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それは、夏休みがはじまった最初の日のことです。
青々と茂る木々たちはまっ赤なリンゴを実らせ、空に向かって背を伸ばすお花たちは、風も吹いていないというのに、楽しげに、まるでおもちゃのようにからだを揺らしていました。
太陽は、「わたしはいつでも、いつまでもあなたたちを照らしていますよ」というように、笑顔を絶やしません。とっぷり日が暮れて、夜空の後ろに影を潜めてからだってそうなのです。それは、夜のお月さまだって同じでした。なんせ、どうぶつ村の空はただの背景。ただのイラストなのですから。
そんなように、よく晴れた今日のどうぶつ村、朝もはやい1日の始まる頃です。
丘のいちばん上に立つ赤い屋根のお家、玄関から顔をのぞかせたのはひとりの少女でした。
朝いちばんにどうぶつ村を訪れた少女のもとには、1通の手紙が届いていたのです。
「あっ、お手紙だ」
少女はポストから手紙を取り出すと表をチラッと見ただけで、封を開けることもなくすぐにポシェットの中にしまってしまいました。
手紙の表側には、「招待状」と書かれていたのですが、少女はまだ漢字が読めなかったのです。なんせ、1年生の1学期が終わっただけなのですから、まだカタカナだって上手に使いこなすことはできませんでした。
少女はルンルンと跳びはねながら丘を降りてゆきます。
少女が陽気に跳ねるたびに、頭の両側に結ばれた、ふたつの赤い蝶々結びのリボン、その長く垂れ下がった羽がぴょんぴょんと、これまた飛ぶように跳ねるのです。
少女の名前はエリカ。歳は6つ。
どうぶつ村での暮らしを始めて3年。とても元気な、でも少し人見知りな女の子です。
ところで、どうぶつ村は、村の全体がなだらかな丘のような村でした。そして、村の周りは壁、岩肌に囲まれていました。もちろん、壁の外には何もありません。なんたってここは箱庭の世界なのですから、村の外にはなんにもないのです。
壁に囲まれた窮屈で小さな村。そんな小さな村でも、とても小さなエリカにとっては十分に広く思えたものでした。何より、村には大切な友だち、どうぶつさんたちが暮らしているのです。
窮屈で、小さくて、それでもエリカには十分で、大切な友だちの暮らす村。
エリカはそんなどうぶつ村が何よりも大好きでした。
だからエリカは、毎日のようにどうぶつ村を訪れます。そして、どうぶつ村を訪ずれるたびに心も体もルンルンと跳ねてしまうのです。
そんなエリカがまず向かったのは家にほど近いところにあるリンゴの木でした。エリカがリンゴの木をゆさゆさと揺らすと、リンゴが3つ落ちてきました。エリカはリンゴを全部拾って、ポシェットの中にしまいます。エリカの手よりよっぽど大きいリンゴを3つも詰めたのにもかかわらず、ポシェットはまったく膨らんでいません。
そのポシェットは、ものをどれだけ詰めてもいっぱいにならない、特別なポシェットだったのです。
ポシェットの中には、リンゴの他にもたくさんのものが入っていました。
では、そんなたくさんのものの中から、どうやって決まったものを取り出すのかというと、ただ取り出したいものを思い浮かべながらポシェットに手を入れるだけでよいのです。
エリカはリンゴの木の近くに作られた花壇に目をやりました。
「あら、あなた元気がないわね」
その中に、重たそうに頭を垂らしたお花を見つけます。
エリカがポシェットに手を入れて取り出すと、その手にはジョウロが握られていました。
そして、「元気を出しなさーい、元気を出しなさーい」と呪文のように唱えながら水をあげてやるのです。
すると、しおれたお花は頭をもたげ、たちまち元気になりました。
「元気を出しなさい! 夏休みがはじまったのよ!」
そうお花に言い残して、再びエリカは元気にかけていきました。
村には上流から斜めに横断する小川がありました。
そして、小川の中心辺りにはアーチ状にかかる石造りの橋があります。それはこの村にかかる唯一の橋です。
エリカは橋の中央、いちばん高さのあるところまでたどり着くと、橋のヘリから足を投げ出すようにして座りました。
