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第1話



 僕は、雪が降り積もる森の中を歩いていた。

 さっきの吹雪で足跡はすっかり消えてしまった。どっちから来て、どっちに行けばいいのか、これではもう分からない。体中が寒さと痛みに悲鳴を上げている。

 足を引きずりながら、それでも前に進む。歩いても歩いても、ずっと同じ景色だ。

 せめて木に印でもつければ迷わなかったか、と少し後悔する。


 まあ、どのみち、死にに来たようなものか。




 僕は、騙された。兄と慕っていた男に有り金全部盗られてしまったのだ。おまけに、やってもいない罪まで着せられて。


 この街は、いつも冬だ。幼い頃に両親を亡くし、身寄りもない僕は、寒空の下を彷徨っていた。あの男はそんな僕を見つけ、子分として育てると言った。僕たちはスラムにたくさんある廃屋の一つで生活することになった。

 あいつは、僕を()()()()の悪に育てた。まだ幼く見た目も悪くなかったから、人に疑われにくいと言っていた。

 最初は観光客相手に、堂々とお金をせびっていた。それがうまくいかなくなると、裕福そうな人を見つけて、スリをするようになった。店から食べ物を盗んだりもした。


 そうやって得たお金や物は、一度あいつに渡さなければならなかった。

 あいつから返ってくるお金は、渡した金額より少ないような気がした。でもあいつは、それを()()()()だと言った。

 あいつはあいつで、もっと悪いことをやっていた。それに必要なお金らしい。


 僕は返ってきたお金を、いつも寝ている床の、ボロボロの板の下に隠していた。このお金で、僕はまともな人間になりたかったのだ。それだけが僕の生きる希望だった。



 ある日、僕は仕事を終え廃屋に帰った。そこには、誰もいなかった。

 あいつの帰りが遅いことはよくあった。だから、いつもどおりのはずなのに。


 どうにも胸騒ぎがした。それは、あいつのただでさえ少ない荷物すら、見当たらないからなのかもしれない。

 僕は慌てて自分の寝床へ行き、床板の下を確認した。そこにあるはずものは、なかった。


「なんだ、これ」


 お金の代わりに、血まみれのナイフが置いてあった。僕は怖かった。そこそこ悪い僕は、血まみれのナイフには縁がないのだ。


 そのとき。ぎしりと廃屋が軋んだ。あいつが帰ってきたのだと思って、僕は振り返った。


「お前だな」


 知らない男が何人もいた。そう思った瞬間に、僕の視界は飛んだ。僕は殴られていた。事態が全く飲み込めなかった。そして、蹴られた。

 痛い。僕は蹴られた勢いで床に転がった。一人の男が、僕の秘密の隠し場所から、それを見つけてしまった。


「お前がやったな」


 また暴力が始まった。こんなに一方的で無慈悲な暴力を受けるのは、初めてだった。僕は「わからない」「僕じゃない」と必死で叫んでいた。そのうちそれが無意味だと分かると、ただ腕で体を守った。


 そのうち、暴力は止んだ。僕はもう動けなかった。心の底から怯えていた。


「あいつはどこにいる」

「……」

「はめられて、残念だったな。恨むならあいつを恨めよ」


 一番体格の良いやつがそういうと、男たちは廃屋を出ていった。

 あいつは僕のお金を盗んだだけじゃなく、誰かを刺した罪を僕に着せて、どこかに消えてしまったようだ。

 その証拠に、血まみれのナイフは、あいつがいつも身に着けていたナイフと同じだった。






 僕は廃屋に横たわっている。身体も痛いし、心も痛かった。

 窓の外に月が見えた。満月で、いつもより明るく感じた。

 

 そのうち雪がちらちらと舞い始めた。

 僕は、母が生きていたころのことを思い出していた。



『むかしむかし、この世のものとは思えないほど美しい女がいました。

 女は、恐ろしい魔女でした。魔女は全てのものを凍らせる力を持っていました。

 それを恐れた魔法使いたちは魔女を城に閉じ込めました。

 永遠の命を持つ魔女は、永久に城から出られなくなったのです。


 魔女は嘆きました。

 その嘆きは氷となり、城を凍らせました。

 その嘆きは雪となり、城の立つ山に雪が降り積もりました。


 そして、麓に立つこの街には、冬だけが訪れるようになったのです』


 僕たちは、裕福ではなかった。雪の降る寒い晩には、2人でベッドに入って、身を寄せ合って寝た。僕はその時間が大好きだった。

 ベッドの中で、母はよくこの話をしてくれた。そして決まってこう言った。


『こんなに寒いのに、魔女は冬の城で独りぼっち。

 かわいそうね。きっと寂しいでしょう』



 僕は母の言葉を思い出し、天命を授かったような気持ちになった。

 きっと今も、魔女は冬の城で寂しく暮らしている。どうしても魔女に会いたかった。



 だって、僕の寂しさを理解できるのは、この世に彼女しかいないからだ。




 体の感覚がない。今度の吹雪は、酷かった。もう前も後ろも分からない。僕はついに、動けなくなった。

 


 寂しい。ああ、どうしても彼女に会いたかった――






「珍しい。子どもか。死んでいるのか? ふん、迷惑な。

 ……いや、まだ生きているのか」


 遠くで、声が聞こえた気がした。


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