プロローグ
花ノ路桜子は、深夜3時過ぎの夜道をとぼとぼと歩いていた。
すでに終電を逃し、毎度お馴染みの宿り木である駅近のネカフェにたどり着く。
社畜OLの桜子は生活の為、辞めるに辞められないブラック企業で働き続けていた。
そんな心がすり減っている彼女は、ブラック上司及びその太鼓持ちたちの陰口を耳にしてしまった。
『そんなの人件費の安い花ノ路にやらせればいいんだよ。辞めても代わりはいくらでもいるからな。わははは!』
『そりゃそうですね。それまであの根暗眼鏡には頑張ってもらわないと』
『亞房部長、今日のキャバクラはどこにします?』
キャバクラに行く為、桜子に仕事を押し付けるのはいつものことだった。
しかし、はっきりと使い捨ての道具だと宣言されてしまい、精神的にタフな桜子でも今回ばかりはかなり気落ちしてしまったのだ。
だからなのだろう。
いつもなら気にも留めない、店内に貼ってある宣伝ポスターに魅入ったのは――。
今や知らない者はいないほど大ブレークを果たした奇跡の美少女、『桃咲ハルカ』が宣伝しているVRMMO――"You World"に。
近年、人の意識が直接ネットに繋がり、あたかも現実のように体感できる世界を"ダイレクト型仮想世界"と言われていた。
数多くのソフトが出回るなか、発売当初から未だトップに君臨し続けているゲームソフトが"ユーワールド"である。
現実世界と見紛まうほどの臨場感に、痛覚や苦痛を絶妙に調整された体感設計、ファンタジーゲームとしての完成度も高く、他のソフトとは一線を画していた。
ただ一つだけ、このゲームに最も不評な点が存在していた。
それは"一度作成されたアバターは二度と変更できない"ということだ。
リアルのように与えられたアバターでやっていくしかないのである。
――ゲームくらい優しくてもいいのに。
桜子はそう思いながら、どこか諦めと期待の入り混じった気持ちで、ダイレクト型仮想世界に入れる部屋を店員に頼んだ。
案内された個室に入ると、見た目、マッサージチェアのような物が一部屋を占領している。
図太い配線が目立つ装置は一台数百万のするため、ダイレクト型仮想世界を体験するにはネカフェに行くか、レンタルするのが一般的だった。
ネカフェが宿り木になっている桜子は、いつでもダイレクト型世界に入ろうと思えばできたが、何しろアナログ思考の人間だったため、やってみようとさえ思わなかった。
けれど、今日は違った。
ポスターに書かれている宣伝フレーズ、"もう一つの、あなただけの世界を作ろう――"という文言に心動かされてしまったのだ。
今の桜子には胸に響く言葉だった。
心のどこかでずっと現実逃避をしたかったのかもしれない――。
ゆっくりとチェアに腰かけると、左手元にある電源ボタンを押す。
すると、耳元で音声が流れて、"熟睡モード"か"ダイレクト型仮想世界"かの選択肢を訊ねられる。
元は不眠症の改善を目的に作られた装置だった。
それが時を経て、ダイレクト型仮想世界のインターフェースとして進化したので、二つの選択肢があるのはそのためである。
桜子は「ダイレクト型仮想世界」と口にすると、リクライニングが倒れて顔部分が黒いカバーで覆われていった。
<<これよりダイレクト型仮想世界に入ります。状態を楽にしてお待ち下さい>>
桜子は目を閉じると急激に眠気に襲われ、ネットの世界へと身を委ねていった――
意識が暗闇に落ちると今度は真っ白な空間に桜子は浮いていた。
思わず、感嘆の声を漏らした。
宙に浮いていることを除けば、本当に現実世界にいるような鮮明さだった。
試しに自分の手を握ったり宙に浮いた足をぱたぱたと動かしていると、どこからともなくガイダンスが流れ、目の前にホログラムで表示されたいくつかのソフトを選ぶように指示される。
探す手間もなく、ユーワールドは1番目立つ場所にあったので指でタップすると、ガイダンスが流れた。
<<ようこそ『ユーワールド』へ。初めに注意事項を確認し、その後、承諾書にサインをお願い致します>>
聞き終わると四角い画面が目の前に現れ、注意事項の文を下までスクロールすると承諾書の同意ボタンがあった。
内容は大まかに言うと、ゲームで起こったことは全て自己責任というものである。
大体の同意書はそんな内容であるため、桜子は迷いなく<OK>ボタンを指でタップした。
その後、ゲームでの基本的なことを説明され、アバター作成をするために25の質問に答え終わると、4つの輪っかが桜子の頭からつま先まで何度も上下していく。
しばらくして、光の輪っかが消えると終了のガイダンスが流れる。
<<お疲れ様でした。25の質問から得たデータをもとにアバター作成が完了しました。この世界の"あなた"をご確認下さい>>
――いよいよこの世界での私が!
