何の偶然だろう
アースガルズ――。
この世界の拠点地名――"戦う者の地"は、古代ギリシャを思わせる壮麗な建造物が立ち並ぶ、三大都市の一つに数えられている。
その名の通り、アースガルズにはプレイヤー同士が戦う闘技場が設けられており、そこで戦う者たちは『決闘士』と呼ばれた。
そして、勝ち抜いた最強の決闘士は『Sランク決闘士』の称号が与えられ、ユーワールド内で様々な特典が得られるほか、数百万円規模のリアルマネーも手にすることができる、強さを誇る者たちにとっては夢のような仕様であった。
そんなサクライは、"勇者のように振るまうことで、全てのステータスが上がる"という特殊ステータスを持っていた。
この優位性を活かし、Sランク決闘士を目指すことになったわけだが――。
「……全然勝てなくなったな」
サクライは石畳の道を、とぼとぼ歩きながらぽつりと言葉をこぼす。
アースガルズに移動してから一ヶ月――。
サクライはBランク決闘士に昇格していた。
しかし、Bランク戦に入った途端、なぜか勝てなくなってしまった。
D、Cランク戦の機械的なNPC相手とは異なり、相手はすべてプレイヤー。
経験も戦略も段違いだった。
圧倒的な基本ステータスを誇るサクライが勝てなくなった原因の一つは、スキルの数が足りなかったことだ。
スキル習得や練度を上げるには必要なアイテムとお金がいる。
サクライの場合、看破、庇護、諸刃の剣以外のスキルは、アイテム数やお金がかかり過ぎて習得できずにいた。
二つ目の要因は、対戦相手たちにすでにサクライの戦法、つまり剣での接近戦しかできないことを見抜かれていたことだった。
空中戦を仕掛けられ、飛び道具や遠距離スキルの持ち合わせがないサクライの攻撃は当たらず、いつもタイムオーバーのダメージ量判定で敗退した。
今しがた戦ってきた対戦相手からも、
『所詮基本能力が高かろうが、剣をただ振り回しているだけの一辺倒の戦いしかできん奴なんぞ俺の敵ではないわ』
と、捨て台詞を言われてきたばかりである。
確かに総合的な能力ならサクライの方が上だ。
しかし、攻撃が当たらなければ意味がない。
スキル習得にかかる資金も必要だが、この先、戦闘技術も必要になってくるだろう。
サクライは切なくため息をつく。
「せっかく毎日ログインできるようになったのに……」
そう――決闘では連敗だらけのサクライだが、リアルでは幸運な事があった。
今まで休日だけのログインだったのが、今では毎日ログインできるようになったのだ。
その理由はいつも部下たちとキャバクラに行くため仕事を押し付けてきた亞房上司が急遽入院したからだ。
今は本部から来た代理上司が公平に仕事を割り振ってくれる人物で、亞房の太鼓持ちたちがやる業務をやらずに済み、初の定時帰宅ができた。
おかげでいつも深夜まで残業続きで疲弊していた桜子は入社以来、すこぶる幸せな毎日を送っている。
「――けど、今度はゲームで手詰まり状態か……」
そう落胆して肩を落とすサクライに、目の前に着信コールが表示された。
相手は"始まりの村"で装備屋を営んでいるニクコからだ。
「もしもし。どうした?ニクコちゃん」
『やっほー。サクラっち。急なんだけど今からレイド討伐に参加してみない?』
「レ、レイドに?!」
レイドボス討伐は一般の狩場モンスターより稼ぐことができ、かつ滅多にでないアイテムも入手できることから争奪戦が激しい。
しかもボスに対してプレイヤーの人数制限が設けられているため、個々のプレイヤーの能力が求められた。
『うんうん。"ブレイバーズ"っていうクランが主催のレイドなんだけど、回復役と強力な攻撃役が急に来れなくなっちゃったみたい。そんで知り合いのクラン員に私がお呼ばれされたわけ。あと強力なアタッカー探しているみたいだから、サクラっちに声をかけてみたんだけど。――どう?いける?』
ブレイバーズの規模は中より小規模寄りのクランだ。
討伐定員に空きがある場合、クラン員の知り合いから声をかけているそうで、光栄にもニクコはサクライを推薦してくれたようだ。
「ああ!いける!」
こんなチャンス滅多にないと思ったサクライは即答していた。
『じゃ、今から"ニンガル湿地帯"に飛んでくれる?現地集合だから』
「OK。それじゃまた」
通話が切れ、サクライは興奮と緊張が収まらない気持ちで走り出した。
サクライにとって初めてのレイドボスである。
「これはツイてるな!」
ニクコのおかげで事態が進み、先程までどんよりしていた気持ちが今や晴天のように晴れ渡った。