そうして、ポシェットから釣り竿を取り出し、川の中でクネクネとおもちゃのように泳ぐ魚影に向かって釣り糸を垂らしました。
すると、魚影はすぐに反応して釣り糸に食いつきました。エリカは慣れたように竿を引くと、糸の先には小さな魚がかかっていました。
エリカはその魚を乱雑に手で鷲掴み、ポシェットに入れました。
そんなことをしても、ポシェットはビシャビシャに濡れたりしませんし、また魚が死んでしまったりもしないのです。
そうして橋を渡りきると、今度は村の中心から少し東に行ったところにある、緑の屋根のお家にたどり着きました。
「クマさーん!」
エリカはドアをトントンとノックします。
しかし、ノックをしたとほぼ同時、相手の返事も待たずに勢いよくドアを開けてしまいました。
「クマさん! 手紙を読んでほしいのよ!」
「エリカ……いつも言ってるよね、返事をするまで勝手に開けてはいけないって」
クマさんは眠たそうな目をして呆れたように言いました。
「さあね」
エリカは雑に返事をします。
クマさんは、3頭身のキグルミのような姿をしていました。身長はエリカ1.5人分ほどです。どうぶつ村の住民は皆、このような姿をしておりました。
「それで、こんな朝早くになんのようだって?」
クマさんは「ふわぁ……」と欠伸をしながら言いました。
「手紙を読んで欲しいのよ、言ったでしょ? ちょっと待ちなさい……プレゼントを用意したのよ」
エリカはポシェットに手を入れると、リンゴを1つ取り出しました。
「それがプレゼント?」
「これは朝ごはん、あとこれも」
そう言って次に取り出したのは、さっき釣った小さな魚でした。エリカは魚の尻尾を指で摘んでクマさんに渡します。
「グッピー……これは?」
「あなたの朝ごはん」
クマさんは顰めた顔でエリカをじーっと見つめました。
「なによ?」
「さすがにこれは食べられないよ……」
「あらそう」
グッピー、熱帯魚です。
一般的に食用の魚ではなく、観賞用の魚です。
クマさんは玄関脇の水槽にグッピーを入れてあげます。水槽からポチャンと小さな水しぶきが上がり、グッピーは元気に泳ぎだしました。
「プレゼントはこれで終わり?」
「ちがうわよ!」
そう言ってエリカは再びポシェットに手を入れると、ガサゴソといったふうに漁りました。
「じゃじゃ~ん! プレゼントはこっちよ」
そうして取り出したのは、布の巻物と紙の巻物、そして、ひとつの小さなお花でした。
「その模様……! もしかして!」
ふたつの巻物とお花。それらにはそれぞれ模様が描かれていました。クマさんはその模様をひと目見て、それがどんなものであるのかわかった様子です。
「そうよ!」
エリカはまず、クマさんの部屋めがけて布の巻物をポイッと投げました。
すると、部屋の床が一瞬にして、杢目の美しい無垢のフローリングにかわりました。
さらにその床の上には、手触りの良い赤い絨毯が敷かれています。
「おー!」
クマさんは目をキラキラとさせて肝胆の声をあげました。
「これがログハウスの床! お次はこっち!」
続いてエリカは、紙の巻物をポイッと投げました。
すると、ただの白い無地の壁紙だったお部屋の壁は、これまた美しい杢目の壁になりました。
「ログハウスの壁紙! そしてそしてー!」
最後にエリカは、花をポイッと投げました。
ひらひらと舞い上がった花は、回りながらゆっくりと床に落ちていきました。
するとお花はポンッと音を立てて、木で作られたふたりがけの大きなソファにかわったのです。
「これが大きなログハウスソファよ!」
「うおー!」
クマさんはバンザイをして叫びます。
「すごい! これでログハウスシリーズが全部揃ったよ! 本当に貰ってもいいの?」
「ええ、いいわよ。その代わり早く手紙を読んでちょうだい」
エリカは偉そうにふんぞり返って言いました。
「お任せあれだよ!」
クマさんは握ったふわふわの拳を胸に当てて言いました。
「フフン……! はい、これお手紙!」
エリカはポシェットから取り出した手紙をクマさんに渡します。
クマさんは手紙を受け取ると、さっきエリカに貰ったばかりのソファに座りました。エリカもあとに続いてクマさんのひざの間に腰を下ろし、クマさんに体を預けるようにしてもたれ掛かりました。
