婚約破棄の現場は凍りつく(物理的に)
プロットなんて気にしないで、勢いだけで書きました。
たくさんの誤字脱字、ご報告ありがとうございます。ただ、わざとひらがなにしている部分もあることだけ、ご了承ください。/漢字変換についてのアドバイス、ありがとうございました。 日刊ランキング3位入り、ありがとうございます!
季節は初夏を過ぎて、夏の盛りを迎えようかという頃。日が落ちれば、日中の暑さが嘘のようにやわらぎ、過ごしやすくなる。夕刻になれば、涼を求めて川べりを散策する人々の姿が、あちらこちらで見受けられた。
彼らが川べりの散策を楽しむのは、日が沈むまで。日が沈んでしまえば、庶民は自宅へと帰っていく。代わりに姿を見せるのは、着飾った紳士淑女を乗せた馬車たちである。
今の季節は、社交の最盛期。あちらの舞踏会、こちらの夜会。オペラにバレエ、音楽の演奏会といった具合に、私的なものから公的なものまであって、上流階級の人々は大忙し。
そんな数ある行事の中の1つに、ポリフォニーア学院の卒業パーティーがあった。国内はもとより、国外にも名を知られた名門校は、貴族のみならず、庶民にも広く門戸を開いていることでも有名だ。
今夜は、そのポリフォニーア学院の卒業パーティーである。会場は、王都の中心からやや外れたキュレーション離宮。こちらは、先々代の王妃陛下の隠居所として建てられた。王妃陛下が亡くなられてからは、今夜のような大規模な催しの会場として利用されている。
「死神公爵のうわさはもうお聞きになられまして?」
「ワイバーンの群れを退けたといううわさのことかしら?」
卒業生がホールへ粛々と入場してくる中、保護者たちは社交に余念がない。
死神公爵こと、ケイアノス公爵は2年前に自らの手で父親である先代公爵を追い落とし、公爵位を継いでいる。まだ20代であるとのうわさもあるが、本人が公の場に出てきたことがないため、人柄などについてはほとんど知られていない。
社交界に伝わってくるのは、今のような華々しい戦歴のみである。
「あら? あちらは、ミゼーレ・マドリガル・ベルカント侯爵令嬢ではなくて?」
「えぇ、そうね。でも、フラウト・トラヴェルソ・ファンドレイザー殿下はどちらに? ベルカント侯爵令嬢はあの方と婚約なさっていたはずでしょう?」
うわさ好きなご婦人方が見つけたのは、このモテット王国の第一王子であるフラウトの婚約者だった。
ラズベリーのような鮮やかな赤い色のドレスを着た、華やかさと可憐さを兼ね備えた美しい淑女は、どういったわけか誰のエスコートも受けず1人きり。卒業パーティーという、楽しい催しの場であるにもかかわらず、その表情は物憂げであった。
「あら、ご存じありませんでしたの? ベルカント侯爵令嬢のうわさを──」
「夫人は何かご存じでいらっしゃるの?」
突然、横から話しかけてこられたのにやや面喰らいはしたものの、その内容は聞き逃せない。
「学院内での出来事には疎くて……。ぜひ、お聞かせ願えますかしら?」
「もちろんですわ」
そのご夫人によると、フラウト・トラヴェルソ殿下は、カルメン・コーニー・バガーテル男爵令嬢と恋仲にあるというのである。
「まあ!? それは本当なのですか?」
「学院内では、もっぱらの評判ですわ。人目もはばからず、ずいぶんと親しくなさっておいでだとか。それだけでも十分な醜聞ですが、それだけではありませんのよ。殿下の側に控えている、宰相家のご子息、騎士団長ご子息、魔法士団長子息、情報局長ご子息といった方々とも親しくなさっているそうよ」
「な?! 一体、何を考えていらっしゃるの? 信じられませんわ」
今あげられた家は、全て上級貴族。王子殿下以外の子息には婚約者がいないが、正式に発表されていないだけで、近々発表があるだろうという話を聞いている。
「ベルカント侯爵令嬢は、殿下と男爵令嬢の仲を嫉妬して、彼女に嫌がらせをしていたそうですわ。お気持ちは分からないでもないですが、それではかえって逆効果となってしまいますでしょう?」
「なるほど。それで……」
