地獄の特訓
ヘルクレス討伐日は三ヶ月後に決まった、とユエは言った。
それまでに仕上げると主催者たちに宣言し、元々の性格も相まってか、張り詰めた空気が凄まじかった。
そんなユエが真っ先にダメ出しをしたのが、サクライが参考にした少年勇者の決めポーズであった。
敵を倒した後、剣をかっこよく回して鞘に収める決めポーズなのだが――
「そんなのいりません」
と、ユエにばっさり一蹴される。
サクライにとって、このアバターのアイデンティティの一部となっていた。
最後の締めとしてやらないと、どうしても落ち着かない。
「この特訓中だけ、じゃダメかな?」
「……お好きに」
と、何とか勘弁してもらった。
そして本格的に特訓が始まった。
初めに剣の構え方や太刀筋、足捌きなど、基本的な所作を学び、基礎が身についてくると早速実践に入った。
ユエの攻撃を避けるか、剣で受けるか、それを延々と繰り返す特訓である。
「重要なのは"イメージ"です。一番手っ取り早く技術を身につけるには、体感するのが近道なので、できるまで何度も繰り返しますよ」
鋭い眼差しで容赦のない攻撃を繰り返され、この日、サクライは反撃すらできず、ただひたすら攻撃だけを受けて終わった。
痛覚がないとはいえ、一方的にボコボコにされて大の字になって伸びているサクライに、ユエは上から見下ろしては、
「明日、同じ時間に」
そう告げてログアウトした。
一人ぽつんと残されたサクライは、「…………鬼だ」と、力なくつぶやく。
今日は何を隠そうサクライ――桜子の誕生日であった。
それが鬼教官からボコボコ――もとい剣の稽古を受けて終わるとは。
特に誰かと過ごす予定はなかったが、こんな精神が削れる誕生日を過ごすとは夢にも思わなかったサクライであった。
特訓開始から一ヶ月が経った。
さらに激しさが増していった。
サクライがヘルクレス戦で任せられた役目は、本体のボスを倒さない限り消滅しない5体の人型モンスターの足止めである。
不死者5体は攻撃力は高いが、動きはパターン化されただけのモンスターだとユエは言う。
不死者の『視覚』を奪えばプレイヤー同様、回復するまでタイムラグが発生するらしく、目潰しで敵の攻撃回数を減らせば勝機はある、と。
実際体感するとその理由が分かった。
ユエに目を突かれ視界が見えなくなると数分経ってようやく回復しだしたのだが、すぐさま目潰し攻撃をされる、はめ技攻撃だったからだ。
まさに永遠の暗闇ループである。
ボス攻略の為とは言え、本来この戦い方は決闘などでは悪質的なやり口としてプレイヤーたちから批判される行いであった。
さらにユエは悪辣だった。
暗闇のなか、サクライはやみくもに剣を振り回して応戦するが手応えがなく、何度目かの強力な踵落としを頭のてっぺんから落とされ地面に叩きつけると、さっさと立ち上がらないサクライの顔面を踏みつけてきたのだ。
これは攻略とは全く無関係の、本人の性格の行いである。
――この人……絶っ対性格悪い!
サクライは心の中で吐き捨てながら慌てて立ち上がり、つい恨みがましく言った。
「……やっていい事と悪い事の区別は分かるか?」
「反論する暇があったら行動で示したらどうです?」
結局言い返されてしまった。
ユエの言うように、サクライは無駄口を叩くことはせず無心に挑むしかなかったが、反対にユエの口が閉ざされることはなかった。
何度同じことを言わせるんですか――?
本気でやるつもりがあるんですか――?
言葉の剣が次々とサクライの精神を突き刺していく。
挙げ句の果てには、「その髪色を見てると気分が悪い」とまで言う始末だったので、さすがに「髪色は関係ないだろ!」とサクライは怒って反論したが――。
リアルでは社畜として働き――
ゲームではボコボコ――
どんなハード人生を歩んでいるんだ、とサクライは思わずにいられなかった。
ザン――!
数えるのも飽きた目潰し攻撃を受け、視界が見えないまま当てずっぽうで剣を振り回すサクライ。
ユエはこれ見よがしに大きなため息をつく。
うんざりするほど聞き飽きたそのため息に、怒りで柄を握る手が震えた。
「っぅ……ああああああ!」
ため息が聞こえた方目がけて、サクライは叫びながら斬りかかっていく。
だが、足をかけられ体勢が崩れると後頭部を踵で叩き落とされてしまい、無様にもそのままうつ伏せに倒れ込んでしまった。
ダン――!
