとめている。耳には白い石のピアス。ほっそりした首筋に沿うように、銀色の細やかな鎖をまとわせている。鎖の先には護符にもなるカナリーイエローの宝石がついており、胸元で控えめに輝いていた。

 白いワンピースは、楚々としたシェリーの容姿によく似合う。ワンピースの上から七分丈のボレロを着ているので寒くもなく、日が当たるのもあってぽかぽかとちょうどよいくらいだ。

 足下は仕事用のローファー。うっかりしていて、足下に気を回すことを忘れていのだ。あまり見ないでもらえるといいんだけど、と少し心配になりながら、気になってしまって何度も爪先をトントンと蹴る。


 時計の長針は十を指している。

 約束の時間はもうそろそろだ。

 まだかなまだかなと逸る気持ちと、あと少しだけ心の準備をしたい気持ちが競争するみたいに駆け巡っている。

 頭の中で自分の声が聞こえた。

 もしかすると彼はもう来ていて、でも人が多すぎるからシェリーのことを見つけられないんじゃないか、とか。

 さっきの女性みたいに、自分も手を振ってアピールしなきゃ、人混みに埋もれちゃうんじゃないか、とか。

 そんなことを考え始めると、もう落ち着いてなんかいられない。

 焦った顔で――と本人は思っているが、傍目には至極落ち着いて見える――周囲を見回し、森みたいに乱立する人混みの中から彼の姿を探し出そうと目を瞬かせる。


 いない、いない、いない。

 黒髪、茶髪、赤髪、茶髪……。

 見つからない。まだ来てないんだ。だからもっとよく探す。

 あの人はとても真面目な人だ。

 彼が約束の時間に遅れるなんて、あるはずないんだから。


 その一瞬。

 人の話し声や足音が、ふと消える。

 ドクン、と大きく鼓動が響く。


 ――来た。


 輝かんばかりの金色の髪と、少し長めの前髪に隠れた青い瞳。普段、ほとんど目にする機会のない私服姿。

 数え切れないほどの人だかりの中で、彼の姿はまるで光が差し込んだみたいに浮き上がっていた。

 わざわざ探したりなんかしなくてもよかったのだ。

 そんなことしなくても、近くに来れば自然と目に入る。きっとそのようにできているのだ、恋人同士は。


 それを証明するかのように、ぱたりと目が合った。

 途端に、彼は大きく破顔する。真面目で少し近寄りがたい雰囲気がアイスみたいにとろりと溶けて、本来の優しくて愛情深い性質が顔を出す。

 シェリーは思わずはにかんでいた。ぶんぶんと手を振る――のは恥ずかしいから、胸の高さで控えめに手をひらひらさせる。

 すると、なぜか彼は笑顔のまま硬直して足を止めた。一瞬だったが。シェリーは疑問に囚われかけたものの、再び――さっきよりも足早に駆け寄ってくる彼の顔が甘くてドキドキするもので、なんだろう、と思ったことなんてすぐに忘れてしまった。


(夢みたい)


 ずっと憧れの存在だった。

 幼い頃から彼はシェリーにとっての英雄で、その背中を目で追い続けてきた。それだけで満足て、友達になろうだとか、もっと親しくなりたいだとかは望まなかった。望んではいけないと思っていた。

 なぜなら、彼の隣にはいつも"彼女"がいたから。一度会っただけのシェリーでは到底太刀打ちできなくて。傷つく前に諦めた――はずだった。

 結局、諦めきれなかったから今のシェリーがいる。

 何人もの女の子が彼に憧れているのを知っている。中には、シェリーよりずっと彼の隣に立つのが相応しいと思える子も。彼と同じパーティの魔術師の娘もその一人だ。誰よりも近くで彼のことを支えてあげられる。その姿にシェリーは幾度羨望したことか。自分にできないことを他人が簡単にやってのけるのを見て、へこまずにはいられなかった。

 しかし、そんな彼女たちを押しのけて、彼はシェリーの目の前で立ち止まった。

 私を選んでくれた。

 そのことが自信に繋がる。


 ずっと想い続けてきた。

 年齢や立場が変わっても気持ちだけは変わらずに、十年間。

 やっと、念願が叶った。


 二人は見つめ合う。互いの瞳に灯る熱を感じて。

 私よりもあなたの方が熱い? それとも、私?

