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薫たちはそそくさと壁際のソファに腰を下ろし、エリカを向かい側の席に座らせた。
「あのバカどもは放っておこう、さあエリカ、お前の村について詳しく教えてくれ。おっと、まずは注文だ。何がいい?」
薫はそう言ってエリカにメニュー表を差し出した。
薫からメニュー表を受け取ったエリカは、一度メニュー表を開いたものの、遠慮をしているのか「本当にいいの?」とでも言うように、上目遣いで薫を見つめた。
薫は肘をついてテーブルに乗り出すと「なんでもいいぞ」と優しくエリカに囁きかけた。
エリカは小さな手で1ページずつゆっくりとメニュー表を捲っていく、そして、その手は飲み物のページで止まり、何処か遠慮がちにリンゴジュースを指さした。
「リンゴジュースか、了解。私はエール、お前もエールでいいか?」
「今日はやめておくよ」
「酒豪のお前が酒を飲まないだと……?」
「今日牛女を倒すんでしょ? 控えないとねー、僕もリンゴジュースでいいや」
「それはそれはお偉いことで、私は飲むけどな! 海音ー! エール1つにリンゴジュース2つだ!」
「はーい! かしこまりました!」
海音、BARシーサウンドの店主であり、この店のことを全て一人で切り盛りしているNPCであった。
注文を終えた薫がエリカに目を向けると、エリカは被っていたヘルメットを脱いでテーブルの脇に置いていた。
「それも自転車と同じ店で買ったのか?」
薫が疑問に思って問いかけると、少女はぶんぶんと首をふった。
「お? じゃあどこで買ったんだ?」
「これは仕立て屋さんで買ったの……」
「ほう、お前の村は仕立て屋まであるんだな」
「いやいや、ヘルメットが売ってる仕立て屋さんって……」
横で二人の会話を聞いていた大介は、意味がわからないというように呆れ笑いを浮かべる。
「別にいいだろ? 仕立て屋でヘルメットが売ってたって、服が売ってるカフェだってあるんだ」
「逆でしょ? あれはカフェのある服屋だよ……って、そんなことはどうでもよくて……仕立て屋さんって布とか皮製品専門のイメージじゃない? ヘルメットって……」
「まあ……確かにおかしな話だな……」
二人がそんな話をしていると、海音が注文した品を運んでくる。
薫が目の前に置かれたグラスを手に取り、グイッと喉に流し込むと、甘い酸味が口の中に広がった。
「ん、これリンゴジュースだ。取り替えてくれ」
そう言って薫は手で口を拭うと大介にグラスを差し出した。
「僕のもリンゴジュース」
大介は自身の目の前に置かれたグラスを手にとって一口飲むと、グラスを掲げてそう言った。
「ん……? おいまさか!」
薫と大介は焦ったようにエリカに目を向ける。
「平気か……?」
薫が、グラスを両手で持ち上げてゴクゴクと豪快に飲んでいるエリカに向かって問いかけると、エリカはグラスから口を離して「何が?」とでも言うように首を傾げた。
「ほっ……よかった、リンゴジュースだ」
薫はエリカのグラスに鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、ホッとしたように息を一つついた。
「おい海音、全部リンゴジュースになってるぞ、私が頼んだのはエールだ」
「えっ! 大変申し訳ございません! すぐお取替えいたします!」
海音は深々と薫に謝罪をしてグラスを回収する。
「おい! 俺の注文もリンゴジュースになってるぞ! テキーラを頼んだはずだろ?!」
すると、隣の席に座る客からも同様の声が上がった。
「も、申し訳ございませ〜ん!」
海音は身を翻し深々とお辞儀をして謝罪する。
「ドジだなー海音は、NPCの癖して」
「すごいよねー、NPCなのにドジっ子。完璧に仕事をこなすAIよりドジっ子のAIのほうが再現が難しそうじゃない?」
「確かに……いまだに思うときがあるからな、まるで本当に生きてる人間みたいだなーってな」
「うん、でもそれは危ない思考だよ薫姉」
大介は人差し指を掲げて薫に注意を促す。
「ああ知ってるさ、AIとの付き合い方のモットー」
「「AIに入れ込みすぎない」」
それは薫たちが学生時代に幾度も教え込まれた現代における注意事項であった。
現代に生きる誰しもが、AIに対して嫌悪感や畏怖の念を少なからず抱いていた。
AIに仕事を奪われたもの、自身のアイデンティティを失ったもの、AIに入れ込みすぎて現実を見失ったもの。
AIそのものを恨んでいる者が数多く存在しており、AIに対する姿勢が苛烈な者やドライな者もまた、数多く存在した。
そして、AIを鬱憤を晴らすために利用する者、自分の欲望をぶつける者など、私利私欲のために利用する者も少なくなかった。
「とっとと持って来いクソ女が! このジュースもいただくからな!」
「あっ!」
隣の席の客は海音に暴言を吐き捨てると、グラスに入っていたジュースを一気に飲み干した。
「あぁ、はい……大丈夫です……申し訳ございませんでした」
海音は仕方ないというような曇った表情を浮かべると、改めて腰を折って謝罪した。
「はぁ」
その光景を見ていた薫は、大介と目を合わせると呆れたようにため息をついた。
プレイヤーが数多く集まるこの店は、とにかく治安が悪かった。それはこのゲームがZ指定ゲームであることに加えて、なによりAIが切り盛りしている店であることが原因だと思われた。
「昼過ぎまで金策して教会に行く、そしたらそのまま城に向かおう」
薫は話題を変えて、今後の予定を大介に提案する。
「昼飯は?!」
「我慢するに決まってんだろー、牛女を倒せたら好きなだけ食べたらいいさ」
「そんな〜腹が減っては戦はできぬっていうじゃ〜ん」
「牛女に勝てたら焼肉にでも連れて行ってやるよ」
「マジ?! やった!」
────────……しろ?