このご夫人には、2人の娘がいて姉の方は侯爵令嬢に同情的。男爵令嬢は「貴族としてはもちろん、女としても人としても、最低な人柄」だと評している。一方、妹の方は男爵令嬢に肩入れをしていて「真実の愛で結ばれた、想いあう2人を邪魔する悪女よ」と憤りを隠そうとしない。
「なんにせよ、今夜のパーティーは一波乱ありそうですわ……」
所詮自分たちは、下級貴族。雲の上の方々の色恋沙汰には縁がない。
「うふふっ。楽しみですわね?」
「えぇ、本当に」
扇で口元を隠しながら、夫人たちは目を細めた。人の不幸は、時に何よりも勝る娯楽となる。決して褒められた感情から来るものではない胸の高鳴りを視線に乗せて、彼女たちは侯爵令嬢へ視線を向けた。
このわずか数十分後、キュレーション離宮の大広間が、氷結地獄に変わることをいったい誰が予想できただろうか……。
「ミゼーレ・マドリガル・ベルカント! お前が醜い嫉妬により、俺の愛するカルメンをいじめていたことは知っている! お前のような性根の女を王家に迎え入れられるわけがない! よって、ここにお前との婚約を破棄し、カルメンとの婚約を宣言する!」
「っな!? お待ちください、フラウト殿下! わたくしはそのようなこと──」
「黙れ! 言い訳などするな! 見苦しい!」
婚約者であるフラウト・トラヴェルソの常にない叱責に、思わずミゼーレは体を縮こまらせた。このように大きな声で怒鳴り散らされるのは初めてで、体がすくんでしまったのだ。
フラウトはミゼーレが悪いように言うが、こちらにだって言い分はある。
誰が、フラウトとカルメンの仲に嫉妬したのかと。するわけがない。
幼い頃は、婚約が決まる前は、仲の良い友達として一緒に遊んでいた。思えば、淡い恋心を抱いたこともある。しかし、それが色濃いピンクに染まってゆくことはなかった。
それでも、婚約した以上、男女の恋愛感情は育めずとも、友人や家族、同志としての親愛は育めるはずだと努力してきたつもりだ。
なのに、ぽっと出の男爵家の庶子にその努力を全否定されたのである。10年以上、共に教育を受けて来たのに、その時間をミゼーレの気持ちをあっさりと切り捨てやがったのだ。
腹を立てるなと言う方が、無理な話である。
それでも、王家に嫁ぐ身であるからと怒りをこらえて「行動を慎め、言葉を選べ」と2人に注意し、忠告してきたのだ。
そのことが、どのように解釈されたのか、カルメンを虐めていると受け取られてしまい、ミゼーレ自身の立場が危うくなってきてしまったのである。
気づいたときには、もう遅い。ミゼーレは運命の恋人の仲を切り裂こうとする、悪女として冷たい視線を浴びることになってしまった。
こうなってくると、もはやフラウトに向ける好意は0に近い。あのバカ王子。今に見ていろ、絶対に婚約を撤回させてやると、両親に訴え、水面下で動いてきたのだ。
その両親との約束の時間まであと少し。何とか時間稼ぎをせねばと、口を開こうとするが、そのたびに「言い訳はするな」と遮られる。
大体、中庭の池に突き飛ばしたとか、トイレに閉じ込めたとか。教科書やノートを破いたとか、文房具を盗んだとか。お茶会に呼ばなかっただの、お茶をかけただの、ドレスを切り裂いただの……そんなしみったれた嫌がらせを侯爵令嬢がするわけがない。
本当に彼女を排除しようと思ったなら、父にただ一言「バガーテル男爵家を取り潰していただきたいの」あるいは「バガーテル男爵令嬢に縁談を用意していただきたいの」と言えばよい。学院に通えなくしてしまえばよいのである。
そんなことも分からないのかと、得意げにミゼーレの悪行とやらを披露している男たちを冷めた目で見やった。
フラウトとカルメンを守るように立っているのは、宰相、騎士団長、魔法士団長、情報局長、それぞれの子息たちであった。彼らは、フラウトの側近であると同時に、恋のライバルであったことも、周知の事実。どうやら、カルメン争奪戦はフラウトが勝利したようである。
4人の立ち姿を言葉にすれば「カルメンに選ばれなかったことは残念だ。しかし、フラウトなら、必ず幸せにしてやれるはずだと信じている。だからこそ、自分たちは身を引いた」といったところだろうか。