*
サクライは集合場所であるニンガル湿地帯に着いた。
山岳に囲まれ、気休め程度の木々があちこち生い茂っている。
沼地帯だけあって大きな沼地が所々ある殺風景な狩場であった。
集合場所近くにはセーフティエリアがあり、プレイヤーたちが続々とその場からログインし集まっていた。
「おーい!サクラっち〜!」
声のする方へ振り向くと、軽やかに飛んでやってくるのはニクコだった。
だが、その表情は何だか浮かない顔をしていた。
「今日はありがとう。ニクコちゃん」
「んーん。それよりも……わたし、サクラっちに謝らなくちゃいけないことがあって……」
手をもじもじさせて言い辛そうにしているニクコを見て、実はアタッカーはいらなかったというオチかと思い、ぎくりとするサクライだったがどうやら違ったようだ。
「本当はサクラっちとわたし、同じパーティーだったんだけど、わたし別のパーティーに入ることになって……。それでサクラっちは"ペア"のパーティー編成なの」
1パーティー最大10人まで可能であり、他のパーティーはすでに10人を満たして定員オーバーになったそうだ。
そんなことか、とサクライは安堵すると、その続きが問題だった。
「その一緒に組む人って、ちょ〜〜〜っと人見知りで気難しいところがあって……あ、悪い人じゃ、ないよ?うん。ここのレイドならそんなに手こずることはないし、無事に終わると思う。ほんのちょっとの間だけ我慢してもらうかもだけど……」
悪い人じゃない、と言い淀んだところが逆に不安を煽るものである。
しかし、こんな時の対応は心得ている。
「問題ないさ。任せてくれ」
モチーフにした少年勇者に倣い、親指を立てては笑顔で決めるサクライ。
「ありがとうぉ」
ニクコが心底安心して言うと、横から飄々とした男が口を挟んできた。
「ニクコちゃん、そんな風に脅かしちゃいけないな〜。あれは彼女なりの照れ隠しってやつさ」
サクライよりやや背が高い、20歳前後の男だった。
ファンタジーゲームだというのに、現実世界にでもいそうな普通のロングコートを装備している。
「サクライ君って言うんだっけ?僕はラフマニス。彼女、いつも僕のパーティーには秒速で断るのにさ、レイドに誘っているのは僕なのにねぇ」
「相手にされてないのに、ラフっちが勝手にぺらぺら話しかけてくるからじゃない?」
「あーいう子には、こっちから手を差し伸べてあげないと、ね?」
ラフマニスはそう言って、サクライにいたずらっぽくウィンクした。
「それにサクライ君だって、彼女と組めるなんて幸運なことだよ?なんたって、ユーワールドのベスト5には入る美女なんだから」
サクライはどういったリアクションを取ればいいのか分からず「はぁ……」と、曖昧な返事をする横で、ニクコが「あのねぇ……」と、口を挟んできた。
「そんな風に"あいつ"のこと言えるのは見た目の美貌しか見てない下心見え見えの野郎だけだってーの!本当のあいつを知っ…た…ら、ご、ごほん。――とにかく!向こうも一応、了承したんだし、挨拶しに行こっか!」
なぜか不自然なほど誤魔化すニクコ。
ますます戸惑いを隠せないサクライだったが、飛び出したニクコの後を追いかけ、ラフマニスに「頑張ってね〜」と、暢気に手を振って見送られたのだった。
ニクコが遠くにいる人物を指して言う。
「ほら、あの人」
他プレイヤーたちから離れた場所で一人佇む女エルフに、サクライは言葉を失った。
あの長い白銀の髪に、特徴的な長い耳、何より印象的なのが突き刺すような冷徹な瞳――。
――ほんと、どんな縁なんだか……。
三度目の偶然の出会いに、サクライは苦笑いした。
ニクコはいつもの間延びした声で女エルフに話しかける。
「ユエっち〜。さっき主催代理のナイトっちが話していた通り、アタッカーのサクラっちだよ〜。仲良くやってね〜♡」
――そうだ、ユエだ。思い出した。
ここにきて、ようやく女エルフの名前を思い出したサクライ。
一方、ユエの方はサクライを一瞥すると、興味がないのか、再び視線を元に戻して話す気はないと言わんばかりの態度であった。
相変わらずだな、と思ったサクライは、こういう人物だと分かりきっていたので構わず話しかける。
「今日はよろしく。嘆きのダンジョンの時はありがとう」
ユエは数秒ほど記憶を巡らせると、思い出したかのように「……ああ」と、興味なさげにつぶやいた。
――まさか……私のこと記憶から消えていた?初対面であんな攻撃して、しかも二度目もばったり出くわしたのに?
