ヴァナヘイム
"ヴァナヘイム"――。
大半は海で占められた、小さな離島が所々点在する世界。
拠点地である"まどろみの町"は水面に浮かんだ建物が並び、ゴンドラで景観を楽しめる風情ある町並みだ。
そんなサクライはヴァナヘイムの狩場の一つ、"嘆きの亡者の遺跡"に来ていた。
大小さまざまな古びて綻びがある遺跡が立ち並ぶなか、中心には大きな湖があり、唯一、水中スキルを習得していなくても行ける狩場である。
にも関わらず、辺りにプレイヤーの気配は全くない。
それもそのはず。
この狩場はモンスターが厄介なわりに報酬がまずいことで知られている、ユーワールドきっての不人気狩場だからだ。
しかし、なぜサクライがそんな狩場へ訪れているのかというと、その理由は数ヶ月ほど前まで遡る――。
サクライはとある理由で桃色団の彼らと別れた後、このヴァナヘイムに移動した。
そして着いて早々、幸運にも気の合うプレイヤーたちと出会う。
"ハニーソーダ"という少数クランの集まりだった。
クランに加入していないにも関わらずサクライをメンバーのように接し、その付き合いは四ヶ月にも及んだ。
ずっと無所属だったサクライも、"このクランなら――"と、ハニーソーダへの加入を検討していた時に事件が起きた。
それは早朝のプレイヤーが少ない時間帯の出来事であった。
ハニーソーダに所属している1人のプレイヤーとばったりと出会った。
そのプレイヤーは口下手の人見知りなのか、他のクラン員も彼とは端的に会話する程度の間柄だった。
そんな彼がいきなりサクライにお願いを言い出した。
"一度だけ装備装着させて下さい"――と。
サクライは困ってしまった。
よっぽど親しい間柄でなければ装備の貸し借りは持ち逃げのリスクがある為、暗黙の了解でタブーとされていた。
しかし、そんなに信用がないんですか?、と情に訴えられ気持ちが揺らいだ。
今後は同じクランの仲間になる――。
四ヶ月も一緒にいたのだから大丈夫だろう――。
そう思い、油断してしまった。
サクライは快く装備を貸した瞬間、そのプレイヤーはすぐさまログアウトして消えると、次の日にはクランを脱退しては行方をくらましたのであった。
後に分かった事だが、そのプレイヤーは少数ながら個々の力あるクランに加入しては、頃合いを見計らってアジトの倉庫アイテムを持ち逃げする、常習的な詐欺プレイヤーであった。
運悪く、サクライはアジト内のアイテムを盗み終えた詐欺師とばったり出会い、ついでに装備を騙されて持ち逃げされたというわけだ。
事の顛末を知った盟主や他の面々もサクライ同様ショックを受けた。
アジト倉庫にあった高額なアイテムが全て盗まれたのだから。
その後、ハニーソーダの面々は苦い思い出を抱えながらも、再出発を誓ってヴァナヘイムを後にし、サクライも全財産である装備を失った。
お互い何とも後味の悪い別れとなってしまった。
しかし、落ち込んでばかりいられなかった。
サクライの強さの源である"勇者服"を失い、ボロの布切れでできた初期装備になると、強さが著しく落ちてしまったのだから。
サクライはいつも御用達の装備屋、ニクコに再び依頼する事にした。
ニクコはサクライから事情を聞くとすぐさま同じ装備を作成し、粋な計らいまでしてくれた。
『ニクコちゃん……これ……』
以前ほどではないが強化されている状態を渡された。
言葉を詰まらせるサクライにニクコは、
『ほんのちょっと色をつけただけや。女の仁義見せたるわ。……でも次はないで♡』
最近、極道ものの映画にハマっているらしい。
片手に持っている煙管の煙を吐き出しては、コテコテの関西弁で話すニクコ。
そんなニクコの心意気にじーんと感動するサクライは、改めてニクコと出会えたことに感謝したのだった。
――そして今に至る。
今や一人になりたかったサクライは、気晴らしにこの狩場を選んだというわけだ。
「また振り出しに戻る、か……」
たまらずぼやきが出てしまった。
予定ではSランク決闘士を目指して"アースガルズ"に行き、いよいよ決闘戦デビューするつもりだった。
なのに、装備を盗まれ、ハニーソーダのクラン加入も無くなってしまったのだから……。
そんな思考にサクライは『ハッ!』と気づくと、
「俺は勇者だぞ、へこたれてたまるか!今のは無し!」
そして、その場で正座し、精神統一を始めた。
サクライの強さの源は、"勇者"のような不屈の精神によるものだ。
どんなに困難なことや落ち込むことがあっても、前向きに取り組まなければならない。
精神統一を終えて立ち上がったサクライは気持ちを切り替えると、ホログラム画面を操作して手のひらに地図を出した。