 すぐに分かるはず。

 だって――。


「ルーク! 会いたかった!」


 あどけない少女の声と同時に、桃色のドレスが翻り、彼に重なった。

 シェリーはまるで雷にでも打たれたかのように、全身を硬直させる。


(な、に……)


 見知らぬ少女が、彼に――ルークの胸に縋り付くようにして抱きついている。ルークは青い目を見開き、少女を凝視していた。驚きのあまり、振りほどくことさえ思いつかないようだ。


 だれ、とシェリーの唇が無意識に動いた。


 シェリーからは横顔しか見えないが、それでも大変可愛らしい娘だというのは分かった。小顔でくっきりした顔立ちは、職人が丹精込めて作った人形(ドール)のようだ。ドレスから覗く手足も華奢で、作り物めいている。腰にまで届く金糸の髪は大きなルビーの髪飾りで纏められ、軽やかに波打っていた。

 容姿の可愛らしさだけでなく、身につけたドレスや装飾品からは身分の高さも伺える。ルークはごく一般的な庶民が着る衣服姿だが、不思議と少女と釣り合いが取れている、気がした。何も知らない人が見れば、身分の壁に隔たれた恋人たちが、久しぶりに再会を果たした場面に見えるかもしれない。

 陽光を弾く光の粒が、まるで彼らを祝福しているかのようだ。

 美しい光景。

 絵になる二人。


(誰……あの子)


 天から落ちる影に隠れるように、シェリーはポツンと立ち尽くす。

 二人に比べたら、自分はそこらの岩か何かだろう。

 知らない女が、自分の恋人に抱きついている。女の勘違いかと思ったが、先程確かに彼の――ルークの名を叫んでいた。

 勘違いではない。

 とすれば。


「誰」


 気づけば周囲の人々も美しい男女の醸し出す独特の雰囲気に飲み込まれていたらしく、シェリーのかすかな呟きはざわめきの中に埋もれた。

 しかし、少女は――そんなことあるはずもないが――埋もれたはずのシェリーの疑問を聞き取ったかのように、満面の笑顔と鈴音のような声を響かせる。その瞳にはルークしか映っていない。


「私よ。フローラ! あなたの幼馴染! ルークと結ばれるために、もう一度生まれ変わったの!」

「フロー……ラ?」


 その名を聞いた途端、彼の表情がみるみるうちに変わっていく。

 最初は疑いの眼差し。それがだんだん理解、そして確信へと移り変わっていく。

 彼が信じたことを察したのだろう。"フローラ"と名乗った少女は、結んだ唇を弓なりに大きく歪ませる。それは、敬虔な信者を褒め称える天使のような微笑みであった。だが――なぜかシェリーは、そこに不穏なものを感じ取る。


「フローラって……嘘、だろ……」

「嘘なんかじゃないわ。分かってるでしょ? 分かるはずよ。姿は変わってしまっても、心はフローラのままだもの」


 分かって当たり前だと。二人の心は固く通じ合っているのだと。

 途轍もない自信、あるいは傲慢だろうか。

 "フローラ"は唇に喜びを刻んだまま、慈しむように瞳を潤ませた。ルークの頬を優しく撫でる。


「ごめんね、あなたを残して死んでしまって。でも事故だったの。私だって信じられなかったわ。まさか――死んじゃうなんて」

「……本当に」


 "フローラ"は答える代わりににっこりと笑った。

 ルークの声はかすかに震え、動揺が隠せていない。

 衝撃を受けたのはシェリーも同じだ。


(本当に、あの"フローラ"なの?)


 生まれ変わった。

 彼女はそう言った。

 改心した、生き様が変わったという意味で「生まれ変わった」と表現することもあるが、そういうことではないだろう。

 彼女の台詞はいかにも演技めいている。なのに、真実が宿っているように思えてならない。


(でも、生まれ変わりなんて)


 普通は頭がおかしいと思う。普通は。

 だけど。


(ルークは信じた)


 顔を見れば分かる。ずっと彼のことを見続けてきたのだから。

 ならば、"フローラ"はフローラなのだ。

 死んで、生き返った。いや生まれ変わった。

 もしそうならば。

 シェリーは。

 ルークは。


 それでも。

 シェリーはまだ一縷の望みを抱いていた。必死に、と言ってよい。両腕から逃げ出しそうな"願望"を、渾身の力で押さえつけて。

 だけど、ままならないものだ。幸福なんてものは。

 自分を見ない、恋人(ルーク)を見つめる。


(お願い)


 好きなのだ。

 ずっとずっと好きだったのだ。

 彼もシェリーを好きだと言ってくれた。

 シェリーはあの言葉を信じた。

 今は信じたがっている。


(私を見て)


 青い瞳に映るのが他の誰であってもいい。

 でも、その子だけは。

 フローラだけは見ないでほしいと、我儘にも思う。

 それを決めるのは自分ではないと、分かっている。だからこそ願うのだ。我儘に。


 シェリーの瞳から、涙の粒が形を変えながら溢れ落ちた。それは瞳の色を溶かしたみたいに、陽光を受けて琥珀色にきらめいた。


 ルークはもう、一度たりともシェリーを振り返らなかった。

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