第3話
冬の魔女が、俺の作ったシチューを食べている。どうみても熱そうな塊肉も、そのままガブリだ。妖精のように可憐な見た目とのギャップが、非常に良い。
「うまいな」
「おいしいですね」
冬の城で暮らすようになってから、もう10年が経つ。
俺は頭一つ分彼女より大きくなったが、その間も彼女の見た目は全く変わらなかった。昔話のとおり、彼女は本当に不老不死なのかもしれない。
俺は、すっかり彼女のことを愛していた。
彼女の美しさはこの世のものとは思えないほどであったが、それだけでなく、彼女は俺にとても良くしてくれた。ボロボロで何もない俺が、彼女を愛さないほうがおかしかった。
しかし、彼女に愛を伝えることはしなかった。彼女を神聖な存在だと感じていたからだ。想うだけでも、罪な気がした。
だから俺は、彼女を愛する代わりに、美味しい料理をたくさん作ることに決めていた。最初は素朴なスープばかりだったが、城の図書室から料理に関する本を探して毎日勉強した。拙いながらも字が読めて良かった、と今は亡き母に感謝した。
料理のレパートリーが増えると、材料がなくて作れないものもでてきた。冬の城には簡単な畑があったが、この気候では育つ野菜も限られていた。
そのことを相談すると、彼女は顎に手をかけて少し考えた。そして、俺を連れて畑にやってきた。
彼女は空から舞い落ちる雪を掌に乗せ、ふぅっと息を吹きかけた。雪は、小さな畑に降り積もり、煌めいている。彼女は、これで寒さに強くなるだろう、と言った。俺は、この畑で色々な野菜を作り育てることも、自分の仕事にした。
独学で狩りも始めた。何か月も獲物を獲れない日が続いたが、10年もすれば鹿だって狩れるようになった。
狩りをするようになって、体も随分と逞しくなった。俺は森で動物や魚を獲ってくるのも、自分の仕事にした。
自分の仕事が増えれば増えるほど、俺は安心して城にいられるようになった。彼女もそれが分かっているのか、好きにしろといった感じだ。
俺は「ここにいてもいい」と言われているようで、それがとても嬉しかった。
彼女と俺は、毎日厨房で向かい合ってご飯を食べている。主従としてあるまじき姿かもしれないが、彼女が希望したのだ。熱々の出来立てが一番おいしいから、というのが理由だった。
もしも俺と一緒に食べたいと思ってくれていたら、気持ちが舞い上がってしまうな。
「リヒト、おかわり」
「魔女様、お気に召したんですね」
彼女はシチューをぺろりと平らげていた。俺の作った料理を食べる彼女を見られるだけで、幸せだ。
魔法使いは、本名を人に伝えてはいけないそうで、俺は彼女を魔女様と呼んでいる。
彼女のために、もう一度鍋に火をつける。ひを、つける。あれ。
「すみません、なぜか火がつかなくて」
「リヒト!!」
彼女が慌てて俺の名前を叫んだ。俺は引力のようなものに全身を引っ張られた。それと同時に、かまどから火が吹き上げる。火はさっきまで俺がいた場所も飲み込んで、大きな焔となった。
「ちっ、面倒なやつがきた」
彼女がその焔を見つめながら言う。焔からやがて人型が浮き上がり、それは男となった。
燃え盛るような赤い髪に、漆黒の目。逞しくなったはずの俺よりも、もっともっと鍛え抜かれた体。野性的な雰囲気だが、恐ろしく美しい男。
「よお、久しぶりだな。冬の魔女……と、人間か? 珍しい」
「珍しいだろう、よかったな。じゃあ帰れ」
「相変わらず氷のように冷たい女だな。……ん?」
彼女の冷たい言葉も全く効かない男が、ふと立ち止まる。そしてくんくんと鼻を動かすと、鍋のシチューを見つけた。そして、俺の顔と見比べる。
「は~。遂にてめえの飯のまずさに気が付いて、料理人でも雇ったか」
男はガハハと豪快に笑った。
料理人。傍から見れば、俺はただの料理人だ。
無性に悔しい気持ちになる。彼女に想いを伝えられなくても、美味しい料理を作ってあげることで満足できていたはずなのに。
それは結局、城の中に俺と彼女の2人しかおらず、この男のように脅威となる相手がいなかったからこその、甘えた考えだったと気付いたのだ。
俺は、返事ができず、黙ってしまった。
「ああ、私の大切な料理人だ」
彼女の言葉に、心が震える。そんな俺の気持ちなんて彼女は気付いていないだろう、いや気付かれたら困る。
彼女はいつもの、なんともないような顔でそう言った。先程の屈辱的な気持ちが、彼女の言葉ですっかり晴れてしまった。
大切。彼女は俺を大切と言ってくれた。
男は、そんな俺を見て少し目を丸くすると、にんまりと笑った。
「は~ん。そうかい。俺様は焔の将軍だ。お前の名前は」
「リヒトです」
「よろしく。俺たちは腐れ縁なんだ」
「うるさい、腐れ。帰れ」
「まあまあ落ち着け。リヒト、俺にも飯だ」
「は、はい」
彼女はちっ、と舌打ちをして悪態をついた。俺はすっかり上機嫌で、彼にシチューを入れてやることなど造作もなかった。
焔の将軍と呼ばれる彼は、彼女と同じく凄まじい力をもつ魔法使いだという。他の魔法使いから脅威とみなされ城に閉じ込められた彼女とは違って、彼は実に世渡り上手だった。
「まあ、今の時代のやつらにはバルドゥルと呼ばれている」
「バルドゥルって、帝国の大将軍じゃないですか」
スラムで育った俺だって知っている。南の帝国をまとめ上げた立役者。負け知らずの男、バルドゥル将軍。それが、目の前にいる彼なのだという。
彼はそうやって世界の潮流に乗りながら、うまいこと地位を築いてきたそうだ。人の一生ほどの長さをある人物として生きると、数十年陰に潜み、また別の人物として生きていくのだという。
「私は寝る。お前は帰れ。リヒト、こいつを絶対に泊めるなよ」
バルドゥルさんの長話に付き合いたくなかったのだろう、彼女はそう言い残すと厨房を立ち去った。その冷たい態度も全く意に介さない彼は、ひらひらと手を振って彼女を見送った。
足音が遠ざかると、彼は俺を見てニヤリと笑った。そして、テーブルにその逞しい拳を振り下ろした。
ドン!!!!!
広いテーブルの端から端まで、酒の瓶が音を立てて並んだ。驚いてバルドゥルさんを見ると、とても機嫌が良さそうだ。
「よしリヒト、あいつについて知りたいこと、なんでも答えてやろう」
魔女様、俺は初めて命令に反してしまうかもしれません。