二人がそんな会話を繰り広げていると、突然、今まで自分から喋ることのなかったエリカが話しかけてきた。
「お城があるの?」
薫はエリカの声に驚いて向き直ると、テーブルに肘を乗り出してエリカに顔を近づけた。
「あぁ……! あるぞ! 興味あるか?」
薫が興奮した様子でそう言うと、エリカは瞳をキラキラと光らせて、その表情は太陽のようにパッと輝いた。
薫はそのエリカの表情にいたく感動した。そして、さらに興奮した様子で話を続ける。
「あそこの城にはな! とんでもない痴女……じゃない、ナイスバディーなお姫様が住んでるんだ!」
薫は自身の胸の前で、弧を描くようにして手で大きな胸を作る。
「薫姉……」
そんなふざけたようなポーズをとる姉の姿を見た大介は、薫に白けた目を向けた。
「お姫様!」
薫の話を聞いたエリカの顔は、三度キラキラと輝いた。
「城はどこにあるの!」
エリカは続けざまに薫に質問を投げかける。
「この通りを南に、いや、あっちに抜けた先さ。通りを抜けて街を出たら目の前に森がある。その森に入ってまっすぐ10分も歩けばたどり着く……あ! でも行っちゃだめだぞー、森はとても危険だし、お姫様がいるとは言ったがその正体はもっと危険な牛女──」
「イカサマ野郎が!!!!」
薫が陽気に身振り手振りをつけてエリカの質問に答えていると、突然、店内中にバンッと机を蹴る音とともに、けたたましい怒号が響き渡った。
エリカは驚いてビクッと体を跳ねさせると、机の下に潜り込んで、薫と大介の間に体を滑り込ませた。そして、薫が着ている服の裾を、ギュッと掴んで怯えている。
薫はエリカの手を握って「大丈夫だ」と頭の上から優しく囁きかけた。
薫が怒号のした方を見ると、どうやら怒号を上げたのは先程の太った中年の男であった。
「てめぇがジョーカーのカードを隠しやがったんだ!」
中年の男は対面に座っていた眼鏡をかけたヒョロヒョロの男に詰め寄っている。
詰め寄られた男は席から立ち上がり、その場に尻餅をついた。
「やってないですって!」
眼鏡の男は手を顔の前で振って、自分はやっていないと否定する。
「大介、エリカを頼む」
「うん」
薫はエリカを大介に預けて立ち上がると、揉めている男たちの席へと近づいていった。
「あ~あ~」
テーブルが倒され、床には割れた皿やグラスの破片が散らばっていた。その中に、トランプのカードが何枚も混じっている。
どうやら男たちはトランプでギャンブルをしていたようであった。
「おい! ガキが怯えてるんだ! 荒事はやめてくれ!」
「そうは言ってもよ! 薫ちゃん! こいつがイカサマをしやがったんだ!」
「たかだかトランプゲームでいい大人が癇癪起こすなよ……」
「金がかかってんだよ!」
「ギャンブルなんてもってのほかだ」
薫は呆れた顔をして腕を組んだ。
「いちいちうるせぇ女だ……ん? クソがっ……!」
反論しながら自身の胸ポケットを弄っていた太った男は、タバコの箱を取り出して悪態をついた。
太った男はタバコの箱を逆さまにして上下に振っている。しかし、タバコの箱からは刻みのカスだけが落ちてきた。
「タバコを切らしてやがる……! お前ら! 俺が帰ってくるまでにジョーカーを探しとけよ!」
太った男はそう言い残して姿を消した。どうやらタバコを吸うためにログアウトしたようであった。
「おい! 見てみろ!」
太った男の隣の席に座っていた男が声を上げた。
「あいつ自分のケツで踏んづけていやがった!」
そう言って男が指を差す先、先程まで太った男が座っていた席を見ると、ジョーカーのカードが落ちていた。
「ギャハハ!」
「こいつは傑作だぜ!」
「あいつ……自分のせいなのに人に当たりやがって……」
男たちはゲラゲラと笑い、責められていた眼鏡の男は太った男に対して悪態をついた。
「やれやれ……」
薫は呆れた顔をして自分の席に戻っていく、すると、そこにエリカの姿はなく、大介だけが我関せずというように窓の外を向いて座っていた。
「あれ? エリカはどうした?」
「なんか出て行っちゃったけど」
「馬鹿かお前! まだ村の場所を聞いてないんだぞ!」
「次会うときに聞いたらいいじゃん」
「どうやって会うんだ?!」
「あっ……」
「大介ー!」
店内に薫の怒号が響き渡った。