中身を広げて遺跡ダンジョンの詳細を見る。
一番安い地図だけあって構造も大雑把に記されていたが、道に迷うような複雑なダンジョンではなかった。
セーフティエリアはないが、道なりに進めば地上から最奥の地下2階まですんなりと行ける。
クエスト攻略まで時間はかからないだろう。
サクライは地下へと続く入り口を難なく探して下りていった。
薄暗い通路を進んで行く途中、道なりに沿った両脇の小部屋には剣と盾を持った骸骨モンスター、正式名"スケルトン"のパーティーモンスターが待ち構えていた。
間合いに入れば襲ってくる"アクティブモンスター"であったが、サクライにとっては強敵ではない。
的が大きければ、サクライの荒っぽい剣技でも十分に倒せた。
裏を返せば今まで能力値にかまけて、ゴリ押しでやってきたというわけでもあるが――。
野球バットを振るようにスケルトンたちを蹴散らしていき、そのまま地下2階へ下りる階段まで一気に駆け抜けていった。
「これは……すごいな……」
サクライは目の前に広がる光景に、つい見入ってしまった。
下りた先は、天井が異常に高く、広大な空間だった。
壁一面には、剣士や法衣をまとった英雄たちの像が彫られ、その手に持った武器の先端には、微かな光を反射させた水たまりが広がっている。
神秘的で、少し息を呑むような光景だ。
位置からして、ここは地上にあった大きな湖の真下にあるのだろう。
対になった四つの出入り口まである足場の中心には、直径10メートルほどの円の"分岐点"がある。
今サクライが下りてきた出入り口以外、三つあるうちのどれか一つが正解なのだろう。
サクライは踏み外せば水の中に落ちてしまう、幅の広くはない足場を歩き、大きな円の分岐点まで歩いて立ち止まった。
改めて周囲をぐるりと見渡す。
「綺麗だな」
現実ではあり得ない光景だからだろうか、神秘的な雰囲気に見惚れていると、
ザザッ――。
「――!」
サクライは息を呑んだ。
一瞬、奇妙な黒い霧に覆われた人影のようなものが、像の上部を這うように通り過ぎるのを目の端で捉えた。
サクライに緊張が走る。
――もしや、PK?!
プレイヤーの中には娯楽でプレイヤー狩りを楽しむPKがいる。
一部の者にとってPKで名をあげることは、いろんな意味で"力"を誇示する行為であったからだ。
サクライはこれまでPKに遭遇したことはなかったが、本当にPKなのかどうか確かめるため、大声でハッタリをかけてみた。
「どこにいる?!いるのは分かっているぞ!出てこい!」
凛とした青年の声が空洞内に響き渡る。
だが、静けさだけが訪れ、PKと思わしき人物が現れる気配はない。
――出てこないな。出て来られても困るけど……。
ゲームオーバーになったらランダムで所持品がドロップされ、所持金もいくらか失う。
万が一、装備がドロップしてしまった場合、ニクコに合わせる顔がない。
サクライは油断なく周囲を見渡して相手の出方を待ってみた。
だが、いくら待ってもPKらしき人物は現れてこなかった。
――気のせい?時間も惜しいし、もう行こう。
このダンジョンにはセーフティエリアがない。
3時間のリミットがきたら強制的にログアウトされ、拠点地に戻されてしまう。
サクライは今いる反対側の出入り口まで警戒しながら進んで行くが、結局何も仕掛けられなかったので、ここ最近の不運に少し過敏になっていたのだろう、と気を取り直して先を目指した。
しかしその後、三つの出入り口全てが行き止まりに終わったのである。
「嘘でしょ、セーフティエリアもないのに隠し通路があるなんて……!」
思わず地の口調が出るサクライ。
もう一度地図を何度も確認した。
だが、地図でも実際の現場を見ても小部屋で行き止まりに終わっている。
一番安い地図では隠し通路まで描かれていないのかもしれない。
サクライの受けたクエストはこの遺跡ダンジョンの主――ボスを倒すことだ。
このままだとリミットまで間に合いそうにない。
サクライは無駄骨に終わりそうになり焦っていた。
ただでさえ残り少ない所持金で高い運賃を払ってここまで来たのだ。
ここでクエストを攻略しなければ完全に赤字になってしまう。
もう一度見落としがないか、分岐点のあるところまで急いで引き返した。
そして、出入り口の所まで戻ってくると――
思わずその場でびくりと歩みを止めた。
「なっ?!」
分岐点の円の中心には、見知った黒づくめのプレイヤーが立っていた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ひっそりと修正していってます٩( 'ω' )و2025/3/27修正済み