「漢字の設定ってかえられたと思うけどなぁ……」
クマさんは手紙の表側に書かれた「招待状」の文字を見て言いました。
「?」
エリカはクマさんの言っている意味がわかりませんでした。
「エリちゃんに言えば、平仮名だけの設定にかえてくれると思うよ?」
そうしたら村中の字が平仮名ばかりになるよ。とクマさんが教えてくれます。
「エリちゃんなんてとっくにいないじゃない」
エリちゃん。本当の名前をエリナといいます。エリカのお姉ちゃんです。お母さんがお姉ちゃんのことを、エリカが生まれる前から「エリちゃん」と呼んでいたので、エリカも同じように呼んでいるのです。自分もエリちゃんであることは気にしていません。
ちなみにここどうぶつ村では、エリカとエリちゃんは同じお家に住んでいました。
「エリちゃんは中学生になったのよ」
エリちゃんはちょっと遠い中学校に通うことになったので、今は寮に住んでいるのです。そこに住み始めてからというもの、エリちゃんはどうぶつ村を訪れていません。
「どうやら違うゲームで遊んでるみたいね」
「それは、とてもさみしいことだね」
クマさんはとても寂しそうに言いました。なんせ、クマさんとエリちゃんは村いちばんの仲良しだったのです。エリカはそれを知っていました。
「まあそんなもんよ! わたしがいるじゃない!」
少しばつの悪いことを言ってしまったと思ったエリカは、クマさんを励ます気持ちで言いました。
「はぁ……あのね、エリカ」
「なによ」
「学校の友だちはできた……?」
エリカは小学校に上がってからというもの、まったく友だちができないでいました。エリカは学校が終わるとすぐに、毎日のようにどうぶつ村を訪れていたのです。
「できないわ、いらないもの」
「でもエリちゃんもいなくなってさみしいでしょ?」
「ママもパパもいるわよ。それに、あなた達がいるじゃない! それでたくさんよ!」
エリカは満面の笑みを浮かべて言いました。
エリカの心の中は、いつもどうぶつ村とどうぶつさんたちのことでいっぱいなのです。学校でだってそうでした。
「そう言ってもらえると嬉しいけど……それでもやっぱり新しい友だちをつくらなきゃ」
「まあがんばってみるわ」
エリカは押し問答が始まりそうな予感がして、適当に返事をしました。
「それよりお手紙は! お手紙を読みなさい! プレゼントをあげたでしょう!」
「ああ、ごめんごめん。えーっと……」
クマさんは改めて、手紙の表に書かれた字に目を向けました。
「──招待状」
「しょうたいじょう? 絵本でみたわ、お城からくるのよね」
「うーん、そういうのとは違うと思うけど。どうぶつ村にお城なんてないし」
「あらそう」
クマさんは封を開いて手紙を読み始めます。
手紙の内容は次のようでした。
招待状
甘えたさんなエリカへ
あなたをVRMMOARPG【STELLA】の世界へご招待いたします。
【STELLA】そこはとても美しく、広大な星。
いつまでも小さな村に閉じ籠もっていてはいけません。
勇気を出して飛び出すのです。
目を凝らしなさい、耳を澄ませなさい。
あなたを必要とする誰かが、きっとそこにはいるはずだから。
それはきっと、素敵な出会い。
それはきっと、素敵な毎日のはじまり。
あなたのハハより。
「ハハだわ!」
ハハ。エリカのお母さんです。といっても本当のお母さんではありません。ハハはどうぶつ村に訪れる、エリカのような人たちみんなのお母さんなのです。ハハは時折、川柳や短歌を綴った手紙やプレゼントを一緒に送ってきてくれるのですが、今回の手紙はいつもと少し様子が違いました。
「ハハからのお手紙だったのね」
「うん。でもいつもと少し感じが違うような……」
「わっ!」
すると突然、エリカの目の前が真っ暗になりました。
「なんで電気を消したの!」
エリカは暗がりがとても苦手でした。
ひとりで電気のついていない2階に上がることだってできないのです。
「電気をつけなさい!」
エリカは大きな声で叫びます。しかしクマさんからの返事はありません。
「電気をつけなさーい!!!!」
大きく叫んだエリカは突如眠気に襲われて、ゆっくりと瞼を閉じてゆくのでした。