衝撃を受けているサクライをよそに、ニクコは2人が顔見知りだったことに安心したのか、
「あらら?知り合いだったの?それなら良かったわ〜♡それじゃ私も主催の手伝いしなきゃだし、もう行くね。サクラっち、討伐頑張ろうね〜!」
そう言って、ぴゅーんと飛び去ってしまったのだった。
サクライは思わずニクコに手を伸ばしかけそうになったが、その気持ちをぐっと堪えた。
ニクコが去っていくと同時に、ユエはまるで話しかけるなと言わんばかりに、真っ先に5歩以上、サクライから距離を空けた。
――気まずい……。
露骨な態度を出され、早くも精神的ダメージがくるサクライ。
まるで目には見えない、人を拒絶するバリアが張り巡らされているようだった。
サクライは無理に話しかけるのを諦め、討伐が始まるまで周りを眺めて時間を潰すことにした。
最初に視界に留まったのは、忙しなく動いている全身赤い重装備をしたプレイヤーだった。
先ほどニクコが言っていた、今回の主催者である『クレイナイト』である。
主催者は全パーティーをまとめる連合主とも呼ばれ、各パーティーたちに指示を出したり、ドロップアイテムが出ればオークションを執り行なったりするのが一般的だ。
次にサクライの目に留まったのは、一見サクライを見ているようで、実際はその奥にいるユエに熱い視線を送っているプレイヤーたちだった。
無理もない。
このユーワールドにいるプレイヤーは大半が男性を占めていた。
基本、リアルの性別が強く反映されるのか、自然と女プレイヤーは全体の5分の1程度といった少なさだ。
ましてや、ユエのような希少種のエルフ――絶世とつく美少女なら尚更であった。
そんなユエとペアで組むことになったサクライは、何人かの妬み嫉みといった敵意の眼差しを受ける結果となった。
――全く。同性でさえ嫉妬された事がないっていうのに、まさか男に嫉妬されるなんてね……。
サクライはため息をついた。
サクライ――桜子は、人口50人にも満たない過疎地域で生まれ育った。
同世代の子供はおらず遊び相手もいなかったが、地域の人々に温かく見守られ、大きな不自由もなく過ごしてきた。
しかし高校2年の時、たった一人の家族だった母親を亡くす。
すでに父も他界しており、頼れる身内はどこにもいなかった。
そして桜子は、生まれて初めての決断として――上京を選んだ。
慣れない都会でバイトに明け暮れながら高校を卒業し、社会人となったが、ようやく掴んだその職場も安心できる場所ではなかった。
入社して間もなく、上司の"見てはならないもの"を見てしまったのだ。
不正の現場だった。
その日を境に、桜子に向けられる視線が変わった。
嫌がらせ、過重な業務、理不尽な叱責――桜子は、しだいに確信するようになった。
人間というものは、自分のやましさを知られた相手を、どこまでも陥れようとする生き物なのだ――と。
「人数が揃ったな。では今から作戦を言う!」
クレイナイトの声が響く。
桜子――サクライは意識を今に呼び戻した。
人数がようやく揃い、いよいよ討伐が開始されるようだ。
そのタイミングで、サクライの前にホログラム画面が浮かび上がった。
<ユエがパーティーを申し込んでいます。参加しますか?>
<YES> <NO>
サクライは離れた場所にいるユエをちらりと見る。
彼女はサクライの方へ振り向くこともなく、先ほどと同じ位置で静かに佇んでいた。
その姿からは、関わる気のなさと、ただ義務として申請を送ったような空気がひしひしと伝わってくる。
パーティー申請は、何もせず10秒経てば自動でキャンセルになる。
これを逃せば、それっきり――ユエはそのままソロで討伐に向かう気がした。
サクライは迷う暇も無く、YESボタンを押した。
心のどこかにあった期待や興奮は影を潜め、今はただ、突き刺すような緊張だけが胸を占める。
ユーワールドでの初レイドボス戦が、こうして静かに幕を開けようとした――。
最後までお読みいただきありがとうございました☆
2025/3/28修正済み。