なんてばかばかしい。大根役者揃いの、素人演劇もいいところである。
それにしても、フラウトにかばわれるようにして立つカルメンの顔といったら! わたしは被害者、傷ついているのと涙を目元ににじませているが……その目は優越感に浸っている。ミゼーレを見下し、あざ笑っているのだ。
おあいにく、フラウトに対する愛情はもはや0であり、どこで何をしていようが、お好きにどうぞどうぞ、だ。嫉妬なんてするわけがない。あちらのそういう勘違いも、腹立たしくてしょうがなかった。
いっそひっぱたいてやろうかと思うが、それをしたなら、フラウトたちの思うつぼ。今は、両親が駆けつけてくれるまで、歯を食いしばってでも耐えて、何とか時間を稼がねばならない。
それにしても、彼女が袖を通しているドレス──華やかなローズピンクとラベンダー色のそれは、身に付けているアクセサリーもそうだが、男爵令嬢が身に付けるには、分不相応というもの。あのデザインは、男爵家では手が届かないような、名のある工房が手掛けたに違いない。
横領。もしくは権力の悪用。それらの言葉が、ミゼーレの頭にちらちらと浮かんだ。
「あの……いいの。いいのよ、フラウト。ミゼーレ様を責めないで」
いつだれが、名前で呼んでよいと許可を出した? 男爵令嬢の身分で王子殿下の名を呼び捨てにするなど、淑女のすることではないわ。
と、つい口を開きかけたが、面倒臭くなってやめた。自分たちで時間を稼いでくれるのなら、付き合う苦痛はあるものの、助かる。
「あたしは、ミゼーレ様が謝ってくれれば、それでいいの。いっぱいイジメられたけど、いいわ。許してあげようと思うの」
許してあげよう? 何様のつもりだ。扇子を握る手に力がこもる。距離があってよかった。もっと近かったなら、確実に我慢しきれなくなって、扇子で引っぱたいていたに違いない。
「だって、好きな人が自分じゃない人を好きになったなんて、認めたくないもの。取られたくないって、思うのは当たり前のことだわ。意地悪をしたくなるのも分かるもの」
「カルメン……」
ミゼーレがフラウトを好いていたなど、婚約が決まる前の話でしかない。婚約が決まってから、フラウトはミゼーレを「ミゼ」と呼ばなくなり、ミゼーレもフラウトを「ラート」とは呼ばなくなった。自然と距離が開き、その距離は縮まることなく今に至るのである。
お言葉ですが! と言いたいところだが、4人の野郎どもの視線がうるさい。黙れ、しゃべるな、息をするなとミゼーレを威圧してくる。
「ミゼーレ様、ごめんなさい。あたしが、フラウトを好きになってしまったばっかりに……」
「何を言う、カルメン。お前に罪はない。俺たちは互いに愛し、愛されるために生まれて来たのだ。ミゼーレとの婚約は父上たちが決めた政略で、俺たちの間に想いあう心などはじめからなかったのだ」
「そんな……フラウト……。辛かったよね。悲しかったよね……」
ボロボロと涙を流し、カルメンはフラウトへ同情を寄せた。
ひどい言われようである。確かに、想いあう心はなくなったが「はじめからなかった」とは、心外だ。少なくとも、ミゼーレはフラウトを慕っていた。婚約が決まるまでは、の話だが。
「俺のことを想い、涙してくれるのはお前だけだ。カルメン」
フラウトはカルメンを優しく抱擁し、彼女はそんな彼に身をゆだねる。自分たちの世界を作ってある程度満足したのか、抱擁をといたフラウトは、
「いいか、ミゼーレ! 未来の王子妃を傷つけたことは万死に値する! だがまぁ、カルメンが許してやってほしいと言うからな。お前は、ケイアノス公爵のもとへ嫁ぐがいい!」
「っな?!」
ざわりと会場が揺れた。
謝罪しておりませんが? と思いはしたものの、死神公爵と呼ばれる男の元へ嫁げと言われたことに、ミゼーレは驚愕した。なぜ、そんなとミゼーレが口を開く前に、
「せいぜい、媚びを売ってかわいがってもらうといい!」
ハーッハッハ! とフラウトが勝ち誇り笑いかけたその瞬間、
ピキーンッ!