後頭部を足で踏みつけられた。
ふと、脳裏に過ぎる。
"もうやめたい"――と。
「皆の前で宣言したことはどうやら口先だけだったようですね。――やめますか?」
ちょうど思っていたことを、ユエが察したように問う。
だけど――
「続けるに、決まっているだろ!」
ユエの足を振り払うように剣で攻撃すると重みが消え、体を起き上がらせた。
サクライ――桜子の長所はタフな性格だ。
社畜で養ってきた根性は伊達ではない。
――絶対口先だけじゃないって分からせてやる!
サクライは再び奮起して剣を構えると、ユエはほんの一瞬だけ口元を綻ばせるがすぐに無機質な表情に戻って剣を構えた。
「なら、再開しますよ」
「ああ!」
*
サクライは時折ニクコからメールのやり取りをしていた。
――大丈夫?辛かったらわたしに相談してね!容赦ないところがあるから無理しちゃダメだよ?
――あともう少しだね。サクラっちなら絶対できるよ!
そんな彼女の言葉に支えられ、特訓開始から二ヶ月半――。
訓練人形を使って始めは1対2――数を増やして1対3――今、現在では1対4での対戦まで進歩していき、サクライの身のこなしは磨かれていった。
訓練人形4体を相手に攻撃を受けなくなっていたのだ。
1体目の視覚を奪って動きを鈍らせれば、すぐさま2体目や3体目の視覚を奪いにいく、という繰り返しである。
ボスが倒されるまで、ずっと5体の視覚を奪って足止めするしかないのだ。
「行きますよ」
4体を相手にしても問題ないと判断したユエは、ついに自身も参戦し始めた。
さすがに訓練人形と全く違った。
戦闘センスというのだろうか、ユエの洗練された身のこなしは二ヶ月半でだいぶ様になったとはいえ、サクライには到底勝てる相手ではなかった。
これだけの腕があれば後衛アタッカー向きのアバターは不本意だったろうに、と思う。
他の4体の視覚を奪うと、ユエとの一騎打ちの形になった。
サクライの目を狙ってきたので素早く避けたが、頬のあたりを切られ、エフェクトである赤い閃光が走る。
すかさずユエの視覚を奪いにいくが、一体どうしたことだろう。
あまりにも静かで鮮やかなで剣の動きなので何が起こったのか、すぐに判断できなかった。
サクライの手元から剣が遠くまで吹っ飛んでいった。
剣を拾いに駆け出すと、視界が回復した訓練人形たちがサクライに襲い掛かろうと追ってくる。
だが、訓練人形たちは突然動きがぴたりと止んで消えた。
ユエの方へ振り向くと、白銀のエルフは突拍子もなく淡々と告げた。
「……及第点です」
「え?及第点?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔になるピンク頭の勇者に、少女は長い睫毛を伏せて、もう一度告げた。
「これで特訓は終了です」
あれほど過酷な特訓をしたわりに、あっけない言葉で終わりを告げられた。
本当にあまりにもあっけない言葉だったので、現実味がなく呆然と立ち尽くすサクライ。
今までの努力が実ったことに大はしゃぎするわけでもなく、喜びを口にするわけでもない。
ただ頬から何かが流れていた。
……あれ?涙だ。……だめだ。止めたくても、止められない……。
涙が止まらなく動揺するサクライは、泣いている姿が恥ずかしくて顔を背ける。
その姿にユエは淡々と告げた。
「……この世界では強い感情からくる涙を抑えることはできません」
そう言われて確かに、と思った。
リアルでどんなに悔しくても悲しくても、人前で泣いたことのない自分がこんな簡単に涙が出たのだから……。
そんなサクライの様子に、ユエは初めて小さく笑った。
彼女でもそんな顔をするんだな、とサクライが目を見開くのも束の間、すぐにいつもの冷然とした表情に戻ると、「このまま狩場へ行ってみましょう」とユエは言った。
「狩場?何でまた?」
涙がようやく止まったサクライは聞き返す。
「特訓の成果を報酬として受け取った方が実感が出るでしょう?」
「あはは」
ユエらしくない言葉にサクライは笑って頷くと、ユエは表情を歪めて、
「そのニヤけた笑い、気持ち悪いのでやめてもらっていいです?」
――また余計なひと言を。こんな時くらい素直になれないものかな。
またヘソを曲げられても困るのでサクライは心の内に留めておくと、気を取り直して訊ねた。
「じゃ、どこに行く?」
「そうですね――」
この時、二人は初めて一緒に訓練場をあとにしたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
2025/3/31修正済み