高鳴る鼓動を感じながら目の前に確認用の鏡がふっと現れた。
その姿に桜子は大きく目を見開く。
「嘘……これが……私?」
その声は低く、現実世界の自分とはかけ離れた人物がいた。
*
――始まりの地。
「うおおおおおおお!!」
ピンクのウェーブがかった髪をなびかせ、青い服に赤いマント、額にはサークレットといった、ド定番な勇者の格好をした青年は、咆哮を上げてモンスターに立ち向かっていた。
青年は辺り一帯が草原となっている狩場に来ていた。
ゲーム初心者はまず"始まりの地"からスタートする。
この辺りでは一番クエスト報酬が高く、モンスターが強い狩場であったが、あまりの殲滅スピードにモンスタ—が再び湧く〔復活する〕のに間に合っていなかった。
青年にとっては、すでに弱すぎる狩場だった。
ならばなぜ、彼がここにいるのかと言うと――
「ぐごごごごぉぉぉぉ!!」
雄叫びを上げたのは全身が黒茶で胴体が小さく、顔がその十倍ほど大きいモンスター、正式名称は"古のジャイアント"だ。
手に持っているこん棒を、勇者男に振り下ろそうと襲ってくる。
勇者男の目に殺気が灯る。
それもそのはず――黒目の小さな目に、脂っこいだんご鼻の顔が、リアルのアホ上司にそっくりだった。
「はあっ!!」
青年は怒りの剣で敵の顔を真っ二つにした。
難なく敵を倒したところに、今度は遠くから女性の悲鳴が聞こえる。
声のする方へ振り向くと、二人の女性プレイヤーが古のジャイアントに襲われ、逃げ惑っているのが見える。
初期装備をしている姿から、たった今始めたばかりのプレイヤーたちだろう。
青年はすぐさま助けに向かうと、
ズシャ!――スパ!――ザン!っと、斬りつけ、三体のジャイアントをあっという間に倒してしまった。
モンスターに追われていた女性プレイヤーたちが男を見て頬を染める。
それもそのはず。
男は輝く翡翠色の瞳に、すらりとした長身の美青年だったのだから。
女たちが浮かれ気味に男に礼を言った。
「ありがとう!勇者様強すぎー。しかもちょーイケメンじゃん!カッコいい!」
「ほんとうにありがとうございます!あの、お名前を聞いてもいいですか?」
問われた青年は剣をクルクル回転させ、かっこよく鞘に収めながら名乗る。
「"サクライ"だ。礼を言われるほどのことはしていない」
その青年勇者は、あの『花ノ路桜子』。
この"ユーワールド"では『サクライ』として男になりきっていたのだった。
お読み頂きありがとうございます!
一度完結させた作品で、“仮想世界“と“現実世界“を行ったり来たりしていた作品でしたが、別々に分けた方がしっくりきたので大幅な修正と加筆をすることにしました。
どちらか片方だけ読んだとしてもストーリーが成立するよう描いていきたいと思います。
完結となっておりますが、ひっそり修正してますm(_ _)m