「「「「!?」」」」
会場が凍った。
比喩でもなんでもなく、夏の盛りのこの夜に、物理的に、会場が凍結したのである。
一瞬にしてシャンデリアから氷柱が伸び、床が青白い氷で覆われる。ひらひらと涼し気に揺れていたカーテンは瞬く間に凍り付き、会場内の紳士淑女の装束も凍った。
もはや寒いというレベルではなく、体が痛い。立っているのもつらくなり、その場にへたり込めば、それを合図にしたかのように会場の氷が溶けた。時間にして、わずか数十秒。
夢であってほしいと願うも、ドレスは冷たく濡れている。いくら夏の夜とはいえ、このままでは風邪をひいてしまいかねない。すぐに魔術を使って乾かしたいところだが…………
「え? 待って……離宮で魔術は使えないはずじゃ……」
では、あの現象は一体……? 1つの可能性を思い浮かべ、ミゼーレが別の意味で顔色を悪くしていると、ふわりと乾いた布が肩にかけられた。
見上げれば、1人の青年がミゼーレの傍らに立っている。
年頃は彼の方が1つ2つ上だろうか。なかなか整った顔立ちではあるが、どこか親しみやすい雰囲気もある。彼はミゼーレに微笑みかけた後、フラウトたちへ顔を向けた。
ミゼーレの肩にかけられたのは、彼のジャケットのようだった。鮮やかなスカイブルーのジャケットが肩にかかると、体の震えがぴたりと止まったのである。氷のドレスを着ているかのような錯覚さえ瞬く間に薄れ、ゆっくりとではあるが、立ち上がれそうだ。
「発言をお許しいただけますか? 殿下」
アッシュグレイの髪に夏の夜空のような深い青眼。彼は怒りを静かに抑えた顔で、フラウトを見据えている。先ほどの親しみやすさなど、かけらも残ってはいなかった。
「なッ、なんだ?」
寒さで体がガタガタと震えているらしい。フラウトの声は非常に弱弱しいものであった。
「ではお尋ねいたします。何ゆえ、殿下の浮気の後始末を我が家が請け負わねばならないのか、納得のいく説明をお願いいたしたく」
立ち上がろうとしたミゼーレに、さりげなく手を貸してくれた彼は──
「ディアン伯爵……」ケイアノス公爵の弟君である。
彼は真顔のまま、
「殿下? 今の話、私は初耳でして。加えて、今のおっしゃりようでは兄に嫁ぐことが、さも刑罰に値することのように聞こえたのですが? 納得のいく説明をお願いいたします」
ディアン伯爵が口を開くたび、ピキピキと会場が凍り付いていく。
「そ、それは……だな……」
フラウトの目が泳ぐ。4人の友人に助けを求めるよう、視線を投げかけるが、こちらは寒さに体を震わせていて、役に立ちそうにない。
壁も床も天井すら氷に覆われ、氷柱が伸びる。吐く息は白く、フラウトたちの鼻の頭は赤くなっていた。はらはらと舞うのは雪だろうか?
会場を見渡せば、出席者はほぼ全員、その場に座り込んで自分の体を抱きしめ、寒さに体を震わせていた。立っているのは、ディアン伯爵とミゼーレのみ。伯爵がジャケットをはおらせてくれたからか、ミゼーレは寒さに震えずに済んでいる。
「殿・下?」
「あ、あたしは! その人にいじめられていたんですよッ!?」
カルメンが気丈にも声をはって答えたが、
「君には聞いていません」
氷の伯爵容赦なし。絶対零度の視線と声音で瞬殺。
「大体、我が家と君がいじめられていたことにどのような関係が?」
なんの関係もありません。ディアン伯爵が学院を卒業したのは去年の話で、フラウトたちには決して近づこうとしなかったため、変わり者扱いされていたくらいだ。
「そもそも、いじめの原因は自分にあると、『殿下を好きになったばっかりに』とこちらのご令嬢に謝罪していたではないですか。なのに、身を引こうとしなかったのは、悪いと思っていなかったからでは? 殿下と婚約しているのは、こちらの令嬢である以上、あなたは殿下の浮気相手でしかない。責められるべきは、彼女ではなく、あなたと殿下のはずだ」
悪びれもせずに、不貞行為を堂々と見せつけるような恥知らずの令嬢と仲良くしたいなどと思う人がいるわけない。彼の舌鋒鋭さに、反論できる人が出てこない。
ミゼーレは、彼の横で「その通りです!」と絶賛していた。
「真実の愛だか、愛し愛される仲だか知りませんが、本当にそう思われるのであれば、先にこちらのご令嬢との婚約を白紙に戻してから、付き合うのが物事の筋というものでは? それをせずに、いじめを理由に破棄とは…………」たっぷり間をとった彼は、
