見惚れる
「朝ごはんは?」
「ない」
早速キッチンに向かい、冷蔵庫を開けた時のことだ。彼女の様子から見て食材があるはずもないのだが、本当に食材がなかった。あるのはエナジードリンクだけだった。
「そもそも作れないんだ」
「料理もできないのに家事代行やってるの?」
「食材がないだけだ」
「じゃあ買って来たら?」
「流石にそこまでやる気にはなれない」
「やる気とかじゃない。やるんだよ」
この女、まったくやる気がない。だが、俺も腹が減って来たところだ。流石に食事がないのは耐えられない。だからと言って、ただ買い物に行くわけじゃない。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「えー。代行の意味ないじゃん」
「いいのか?行かないとお前は飯を食えないんだぞ」
「はぁ。仕方ない。行くよ」
ようやく彼女はソファから起き上がり、出かける気になったようだ。これには運動をさせる意味もある。彼女は運動不足だろう。太っている訳ではないし、むしろ細過ぎるくらいだが、運動不足だ。何故だかわからないが解決しなければ、そう思った。
そんなこんなでスーパーマーケットに到着し、次々と食材を籠に入れていく。それと同時に彼女はエナドリとお菓子を次々と入れていく。
「買いすぎじゃないか?」
「え?だって貴方が買ってくれるんでしょ?」
当たり前だというようにそう言う。
「それに、貴方が誘ったんでしょ。デートは誘ったほうが奢るべきだと思うけど」
「デートではない」
が、奢るつもりではある。幸い手持ちは多い。
「デートだと思うよ。少なくとも周りはね」
と言うので周りの声に耳を傾けると、カップルだとか、夫婦だとか、憶測が飛び交っている。
「ほらほら。奢ってかっこいいとこ見せてよ」
ここまで言われては仕方ない、と財布を取り出したその時だった。
「私が払おう」
この声は、と少し顔を上に向けると、木村さんだった。彼は時々仕事をくれる。しかも報酬が良い。
「ありがとうございます。あんなの払わせちゃって」
「いや、良いんだ。それに、これで君と話しやすくなった」
彼女と別れ、木村さんと街を歩いていた。恩を売られるというのは普段ならあまり好きじゃないが、彼は別だ。彼は恩を売るといってもこうやって話をするきっかけ程度だからだ。
「それで、何の話です?仕事ですか?」
「まあ、そう言う話はあとにして。取り敢えず飯でも食おうじゃないか」
と、彼は言う。いつもなら喜んで同行するのだが、今日は何故か、それを拒否した。
「すみません。彼女に朝食を作らなければならないので、また今度でお願いします」
木村さんは少し顔を顰める。
「そうか。珍しいな。他人の心配とは」
「仕事ですから」
「そうか?君は今、仕事とか、いつもの金のためって感じじゃなく、ただ単純に心配しているようにみえるが」
単純に心配、か。流石に違うだろう。たった1日で俺が変わるはずない。
「もしかしたら、ターゲットに惚れてる、とかだったりして」
「それはないでしょう。あのターゲット、部屋は散らかってるし、なんなら下着まで落ちてるし、無防備だし、寝るのが遅いし、起きるのも遅いし、でも顔が良いのはムカつく。そんな人に惚れるとか、絶対にない。です」
文句を垂れていると、つい敬語が外れてしまい、謝罪をしておく。
「いいよ。気にしないから。というか、本当に惚れてるんじゃないの?」
「違います。だいたい、仕事を受けるのは、金のためですから」
「そう。まあ、金も大事だけどさ。他の大事なものも見つけないと、いつか潰れちゃうよ」
「やっと帰って来たんだ」
彼女は空腹のようで、少し可哀想に見えて来た。
「早くして。ご飯」
そう急かされて、すぐに料理を始めた。フライパンを用意し、IHコンロの電源を入れる。少ししてからサラダ油を注ぎ、ベーコンを刻んで炒める。その間に卵を解く。
「ねえ。さっきの人、誰?」
正直に話すわけにはいかない、と言い訳を考え、言葉に詰まる。
「仕事の先輩だ。仕事は順調か?ってさ」
「そう。ならいい」
俺は料理を再開し、手際良く作業をする。その間、彼女はソファに座り、テレビの電源をつけた。彼女はふーん、へぇ、などと反応しながらテレビを見ていた。
「意外と美味しいね」
と、失礼な感想を言う。意外と、は余計だ。それがなければ完璧な褒め言葉だったろうに。そう思いながら、チャーハンをレンゲで掬って食べる。我ながら良い出来だ。彼女の顔色を窺ってみると、味に満足してくれたようだ。
「ねぇ。ちょっと」
どうやら、俺はボーッとしていたようだ。この二日間で疲れているのが原因か、と考えるが、それは違う。先程の木村さんとの会話を思い出す。惚れているかはわからない。でも、この瞬間、俺は確実に見惚れていた。