「筋違いも甚だしい」鼻で笑った。
「それで? 殿下? いつになったら、説明をしていただけるのですか?」
伯爵の顔は笑っているが、目は笑っていない。
よく見れば、フラウトたちの肩には霜らしきものが。6人ともがたがたと体を震わせ、顔色は真っ青を通り越して、真っ白だ。もしかしたら、寒さで震えて反論どころではないのかも知れない。真夏の平地(しかも屋内)で凍死とは、笑えない話である。
「だいたい、王子と4人の上級貴族令息がそろっていながら、女1人守れないし、男5人いながら、女性1人の行いも正せないとは、情けなさすぎて乾いた笑いしか出ませんよ」
ディアン伯爵の毒舌は、まだまだ止まらない。
「先ほどのいじめの内容についても、証拠固めが弱すぎる。事件のあった日時、場所の特定。第三者による証言もなければ、魔術捜査による物的証拠も精査していない。彼女の話すら聞く耳を持たない。人の上に立つ方々がこのような体たらくでは……」
それ以上は何も言わなかったが、信用できないというような言葉が続くのだろう。
「だから、女性1人問い詰めるのに、これだけ多くの人間を巻き込んだ。数の暴力で女性1人の人生を台無しにしようとするなんてとんだクズですね。おまけに無能だ」
伯爵、伯爵! もう、やめてあげて。殿下たちは、精神的にも肉体的にも瀕死の状態です~! とは、言えないミゼーレだった。
下手に口を挟めば、ミゼーレにも言葉のナイフの切っ先が向けられそうだったので。
「だっ、誰が無能だ!」
「誰とはあえて申しませんが……そうですね。では、無能ではない証明に、我が家に後始末を押し付ける正当な理由と我が家へ嫁ぐことが懲罰であるかのような発言の説明を」
「ぐっ……!」
フラウトは説明できない!
しかし、ここで魔術士団長子息の反撃!
「お前、自分が何をしているか、分かっているのか?! 離宮での魔術使用は、禁じられているんだぞ!?」
「これはこれは、おかしなことをおっしゃる。私が魔術を使っているという証拠がどこに? そもそも、この離宮には魔術封じがかけられているはずでは?」
「っぁ! えっ?!」
だが、通用しない! 伯爵は、眉1つ動かさなかった。
「いったい何のさわ、って──さんむっ!」
ここに来て、国王陛下の登場。その後ろには、両親をはじめ、宰相たちもそろっている。
結果として、伯爵が時間を稼いでくれたような形になった。
ほっと胸をなでおろすも、まずは事情を説明しなければならない。当事者のはずがすっかり蚊帳の外に出されてしまったミゼーレではあったが、陛下に向かって発言でき、なおかつ歯の根が合っている人間が自分しかいないので「恐れながら申し上げます」と、口を開いた。
国王が会場に姿を見せたことにより、謎の氷結地獄は消え去った。魔術士団長の指示により、会場内にのみ魔術封じが解かれ──魔術士団員十数名が、数日間寝込むはめになった──全員、衣服を乾かすことができた。今は急遽運び込まれた毛布に包まれ、温かいスープがふるまわれている。
もはや卒業パーティーどころではない。今年の卒業パーティーの記録は、闇に葬られることになりそうだ。まるで、野戦病院の趣となったパーティー会場を軽く見回しながら、後始末が大変そうだと、ミゼーレはため息をつく。
「なんという…………」
ミゼーレから、ことの顛末を聞かされた国王は、頭を抱えていた。思いつく限りの罵声を息子に浴びせ、できることなら無駄に整ったその顔を拳で整形してやりたい。
ミゼーレに対する不義理はもちろんだが、何よりケイアノス公爵を敵に回そうとしたことが許せなかった。
だって、現ケイアノス公爵は強い。めちゃくちゃ強い。騎士団長でさえ、彼と闘っても勝てないと膝を折るくらいだ。そして、怖い。まだ20代なのに、怖くてたまらない。
「この……っ、バカ息子めが!」
「ひぎィっ?!」
怒りを爆発させた国王、自らの手で鼻フックをかます。
こうなると、王子殿下のご尊顔も台無しである。
「そんなにこの婚約が気に入らないのなら、お望み通り婚約を破棄してやろうではないか! お前の有責でな! というより、はなからそのつもりであったわ! これ以上、ミゼーレに苦行を課すわけにはいかんからな!」
本当は、卒業パーティーの場で息子を糾弾するつもりだった国王陛下。
「ミゼーレと侯爵家への慰謝料は、お前の私財から支払ってもらう。こんなことに税金を投入するなど、恥知らずな真似はできんのでな! お前が使い込んだ金も鉛筆1本、鼻紙1枚から全て精査する。経費として認められないと判断されたものについては、返済させるぞ!」
「ほんっ、ほんな……!?」
鼻フックをきめられたままなので、釈明すら難しい。
「当然だろうが! それから、そこの令嬢と婚約したいというのなら、すればいい。しかし、王族からは抜けてもらうぞ。この国の王たる私が決めた婚約という契約を勝手に破棄するような輩に、他国が、国民が信頼を寄せてくれるとは思えんからな!」
国王が息子を怒鳴りつけているすぐそばでも、同じように息子を怒鳴りつけている親の姿があった。娘の親は「なんてことをしてくれたんだ。この親不孝者」と号泣中。
先ほどとは違った地獄絵図が広がっている。
ミゼーレの方はというと、両親に「辛い思いをいっぱいさせてしまったな」と、こちらも泣かれていた。母などはハンカチで目元を拭いながら、
「勘違いであなたをいじめるような令嬢や令息は、金輪際近寄らせませんからね」
「あ、ありがとうございます。お気持ちだけで十分ですわ」
両親がフラウトの不貞の証拠を集め、それをもとに今夜、婚約の撤回を宣言する手はずだからと、彼らを甘く見ていたミゼーレである。こうも、ボロボロと泣かれては、少々気まずいものがある。何とか両親をなだめすかし、落ち着きを取り戻してもらわなくては。
結論として、フラウトは臣籍降下が決定。カルメンとの婚約は許されたが、
「陛下……娘がこのように世間を騒がせたことは、親である私どもにも責任はあります。何の償いにもならないかもしれませんが、爵位を返上いたしたく……」
「パパ?! 何を言ってるの!?」
「このっ、バカ娘! お前のせいで旦那様やヴィオール殿にいらぬ迷惑を!」
「キャアッ! やめ、やめてよ、ママ! 痛い、痛いわ!」
ビシバシと娘を扇子で叩きながら、バガーテル男爵夫人は「このバカ娘! 私は恥ずかしくて外も歩けないわ!」と涙を流す。ヴィオールは、カルメンの腹違いの兄である。
「フラウト。法衣貴族として男爵の位は授けてやるがあとは自分で何とかしろ。ミゼーレへの慰謝料も婚約解消による違約金も全て、お前たちの財産から支払うように」
他の令息たちも、家から出るように命じられ、これからの食い扶持は自分たちで稼ぐようにと厳命される。
「カルメンの持ち物を売却しましょう、旦那様。それでも慰謝料には届かないかも知れませんが、ないよりはマシなはずです」
「そんな! 何であたしの物を売らなくちゃいけないの!? そんなことしたら、パーティーやお茶会に行けなくなるじゃない! 第一、法衣貴族なんて貧乏暮らし、あたしは嫌よ!」
母親の提案にカルメンは怒りだしたが、そんな主張が通るわけがない。国王は、息子の鼻の穴から指を抜くと、侍従からハンカチを受け取り、
「お前のようなふしだらな娘と親しくしたい貴族など、誰もおらんと思うがな。しかし、国王たる儂の命に背くというのならば、不敬罪と国家騒乱罪および国家反逆罪を適用し、犯罪者として投獄だ」
指先をふきながら、冷ややかに告げた。当然、これはカルメンだけではなく、他の令息たちにも言えることだ。
「っな?!」
どちらでも好きな方を選べと言われても、選べる方は1つしかない。
「そんな……うそでしょ? なんで……こんな……」
カルメンは呆然と目を見開いたまま、動かなくなった。
さて、ディアン伯爵である。
彼は国王から謝罪を受けたのち、間違いでよかったとニコリ笑っただけであった。ミゼーレからジャケットを受け取り、
「それではみなさん、私はお先に失礼します」と微笑みを浮かべ、去って行った。
なんとも鮮やかな撤収である。
「……ミゼーレや? ケイアノス公爵への嫁入りはないとしても、ディアン伯爵への嫁入りはありだと思うんだが、どうだ?」
「どっ……どうだと言われましても…………」
父の質問にはきちんと答えられなかった。ちょっと想像してみただけで、顔が熱くなってしまう。つまりは……まあ、そういうことだ。
「あらあら。おほほ。あなた、ミゼはまだ婚約を撤回したばかりですわ。焦らず、じっくりまいりましょう。わたくしたちの自慢の娘ですから、ディアン伯爵も──ねえ?」
「お母様…………!」
思わぬところから、ミゼーレの恋が始まったようである。
お付き合い、ありがとうございました。ちなみに、名前の多くは音楽用語からとっております。